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    だるま女の都市伝説は実在する!見世物小屋で出演していた?

    だるま女の都市伝説は有名ですが、実際は世界各地でだるま女が存在しているようです。日本でも江戸時代にだるま女として生活していた女性もいたようです。今回は、だるま女について詳しく解説します。だるま女はもはや都市伝説ではありません。

    だるま女の都市伝説は実在する!?

    だるま女の都市伝説は有名ですが、実際は世界各地でだるま女が存在しているようです。日本でも江戸時代にだるま女として生活していた女性もいたようです。今回は、だるま女について詳しく解説します。だるま女はもはや都市伝説ではありません。

    だるま女の都市伝説とは?

    だるま女(だるまおんな)とは、だるまのように両腕両脚が無い女性のことをいいます。

    戦前の見世物興行ではだるま女が実在しましたが、誘拐・拉致された若い健全な女性が両腕両脚を切断され、「だるま女」として見世物小屋に置かれたり、性の道具にされた、というのがだるま女の都市伝説の部分になります。

    女性が両腕両足を切断される

    1980年代初頭に流布し始めただるま女の都市伝説では、パッケージツアーで日本国外を旅行していた女子大生が、ブティックの試着室に入った後に行方不明になり、数年後に別の国の街角で、両腕両足を切断されただるまのような姿で見世物にされているのを友人などが発見する」というのが大体のあらすじでした。

    都市伝説では、女子大生の部分が花嫁だったり、国が香港や中国などいろんなバージョンのものがありますが、ブティックの試着室で行方不明になるという点と、その後両腕両足を切断されて見世物にされている姿を発見されるという点は常に共通のようです。

    オルレアンの噂が元ネタ

    日本の「だるま女の都市伝説」は「オルレアンの噂」というものが元になっているといわれています。

    「オルレアンの噂」では、1969年5月中旬、フランスの都市オルレアンで、ブティックの試着室に入った若い女性が次々と行方不明になっているという噂が流れ6軒の実際にあるブティックが名指し批判されました。

    行方不明になった女性の数はなんと60数名にも及んだと言われているのに事件が報道されず、警察や行政も対応しないのは、新聞社や公権力がユダヤ人勢力によって買収されているためであるという噂も付随して広まっていったのです。


    行方不明になったとされる女性達は試着室で薬物を投入され、オルレアンの市民にとっては馴染みの深い中世の地下通路を通じて中近東や南米へ売春婦として売られていったとされています。

    分別ある大人たちの大多数は噂に対して否定的でしたが、一部の民衆はユダヤ人に敵意を示し、6軒のブティックのうち5軒はすべてユダヤ人が経営していたことから、民衆に取り囲まれ暴動寸前にまで追い込まれました。

    ただ、これはただの噂で実際に起こった事件ではなかったと後ほど検証され、「デマは反ユダヤ主義者による陰謀である」と報道されてからは噂や暴動は沈静化されました。

    ブティックが共通点

    噂は一時期沈静化したと見られましたが、その後も各地に飛び火して、1970年代のパリ在住の日本人の間でも都市伝説として語り継がれていきました。

    この都市伝説はパリ在住の日本人からパリにきた日本人旅行者を通じて、ブティックの部分はそのままに、失踪する場所がオルレアンから、イタリア、東南アジアなど様々なパターンの都市伝説ができ日本にも伝播していったものと見られます。

    女子大生に対する戒め

    日本で広まっただるま女に関する都市伝説はデマである可能性が高いことがわかりました。しかしながら、なぜこんなにも国をまたいで広がっていったのでしょうか?この噂が日本でも都市伝説として広まり始めた背景を見てみると面白いことがわかりました。

    この都市伝説が広まった頃には、女性の大学進学率の向上や、女性による海外旅行の急増などが挙げられます。この都市伝説が広まり始めた時期と女性の社会への進出や地位の向上時期などと一致していて、これらの事態に危機感を感じ始めた人々による女子大生への戒めという意図があるようです。

    また「女性誘拐」というテーマの話は古くから好んで語り継がれてきた物語の類型で、人の怖いもの見たさに女子大生や新興商業形態であったブティックへの羨望や反感などの感情が混ざって作られたもののようです。

    だるま女は中国の歴史で存在した!

