岩佐真悠子の結婚相手は?引退した現在は介護施設で働いている?
2023/12/22
大今里
地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教の幹部でもある石井久子は、教祖である松本彰晃の愛人でもありました。
松本彰晃の愛人は他にもいますが、特に幹部である石井久子にはスポットが当たることも多く、さらには石井久子の子供にも注目が集まっています。
石井久子の子供は麻原彰晃との間に出来た子供であり、3人の子供がいることがわかっています。そんな石井久子の子供について見ていきましょう。
今では、麻原彰晃には愛人が多くいて、子供も全部で12人いるということがわかっています。特にオウム真理教の幹部でもある石井久子との間の子供は3人なので、それだけ麻原彰晃と石井久子は密接な関係であったということも容易に想像が出来ます。
しかし、教団内では麻原彰晃との間の子供であるということは秘密だったことを明かしています。これは、他の信者たちに石井久子と麻原彰晃の関係を説明するのが難しかったということや、麻原彰晃の正妻・松本知子の存在を配慮したからだと言われています。
ただ、松本知子に関しては石井久子と麻原彰晃との間に子供がいることを知っており、そのことが原因で教団内で包丁を振り回し、暴れたことがあったこともあったようです。そのため、教団内では本当に隠そうとしていたのか、という疑問も指摘されています。
石井久子は地下鉄サリン事件の後、犯人隠避の容疑などで逮捕されています。その後、2000年には出所をしており、同年に行われた記者会見にて、オウム真理教を信仰していないということを告白しました。
記者会見では自身の子供についても触れており、今後は子どもたちと静かに暮らしたいということも明かしています。その後、子どもたちとはどのように過ごしていたかは定かではありませんが、噂によると現在は介護の仕事に就き、父親と二人暮らしをしているようです。
ただ、この噂に関しても数年前のものであり、現在もその生活を続けているのか、どのような仕事についているかの情報は出回っていないようです。
気になるのが石井久子と麻原彰晃との間に生まれたとされる3人の子どもたちのことです。石井久子は逮捕後、子どもたちのことを考えてすぐに出生届を提出しています。記者会見でも触れていたように、子どもたちのことを一番に考えていたことを窺わせます。
現在、子どもたちがどのような暮らしをしているかはわかっていません。数年前の石井久子の噂には、父親と二人暮らしをしているとのことだったので、この噂が本当であれば、今は3人の子どもたちは石井久子の元を離れ、それぞれ暮らしていると考えられています。
また、麻原彰晃と松本知子との間には6人の子どもがいて、子どもの一部は自身が麻原彰晃の子どもであるということを公表し、本なども出版していますが、石井久子と麻原彰晃との間に生まれた子どもはそういった活動は一切していないようです。
オウム真理教の教祖である麻原彰晃には、正妻の松本知子、幹部であり愛人の石井久子の他にも、関係を持っていたとされる女性が何人かいるようです。
特に愛人として有名なのが、木田佑貴子と飯田エリ子です。麻原彰晃は教団内の特に美人な女性信者とは関係を持っていたようですが、その中でも木田佑貴子と飯田エリ子はお気に入りの愛人だったと言われています。
そんな麻原彰晃の愛人と言われている木田佑貴子と飯田エリ子、そしてこの愛人二人について正妻の松本知子はどこまで知っていたのかについて、注目をしていきましょう。
愛人の中でも特に若く、さらには幹部としても注目を浴びていたのが木田佑貴子です。なんと木田佑貴子はオウム真理教に10代のうちに入信しており、18歳の頃にはすでに麻原彰晃の愛人関係でした。
実は18歳の時点で、麻原彰晃との間に子どもを出産しています。ただし、幹部であり、なおかつ麻原彰晃のお気に入りの愛人だった木田佑貴子ですが、地下鉄サリン事件などの犯罪には関わっておらず、逮捕などもされていません。
