日生学園の現在は進学校になっていた!偏差値もそこそこ良い?

お笑い芸人の浜田雅功さんが通われていた超スパルタ学校の日生学園(日生学園第二高等学校)は現在も名称を変えて存在しています。恐ろしく厳しい学校のためテレビ番組でも取り上げられたりしていました。今回はそんな日生学園の現在についてお話しします。

超スパルタ学校・日生学園の現在は進学校?

お笑い芸人の浜田雅功さんが通われていた、超スパルタ学校で有名だった日生学園(日生学園第二高等学校)。テレビ番組でも取り上げられるほど厳しい学校だと言われてきましたが、現在は進学校として学業に力を入れているという噂があるのです。

浜田雅功さんが通われていた当時は全寮制であり、とにかく校則が厳しい事でも知られています。そして日生学園第二高等学校から名前が変わっているのだそうです。

現在の日生学園第二高等学校は昔のようにスパルタ学校のままなのでしょうか?当時のスパルタ教育の様子や事件についても合わせて見ていきたいと思います。

日生学園第二高等学校(日生学園)の現在は?

日生学園第二高等学校は名前を変えて、現在も存在しているようです。時代が変わり昔と同じようにスパルタ学校だったら、だいぶ評判が良くないのでは?と思ってしまいますが、現在は一体どんな学校なのでしょうか?

日生学園第二高等学校が進学校になっている事なども見ていきます。

名称が青山高等学校に変更

日生学園高等学校は、2015年に「青山高等学校」と名前を変えました。日生学園の創設者である青田強氏は1986年に亡くなり、その後は息子である青田進氏が学園長を務める事になりました。

青田進氏が学園長になってからは、昔のスパルタ学校と言われていたような校風では無くなっていったそうです。

昔は素行不良などの理由で進学できない生徒を受け入れていた日生学園第二高等学校ですが、現在はいじめなどによる不登校や引きこもりの生徒を受け入れる学校として、入学する生徒が多いそうです。

日生学園の系列学校も存在

日生学園は系列学校が存在しており、1966年に日生学園第一高等学校(現在・桜丘高等学校)が開校し、その後1980年に日生学園第二高等学校(現在・青山高等学校)が開校。

1982年には日生学園附属中学校(現在・桜丘中学校)と、付属幼稚園(現在、休園中)が開校されて、1983年に日生学園第三高等学校(現在・自由が丘高等学校)が開校されました。

現在の偏差値は40前後

日生学園第二高等学校だった頃の偏差値は39だったそうで、当時のレベルでは底辺だったとされています。素行不良で他の高校へ受験できなかった生徒達を受け入れる学校だったので、偏差値が低いのは仕方が無い事なのでしょう。

そして現在、青山高等学校の偏差値は38~42で、大体40前後とされています。あまり昔と偏差値が変わらないとはいえ、現在不登校の生徒たちを受け入れる学校として変わっています。

不登校の生徒たちもまた、学校を休んでいたため勉強が追いつかなかった生徒が多く、受け入れやすくするためにも偏差値を低くしてあるのだと思います。

スパルタ校から進学校へ

偏差値は昔も今も低いのかもしれませんが、学業にしっかりと取り組むことで大学に進学できるような取り組みを行っているようです。イギリスのパブリックスクール「イートン校」をモデルにしているとされています。

欧米の全寮制教育を日本にも取り入れようと、イートン校から学んでいる部分が大きいようです。

その教育をもとに取り組んでいるからなのか、青山高等学校の生徒の中には国立大学に進学する生徒もいれば、早稲田大学や明治大学などの有名私立大学に進学する生徒もいます。

日生学園の現在の校則は?

現在、青山高等学校は学園長が変わり、徐々にスパルタ学校ではなくなっていったそうですが、校則などはどうなったのでしょうか?