    日本ではだるま女の噂は事実無根の噂話の可能性がありますが、中国では噂話では終わらず、だるま女にされた実話が存在したようなのです。

    さっそく見て行きましょう。

    人豚として晒し者にしていた

    紀元前200年頃にあたる、中国の前漢の時代に書かれた歴史書「史記」に記載されている、「人豚」の逸話が「中国版だるま女」の話です。

    漢王朝を治めていた劉邦の正妻である呂后が、夫の死後、劉邦から寵愛を受けていた側室である戚夫人の息子が後継ぎとして自分の息子である恵帝の地位を脅かしかねないと考え、呂后は戚夫人の両腕・両脚を切断して「だるま女」化としました。

    さらに劇薬の薬物を使用して彼女の会話能力と聴覚を破壊、加えて戚夫人の両方の眼球をくり貫きました。その後生きたままの状態で便所に配置し、「人豚」と称して晒し者にしたと書かれているのです。

    当時は便所の排泄物を豚が食して処理しておりそこからこう呼ばれるようになったようです。

    ただ、当時の医療技術で活かせることができたかどうか疑問は残ります。

    女帝の武則天も火だるま女に

    さらに唐の高宗の皇后となり、後に唐に代わり武周朝を建てた中国史上唯一の女帝である武 則天(ぶ そくてん)もまた、だるま女を作った人物で「中国三大悪女」の一人として恐れられています。

    第3代皇帝・高宗(李治)に見初められ側室として迎え入れられ、寵愛を受けた武則天は高宗の娘を産みます。しかし、自分の娘を自ら絞め殺し、それを子供のいなかった王皇后の仕業だとして、王皇后を皇后の座から蹴落として自らが皇后の座に上りつめます。

    皇后となった武則天は、王前皇后とライバルであった蕭淑妃(しょうしゅくひ)の両名の四肢を切断後、「蟒」・「梟」と屈辱的な名前に改名させ、酒壷に投げ込み処刑したとされています。両女性は酒壷の中で泣け叫びながら絶命したといいます。

    だるま女は江戸時代にもいた?

    日本では先ほどの中国のような残酷なだるま女の話は存在していないようですが、江戸時代には、見世物小屋での演目の中に「だるま女」という演目が実際にあったようなのです。

    さっそく詳細を見ていきましょう。

    見世物小屋の演目にいた

    見世物小屋とは日常では見られない珍しいもの(品、芸能、獣や人間)を見せる小屋掛けの興行のことです。もともとは奈良時代に大陸から入ってきた『散楽』(さんがく)と呼ばれた物真似や軽業・曲芸、奇術、幻術、人形まわし、踊りなど、娯楽的要素の濃い芸能を興行として見せることがもとになっています。

    その興行から毒気の抜けた芸能が猿楽(能)や歌舞伎として独立して発生し、毒気を含む芸能が見せ物小屋として残ったのです。

    江戸期では貝細工の見世物だったのがエスカレートし、見る人が居れば何でも見せるというスタンスとなり、蛇の刺青などが入った、あるいは体に蛇を巻きつけたへび女や、タコ女、奇形動物(珍獣)、奇形の子供、性行為や男女相撲、そして手足がないだるま女も見せ物小屋の演目の一つとして存在していました。

    ただ、見せ物小屋では、時に誘拐された子供が人身売買により手足を切断されて見世物小屋の演目にされたり、娼婦として売り飛ばされてきた例もあったり、障害者が金銭を得るための貴重な収入場所となっているなどの闇も抱えていました。

