木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
2020/04/03 更新
メアリーベルは11歳の少女でありながら、幼い少年を殺して連続殺人鬼です。このメアリーベル事件が起きた真相は、メアリーベルの生い立ちが大きく関係していました。メアリーベルの生い立ちから現在まで解説していきます。魂の叫びはどのようなものだったのでしょうか。
メアリーベルは11歳の少女でありながら、幼い少年を殺して連続殺人鬼です。このメアリーベル事件が起きた真相は、メアリーベルの生い立ちが大きく関係していました。メアリーベルの生い立ちから現在まで解説していきます。魂の叫びはどのようなものだったのでしょうか。
メアリーベルは事件当時たった11歳の少女が起こした事件であり、にわか警察も信じがたいものでした。メアリーベルが起こした悲惨な事件の詳細を見ていきましょう。
この事件は1968年5月から7月にかけてイギリスで発生した殺人事件で、犯人のメアリーベルは若干11歳の少女で(初犯10歳)3歳と4歳の男児を殺害しました。
この社会を震撼させた事件は、メアリーベルがサイコパスの代名詞のようになっており、犯人の名前を取って「メアリーベル」事件と呼ばれています。
最初に殺された4歳の男児マーティン・ブラウンは空家で絞殺されましたが、子供の力で絞めたため跡が残らず、突然死として処理されました。
突然死として処理されたことで、メアリーベルは警察が自分を捕まえなかったため、あえて犯行現場を描いてみせるなど露骨な行動を取って警察を挑発しましたが、メアリーベルには虚言癖がもともとあったため深刻には捉えられませんでした。
メアリーベルは、友人のノーマベル(名字が一緒だが血縁関係はない)と保育所に侵入し、「わたしが ころした。だから また やってくる」などという犯行を匂わせるサイコパスなメモをいくつか置きました。しかし、警察は悪質ないたずらだと片付け処理してしまいました。
そしてその2ヶ月後、メアリーベルはノーマベルと共に当時3才だったブライアンハウを絞殺し二度目の殺人を犯してしまうのです。
若干11歳という年齢で殺人を犯してしまったメアリーベルという女性は一体どのような生い立ちだったのでしょうか?彼女の異常性は家庭の中で形成されたたものだったのでしょうか?
さっそく詳しく見ていきましょう。
メアリーベルは薬物中毒者で娼婦をしていた母親ベティベルが17歳の時に娼婦の仕事の際に身籠った子供として1957年5月26日この世に生まれました。
ベティベルは生活保護も受けており、メアリーベルは貧しい家庭環境で育ちました。
メアリーベルの母親であるベティベルは子供に一切興味を示さず、常にメアリーベルの存在を疎ましく思っていました。
メアリーベルを出産した際にも赤ん坊に一切愛情を抱くことなく「この娘をどこかにやって!」と叫んだそうです。
このように母親の愛情を受けることなく育ったメアリーベルはいつも愛への渇望があったようです。
メアリーベルの母親ベティベルは娼婦の仕事の際にメアリーベルを身籠ったので、メアリーベルは本当の父親は誰なのかを知らずに育ちました。
メアリーベルは義父のビリーベルとも暮らしていましたが、彼は母親ベティベルのヒモとして働かずに自堕落な生活を送っていたので、メアリーベルにも特に父親らしいことは何一つしていませんでした。
母親ベティベルは娘のメアリーベルに、ビリーを「叔父さん」と呼ぶように徹底させていました。これにはワケがあり、ビリーが「父親」となると、生活保護が減額させられてしまうからでした。
メアリーベルは母親ベティベルのドラッグを誤って服用し瀕死の最中をさまよったことがあります。
このことにアイデアを生み出したかどうかわかりませんが、ベティは何度も故意に娘にアフター・ピルを飲ませて実の娘を殺害しようとしたこともあったようです。
メアリーベル事件がどのように起こり、結果メアリーベルが逮捕されるまでの流れはどのようなものだったのか、詳しく見ていきましょう。