昔の日生学園第二高等学校は、男子生徒はみんな丸坊主だったそうですが、現在も丸坊主なのかなど気になる事がたくさんある事と思います。

噂では他の高校と比べてやはり厳しいとも言われているようですが、実際はどうなのか見ていきましょう。

見た目や時間を重視

青山高等学校は、髪型や服装、時間厳守にはとても厳しいそうです。髪型に関しては男子生徒は坊主では無くても大丈夫だそうですが、朝昼晩の生活リズムを徹底して3年間積み上げていくように心掛けているようです。

元々、不登校などで生活リズムの乱れなどもあった生徒が多い学校でもあるので、寮生活・学校生活の中で決められた毎日のパターンを繰り返し、社会性を持てるようにしていくという目的で時間厳守などは厳しいのでしょう。

月曜から土曜まで朝マラソン

青山高等学校では月曜日~土曜日まで毎朝マラソンをする習慣があるそうです。大変そうに思えますがジョギング程度の軽いもので、中には参加しない生徒もいたりするようです。

ジョギング程度のマラソンなら健康維持のためにも良い事かもしれません。2学期にはマラソン大会があるそうなので、毎朝のマラソンの成果を試せる事が出来そうです。

昔の日生学園第二高等学校のスパルタ指導の頃は、放課後には必ず10㎞マラソンをしなければならなかったそうなので、その時代と比べるとかなり緩くなったのでしょう。

大声で大合唱

青山高等学校では大声で大合唱するという習慣もあるそうです。実はスパルタ指導をしていた日生学園第二高等学校の頃から、大声を出すという事を重視されていたようです。

返事は必ず大声でしなければならない決まりがあり、入学して3日後には声がかれてしまうこともあったそうです。そして掃除をする際も大声を張り上げながら床を拭いたりもしていたそうです!

当時と比べると、現在も大声を出すという事は重視しているものの、大合唱ならだいぶ楽なのではないでしょうか。

男女交際の禁止

男女交際禁止の学校というのはよく聞く話だと思います。ましてや寮生活なので、問題が起こらないように規則があるのは当然のように思えます。現在、青山高等学校では生徒で男女交際しているのが見つかった場合、停学処分などで罰せられるそうです。

しかし、バレないようにこっそり付き合っていたりもするそうで、意外にも罰則に怯えている様子などはあまり無さそうです。

スパルタ指導の頃は、男女が話しているだけでも退学処分になり得るほど厳しかったそうなので、異性に会いに行くには決死の覚悟だったようです。

礼節や敬語に厳しい

青山高等学校は、上級生たちや先生に対して必ず敬語を使うという規則があります。学校に来客者が車で通りすがった場合には、立ち止まってお辞儀をするという決まりもあるそうです。

生徒たちがしっかりとした社会性を身につけるためにも、挨拶や敬語にはとても厳しく指導しているのでしょう。

日生学園は現在よりも厳しかった?

青山高等学校は校則が厳しいと言われていますが、日生学園第二高等学校の頃と比較してみると現在よりも昔は厳しかったという事が、少しお分かりいただけたかと思います。

しかし、スパルタ指導をしていた日生学園第二高等学校の厳しさはこれだけではないのです。当時1970年代~1980年代は様々な学校で荒れており、素行不良のあった生徒などを更生させる目的もあったので、さらに厳しい校則がありました。

日生学園第二高等学校はどれほど厳しい学校だったのか見ていきたいと思います。

スパルタ校時代は厳しすぎる

日生学園第二高等学校のスパルタ校時代は、現在の校則であるマラソン、大声を出す、男女交際の禁止、服装や髪型、時間厳守などはもちろんの事、他にも様々な厳しい校則が存在していました。

まず、「トイレ掃除は素手で便器を洗わなくてはならない」、「雨が降っても傘をさしてはいけない」、「40度の熱が出ても病院に連れて行ってもらえない」など、普通ならおかしいと思えるほどの事が校則になっていたのです。

さらに起床時間は水曜日・日曜日を除く曜日は、4時に起きなくてはならなかったそうです。起きた後は、大声を出しながら掃除をするという日課が待っていました。このようなスパルタな校則が刑務所みたいだと言われる事もあったようです。