    1947年(昭和22年)には『児童福祉法』が公布され、満15才未満の児童を見世物小屋で使用する事が禁止されたり、1960年(昭和35年)には『障害者の雇用の促進等に関する法律』が施行され、障害者に対する演目について取り締まりが行われたりするようになりました。

    中村久子さんの苦悩

    「だるま女」として見世物小屋で興行を行った人物で有名な人に中村久子さんがいます。

    彼女は1897年(明治30年)11月25日、岐阜県大野郡高山町で健常者として生まれましたが、2歳の時に左足の甲に患った凍傷が左手、右手、右足と移り、凍傷の影響による高熱と痛みに昼夜を問わず苛まれ、3歳の幼さで両手両足を切断しだるま女になった人です。

    中村久子さんは祖母や母の厳しくも愛情のある子育てのお蔭で、口で糸を通したり、字を書いたり、ハサミを使ったりして文字や編み物をマスターし手に職をつけていきました。

    中村久子さんはその後20歳で上京し横浜市などで一人暮らしを始めた後、母親の再婚相手と折り合いが悪く身売りされる形で見世物小屋での芸人として働くようになり、両手両足の無い体での裁縫や編み物を見せる芸を披露するようになりました。

    その後結婚をして二人の娘にも恵まれ、1934年(昭和9年)にようやく興行界から去りました。

    見世物小屋を去り41歳となった中村久子さんは、1937年(昭和12年)4月17日に東京日比谷公会堂でヘレン・ケラーと出会い、口を使って作った日本人形をケラーに贈りました。その際にヘレン・ケラーは中村久子さんのことを、「私より不幸な人、私より偉大な人」と賞賛したそうです。

    中村久子さんは、50歳頃より72歳で亡くなるまで執筆活動・講演活動・各施設慰問活動を始め、彼女自身の生い立ちと共に生かされていることへの感謝を述べ、「人間は肉体のみで生きるのではなく、心で生きるのだ」と力強く語り多くの障害者たちに大きな力を与えました。

    だるま女は近年でも話題になった?

    1970年(昭和45年)施行の『障害者基本法』によって障害者に対し個人の尊厳の尊重と生活を保障される権利などが明確に盛り込まれ、見世物小屋自体もしだいに廃れだるま女という言葉も時代とともに風化していく一方だった矢先に、中国やメキシコでのある事件をきっかけにだるま女が近年でも再度話題になりました。

    さっそく見ていきましょう。

    手足を切り落とされた娘

    中国では物ごいの人たちを管理し、集めたお金を搾取している「丐幇(かいほう)」と呼ばれる闇組織の存在が知られています。彼らの組織では時に人を誘拐し、子供であっても容赦なく手足を切断し物乞いとして働かせたりもするといいます。

    ある両手両足がない女性も中国でも最も貧しいと言われている貴州省遵義市の繁華街で物乞いをしていました。その女性は両手両足がない姿でも上手に流行歌を歌う姿に感銘を受け誰かが動画を撮り中国版ツイッター、「ウェイボー」に投稿するやいなや彼女の姿は瞬く間に拡散されていきました。

    その動画はある夫婦のもとにも届き動画を見てショックを受けました。というのもその物乞いをする女性が15年前山東省で失踪した娘のモウ・チュイチュイさんに非常に似ていたからです。

    物乞いをしている女性の腕と脚は半分の長さしかなく、わずかに残っている脛でサンダルを後ろ向きに履いていましたが、失踪当時の身長は165cmで、病気もしておらず健康な少女だったため、夫婦は動画の姿を見て、彼女の両手足は犯罪集団によって切り落とされたのではないかとショックを受けました。

    その後一家は微博(ウェイボー/weibo)にハッシュタグを設けて情報を募り必死で物乞いの女性を探しましたが、その女性は場所を転々としているようで未だ発見には至っていません。

    一刻も早い警察による真相追及を願いたいものです。

    メキシコで両手切断事件

    2016年10月、メキシコ西部のグアダラハラ郊外の道路脇で両手を切断された男性5人と女性1人が生きたまま発見される事件が起こり、まさにだるま女を訪仏させる事件として日本でも話題となりました。

