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    事故から5年、赤い皇帝・ミハエル・シューマッハの現在は?容態は?完治はありうるのか

    F1界の赤い皇帝・ミハエル・シューマッハさんですが、2013年12月にスキー事故に逢い、寝たきりの生活を送っています。事故から5年がたった現在、シューマッハさんの容態は?完治し、再び公の場に登場することは可能なのか?ミハエル・シューマッハさんの現在について紹介します!

    事故から5年経った今ミハエル・シューマッハはどうなったのか?

    F1界の記録を次々に塗り替え、赤い皇帝と呼ばれるようなったミハエル・シューマッハさん。2度目の引退から、まもなくスキー事故に遭い大けがを負ってしまいました。その後、すぐに回復するという報道もされましたが、何年も続報がないため脳死や死亡説も流れました。

    ミハエル・シューマッハさんの経歴や事故後の情報をまとめてみました。息子のミック・シューマッハさんの情報や家族が運営している非営利団体の活動もご紹介します。

    ミハエル・シューマッハのプロフィール

    • 本名(ふりがな/愛称):Michael Schumacher(ミハエル・シューマッハ / シューミ)
    • 生年月日:1969年1月3日
    • 現在年齢:49歳
    • 出身地:西ドイツ
    • 血液型:O型
    • 活動内容:元F1ドライバー
    • 家族構成:妻コリーナ/長女ジーナ=マリア/長男ミック

    ミハエル・シューマッハの経歴1

    ミハエル・シューマッハさんは、4歳の時に原動機付きペダルカーを父親からプレゼントされました。ペダルカーに夢中になったミハエル・シューマッハさんは、電柱にぶつかってしまいます。驚いた父親は、息子をカート場に連れて行くことにしました。

    このことがきっかけで、ミハエル・シューマッハさんはレーシングカートにのめり込んでいきます。その後、レーシングカートで才能を発揮し、ヨーロッパのチャンピオンになっています。

    ミハエル・シューマッハさんの家庭は裕福ではなくモータースポーツを続けるのは難しかったですが、ユルゲン・デュルクさんからの援助もありレースを続けることができたようです。

    ミハエル・シューマッハの経歴2

    中学を卒業したミハエル・シューマッハさんは自動車販売店に就職し、1988年にはジュニアフォーミュラに参戦します。1989年にドイツのF3で2勝し、3位に入りました。1990年にはチャンピオンになり、マカオGPと日本のインターF3リーグの両方で優勝しています。

    メルセデスベンツの若手育成プロジェクトに選ばれたミハエル・シューマッハさんは、数々のレースで好成績を残します。1991年には、ジョーダンの一員としてF1に初めて参戦しました。

    ベルギーグランプリの予選で7位に入り決勝では途中リタイヤしますが、大型新人として注目され「ステファン・ベロフ以来、最高の才能」と評されました。1994年はセナの事故死など不幸な出来事もありましたが、4年目にして初めてのドライバーズチャンピオンになっています。

    ミハエル・シューマッハの経歴3


    ミハエル・シューマッハさんは、1995年に再びドライバーズチャンピオンになり2連覇を果たしました。そのまま、フェラーリに移籍します。2000年にはイタリアグランプリでセナに並ぶ41勝目は達成し、三度目のドライバーズチャンピオンになっています。

    21世紀に入ってからは次々に記録を塗り替え、5年連続でチャンピオンになるという圧倒的な強さを見せました。その後、2年連続でチャンピオンを逃したミハエル・シューマッハさんは、現役を引退します。

    ミハエル・シューマッハの引退後の経歴


    引退したミハエル・シューマッハさんは、2007年からフェラーリのF1のアドバイザーになりました。スペインのイベントでバイクに乗ったミハエル・シューマッハさんは、現役ライダーより5秒遅いタイムを記録します。

    その後、バイクのレースにも参加するようになり、F1カーのテストドライバーもするようになります。2010年に一度復帰し、2012年までレースを続けます。しかし、成績は乱高下し、全盛期の走りを取り戻すことはできませんでした。

    2013年には、ミハエル・シューマッハさんが投資会社とスポンサー契約を結んだことも話題になりました。しかし、12月にスキーを行っている際に転倒し、頭を強打します。その後、詳細な情報が明かされることはなく、様々な憶測を呼びました。

    ミハエル・シューマッハの年収や総資産は?