厳しすぎるので密輸が横行

さらに、日生学園第二高等学校の生徒たちはお菓子や雑誌など娯楽になるものを持ち込むことが禁止されていました。夏休みなどの長期休暇は家に帰ることが出来たので、家に帰る休暇の時だけ、好きな娯楽を楽しむことが出来たようです。

ただどうしても寮生活中に我慢できない生徒は、親からの仕送りの荷物にこっそりお菓子や雑誌を入れてもらうこともあったのだとか。しかし、教師にバレてしまうと厳しい体罰が待っていました。

寮生活中に絶対にしてはいけない事だったため、お菓子や雑誌を持ち込むことを「密輸」と例えて横行していたそうです。

教師にも厳しかった

日生学園第二高等学校は生徒だけでなく、教師もとても厳しい決まりを守っていました。教師の場合、生徒たちよりも1時間早い午前3時に起床し、男子生徒と同じように男性教師は丸坊主にしなければならなかったそうです。

そして、生徒が問題を起こすと教師が体罰をするという事が、日生学園第二高等学校では当たり前だったそうですが、教師も指導に不手際やミスがあった場合に校長や教頭に頭を叩かれるなどされていたのです。

当時の日生学園第二高等学校で働いていた教師たちもまた、厳しい校則に耐えて守ってきたのでしょう。

日生学園の教育方針

日生学園の教育方針は、「一流の人間を育てる」という言葉であり、日生学園の創設者である青田強氏が掲げたものです。

当時は荒れている学校が多かったこともあり、青田強氏のスパルタ指導は保護者達から絶大な信頼があったそうです。手に負えない子供を持つ親からは、藁にもすがる思いで日生学園第二高等学校で立派に成長して欲しいと願っていた事でしょう。

そして、素行不良や不登校だった生徒たちをスパルタで指導していましたが、勉強に熱心に取り組んで大学へ進学する生徒も増えたそうです。このような実績があった事から、青田強氏が亡くなった現在も、銅像が建てられたりとカリスマ的存在であるようです。

日生学園の現在ではアウトなスパルタ事件!

厳しいスパルタ指導で、24時間自由のない生活を過ごしていた、日生学園第二高等学校の生徒たちや教師たち。勉強が出来なかった生徒が大学へ進学するなど、学業に真面目に取り組んでいる様子もあり、厳しいながらも良い方向へ行っているように見えました。

しかし、生徒や教師の24時間管理された生活の中では、見て見ぬフリが出来ない大きな問題がたくさん起こっていたのです。

一体どんな問題が起きてしまっていたのでしょうか?

事件は内部告発で明らかに

日生学園第二高等学校で問題が起きていると教師から内部告発があったのは、1985年頃でした。この告発により、マスコミに報道されるようになり、日生学園第二高等学校がスパルタ指導をしている学校だと、一気に有名になったのでした。

日生学園第二高等学校は、教師も校長などから暴力を受けていたほど厳しい学校でした。告発した教師はそんな現状に耐えられなかったのでしょう。

脱走や暴力が行われていた

実は厳しすぎるスパルタ指導に我慢が出来ず、脱走を試みる生徒がたくさん居たそうです。日生学園第二高等学校は山の上に存在し、山奥から頑張って逃げようとするそうですが、教師たちに見つかってしまい、体罰や正座をさせられたりしたそうです。

さらに生徒たちの先輩と後輩の上下関係が厳しく、後輩が先輩に殴られたりする事も日常茶飯事だったそうです。その暴力は行き過ぎたものが多く、中には骨折してしまったり、殴られたことで意識不明になってしまう事もあったのです。

娯楽がない寮生活の中で、暴力が楽しみになっている生徒や教師もいたそうで、みんな過酷な環境の中で生きていく為に、ストレスを暴力で発散させてしまっていたようです。

自殺者や死亡事故にまで発展

日生学園第二高等学校では自殺者や不自然な死亡事故が度々起こる事があったそうです。なぜ不自然な事故で終わらせてしまったのか、現在ならすぐにでも大きな問題になるような出来事ですが、当時の時代背景もあり、大事にならず見過ごされていたようです。

