木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
2022/10/06 更新
エキスポランドで発生した事故を知っているでしょうか。当時人気だったコースター『風神雷神ⅱ』で接触死亡事故が起き、賠償金問題まで発生しました。そこで今回は、事故の真実や当時の目撃者の声や被害者の状況、被害者が肥満だったという噂の真実について紹介します。
エキスポランドは関西ではかなり有名な遊園地であり、1970年に建設されてからは関西3大遊園地 (エキスポランド、ひらかたパーク、神戸ポートピアアイランド ) の一つとして、たくさんの来客数があった遊園地でした。
現在このエキスポランドは既に無くなっており、知らない方達もいる事でしょう。エキスポランドで起きた事故の詳細の前に、まずはエキスポランドについて見ていきたいと思います。
エキスポランドは最初、1970年3月15日から9月13日まで開催された大阪万博のアミューズメントゾーンとして作られました。大阪万博では、かの有名な岡本太郎の『太陽の塔』が造設され、世界各国から人々が大阪万博に足を運び、当時はとても話題になりました。
大阪府吹田市にある万博記念公園に隣接して作られたエキスポランドは、大阪万博閉幕後の1972年3月15日に遊園地として再開。敷地面積20ヘクタールという広い遊園地でもあり、その広さは東京ドーム4個分とも言われていました。
関西で代表される遊園地としてエキスポランドは大人気になり、近隣に住む人や学校の遠足などでも利用され、人々の楽しい思い出を作る遊び場でした。しかし、2007年に起こった事故がきっかけになり、2009年2月に閉園する運びとなったのです。
エキスポランドは東京ドーム4個分の広さという遊園地だったこともあり、園内を周るのにちょうど良い広さで老若男女問わず楽しめる遊園地でした。アトラクションはバランスよく配置されていて、様々なアトラクションが楽しめることでも人気だった模様です。
そして、エキスポランドといえばジェットコースター関係の種類が多く、満足できるラインナップでした。立ち乗りコースターの『風神雷神ⅱ』や宙吊りコースターの『OROCHI』、世界最長のコースター『ダイダラザウルス』など様々あったのです。
さらに、90度のカーブを曲がるコースター『ワイルドマウス』、横に揺れるバイキング系のアトラクション、急流すべりをする『バックスピン』などとても種類に富んだアトラクションで、何度も足を運ぶファンもたくさん居たのでした。
エキスポランドのアトラクションの中でも、特に大人気だったジェットコースターが『風神雷神ⅱ』でした。熊本県にあるグリーンランドのアトラクション『風神雷神』のニューモデルとして、エキスポランドに設置されるようになったとされています。
今も昔も立ち乗りコースターは数少ないアトラクションであり、エキスポランドを代表するジェットコースターとして、1990年に設置されてから大人気のアトラクションとなっていきました。そして2007年に事故が起こって以降、『風神雷神ⅱ』しばらく存在はしていました。
しかし『風神雷神ⅱ』は二度と動くことは無く、2008年3月に撤去されています。
エキスポランドは2007年に起きた事故後、しばらくしてから閉園しています。1970年から約40年ほどに渡って営業され続けてきた歴史のある遊園地。アトラクションの数・種類も楽しめるラインナップで揃っていて、エキスポランドは老若男女に愛されてきました。
なぜ事故が起こってしまい、閉園に追い込まれるようなことになってしまったのでしょうか。エキスポランドに今までたくさん来園してきた方々はとても残念だったことでしょう。しかし、エキスポランドが40年に渡って営業していくなか、様々な難題があったという話が元従業員の方などからも出ている模様です。
事故が起こったのも、エキスポランドの抱えていた難題が原因になっているのかもしれません。
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2007年5月5日、ゴールデンウィーク中でたくさんの来園者が訪れていたエキスポランドで起こった事故。大人気コースター『風神雷神ⅱ』に乗っていた来客者達に、悲劇は起こりました。事故の影響によって現在エキスポランドは閉園しています。
一体どのような事故だったのでしょうか。事故の詳細や真実、当時事故を目撃していた方などの声をお届けします。
エキスポランドのジェットコースター『風神雷神ⅱ』で起きた事故の悲劇は、5月5日こどもの日、昼下がりである午後12時48分に起こりました。6両編成で定員24名である『風神雷神ⅱ』は、この時乗客22名を乗せて運転していました。
ところが突然2両目の車輪が脱線してしまい、2両目の車体は左側に傾いてしまいます。傾いているところにレール沿いに設置してあった緊急避難通路の鉄柵があり、激突してしまったのです。
