記事ID143198のサムネイル画像

    未解決事件・ヒンターカイフェック事件とは?何故迷宮入りに?

    皆さん、ヒンターカイフェック事件をご存知でしょうか?これはドイツで起きた事件で、一家6人が何者かによって惨殺されたというものです。そんなヒンターカイフェック事件ですが、犯人は見つからず迷宮入りしました。一体何があったのでしょうか?徹底調査していきます!

    ヒンターカイフェック事件は何故迷宮入りになった?

    世の中には切り裂きジャック事件など、残忍な犯行で未解決の事件が多くあります。今回ご紹介するヒンターカイフェック事件も、切り裂きジャック事件と並び、世界でも有名な未解決事件の一つです。100年近く前に起きた、このヒンターカイフェック事件。事件は、何故迷宮入りしたのでしょうか?

    ヒンターカイフェック事件とは

    100年近く前に起きたヒンターカイフェック事件。事件は解決されず、迷宮入りとなりました。そして、現在では世界で最も有名な未解決事件の一つとなりました。イギリスで起きた切り裂きジャック事件や、日本においても世田谷一家殺害事件など、世界中には多くの未解決事件があります。

    そして、今回ご紹介するヒンターカイフェック事件は、1922年にドイツで起きた事件なのです。

    ドイツで起きた未解決事件

    ヒンターカイフェックとは、ドイツ・バイエルン州のグレーベルンという地区にある小さな農場の名前です。グレーベルン地区にはカイフェックという集落がありました。この集落の先に、事件の舞台となったヒンターカイフェック農場が広がっていました。

    農場は、ミュンヘンからおよそ70km北に位置しており、人里から離れていました。また、集落と農場の間には魔女の森と呼ばれる森があり、農場の周辺には住宅や建物がありませんでした。事件は、1922年にこの地で起きたのです。

    ヒンターカイフェック事件の概要

    迷宮入りしたヒンターカイフェック事件は、本国ドイツでは今でも多くの関心を集めているようです。中には、この事件を取り扱う専門のサイトも存在しているようです。100年ほど前の、1922年に起きたヒンターカイフェック事件。そもそも、この事件はどのようなものだったのでしょうか?

    農場主の一家と使用人を含めた6人が殺された事件

    人里離れた場所に位置するヒンターカイフェック農場。農場はグルーバー一家が営んでいました。この事件は、ヒンターカイフェック農場を営む、グルーバー一家5人と使用人1人の合計6人が惨殺された事件です。事件は1922年3月31日の夜から4月1日の早朝にかけて発生したと考えられています。

    事件発生後、グルーバー一家が学校や教会に姿を現さないのを村人たちが怪しいと思い、4月4日に農場に踏み込みました。そこで、村人たちは一家の遺体を発見。そして事件が明るみとなったのです。

    殺害されたグルーバー一家の家族構成

    ヒンターカイフェック農場には、農場主でグルーバー一家の父親アンドレアス・グルーバー(63歳)、妻のツェツィーリア(72歳)、夫妻の娘であるヴィクトリア・ガブリエル(35歳)と、ヴィクトリアの長女ツェツィーリア(7歳)と長男ヨーゼフ(2歳)、そして使用人のマリア・バウムガルトナー(44歳)が住んでいました。

    ヴィクトリアは教会の聖歌隊に所属しており、リードシンガーを務めていました。歌の練習も熱心に行なっていたのだそうです。事件後は教会に姿を見せなくなったため、聖歌隊の仲間や教会の人は気にしていたようです。

    ヴィクトリアの娘ツェツィーリアは学校に通っていましたが、学校に来なくなったことも事件発覚の手がかりとなりました。他にも、新聞配達人などもグルーバー一家の姿を見かけなくなっていたことで、村人たちは徐々に異変に気づき始めていたのです。

    納屋に一人ずつおびき寄せて殺害か

    この事件は目撃者などがいないため、何が起こったのかなど正確なことは判明していません。しかし、アンドレアスと妻のツェツィーリア、ヴィクトリアとその長女ツェツィーリアは農場の納屋で発見されました。そして、ヨーゼフは母親の寝室、使用人マリアは使用人部屋でそれぞれ発見されました。