2011年の時点では、木田佑貴子は子ども、そして母親と共に群馬県で暮らしていたという噂が流れています。周囲には自分がオウム真理教の一員だったこともバレていたようですが、特に問題なく静かに暮らしていたようです。
地下鉄サリン事件でも逮捕されている、オウム真理教の幹部の一人でもある飯田エリ子も麻原彰晃の愛人でした。実は、飯田エリ子が石井久子をオウム真理教に誘ったとも言われており、オウム真理教の中でも特に古株的存在だったようです。
飯田エリ子も美人であり、麻原彰晃の中ではかなりお気に入りの存在だったようです。しかし、麻原彰晃と飯田エリ子との間には子どもはいないとされています。よく名前が挙がる愛人の中では珍しい存在だと言えるでしょう。
飯田エリ子は、地下鉄サリン事件後に犯人隠避の容疑で逮捕された後、脳出血で倒れているのが確認されています。現在も脳出血で倒れた後遺症が残っており、体の右半身は麻痺で自由に体が動かせないと噂されています。今どこで暮らして何をしているのかについてはわかっていません。
麻原彰晃の愛人は、木田佑貴子や飯田エリ子の他にもたくさんいたとされています。麻原彰晃の女性のタイプの一つである【ロングヘア】は教団内でも知られていることの一つであり、麻原彰晃の愛人になりたい女性信者はみんなロングヘアにしていたと言われています。
ロングヘアにしていれば、麻原彰晃の愛人志望という証であるという暗黙のルールになっており、麻原彰晃がその女性信者を気に入ればすぐに愛人にしていたと言われています。
ただし、中には麻原彰晃の愛人にはなりたくないという女性信者も多くいました。そんな女性信者はオウム真理教を信仰しつつも、愛人にはなりたくないという意味を込めて、みんな髪を切り、ショートヘアにして愛人になることを避けていたと言われています。
麻原彰晃の正妻である松本知子は、石井久子と麻原彰晃の関係に激怒し、教団内で包丁を振り回す、麻原彰晃に暴力を振るうなどの暴走をしていたことがわかっています。そのため、松本知子は妻として、松本彰晃のことを深く愛し、愛人がいたにもかかわらず寄り添っていたと考えられています。
しかし、松本知子は石井久子以外の麻原彰晃の愛人がいたことは知らなかったと言われています。麻原彰晃の愛人は100人を超えると言われていますが、石井久子との関係しか知らなかったというのは、やや驚かされる事実だと言えるでしょう。
また、松本知子はオウム真理教がやってきた犯罪行為、そして地下鉄サリン事件の計画なども全く知らなかったと言われています。松本知子以外の他の多くの信者も、犯罪行為などについて知らされていなかったようで、地下鉄サリン事件を含む犯罪に関わった信者は、オウム真理教内ではごく一部だったようです。
石井久子はもともと保険会社で働いていました。その時の同僚が愛人の一人でもある飯田エリ子であり、飯田エリ子の誘いにより、麻原彰晃がやっていたヨガ教室に入会し、ヨガ教室がやがてオウム真理教になったことを機に、会社をやめて出家をしています。
創立メンバーとも言える立ち位置であり、さらには熱心な活動意欲、麻原彰晃の好みの女性のタイプということから、あっという間にオウム真理教では高い地位を得ることになります。
先程から触れていますが、石井久子と麻原彰晃は愛人関係でした。麻原彰晃には多くの愛人がいましたが、その中でも特にお気に入りの愛人が石井久子であり、深い寵愛を受けていたことがわかっています。
麻原彰晃は自身のタイプについて【黒髪ロングで化粧っ気のない美人な女性】を掲げていました。石井久子はそんなタイプにはぴったりの存在であり、強い信仰と忠実な態度を持っていたのもあり、麻原彰晃の愛人としては最高の存在だったと言われています。
そんな最高の愛人だったということもあり、石井久子のオウム真理教での地位はかなり高いものでした。その地位は、正妻である松本知子よりも上のものであり、オウム真理教の【女帝】と呼ばれるような存在でした。
オウム真理教幹部としての石井久子についても注目をしていきましょう。オウム真理教内では、麻原彰晃の特にお気に入りの愛人であり、なおかつオウム真理教に入信するのが早かったことから、かなり高い地位についていたことがわかっています。