自殺してしまった生徒は厳しい校則や体罰に耐えられなくなってしまったのでしょう。そして死亡事故は、上級生の行き過ぎた暴力が原因だったのでは?と言われています。

教師の生徒に対する体罰も、死亡事故になりそうな出来事もあったそうで、暴力で支配されていた日生学園第二高等学校は心の闇を生み出し、命までも奪う結果になってしまったのでした。

学校側は改善しようとせず

教師から内部告発がされるまで、学校側は今までの自殺者や死亡事故が起きていた事を明るみにしようとはしませんでした。そして、教育指導をまったく改善することなく何年も同じような事件が起きても見過ごしてきたのです。

しかし、内部告発によって一気に世間の話題となった日生学園第二高等学校に、国会議員が国政調査を行い、三重県が行政指導するようになりました。それからは暴力を取り除き、徐々に緩やかな指導になり現在の校則になっていったのでした。

日生学園の卒業生で現在の有名人は?

日生学園第二高等学校がとてもスパルタ指導で死亡者も出すほどの学校だったという事がわかりました。

そのスパルタ校時代や校則が緩くなっていった時代に、日生学園第二高等学校や系列の学校に通っていた有名人たちが居るようです。通っていた事で有名なのはお笑い芸人の浜田雅功さんですが、他にも通っていた有名人がいるそうなので、見ていきましょう。

お笑い芸人の浜田雅功さん

お笑い芸人の浜田雅功さんは、1979年に日生学園第一高等学校(桜丘高等学校)に入学し、2年生の時に開校した日生学園第二高等学校(青山高等学校)へ移動して学校生活を送っていました。寮では副学寮長を務めていたそうです。

高校卒業後に幼なじみの松本人志さんと吉本興業に入り、ダウンタウンというコンビ名で活躍するようになります。現在まで人気番組の司会などをたくさん務めており、大人気お笑い芸人として有名です。

芸人としての仕事以外でも、歌手や俳優として活躍する事もあり、マルチな才能を発揮しています。プライベートではタレントの小川菜摘さんと結婚し、お子さんが2人います。長男はロックバンド「OKAMOTO’S」のベーシストのハマ・オカモトさんです。

お笑い芸人の今田耕司さん

お笑い芸人の今田耕司さんは、1981年に日生学園第一高等学校(桜丘高等学校)へ入学しましたが、スパルタ指導に耐えられなくなり、2回脱走したのちに退学しています。その後定時制の高校を卒業し、吉本総合芸能学院(NSC)に入学しお笑い芸人となります。

当時、同期だった130Rのほんこんさんと「ダブルホルモンズ」というコンビを組んでいましたが、解散後はピン芸人として活躍し、その後吉本新喜劇のメンバーであった東野幸治さんと「Wコウジ」として数々のテレビ番組に出演し、大活躍します。

現在は司会業を中心にたくさんのバラエティー番組で活躍されています。

お笑い芸人の中田なおきさん

お笑い芸人の中田なおきさんは、1981年に日生学園第一高等学校(桜丘高等学校)に入学し、当時は今田耕司さんと同級生でした。1983年に卒業し、その後吉本興業へ入りデビューして間もなく、「中田カウス・ボタン」の中田カウスさんに弟子入りをします。

1989年から「中田尚希・祐士」というコンビで活躍をしますが、1991年に解散。その後ピン芸人として復帰しています。2009年には師匠である中田カウスさんから破門されており、しばらく吉本興業に所属していましたが、現在は違う事務所に所属しています。