    このことから、犯人は一人ずつ農場の納屋におびき寄せて殺害したものと考えられています。アンドレアス夫妻、ヴィクトリアとその娘を殺害後、母屋に侵入してヨーゼフとマリアを次々に殺害した模様です。

    一家はツルハシによって殺害された模様

    一家の遺体には激しく殴打されたような跡がありました。捜査当初は犯行に使われた凶器はツルハシとは別のものと考えられていました。しかし、納屋の床下にツルハシが隠されているのを発見。ツルハシに血液や毛髪、脳の一部と思われるものが付着していたことから、一家はツルハシで殺害されたものと考えられています。

    遺体の中には損壊の激しいものがあり、特にアンドレアスと孫のツェツィーリアの遺体の損壊はひどく、アンドレアスの右頬からは骨が見えるほどでした。孫のツェツィーリアは下顎が砕かれ、髪の毛もむしられていました。また、アンドレアスの妻ツェツィーリアとヴィクトリアには、殴打された跡以外に首を絞められた形跡がありました。

    2歳のヨーゼフにも、犯人は容赦しませんでした。ヨーゼフは右側から思いっきりツルハシで殴られたようで、ヨーゼフの頭蓋骨は粉々になっていました。さらにヨーゼフの脳の一部が、部屋の壁などに付着していたそうです。

    事件数日前から起こっていた不可解な出来事

    実は事件が発生する数日前から、不可解な出来事が起きていました。事件前日の1922年3月31日の早朝、アンドレアスは雪上に2つの足跡があるのに気づきました。その足跡は、ヒンターカイフェック農場に向かっていて、農場から帰ってくるような足跡はありませんでした。

    アンドレアスは、この足跡のことを村人に話していたそうで、農場に誰かが潜んでいると考えていました。村人は、警察に通報して調べてもらうように勧めましたが、アンドレアスは警察を家に入れたがりませんでした。

    さらに不可解な出来事は起こりました。足跡を見つけた後、グルーバー家の屋根裏から足音が聞こえたというのです。足音は長時間にわたって続き、誰かが歩き回っているようでした。アンドレアスは、屋根裏部屋を調べましたが、そこには誰もいませんでした。

    ヒンターカイフェック事件の被害者家族まとめ!

    100年近く前に起きたヒンターカイフェック事件ですが、ドイツでは今なお、多くの人に語り継がれています。その背景には、事件の被害者でもあるグルーバー家が不思議な一家であったことも影響しているようです。

    一家は近隣住民とは疎遠で、特に父親のアンドレアスは嫌われていたのだそうです。また、アンドレアスは娘と近親相姦しているという噂もあったようです。詳しく見ていきましょう。

    村人と疎遠で変人と言われていた

    グルーバー一家の営むヒンターカイフェック農場は、人里離れた場所にありました。近隣住民とは離れたところに住んでおり、一家と近隣住民が関わることは多くはなかったようです。また、アンドレアスと村人の交流も事務的なものでした。

    そして、近所の集落も閉鎖的な空間でした。村人たちも人を寄せ付けないような排他的な気質を持っていました。そういうこともあって、集落から離れて暮らすグルーバー一家は、近隣住民から変わっている一家だと思われていました。

    父・アンドレアスは嫌われていた

    グルーバー家が営むヒンターカイフェック農場は広大だったにも関わらず、アンドレアスは人件費を減らすために流れ者を雇っていたそうです。そして浮いたお金を自分の懐に貯め込んでいました。そうしたことから、アンドレアスは村人から「ケチで傲慢」だと嫌われていたのです。

    他にも、家族に対して暴力を振るっていたなどの噂もあります。あくまでも噂にすぎませんが、噂が出るということは、よっぽどアンドレアスは嫌な人物で近隣住民から嫌われていたということなのでしょう。