    ミハエル・シューマッハさんは、歴代でも最高の記録を持つF1パイロットです。F1パイロットとして初めて億万長者になった人物とも評され、年収や総資産でも歴代最高と言われています。2012年にタイガーウッズに抜かれましたが、スポーツ選手全体の生涯年収でも世界一と評価されていました。

    様々な雑誌でミハエル・シューマッハさんの年収や総資産が推定されていますが、一体どれくらいあるのでしょうか?。ミハエル・シューマッハさんの年収や総資産の情報についてまとめました。

    ミハエル・シューマッハの最高年収は200億⁉

    ミハエル・シューマッハさんの2010年の年俸は、約30億円でした。これは、現役のF1ドライバーでトップを争っているセバスチャン・ベッテルさんやフェルナンド・アロンソさんの50億円台には及びません。

    しかし、これはあくまでF1ドライバーとしての年俸だけです。当然、広告収入や様々な役職についている収入などもあります。それらを全て含めたミハエル・シューマッハさんの最高年収は、約200億円だと言われています。

    ただし、収入が相当多岐にわたっているため、本人も年収を正確に把握していないとも言われています。現役で最も稼いでいるのは、フェルナンド・アロンソさんです。しかし、ミハエル・シューマッハさんの年収には、今後も到底かなわないだろうと言われています。

    ミハエル・シューマッハの総資産は1000億以上!?

    まさに桁外れの年収を稼いでいたミハエル・シューマッハさんですが、総資産はどれくらいなのでしょうか?この総資産は当然推定であり、かなり額に開きがあります。

    650億円と言われることもあれば、1000億円を超えるとされることもあります。ただし、事故に遭ってからは収入が減り、治療費のため別荘や愛車を売っているという噂もあります。

    ミハエル・シューマッハはお金の使い方もケタ外れ

    ミハエル・シューマッハさんは稼いでいるだけあって、お金の使い方もF1ドライバーの中では桁が違います。プライベートジェットを持っているF1ドライバーは多いです。

    ミハエル・シューマッハさんは、初めてのプライベートジェットにジャンボジェットのボーイング737を購入したことで知られています。その後も、ボーイング747を購入していますが、ジャンボジェットは空港に停めておくだけでも年間に何億円もかかるそうです。

    また、自宅の豪邸は、68億円で建てられたといいます。ただ派手にお金を使っているだけではなく、ミハエル・シューマッハさんは寄付の額も桁違いです。孤児院や災害の被災者のために寄付を行っており、その額は何十億円にもなります。

    ミハエル・シューマッハのスキー事故の真相は?

    F1で華々しい成績を上げ赤い皇帝とも呼ばれたミハエル・シューマッハさんですが、2013年にスキー事故を起こして昏睡状態になってしまいます。当初はミハエル・シューマッハさんは、100km以上のスピードでスキーをしていたとも言われました。

    しかし、ミハエル・シューマッハさんの事故は目撃者がいただけでなく、撮影もされていました。その後、事故の原因はスキー場にあるのではないかとも言われるようになり、一時騒ぎになりました。

    果たして、スキー場に責任はあったのでしょうか?ミハエル・シューマッハさんのスキー事故の情報についてまとめてみました。

    スキー場の責任が問われた


    2013年ミハエル・シューマッハさんは、メリベルのスキーリゾートに来ていました。事故後のヘルメットがかなりひどく破損していたため、ミハエル・シューマッハさんはかなりの高速でスキーを滑っていたのではないかと考えられていました。

    そのスピードは100kmを超えていたのではないかと言われましたが、F1王者のシューマッハさんならこのくらいのスピードで走っていてもおかしくないでしょう。しかし、目撃者がおり、被っていたヘルメットのカメラに映像も残っていました。

    事故が起こった時、ミハエル・シューマッハさんは20kmぐらいのスピードで滑っていたことがわかりました。あまり速いスピードではなかったのです。スキー場側が安全対策を怠ったのではないかと考えられ、弁護士が動き出すと報道もされました。