メアリーベルは1968年5月25日に1人目の被害者となる4歳の男児マーティンブラウンを殺害しました。
遺体はイングランド北部の都市、ニューカッスルスコッツウッドで、鳩小屋を作る材木を探していた3人の少年が、立ち退きになった空家の2階で幼児の死体を発見したことから明るみになりました。
遺体を発見した際に少年の一人は窓の下に2人の少女メアリーベルとノーマベルが歩いて来るのが見え階段を上って来ようとするのであわてて阻止したそうです。
被害者マーティンブラウンのわかっている足取りは、午後3時15分頃に駄菓子屋で飴を買い、叔母リタの家にあがってパンを食べた。外に出たのは3時20分頃で3時30分には遺体となって見つかったのです。
メアリーベルとノーマベルは叔母リタの家を訪ね『おばさんちの子供が事故にあったよ』、『場所を教えてあげるわ』と事件をわざわざ知らせに行ったのでした。
また、事件から2日後、メアリーベルは被害者マーティンブラウン家のドアを叩いて『マーティンはいますか?』と訊ねています。マーティンの母ジューンが『マーティンは死んだのよ』と答えると、メアリーベルは『死んだのは知っている。あの子が棺に入っているところが見たいのよ』と言ってニヤニヤと笑ったといいます。
メアリーベルはマーティンを殺したのは自分だと吹聴して回りましたが、もともと虚言癖があり嘘つきで有名だった彼女の言葉をまともに取る人は誰もいませんでした。
事件からまだ日数が経っていない5月27日の朝、近所の保育園が何者かに荒らされていて、下記のような4枚のなぐり書きのメモが残されていました。
「わたしがころした。だからまたやってくる」、「くそったれ。わたしたちがころした。きをつけろ。おまんことおかまより」、「わたしたちがころした。マータンブラウンを。くそったれ。こしぬけやろう」、「おまえらはまぬけだ。なぜなら、わたしたちが ころしたのだ。マータン・ゴー・ブラウンを。きをつけろ。またころしがあるぞ。おまんことおいぼれたおかまより。ポリこうへ」
メアリーベルは1件目の事件から2ケ月が経った1968年7月31日に3歳のブライアンハウを絞殺しました。
夕方になっても帰ってこないブライアンハウを姉のパットが探していると、またもやメアリーベルとノーマベルが近づいてきてブライアンハウが行きそうなところを一緒に探したといいます。
メアリーベルはブライアンの姉のパットに「ブライアンは、あそこのコンクリートブロックの間で遊んでいるかも知れないわ」と言ったそうですが、結果ブライアンはまさにコンクリートブロックの間で冷たくなって発見されたのでした。
警察の検視の結果、ブライアンハウの死因は「子供による絞殺」と断定されました。
被害者の遺体には草や紫の花がたくさんばらまかれ、ハサミで髪の毛は切られ、男性器は切断されるという凄惨な陵辱が加えられていました。
警察はスコッツウッドの3歳から15歳までの子供たち約1200人に質問用紙を配付し事情聴取を行いました。結果回答に矛盾が多かったメアリーベルとノーマベルが浮上し重要参考人としてマークされました。
警察がメアリーを改めて尋問すると、彼女は思い出したことがあると言い、ブライアンが殺された日の午後、体中に草や紫の花をいっぱいつけた少年が片方の刃が折れるか曲がるかしたハサミで遊んでいたと証言しました。
警察は凶器であるハサミの存在を表沙汰にはしていなかったため、虚偽の証言をしたメアリーベルを犯人しか知りえない情報を知っている者として疑い始めました。
メアリーベルの虚偽の証言により疑いをかけられた少年にはアリバイがあったため、ハサミの存在を知っているメアリーベルは連行され逮捕されました。
逮捕されたメアリーベルは何も知らないの一点張りで黙秘を続けていましたが、常にメアリーベルと行動を共にしていたノーマベルがメアリーベルの犯行を全て話すことで事件は明らかになりました。
警察に逮捕されノーマベルの証言によりメアリーベルの異常な行動が明るみになりましたが、その後裁判などで彼女自身の口から事件に対する証言などはあったのでしょうか?