    近親相姦の噂も

    また、アンドレアスと娘のヴィクトリアの間には近親相姦の噂がありました。ヴィクトリアの夫カールは、第一次世界大戦で戦死しています。ヴィクトリアがヨーゼフを身ごもったのは、その後のことでした。

    近親相姦は、ヴィクトリアが16歳の時に始まったとされています。以前にグルーバー家で働いていた使用人は、アンドレアスとヴィクトリアの近親相姦の現場を目撃し、警察に通報したという話もあります。

    そして、アンドレアスらは警察の事情聴取を受け、アンドレアスは1年、ヴィクトリアは1ヶ月の実刑を受けたとも言われています。また、この使用人は、この事件がきっかけでグルーバー家から離れていったのだとされています。

    ヒンターカイフェック事件の捜査状況は?

    近所の村人と疎遠だったために、発覚が遅れてしまったヒンターカイフェック事件。警察が到着したのは、遺体発見の翌日の4月5日でした。捜査の結果、納屋の屋根裏に藁が敷かれているのが発見されました。これは、犯人が足音を消すために敷いたのだと考えられています。

    一家が屋根裏からの足音に気づいてことから、犯人が屋根裏に潜んでいたことは本当だったようです。また、屋根瓦が何枚か外されており、そこから敷地の様子を一望できるようになっていました。

    一家殺害後、犯人は死体と寝泊まりしていた?

    事件が起きた後も、何者かによって農場の牛や鶏に餌が与えられていたことから、犯人は一家殺害後グルーバー家に留まったものと考えられています。また、台所ではパンや肉が食べられた形跡がありました。さらに、農場の煙突から煙が出ているのを目撃した近所の住民もいました。

    霊能力者に捜査協力依頼

    ミュンヘン警察は当時、捜査に霊媒術を採用していました。そのため、警察は一家の遺体の頭部を切断し、ニュルンベルクに送り霊能力者に調査させました。しかし、具体的な成果はありませんでした。

    霊能力者に捜査させると同時に、警察は遺体を検視しました。この検視により、ヴィクトリアの娘ツェツィーリアは襲撃後の数時間は生きていたことが明らかになりました。ツェツィーリアは納屋の藁の上で、母親らの遺体のそばに横たわっていたようです。また、ツェツィーリアには自分の髪の毛を自ら力づくに引き抜いた跡がありました。

    懸賞金をかけて調査するも成果なし

    警察は当初、強盗による犯行と考えていました。近隣の住民や、技術工、浮浪者、前科者、行商人などに取り調べを行いましたが、犯人は明らかになりませんでした。また、グルーバー家には多額の現金が残されており、当初考えられていた強盗の線も消えて行きました。

    捜査に行き詰まった警察は、10万マルクの懸賞金をかけることにしました。しかし、有力な情報は得られませんでした。懸賞金を50万マルクに引き上げるも、成果を上げることはできませんでした。

    警察は、何年にも渡り数百名以上を尋問しましたが事件は解決しませんでした。成果がなかったのは、村人が排他的だったことも影響したようです。

    ヒンターカイフェック事件を考察!

    アンドレアスは、ケチで有名でした。流れ者を雇い、人件費抑え、浮いたお金を自分の懐に溜め込んでいました。そのことから、アンドレアスのもとには多額の財産があると思われていました。そして、警察も当初は強盗による殺人事件だと考えていました。

    しかし、グルーバー家に多額の現金が残されていたことから、強盗の線は薄くなりました。そして、遺体の状況から強い恨みを持った者の犯行という説が有力になりました。

    考察①怨恨による犯行

    犯人は金目のものには手をつけていませんでした。このことから、犯人は一家を殺害することを目的としていました。犯人が、一家の誰に恨みを抱いていたのかはわかりません。しかし、一家全員を殺害していることから、グルーバー家自体を疎ましく思っていたとも考えられます。

    また、グルーバー家は近隣の住民と疎遠でした。特に、父親のアンドレアスは嫌われ者でした。アンドレアスは頑固な性格で、誰に対しても横柄だったと言われており、近隣住民とトラブルがあったそうです。このことから、アンドレアスとトラブルになった人物が、一家を殺害したとも考えられます。