    スキー場に責任はないという結論に

    あまり速いスピードで滑っていなかったのにも関わらず、ミハエル・シューマッハさんのヘルメットはかなり破損していました。そのため、スキー場に事故の責任があるのではないかとも言われました。

    しかし、オリンピックの金メダリストでもあるマルクス・ヴァスマイヤーさんが「珍しい事故ではなく、滑走エリア全体にガードレールを設置しない限り問題は解決しない」とスキー場を擁護する発言をしています。プロスキーヤーでも、十分起こる事故だという発言もありました。

    ミハエル・シューマッハさんがエリア外で滑っており、岩がある区域が明確に示されていたことも判明しました。結局、スキー場が安全管理を怠っていたという事実はなく、刑事責任を問われるというのはあくまで噂に過ぎなかったようです。

    ミハエル・シューマッハは脳死?現在も意識が戻らない?

    ミハエル・シューマッハさんはスキー事故を起こして昏睡状態になり、その後の情報はなかなか明らかになりませんでした。そのため、ミハエル・シューマッハさんは脳死状態とも噂され、死亡説まで流れました。

    しかし、少ないながらも公式に情報は発表されており、ミハエル・シューマッハさんがどんな状態なのかはある程度わかっています。ミハエル・シューマッハさんの容態はどうなっているのでしょうか?

    ミハエル・シューマッハさんが、現在でも意識が戻らないという話の真相についてまとめてみました。

    無事、意識が戻る

    スキー事故が起こってから公式な情報がほとんどなかったため、ミハエル・シューマッハさんの容態に関して様々な憶測や噂が流れました。2014年の6月には意識が戻り、病院ではなく自宅で療養するという公式に発表されています。

    しかし、その後の続報がなかったため、死亡説も流れるようになっていたのです。2018年にはミハエル・シューマッハさんがアメリカで専門の治療を受けているという報道もあり、家族がスペインに移住するという話もありました。

    しかし、ミハエル・シューマッハさんの広報によって、これらの話は否定されています。その後、2018年の12月に、ミハエル・シューマッハさんの父親が「だいぶ状態は良くなっている」とコメントしたという情報もあります。

    妻・コリーナの献身的な支え

    ミハエル・シューマッハさんが回復した裏には、妻コリーナさんの献身的な介護があったようです。コリーナ・シューマッハさんは、レイニング乗馬の選手で事業家としても知られています。

    ミハエル・シューマッハさんがレーシングドライバーのジャン・アレジさんと友人関係のため、アレジさんの妻の後藤久美子さんとコリーナさんも交流があります。

    コリーナさんは昏睡状態だったミハエル・シューマッハさんに毎日何時間も話しかけ、昏睡から覚めるように働きかけました。昏睡状態の患者が覚醒するためには、話しかけることが非常に重要だということです。

    情報公開はされていない

    既に意識が戻っていることは間違いないミハエル・シューマッハさんですが、公式な情報は出ていないため詳しいことはわかっていません。詳しいことがわからないのは、家族が報道されることを望んでいないためとされています。

    ミハエル・シューマッハさんの容体に関しては、報道合戦が過熱し様々なデマも飛び交いました。このため、家族はプライバシーが守られることを望んでいるのです。息子のミック・シューマッハさんの活躍で、再びミハエル・シューマッハさんの容態に注目が集まっています。

    しかし、今後もミハエル・シューマッハさんの状態に関して、情報を公表することはないというコメントもあります。あくまで、ミハエル・シューマッハさんの怪我の状態は、プライベートな問題ということのようです。

    ミハエル・シューマッハの愛車を紹介!

    F1レーサーのミハエル・シューマッハさんは、自動車に関する知識は一般の人とは比べ物にならないほど深いものがあります。正確な数は分かりませんが、自宅のガレージにはかなりの数の車を所有していることで知られています。

    フェラーリと契約していた期間が長いため、フェラーリ社製の車を相当所有しているようです。もちろん、フェラーリだけ持っているわけではありませんし、ハーレーもかなりの数を所有していることが知られています。

    ミハエル・シューマッハさんのコレクションの中から、愛車として知られているものの一部をご紹介します。

    フェラーリ・カリフォルニア

    ミハエル・シューマッハさんの愛車として、真っ先に名前が挙がるのはフェラーリでしょう。赤い皇帝ミハエル・シューマッハさんらしく、赤いカラーのフェラーリ・カリフォルニアは特に有名です。