詳しく見ていきましょう。
逮捕されたメアリーベルは黙秘から一転させ殺人への関与は認め事件の詳細を語り始めましたが、すべてノーマがしたことだと言いだしました。
取り調べ中は11歳の子供が通常使わないような難しい言葉も使用し頭の良さを見せつけました。しかし、その発言は淡々としており彼女には何の感情も伴っていないようだと取り調べに付き添った看護婦は発言しています。
また拘置初日の夜、 メアリーベルは、通常の子供がするような動揺したそぶりや、めそめそ泣いたりなどのそぶりなどは全く見せず、ベッドの中で小さい子が歌うには到底大人すぎる哀愁のある歌をきれいな声で突然歌ったそうです。
メアリーベルとノーマベルの裁判は1968年12月5日に始まりました。メアリーベルは毅然とした態度で専門的な証言にも耳を傾け、常に審理に集中し自分の刑のゆくえに非常に興味があるようでした。
裁判になるとメアリーベルは、ノーマベルに責任のなすり付けをし、マーティンブラウン殺害については無罪を主張したりしましたが、12月17日に裁判官よりノーマベルには無罪、メアリーベルには2件の殺人で有罪の判決が下されました。
判決ではメアリーベルには精神的な治療も必要とされましたが、メアリーベルを受け入れてくれる精神病院は見つからず、結局通常の矯正施設に送られることとなったのです。
メアリーベルは1980年5月14日23歳で仮釈放となり出所しました。出所後は職を転々としながら生活し、一時は大学に通ったりもするもののすぐにやめて母親のもとで生活することを選んだりしました。
メアリーベルは出所後一般人として平穏な暮らしをしたのでしょうか?
さっそく詳しく見ていきましょう。
メアリーベルは出所後匿名で暮らしていましたが、母親ベティーベルがメアリーベルの居場所などの情報をマスコミに売ったりすることにより、いくら匿名で暮らしていてもすぐに身元がバレマスコミに追いかけ回される生活を余儀なくされました。
しかしながらメアリーベルは実名を名乗ることにし、自叙伝を出版しました。
メアリーベルは出所後に若い男性と付き合って妊娠し、1984年に女児を出産しています。彼女は1992年までは裁判所の監督下にあり、出所後も妊娠、出産も法務省の許可が必要でしたが、メアリーベルは自分で育児をすることを許可されました。
すくすくと育った娘は母親の過去を知りませんでしたが、1998年記者が彼女らの住所を特定、直撃したことで事件のことを知ってしまいます。
子供を持った後のメアリーベルの変化といえば、より強く「普通に生きたい」という気持ちが芽生えたようです。本来、娘の匿名性保護期間は18歳までですが、メアリーベルは裁判を起こし、2003年最高裁で自分と娘の生涯にわたる匿名の権利を勝ち取っています。
2009年、メアリーベルが51歳、メアリーの娘が24歳になった時、メアリーは祖母となりました。
メアリーベルが2003年に最高裁で勝ち取った匿名の権利は更新され、メアリーのZという敬称で孫の匿名性も一生涯約束されました。
メアリーベルは1998年に自らの犯行を振り返り自伝『魂の叫び』を出版しました。
メアリーベルはこの自伝により50000ポンドを手にしましたが、遺族は何ももらえないどころか、過去の悲しい記憶に再度苛まれ傷つけられ苦しむことになってしまいました。
自伝では、3歳と4歳の二人の少年を殺したメアリーベルと共犯の少女の犯行の様子と、裁判の記録が主です。プラス事件から30年経ち、事件をあらためて振り返ってみて自身がなぜ事件を起こしてしまったのか、その背景には何が要因となっていたのかということを詳細に述べています。