    被害者の6人の血だらけの切断箇所にはビニールが巻かれ、額には「私は泥棒」と書かれていました。6人は生きたまま見つかりましたが、止血処理などはされておらず油断ならない状態だったといいます。その他同じ道路脇で撲殺されて死亡した男性とビニール袋に入った切断された手も見つかりました。

    被害者らの証言として、6人は牧場に拉致された後、手を切断され車2台により発見場所に連れて来られたです。

    事件に巻き込まれた理由として、被害者らが所属する犯罪組織に麻薬の売り上げに関する支払いをしていなかったことに関する借金のための報復、あるいは他の者への見せしめであった可能性が高いとのことです。

    この事件では、被害者が拉致された牧場で男1人と女1人の身柄が拘束されています。

    そもそもだるまにはどのような意味があるの?

    日本では、群馬県高崎市や宮城県仙台市などが日本有数のだるまの生産地として有名です。

    「だるま女」の語源ともされるだるまもまた両手足がない姿です。そもそもだるまは、一体どのようなものに由来されできたものなのでしょうか?

    さっそくだるまに関して詳しく見ていきましょう。

    インド人僧がだるまのモデル!

    だるまのモデルは、鎌倉時代に日本にも伝わった中国禅宗の開祖といわれているインド人仏教僧の達磨大師だと言われています。掛け軸や札などに描かれている達磨大師は、眼光鋭く髭を生やし耳輪を付けた姿で描かれているものが多いです。

    この達磨大師は壁に向かって九年の座禅を行ったことによって手足が腐ってしまったという伝説があり、ここから、手足のない形状で置物が作られるようになりました。

    日本ではだるまは縁起物として重宝され赤色を基調とした塗装が行われることが多いですが、達磨大師の衣服もまた赤で描かれることが多いです。これは火や血の色である赤は古来から魔除けの効果があると信じられていて、さまざまな病や災いは赤色を持って防げると考えられてきたためです。

    だるまを飾る意味

    悩み事を解決するため、または願いを達成する願かけとしてだるまを購入する人も多く、最初は大きなだるまを買い、悩みがどんどんと小さくなりますようにという願いもこめて買い換えるごとに小さいサイズのだるまを購入していくようです。

    その他、結婚式にご招待した方のお名札代わりに招待者の名前をだるまに書き、門出を祝ってくれる人たちへの感謝の印、縁起の良いお土産として結婚式にだるまを使用する方も多いようです。

    だるまの飾り方

    縁起物として知られるだるまは地域では年内に購入され、お正月に飾られるのが主流のようです。また、だるまには魔除けの意味があるので、玄関に向けて飾るのが良いようです。また力を思う存分発揮できるように袋などからは出して飾るのが良いようです。

    だるまは選挙で当選した際にだるまに目を入れるテレビの映像などから、願い事が叶ってからだるまの目を入れるイメージが強いですが、江戸時代など以前のだるまの目は最初から入っているものが主流でした。

    だるまは『目』そのものに魔除け力がありますから、だるまを飾る際に初めから両目を入れておくのが縁起のためにも良いようです。

    だるま女は奥深かった!

    「だるま女」の歴史は古く、江戸時代の頃から見世物小屋などの演目などにも実際にあったことなどがわかりました。

    しかしながら、現代に伝わっている女性が外国の試着室で行方不明になり両手足を切断されだるま女にされた人がいるという都市伝説はでっちあげで、その背景には、男性のように社会に進出し自由を謳歌しようとしていた女子大生に対する戒めの意味が込められているようでした。

    もともと縁起物として重宝されているだるまとは似つかない暗いイメージがつきまとうだるま女ですが、中村久子さんのように障害をばねに力強く生きる女性もいました。手足がなくともだるまのように何度でも起き上がる精神を私たちもぜひ見習いたいものですね!

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