芸人になる前に東京のプロダクションでADをしていた経験を持ち、気配り芸人として現在も関西エリアを中心に活躍されています。

プロサッカー選手の千葉和彦さん

プロサッカー選手の千葉和彦さんは、2001年に特待生として日生学園第二高等学校(青山高等学校)へ入学し、三重県の選抜メンバーとして毎年夏になると海外に遠征する事もありました。高校2年の時に「全国高校サッカー選手権大会」に出場しています。

高校卒業後にプロサッカー選手になりたかったようですが、Jリーグからオファーがなかったため、単身でオランダに渡り、オランダのリーグからキャリアを積んでいった、珍しい経歴の持ち主でもあります。

日本のチームでは「アルビレックス新潟」、「サンフレッチェ広島」を渡り歩き、現在は「名古屋グランパス」に所属し、活躍されています。

元プロ野球選手の鮫島秀旗さん

元プロ野球選手の鮫島秀旗さんは、1989年に日生学園第二高等学校(青山高等学校)に入学し、1991年に卒業しています。卒業後ドラフト6位で「ヤクルトスワローズ」に入団。

ヤクルトスワローズでは2軍の強打の捕手として注目される事もありましたが、当時1軍の正捕手であった古田敦也さんの壁は越えられず、なかなか1軍で活躍する事が出来なかったようです。

13年間ほぼ2軍の捕手として活躍したのちに引退されており、現在はヤクルトスワローズのチームスタッフ(ブルペン捕手)としてチームに貢献しています。

日生学園の現在がわかる評判や口コミは?

現在の青山高等学校、スパルタ校だった日生学園第二高等学校について、通っていた有名人などを見ていきましたが、今度はスパルタ指導が緩やかになっていった青山高等学校に対しての評判や口コミを見ていきたいと思います。

在校生や卒業生の目線で見た青山高等学校の良いところ・悪いところを調べてみました。

日生学園(青山高等学校)の良いところ

日生学園(青山高等学校)の良いところは、制服が可愛い・文化祭が年に5回ある・進学しやすい・いじめが少ない・iPhoneを学校から支給されて持っていてOKなどがあるようです。制服は有名デザイナーが作ったもので、人気が高いようです。

文化祭はスパルタ校時代には無かった行事であり、実行委員などに選ばれると進学する際にとても有利になるそうです。そして不登校やひきこもりだった生徒が多いので、表立ったいじめが少なく、人の痛みがわかる生徒が多いとの事です。

iPhoneは生徒のホームシックや保護者の不便を解消するために導入され、校舎がとても広いので、生徒たちの連絡手段として使う為にも全生徒に使用させているのだとか。授業にもiPhoneは活用されているそうです。

日生学園(青山高等学校)の悪いところ

日生学園(青山高等学校)の悪いところは、校舎や寮の老朽化で雨漏りする、図書館がない、プールが壊れている、体育祭がない、山の中にあるので帰省が大変、いじめはないけど陰口が異様に多いなどがあるようです。

建物に関する悪いところが特に目立っているように思えます。日生学園は敷地が広く、昔使われていた教室などもそのままのようで、生徒たちから見ると汚く見えてしまうのだとか。体育祭がないのは体育が苦手な教師がいるからという噂があるそうです。

いじめは表立ってはないものの、1日のほとんどを一緒に過ごす生徒たちなので、些細な食い違いや揉め事はあるのでしょう。いじめによる暴力などはすぐに処分が下されるそうなので、こっそりと陰口をしているのでしょうが、気分が悪いと感じるかもしれません。

日生学園の現在は生徒に社会性を身につけるサポートをしている

今回は日生学園の現在について、スパルタ校時代のエピソードや事件、通っていた有名人、卒業生・在校生の評価や口コミについて調べていきました。

日生学園の本質である「一流の人間を育てる」という教育方針は変わらず、現在はスパルタ校時代よりも規則が緩やかに、そして暴力を一切取り除いた指導を行っているようでした。

現在、不登校や引きこもりで困っていた生徒などに社会性を身につけてサポートする、そして進学できるように指導している青山高等学校。今後も困っている生徒たちの救いの場所であってほしいと願います。

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