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    江戸時代の避妊方法が衝撃的だった?!避妊具や避妊薬は存在した?

    江戸時代にも避妊はありました。ですがそのほとんどは意味があるのかわからないものばかりです。今回は、江戸時代の避妊について詳しく解説していきます。避妊具だけでなく、アダルトグッズも存在していたのは驚きです。世界の避妊方法についてはどうなのでしょうか。

    度肝を抜く!江戸時代の避妊方法!

    江戸時代にも避妊はありました。ですがそのほとんどは意味があるのかわからないものばかりです。今回は、江戸時代の避妊について詳しく解説していきます。江戸時代にはすでに避妊具だけでなく、アダルトグッズも存在していたのは驚きです。世界の避妊方法についてはどうなのでしょうか。

    江戸時代の人はどのように避妊していたのか?

    現代と違ってコンドームがなかった江戸時代では、一体人々はどのように避妊をして色事を楽しんでいたのでしょうか?

    さっそく見ていきましょう。

    性事情は現代よりも緩かった

    江戸時代は現代と比べ性が日常的にあり開放的だったと言われ、身分も年齢も関係なく、性を楽しんでいたとされています。

    事実、江戸時代の女性が人生で生む子供の人数は平均6〜7人にものぼるというのもかなり納得がいくというものです。

    さらに、結婚をしている者でも男性、女性関係なく浮気は日常的に開放的に行われていたようです。

    江戸時代の避妊は洗うことだった

    現代と比べ性に関してそれだけ開放的ではありますが、避妊の道具や知識はやはり少なく、誤った情報や考え方が日常的に蔓延していたようです。

    浮気の数だけ避妊をしなければならない回数も増えますが、江戸時代の避妊方法は洗うことだったというから驚きです。

    それを裏付けることとして、遊女用の浴室や便所には、必ず洗浄用の場所があったようです。

    江戸時代には避妊薬があった

    江戸時代にも効果はどうであれ避妊薬として認識のあった飲み薬がありました。

    漢方・ホウセンカの実・ホオズキの根・シャクヤク・ボタン・ホオズキ・ムラサキ・ハッカ・スルメ・蚕・あぶ・唐辛子・水銀・黒鉛などがそれにあたります。

    上記の飲み薬は避妊薬としての効能があるというよりは、飲むことによって体調が良くなり、さらに精力が増しそうですよね。

    江戸時代の避妊具は意味がない

    また、江戸時代にも避妊具は存在していましたが、こちらも飲み薬同様にあまり意味がなく効果のほどは期待できないものばかりでした。

    江戸時代は1868年頃まで続きますが、日本にゴム製のコンドームがやってきたのは、1909年頃(明治42年)でその頃まであまり意味のない避妊具や避妊方法が使用されていたことになります。しかもこの頃のコンドームはおもちゃ的な要素が強く、避妊の要素は少なかったようです。

    現代のようなラテックス製のコンドームが誕生するのは昭和9年ととても先ですし、さらに普及に至ったのは昭和末期です。しかもコンドームの使用目的は性病予防が主な用途だったようですから、コンドームは避妊としての認識が乏しかったことがわかります。

    お灸を添える避妊文化が実在した

    へその下には堕胎のツボがあるとされ、江戸時代の女性は頻繁にへその下にお灸を据えていましたが、その根拠はまったくないと言っていいそうです。

    また何の因果か二月二日、臍下に灸を据えると妊娠しないという言い伝えがあり、遊女の廓ではこの日こぞって灸を据えたようです。

    江戸時代にも避妊具はあった?

    今から200年以上も前に江戸時代にすでに実際に使用されていた避妊具があったという衝撃の事実があります。

    江戸時代の避妊具には一体どんなものがあったでしょうか?一つ一つ詳しく見ていきましょう。

    茎袋(きょうたい)

    茎袋とは江戸時代にコンドームと似たような役割を担ったもので、男性器に被せて使っていましたが、当時はゴム製ではなく動物の皮でできていました。そして根元部分には固定させる縛り紐もついていました。

    この茎袋という避妊具については、美人画で人気絵師となった渓斎英泉が「閨中女悦笑道具」という春画に残しています。

    茎袋は、見た感じあまり使用感も良さそうなものではないですし、オランダからの舶来品で非常に高価なものだったため、一般市民にはあまり広まらなかったようです。

    甲形(かぶとがた)