殺人を起こした理由も自分よりも弱い、抵抗できない存在を痛めつけることが楽しかったと分析しています。しかしながら、自伝では自らの罪を淡々と語るだけで、メアリーベルがこの事件に対して少しの後悔や悲しみを感じ取れるような箇所は見つけられませんでした。ただ、自伝を出版することで事件と再度向き合うこと自体がメアリーベル自身も苦しんでいることを十分に示す証拠に成りうるのではないでしょうか。
シリアルキラー達は、ロボットのように感情がなく、良心というものが全く見受けられません。また、明らかな殺意で殺人により快楽を得るところなどがメアリーベルもまたシリアルキラーであると断定される言われです。
しかしながらメアリーベルのような若さで異常性がここまで顕著な人物はそういるものではありません。幼い子が相手に暴力を振るう場合、堅いもので殴るか鋭い物で刺すか切るかですが、メアリーベルの殺人の手段は絞殺なのです。これは明らかに異常です。
また、一緒にいた少女を完全にコントロールしたり、罪を被らせ容赦なく切り捨てるなどの行動も友情や仲間意識の欠けらもないことがわかり異常です。
シリアルキラーとは、1人、またはそれ以上の犯人により2人以上の殺人の被害者が出てしまった殺人事件を起こした犯人の定義で、殺人は一度に2人以上を殺すのではなく、期間を置いて別の期間に再度起こっていることなどが定義として挙げられます。
シリアルキラーの多くが、生まれ育った家庭や組織や社会など何らかの理由によって様々な程度の精神障害や精神病質を患っていて、それが殺人行動に寄与している可能性があります。
シリアルキラーの殺人を起こす方法はほとんどが絞殺による殺人で、異常な一種の快楽殺人という事ができます。
日本でもメアリーベルのような幼い少女が起こした異常な殺人事件は歴史的に起こっているのでしょうか?
さっそく見ていきましょう。
佐世保事件とは、2004年の6月1日に長崎県で起きた小学生による殺人事件です。
殺害されたのは当時小学校6年生(11歳)の御手洗怜美で、同級生の辻菜摘から学習ルームに呼び出され椅子に座っているところを後ろからカッターナイフで喉と左手を切られ死亡しました。
供述によると、犯人の辻菜摘は御手洗怜美を殺害してから15分ほど様子を伺い続け、最終的に御手洗怜美が死亡したかを確認してから担任を呼びに行ったそうです。
当時日本で起きる小学生による凶悪犯罪は年々減少の傾向にありましたが、再び少年法の改正、また児童保護という観点で対策の見直しが重要視されることとなりました。
また、辻菜摘は「ボイス」や「バトルロワイヤル」などのホラーや殺人など残虐性の強い小説や映画を好んで見ていたので、R15指定の見直しなども行われました。
さらに、成人してからの辻菜摘の様子を伺うすべがなくなってしまったことを懸念した被害者である御手洗怜美の父親や兄によりシンポジウムなどで、事件発生から10年後に対面での謝罪と情報開示希望などを訴えました。
メアリーベル事件をあらためて振り返ってみると、生まれた時から遺伝などによりシリアルキラーである人はおらず、生まれた家庭環境や地域、社会などによりしだいに歪んだ人間形成がなされシリアルキラーは生まれ恐ろしい殺人事件が起こっているのです。
加害者は幼くして事件を起こしたので、事件を起こしても社会復帰が可能である一方で、被害者の家族は生涯その悲しみから抜け出すことはできないのです。
おぞましい殺人事件をなくすには、まずは社会全体で家庭や貧困に手を差し伸べ負の連鎖を社会全体で食い止める重要性があるのではないでしょうか。
この記事に関する記事
Copyright© 運営事務局
【この記事は2020/04/03に更新されました】