    フェラーリ・カリフォルニアは、ミハエル・シューマッハさん自身が開発に参加していました。一番のお気に入りらしく、「いつでも運転するのが楽しい」と話していたそうです。

    メーカから、プレゼントされたフェラーリは何台もあります。カリフォルニア以外にも、フェラーリFXXやエンツォフェラーリなどを所有していたことも知られています。

    ブガッティEB110SS

    世界中に33台しかないと言われるブガッティEB110SSも、ミハエル・シューマッハさんの愛車として知られる一台です。最後につけられたSSは「スポーツ・ストラダーレ」を略したものです.

    この車はスウェーデンのジェームスリスト社製で、静止状態からわずか3.2秒で100kmに達するスーパーカーとして知られています。ミハエル・シューマッハさんはこの車を1994年に購入しています。

    2010年に約6800万円の値で販売されるということで、ネットでも話題になりました。売りに出された当時は「新車よりも状態が良い」と販売者からコメントが付けられました。かなり目立つバナナイエローのボディカラーは、ミハエル・シューマッハさんの特注です。

    ハーレーVRSCファミリー

    自らバイクレースに参加したこともあるミハエル・シューマッハさんは、ハーレー好きとしても有名です。ミハエル・シューマッハ仕様の特別モデルが、ハーレーが生産されたこともあります。

    当時のミハエル・シューマッハさんの勝ち星と同じ51台が販売され、カラーはフェラーリレッドでした。愛車として知られるハーレーVRSCファミリーは水冷エンジンが搭載されていますが、水冷エンジンのあるハーレーはこのモデルだけです。

    ミハエル・シューマッハはアイルトン・セナと過去に確執があった?

    ミハエル・シューマッハさんは、F1ドライバーとして歴代最高の記録を残しました。赤い皇帝とも呼ばれています。そんなミハエル・シューマッハさんですが、史上最高のF1ドライバーに選出されることもあるアイルトン・セナさんとは確執があったことも知られています。

    また、何かと比較されることが多く、日本ではアイルトン・セナさんの方が評価が高いとも言われます。ミハエル・シューマッハさんとアイルトン・セナさんの確執や、アイルトン・セナさんの死に対するミハエル・シューマッハさんのエピソードについてご紹介します。

    ミハエル・シューマッハとアイルトン・セナは揉めることが多かった

    ミハエル・シューマッハさんがまだ若手のドライバーだった頃、既にアイルトン・セナさんは偉大なF1ドライバーでした。しかし、すぐに頭角を現し始めたミハエル・シューマッハさんは、アイルトン・セナさんの若いライバルとしてマスコミにも認知されるようになっていきます。

    2人はどちらも相手に対して進路妨害や接触事故を起こしています。これは故意だったと言われており、アイルトン・セナさんは素直に認めています。しかし、ミハエル・シューマッハさんは謝罪はしても、故意だったと認めることはありませんでした。

    繊細で神経質でもあったアイルトン・セナさんは、この態度が許せなかったのでしょう。興奮してミハエル・シューマッハさんに詰め寄り、周りから止められることもありました。

    2人のイメージは対照的だった

    ヒーローの印象が強いアイルトン・セナさんに対して、ミハエル・シューマッハさんはヒールのイメージが強いです。これは、ミハエル・シューマッハさんが勝つためには進路妨害などを繰り返し、謝ることはあっても態度を改めることはなく反省した様子を見せなかったことも大きいでしょう。

    アイルトン・セナさんも勝つためにこういった行為をすることもありましたが、素直に間違いを認め反省していたために全く印象は異なります。

    とはいえ、ミハエル・シューマッハさんがどんな手を使っても勝とうとする態度を徹底したのは、アイルトン・セナさんが事故死したことで王者になったイメージを払拭しようとしたためとも言われています。

    ライバル・アイルトン・セナの死にミハエル・シューマッハは?