    茎袋の他にも「甲形(かぶとがた)」と呼ばれる短いコンドームのような形のものが避妊具として使用されたことがわかっています。しかしこの甲形は水牛の角やウミガメの甲羅(べっ甲)で作られたもので、一定の硬さがあり、避妊具というよりも大人のおもちゃ的要素が強いものでした。

    つけてもすぐに外れてしまったようで、そういった意味でも大人のおもちゃ的要素が強いものだったのでしょう。

    御簾紙(みすがみ)

    この避妊道具は、現代のペッサリーに通じるもので、御簾紙と呼ばれるコウゾを原料とする上質の薄い紙をつばで湿らせて丸め、膣の中に挿入して使用しました。

    生理時にもおなじくこの御簾紙を使用し、現代のタンポンのような使い方もしていたようです。

    月水早流(げっすいはやながし)

    月水早流は、人為的に流産させたり堕胎させたりするための薬です。当時は堕胎が法律で禁じられていましたから、法の目をくぐり抜けるために、「月経の滞りを早く通じさせる薬」という呼称を用いました。

    この堕胎薬の広告はなんと長屋の共同トイレにも貼ってあったということで、人々の関心の高さがうかがえます。

    「月水早流」は、1日3服、塩を入れた湯で飲む粉薬で、お値段は372文(約7440円)と非常に高価でした。こんなに高価でも売れるということから人々の需用の高さがうかがえます。ただ、効果のほどは眉つばものでした。

    朔日丸(ついたちがん)

    朔日丸は、「毎月1日に飲めば妊娠しない」という触れ込みの避妊薬です。

    お値段は100文(約2000円)と手頃で庶民にも広がりましたが、そもそも人の生理の周期は違いますし、薬の成分も不明でこちらもかなり眉つばものの薬でした。

    魚の浮き袋

    魚の浮き袋もまた江戸時代に避妊具として使用されていました。

    魚の浮き袋は天然の物ですし、ゴムのように伸縮性もあり薄いものですから良く思いついたものだと感心させられます。ただ、実際使用してみるとすぐに外れてしまってうまく使えなかったのだそうです。

    江戸時代のアダルトグッズ

    現代に比べてモラルも低く性に対して開放的で積極的に楽しむ姿勢は、アダルトグッズの豊富さにも比例します。

    江戸時代にどんなアダルトグッズがあったのかさっそく見ていきましょう。

    鎧形(よろいがた)

    鎧形とは陰茎にはめて使うアダルトグッズです。べっ甲か木か何か硬いもので出来ており、筒状の形をしています。ところどころが空洞になっていますが、こんなものを陰茎にはめて一体男性も女性も実際に楽しむことができるのかどうかまったくもって疑問です。

    長命丸(ちょうめいがん)

    長命丸とは強精薬のことで、これを陰茎に塗布してから性交すれば勢力旺盛となり容易に委縮せず、長時間の性交が可能になるという薬です。

    こちらの薬は、江戸は両国にあった「四ツ目屋」という避妊具のほか媚薬や張形(はりがた)など大人のおもちゃ”を扱うアダルトショップで手に入れることができました。

    このアダルトショップ「四ツ目屋」は勝手に城の外に出ることができない大奥の女中相手にも通信販売をしていたり、大量のチラシを作って全国で販売して大変繁盛していました。

    ヘイコノインポ

    ヘイコノインポという道具は、垂れてきた女の愛液を集められるよう、張形の根本に皿状のものが付いています。

    女性の愛液には不老回春の効果があると信じ、この愛液を飲んだり肌に塗ったりする男性もいたということです。

    江戸時代よりすごい世界の避妊方法は

    次に日本だけでなく視野を世界に向けてみたいと思います。
    世界では一体どんな避妊方法が使用されていたのでしょうか?