オウム真理教を広めるために、自らオウム真理教の広告塔となって様々な広告や宣材写真なども担当し、多くの信者を集めた功績もあります。また、オウム真理教の金銭の管理などもほとんど請け負っていたことがわかっています。
オウム真理教のお金に関するほとんどの管理、決定権なども持っていたことから、オウム真理教の中では権力を持っており、さらには様々な計画(犯罪行為)などにも携わり、協力をしていたと言われています。
正妻である松本知子よりもオウム真理教内では権力を握っていた石井久子は、当然松本知子からは疎まれる存在でした。深い寵愛を受けているということは松本知子にとっては気分が良いものではありませんし、正妻でありながらも愛人に劣る権力を持つというのは大きな屈辱だったに違いないと言えます。
ただ、正妻という立場は愛人からしてみれば敵わない存在でもあり、石井久子からしてみても正妻というポジションを持つ松本知子は忌み嫌う存在だったようです。そのため、松本知子も石井久子も教団内にて頻繁に言い争いや喧嘩をしていたようで、かなり大きな騒動に発展したこともあったと言われています。
また、松本智子は石井久子と麻原彰晃の手によって、教団内では酷い扱いを受けていたことを明かしています。事実かどうかは定かではないものの、供述によれば監禁されたこともあり、もし本当のことであれば、石井久子は松本智子に対して麻原彰晃と共にイジメのようなこと働いていたと考えられています。
地下鉄サリン事件において、犯人隠避の疑い、また、オウム真理教が犯してきた犯罪に関わっているとして1995年に石井久子は逮捕されています。しかし、その逮捕翌日にはオウム真理教の信者の一人であり、音楽部門トップだった蒲田紳一郎と結婚をしています。
この結婚は、石井久子が子どもたちのことを思ってのものだったことを明かしています。オウム真理教の教祖であり、数々の犯罪の主犯である麻原彰晃が逮捕され、さらには愛人という立場を考えれば、子どもは片親しかいない状態になってしまいます。
そんな子どもたちのことを考え、教団の中でも親しい関係だったとされる鎌田紳一郎と結婚をし、子どもたちの父親を確保したい状態になりました。現在も婚姻関係が続いているかはわかっていません。
オウム真理教が地下鉄サリン事件を経て解体された後、後続ともなる教団がいくつか発足をしています。現在も度々話題になることが多い【アレフ】や、【ひかりの輪】など、オウム真理教の幹部が立ち上げ、オウム真理教を再建するかのような活動をしていると言われています。
ただ、石井久子はこれらの教団とは現在一切関係ないようです。オウム真理教の幹部であり、麻原彰晃の寵愛を受けていた存在というのもあり、オウム真理教の元幹部の多くはそれらの教団に石井久子をスカウトしたようですが、そういった誘いにはきっぱり断ったと言われています。
オウム真理教の中心人物でもあり、何より麻原彰晃を愛していた石井久子のことを考えてみれば意外な一面とも言えますが、教団が解体された後に洗脳状態が解けて子どものことを一番に考えた選択が出来るようになったのではないかと考えられています。
石井久子と麻原彰晃の子どもも含め、麻原彰晃との間に生まれてしまった子どもは被害者でもあるという意見は少なくありません。石井久子の子ども関しては現在どのように過ごしているかは定かではないものの、オウム真理教の幹部だった石井久子の子どもという事実は背負うにはあまりにも大きなものだと言えます。
また、正妻である松本知子の子どもも現在対立状態が続いていることがわかっています。父親である麻原彰晃を尊敬する子ども、麻原彰晃がやってきたことを許せないという子ども、そういったことを考えると、オウム真理教にまつわる事件の被害者だけでなく、子どもたちもみんな被害者だと考えてもいいでしょう。
現在、麻原彰晃の子どもとしてメディアなどに度々出ているのは正妻の松本知子との間に生まれた子どもたちだけのようです。石井久子の子どもは現在何の噂も情報もないため、今後もオウム真理教関連のことには触れずに過ごしていくのではないかと考えられています。
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