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2023/12/28
大今里
テレビ宮崎のアナウンサーである柳田哲志さんは生放送中の事故で重傷を負っています。一時は全身麻痺の状態に陥っていた柳田哲志さんですが、その後どういった生活をしているのでしょうか。
今回は、事故後の柳田哲志さんについて注目。現在の柳田哲志さんがどんな仕事や生活をしているのか調査しました。
テレビ宮崎でアナウンサーとして活動している柳田哲志さんですが、2008年6月14日、生放送のローカルワイド番組「JAGAJAGA天国」内で行われたイベント中に重傷を負う事故にあっています。
その日の「JAGAJAGA天国」では高千穂町で開催された尻相撲の様子を中継していました。この尻相撲では発泡スチロール製の土俵が水田の上に設置されており、その上で対戦相手とお尻を押しあうのですが、盛大に泥にまみれた方が勝ちというルールで行われていたようです。
柳田哲志さんは当初実況を担当していたのですが、周りのすすめもあって尻相撲に参加することになりました。柳田哲志さんは地元の女性と対戦したのですが、「はっけよいのこった」の掛け声がかかった後、水泳の飛び込みのような形で水田の中に勢いよく頭を突っ込んでいったのです。
柳田哲志さんは水田に突っ込んだ時、「ゴンッ」という鈍い衝撃が頭頂部に走ったのだそう。水田は大人の膝くらいまでの水深しかなく、勢いよく飛び込んだことで頭が底につき、全体重が頭にのしかかってしまったのだと考えられます。
しかし当初は誰も柳田哲志さんが重傷を負っていることに気付かず、周囲の人達は倒れた柳田哲志さんに泥をかけるなど、場は大いに盛り上がっていました。しかし、いつになっても柳田哲志さんは起き上がらず、その場にいた別のアナウンサーが抱き起こすことになります。
柳田哲志さんは抱き起こされた後も体に力が入っていない状態で、苦しそうに「起こして、起こして」とつぶやくだけでした。ここで中継は切れたのですが、その後周囲も事態の深刻さに気付いた模様。
柳田哲志さんは町内の病院に搬送され、頸椎骨折・脊髄損傷の診断を受けています。町内の病院では手術ができなかったのか、柳田哲志さんはそこからさらにヘリコプターで熊本市の病院に搬送されることになります。
しかし、手術器具は福岡からの取り寄せとなり、実際に手術室に入ったのは事故から9時間もたった後だったのだそう。重傷を負った柳田哲志さんは一時全身麻痺という状況にまで陥っていました。
手術後、医師からは「99%寝たきりでしょう。車椅子に乗れるようになれば万々歳」と、四肢麻痺を宣告されてしまった柳田哲志さん。
誰もが絶望的な気分になるところですが、何事もポジティブに考えるという柳田哲志さんは「1%でも可能性があるなら」と、必死にリハビリに取り組むようになります。
リハビリに励むようになった柳田哲志さんですが、当初は上半身を起こされると気を失うほどだったので、少しずつしか体を動かせなかったようです。それでも1%の希望を胸に、諦めずにリハビリに取り組んだ柳田哲志さん。ついに上半身を起こして車椅子に乗れるまで回復します。
その後は負荷のかかったレバーを倒して肩を鍛えるリハビリや、ROMで肩の可動域を伸ばし筋肉の緊張をほぐすリハビリ、さらには自助具を使ったパソコン訓練など、様々なリハビリを行っていたようです。
リハビリに取り組む中で、ITパスポート試験という情報処理技術者試験の国家試験に合格したことも明かされました。
こうした柳田哲志さんのリハビリは3年10か月ほど続いたのだそう。下半身や腕の麻痺は残っているものの、1%の可能性を実現させることに成功しました。
懸命にリハビリに取り組んだ柳田哲志さんは2011年8月21日、「24時間テレビ」で3年ぶりとなるテレビ出演を果たしています。
事故後初めてのテレビ出演ということもあり、短い時間の出演ではあったようですが、柳田哲志さん自身ステージに上がれたということが感無量で、夢のような時間だったと振り返っています。
2011年に「24時間テレビ」でテレビ復帰を果たした柳田哲志さん。その翌年には「JAGAJAGA天国」の後番組「マッポス」でレギュラー番組復帰も果たしています。
柳田哲志さんは「マッポス」で自ら取材した地域情報を紹介していましたが、事故の後遺症で腹筋を使えないにも関わらず、カメラの前では不思議と声を張れるようになっていたのだそう。柳田哲志さんは毎週土曜日の収録を心待ちにしていたようです。
事故当時の柳田哲志さんは妻と小学6年生の息子、小学5年生の娘を持つ父親でした。手術室に入るまでの柳田哲志さんは意識が鮮明で痛みも感じなかったのだそう。魂が浮いているような感覚の中、医師からは家族へ「最期の言葉」を残すように促されたのだといいます。
そして柳田哲志さんは子供たちへ向け「帰ってこんかったらお母さんをよろしくね」と声をかけたのだそうです。
柳田哲志さんは現在の家族の状況については特に明かしていないようですが、現在も家族で協力しながら生活を続けているのではないでしょうか。事故当時に小学生だった子供たちもすでに成人していると考えられます。
現在の柳田哲志さんは自身の事故の経験を踏まえ、講演活動などを行っているようです。また、清武せいりゅう支援学校の文化祭の評議員を務めていたり、宮崎地方法務局主催の人権教室などにも参加している様子も見られます。
また、柳田哲志さんは事故から復帰後も精力的にアナウンサー業をこなしています。ただ、現在は画面に出演するよりも、声だけのナレーションの仕事が多いようです。
事故で下半身や腕に麻痺が残ってしまった柳田哲志さん。しかし、ポジティブで社交的な柳田哲志さんは、現在も明るく元気に仲間たちとスポーツを楽しんでいるようです。
柳田哲志さんが楽しんでいるスポーツはボッチャというもの。現在の柳田哲志さんは宮崎県ボッチャ協会の副会長も務めているのです。
柳田哲志さんが行うボッチャというスポーツはどういったものなのでしょうか。世間一般にはあまり知られていないスポーツですが、ボッチャはヨーロッパで生まれた障がい者スポーツで、パラリンピックの正式種目にもなっています。
ボッチャは、コイントスで選ばれた赤または青の皮製ボールを投げ、ジャックと呼ばれる白い的球にどれだけ近付けられるかを競うスポーツです。
3人1組で戦うチーム戦と2人1組で戦うペア戦、個人戦があり、障がいレベルによって出場できる試合のクラスも決まっているといいます。
柳田哲志さんは別府でリハビリをしていた時にボッチャに出会ったのだそうです。それ以来柳田哲志さんは仕事と同様、ボッチャの精進にも務めており、第13回大分オープンボッチャ大会の団体戦で優勝を飾るなど、精力的にボッチャを続けています。
ボッチャの普及にも尽力を尽くしている柳田哲志さんは、2018年にイオンモール宮崎で開催されたみやざきおもてなしプロジェクト「スポーツ&ホストタウンフェスタ2018」に参加し、そこでもボッチャの楽しさや魅力について語っていたようです。
2008年起きた事故の後遺症で下半身や腕の麻痺が残ってしまった柳田哲志さん。思いがけず障がい者になってしまった柳田哲志さんですが、現在もポジティブに仕事やスポーツを頑張っているようです。今後も精力的に活動を続ける柳田哲志さんを応援していきましょう。
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