    さっそく見ていきましょう。

    ワニの糞を挿入する

    江戸時代よりはるか昔、紀元前1850年、 エジプトの女性たちは、性行為の前にワニの糞を子宮頚部のそばまで挿入することで精子の進入を防いだことがわかっています。少し滑りを良くさせるためでしょうか、通常はワニの糞にハチミツを混ぜて使用したようです。

    この方法は何千もの間、歴史的記録として文書に残されてきたという事実からみて、少なくとも何らかの効果があったことが示唆されます。

    しかしながら、いくら蜂蜜に抗菌作用があるからといってもワニの糞を自分の膣に突っ込むだなんて、感染症も心配ですし、実際に子供が欲しいと思った時にできにくくなる可能性もあったかもしれませんね。

    はちみつを塗る

    世界最古の精子侵入阻止方法として、古代エジプトの女性は、ハチミツとアカシアの葉を混ぜ、それを膣管の内側に塗りたくり、殺精子剤として機能させたり、毛糸や糸くずを現代のタンポンにつながるような形で束ね、子宮頚部のそばに置いて使ったそうです。

    このことは、紀元前1550年頃に世界最古の医療テキストであるパピルス古文書の中で説明されていて、一般市民にも広く使用された方法のようです。

    特定植物の精油を塗る

    4世紀頃の古代ギリシャでは、シダー油とフランキンセンス油、そして時には鉛を混ぜたものを自分の膣や子宮頚管の近くにこすりつけて避妊方法としていました。

    この方法は人気の避妊方法で、江戸時代に日本にも伝わったようです。

    自然の成分でできていて、精油の混合物が殺精子剤の機能を果たすと信じられており、アリストテレスの初期の医学書でも実際に推薦されていたものですが、効果のほどは全く期待できません。

    石や青銅を埋め込む

    紀元前200年頃のローマ帝国では,石や青銅といった固いもの膣に挿入して精子が子宮に届くのを阻止しており、現代のペッサリーや子宮頚管キャップと似た役割のものを使用していました。

    ギリシャの医師、ディオスコリデスは著作である伝説的医学書、 『薬物論』(Materia Medica) の中で膣用坐薬として用いた石や青銅について、ペパーミント・オイルに浸すことで麻酔効果が得られる可能性があると女性たちに教えました。

    裏を返せば、これらのものを膣に挿入すると、麻酔が必要なほど痛みがともなったということでもあり、恐らく女性にとって性交中の痛みはかなりのものだったのではないでしょうか。

    水銀を飲む

    古代中国では、売春婦や愛妾は性行為の後に、妊娠しないように排卵を妨げる 液体水銀 を飲むか、錠剤の水銀を服用するよう勧められていたそうです。水銀は常温でも固まらず液体である唯一の金属であることから体に飲むと良い、避妊に効果的と信じられたのかもしれません。

    これが江戸時代の日本にも伝わったようですが、ご存じのように水銀は身体に決して良いものではなく、摂取し続けていると、神経系、腎、免疫系、生殖等への影響の報告があり死に至らしめることもある怖いものなのです。

    スクワットとくしゃみをする

    この方法は効果はなくとも、なんとも微笑ましい避妊方法だと言えます。

    男性が射精’を行っている間、女性は息を止め、その後おもむろにスクワットとくしゃみを繰り返すという方法です。
     
    女性がいきなりスクワットとくしゃみをしだしたら雰囲気もなにもあったもんじゃないと思いますが、女性は妊娠したくない一心で、熱心に行ったのではないでしょうか。

    ヤギの膀胱をコンドームにする

    この方法は名の通り、ヤギの膀胱をコンドームにするというものです。コンドームの歴史は意外と古く、紀元前3000年頃、ヤギやブタの盲腸、膀胱がすでに使用されていたと言われています。

    しかし、現在の避妊具や性病予防具としての役割で使用していたのえはなく、熱帯病や昆虫の咬刺から陰茎を守る保護具やセックス時の小道具、身分・地位のしるしとして用いられていたようです。

    しかしこの方法はかなり効果的な避妊方法であるとともに、梅毒などの性感染症などからも多くの人を救い、中世期に入ってもこの方法が使用されていたようです。

    シルクをコンドームにする

    12世紀頃、中国人は西洋で最初のコンドームができるもっと前にシルクでペニスの尖端(陰茎亀頭)部分を覆い、避妊方法として使用していました。

    もともと中国人は高い絹織物技術や紙の製造技術を持っていたので、その技術を活かしシルクで紙を作り、潤滑効果と殺精子目的で紙を油に浸したあとペニスの尖端にとりつけて、精子が子宮に侵入するのを防ぎました。