    アイルトン・セナさんのライバルとして周囲から認められるようになったミハエル・シューマッハさんですが、レース中の事故でアイルトン・セナさんは亡くなってしまいます。しかも、そのせいでミハエル・シューマッハさんは、初めてF1の王座につくことになりました。

    葬儀に、ミハエル・シューマッハさんは参列しませんでした。このことも物議を醸すことになりますが、公の前で涙を見せたくなかったと言っています。アイルトン・セナさんのファンから殺害予告を受けたため、葬儀に現れなかったとも言われていますが真相は不明です。

    とはいえ、初めて優勝したシリーズで、ミハエル・シューマッハさんは「本当のチャンピオンはセナ」というような発言をしています。「セナは、自分の憧れ」と語ったこともあります。

    息子・ミック・シューマッハがF1に参戦した!?

    ミハエル・シューマッハさんの息子ミック・シューマッハさんが、2019年にFIFAF2選手権に参戦することで話題になっています。まだF1ドライバーになったわけではありませんが、フェラーリドライバーアカデミーにも加入しています。

    ミック・シューマッハさんのモータースポーツの経歴や最近の成績についてご紹介します。

    当初は母親の旧姓で活動していた

    ミック・シューマッハさんは、1999年生まれです。9歳になった2008年から、モータースポーツを始めました。デビューばかりの頃は、ミハエル・シューマッハの息子として注目される事を嫌い、ニック・べッシュという母方の旧姓を名乗っていました。

    カートに乗っていた頃は優勝することはありませんでしたが、好成績を上げています。積極的な走りが評価され、実力でメディアにも取り上げられました。ADACのFA選手権には2015年のシーズンからデビューが決まり、ミック・シューマッハ名義で活動するようになりました。

    2019年にフェラーリ・ドライバー・アカデミーに加入

    F4の開幕戦の第3レースで初めて優勝したミック・シューマッハさんは、総合10位という成績で初めてのシーズンを終えました。2016年にはイタリアF4選手権にも参加し、両方のシリーズで2位になっています。

    2017年にはヨーロッパF3選手権に参加しますが、一度3位になった以外は振るわずランキング12位でシーズンを終えています。2018年には、第5戦でF3で初優勝しました。その後は、5連勝を達成し10戦目でも2位に入りました。

    最終的に、2018年のヨーロッパF3選手権のチャンピオンになっています。F1デビューに必要なスーパーライセンスを取得するためのライセンスポイントをクリアしましたが、F1デビューはせず2019年はF2選手権に参加しています。

    着実にステップアップしており、ミック・シューマッハさんのF1参戦は間近と思われます。

    ミハエル・シューマッハの家族は非営利活動にも尽力!

    ミハエル・シューマッハさんのスキー事故後に、家族は非営利団体「Keep Fighting Initiative(キープ・ファイティング・イニシアチブ)」を立ち上げ、ボランティア活動を続けています。

    ミハエル・シューマッハさんの家族の活動内容や非営利団体を立ち上げた理由についてまとめてみました。

    非営利団体を立ち上げたのはいつから

    スキー事故から約3年が経った2016年12月17日、ミハエル・シューマッハさんの家族は非営利団体の「Keep Fighting Initiative」を立ち上げる宣言しました。

    現在、「Keep Fighting Initiative」はミハエル・シューマッハの公式アプリも公開しており、インタビュー動画や全サーキットの結果など様々なコンテンツを無料で見ることができます。

    「Keep Fighting Initiative」の目的は決して諦めない気持ちを広めること

    「Keep Fighting Initiative」は、どんな時でも決して諦めずに戦い続けたミハエル・シューマッハさんのメッセージを他の人たちに伝えることを目的にしています。

    「Keep Fighting Initiative」が開催したサッカーイベント「チャンピオンズ・フォー・チャリティー」のチケット代金は、脳に障害を持つ人たちを支援する団体に寄付されました。

    ミハエル・シューマッハの元気な姿が見られることを信じて

    ミハエル・シューマッハさんの経歴や事故後の情報、家族の非営利団体の活動などについてまとめてみました。既に退院したことは間違いないミハエル・シューマッハさんですが、詳細は明かされていません。容態はあくまでプライベートなこととして、公表しない方針のようです。

    今後も、あまり情報が表に出ることはないでしょう。しかし、完治する可能性はあるという医師の意見もあります。いつか、ミハエル・シューマッハさんの元気な姿が見られることを祈りましょう。

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