    考察②顔見知りの犯行

    また、犯人は一家を1人ずつおびき出して殺害されたと考えられています。このことから、犯人は一家の顔見知りだったとの説もあがっています。アンドレアスは人件費を抑えるために流れ者を雇っていました。そのため、顔見知りの人物が多かったようです。中には一家の生活状況やグルーバー家の構造などに詳しかった人もいたかもしれません。

    他にも、ヴィクトリアの夫カールが犯人なのではないかという、とんでもない説まであがっています。カールは第一次世界大戦中に死亡しています。しかし、カールの遺体は見つかっていませんでした。このことから、カールは実は生きているという噂があったのです。

    しかし、戦争中に死亡したということなので、遺体が見つからないのは十分考えられることです。カール犯人説は、流石に突飛な説でしょう。

    ヒンターカイフェック事件のその後

    ヒンターカイフェック事件は、1922年4月4日に発覚しました。翌日の4月5日に警察が捜査を開始しました。しかし、捜査は難航し、結局事件は未解決に終わりました。そして、世界で最も有名な未解決事件のひとつとなりました。

    この事件を題材に小説が書かれるなど、ドイツ国内ではいまだに多くの注目を集めるヒンターカイフェック事件。事件はその後、どのようになったのでしょうか?

    未解決のまま捜査終了

    この事件で警察は、数百名の容疑者を取り調べました。しかし、事件に関する有益な情報は何も得られませんでした。6名の遺体はその後、ヴァイトホーフェンの墓地に埋葬されました。そして慰霊碑も建立されました。

    事件翌年、農場は解体されることになりましたが、この時に屋根裏部屋の床板から殺害に使用されたとみられるツルハシが発見されました。事件は長年捜査されましたが、1955年に一旦打ち切りとなりました。1986年には改めて事情聴取が行われるも解決せず、捜査は終了しました。

    農場跡地には、現在、祠が建てられています。迷宮入りしたこの事件は、現在でもドイツの警察学校の生徒らが独自に調査をしているようです。そして、犯人の目星もついているようです。しかし、事件から時間が経っており、また犯人と思しき人物の子孫などに迷惑がかかってしまうため、公にはされていません。

    一家の頭蓋骨も紛失

    ヒンターカイフェック事件は、1922年に起こりました。警察は検視をするために、遺体の頭部を切断してニュルンベルクに送りました。一家の頭部は腐敗を防ぐために、ホルマリン漬けにされて保管していたそうです。

    しかし、1939年に、ドイツがポーランドに侵攻したことによって第二次世界大戦が勃発しました。そして、戦争による混乱の中で、保管されていた一家の頭部は紛失してしまいました。

    ヒンターカイフェック事件を題材にした小説が出版された

    この事件を題材に、2006年に「凍える森」(原題:Tannöd)という小説が出版されました。小説を著したのは、ドイツの作家アンドレア・M・シェンケルです。シェンケルはこの「凍える森」がデビュー作となりました。

    ドイツ本国では、12万部が売られるベストセラーとなり、フランスやイタリアなどの海外でも出版されました。2007年には、ドイツ・ミステリー大賞の国内スリラー部門とグラウザー賞新人賞を受賞しました。さらに、2008年にはスウェーデンでマルティン・ベック賞を受賞しました。

    小説内では事件となる舞台は、1950年代のバイエルンにある「Tannöd」という小さな村に置き換えられています。農場を営む一家と使用人、従業員が一夜にして殺害されるということは、実際の事件になぞられています。そして、犯人が判明しないということも、実際の事件のとおりとなっています。

    ヒンターカイフェック事件は未だ解決していない

    ヒンターカイフェック事件は未だに解決していません。1922年に起きた事件なので、当時の捜査技術では解決に至らなかったのは仕方のないことでしょう。事件を題材にした小説も出版され現在でも注目を集めるヒンターカイフェック事件。事件が解決する日も、来るかもしれません。

    関連項目もチェック!

    TOPへ