    この避妊方法は、他の方法と比べてかなり理にかなった方法だということができそうですね。

    亀の甲羅をコンドームにする

    中国ではシルクを用いてコンドームの前衛ともなるべきものを発明していましたが、13世紀の日本では、亀の甲羅を作って硬い硬いコンドームをつくり、ペニスの尖端にとりつけて、精子が子宮に侵入するのを防ぎました。

    なんとも壊れにくく画期的な方法ですが、とても痛そうですよね。

    麻のコンドーム

    もともとは当時猛威をふるっていた梅毒を防ぐためにイタリア人解剖学者、ガブリエレ・ファロッピオによって発明された避妊方法です。

    麻でできた布をペニス全体にかぶせ、最後に付随のリボンで結んでしっかりと結んで取れないようにするといったアイテムです。

    酢で洗浄する

    16世紀頃のエリザベス朝イングランドでは、女性たちは性器を洗い、酢で膣洗浄するよう勧められていました。

    酢には殺菌効果がありますが、普段は酢は掃除に使いますよね。。

    また、性行為前に膣に酢を使用して、皮膚または粘膜のたんぱく質と結合して被膜を形成し収斂剤として使うこともあったそうです。

    レモンを押し込む

    17世紀中頃からヴェネツィア出身の術策家(aventurier)であり作家であるジャコモ・カサノヴァによって発明された避妊方法で、レモンを半分に切り、キャップのようにして避妊道具として使用していました。

    レモンは非常に酸味が強く、pH2と「酸性」ですから、酸っぱい食品を膣に入れておけば、精子は死ぬだろうと短絡的に、考えられたものに違いありません。

    ただ、レモンに含まれている量の酸で精子が死ぬことはないので、ただただ膣がひりひりと痛くなるばかりだと思います。

    動物の腸を使う

    ルネッサンス時代のヨーロッパで発明された方法で、性感染症の防止と王族で非嫡出子が誕生するのを防ぐためにペニスの周りに装着して、精子が子宮に飛び出るのを防ぎました。

    外出し

    世界的に行われていた避妊方法の1つで最もなじみが深く、現代でも使われている方法が外出しです。この方法では、射精する直前にペニスを抜去し、精子が子宮に侵入するのを防ぐ避妊法でした。

    この外出しの避妊方法は古く、実際に聖書の中でも膣外射精として説明されています。

    この避妊方法が一番手っ取り早く、かなりの確率で避妊できるにもかかわらず、たくさんの眉唾ものの避妊道具が発明されたのは、膣外射精をしたくない一心で必死で考えられた方法なのかもしれません。

    避妊に失敗してしまったら?

    江戸時代に主流だった避妊方法や道具をご紹介してきました。

    しかしながら、避妊に失敗し、子供ができてしまった場合はどうしたら良いのでしょうか?
    次に見ていきましょう。

    産婦人科で堕胎する

    京都・江戸の町なかには、中条(なかじょう)流をはじめとした婦人科医が存在していて、堕胎・間引(まびき)(出産してから始末すること)が行われていました。

    本所回向院境内の水子塚の石碑は、 約1万の堕胎児を埋葬したものであるといわれます。

    ただ、婦人科医での堕胎は非常に高額で、農民や遊女が手を出せる額ではなかったといいます。

    毒針で刺す

    婦人科に行けない人は、お腹に毒針を刺して堕胎させたそうです。

    江戸時代の農政学者、佐藤信淵は『農政本論』に、 農民が毒針を刺して堕胎することがあったと述べて、 貧窮ゆえにやむをえないとしています。

    その他にも、寒い冬に冷たい水に何時間も浸かっていて無理やり流産させるなどの方法もされていたそうです。

    江戸時代の避妊方法は奇想天外だった!

    江戸時代の一般庶民の家庭においても色事は日常的で、自由奔放に行われていた一方で、望まぬ妊娠の危険性は常に隣り合わせにありました。

    遊女をはじめ、みんなあの手この手で避妊をしていたようです。
    今の世の中には便利なコンドームがあるのでとても便利ですが、物や情報が乏しかった時代の色事は命がけでもあったのですね。

    いつの時代も女性は強い。あらためてそんなことを考えさせられました。

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