2両目の先頭左の席に乗っていた、小河原良乃さん(当時19歳)は鉄柵に首が挟まりすぐに亡くなってしまいました。即死であったと考えられるでしょう。また、小河原さんの後ろの席だった女性(当時20歳)は、頭を強く打ち集中治療室で治療する事となりました。その他男女2人が重傷、19人が軽傷を負った模様です。
それだけでなく、地上で事故を目撃した入場客ら13名も気分を悪くし、病院へと搬送されました。
『風神雷神ⅱ』で起こった事故は、すぐに各メディアなどのニュースで取り上げられました。ニュースでは、亡くなられた小河原良乃さんは”鉄柵に首を挟まれて死亡”という表現で報道していました。しかし、実際はもっと悲惨な状態であったという声がとても多いのです。
2両目の車体が傾いて鉄柵に当たりながらも、コースターはしばらく進んでいました。小河原さんは鉄柵に当たらないようにと必死に手で押さえていたといいます。しかし押さえられず腕が持っていかれてしまい、今度は頭が鉄柵にはまって持っていかれてしまった模様です。
事故の目撃者によると、小河原さんの遺体は右肩から左脇にかけて切断されていたという話もあります。この事故であまりにもショックを受けた方がたくさんおり、上記の通りに目撃者の中には気分が悪くなってしまい病院へ駆け込んだ方もいたのです。
ここで、事故が起きてしまった原因について探ってみたいと思います。エキスポランドの『風神雷神ⅱ』で事故が起きたのは、なぜだったのでしょうか。
悲惨な姿で女性が一人亡くなった、『風神雷神ⅱ』で起こった事故。車輪が脱線して車体が傾いてしまったというのが事故の原因になっていますが、詳しく見てみると脱輪事故が起きてしまったのは、走行中に重要な部品が破損してしまい飛び散っていたのが原因とみられることが分かっています。
車軸のネジの部分が破損していた模様ですが、それでもコースターは進み続け、500メートルほど進んだところで2両目の車体が揺れ始めた様子が目撃されています。ネジで固定されていた車輪などの部品が外れてしまい、車体は脱輪した状態に。
そしてバランスを崩し始め、車体は左側に傾いていき鉄柵に衝突するという大きな事故に繋がってしまったのです。
なぜジェットコースターという大きな乗り物の部品が、こうも簡単に破損してしまったのでしょうか。エキスポランドは『風神雷神ⅱ』の車体の部品である車軸を、15年間交換せず使い続けていました。破損の原因は金属疲労だったのです。
エキスポランドのメンテナンスは、とてもずさんなものだったという調査が明るみになりました。エキスポランドは2007年1月にメンテナンス点検を行っていたようですが、目視点検といった手抜きの簡単なチェックでした。
金属疲労で破損した部品は、ジェットコースターを作ったメーカーに注文すれば新しいものを取り寄せる事も可能だったといいます。しかし、エキスポランドはその作業すらも怠ったということでした。事故の責任は、100%エキスポランドにある事がハッキリしたのです。
亡くなられた小河原良乃さんは事故当時、仲の良い仕事の同僚6人でエキスポランドに遊びに来ていました。小河原さんたちは『風神雷神ⅱ』に乗るため乗り場で並んでいたといいます。小河原さんと同僚の2人の後ろには、父親・娘2人の親子3人が並んでいたのでした。
小河原さんたちがコースターに乗り込む番になり、小河原さんと同僚の2人は先頭車両に乗り込もうとします。しかし先頭車両は4人しか乗れないようになっており、後ろに並んでいる親子3人が同じ車両に3人一緒には乗れなくなってしまうと気付いた小河原さん。
小河原さんは、親子3人を気遣って先頭車両を譲ってあげるために声を掛けたとされています。たまたま一緒に来ていた同僚4人がすぐ後ろに並んでいたので、2両目の車両に小河原さんら6人で乗り込む形になったのでした。
小河原さんが働いていた会社では、”とても後輩の面倒見の良い方だった”と小河原さんの事を話していたそうです。面倒見の良い性格だからこそ、後ろに並んでいた親子3人の事が気になって仕方がなかったのでしょう。
小河原さんに席を譲ってもらった親子の父親は、「自分たちが2両目に乗っていたかもしれないと思うといたたまれない気持ちになる」と語っていた模様です。優しく気遣ってくれた人が目の前で亡くなってしまうということは、とてもつらい状況だったことでしょう。
そして、仲の良かった同僚たちは事故直後に「よっちゃんがいない!」と思ったといいます。小河原さんの姿がない、でもシートベルトが固定されたままで身動きが取れないという状況で、とてももどかしい気持ちを抱えていたことが想像できます。
エキスポランドは『風神雷神ⅱ』の事故が大きく取り沙汰されていますが、実は他にも事故を起こしていたのです。エキスポランドのずさんな管理体制が原因なのでしょうか。エキスポランドで起こった事故を見ていきたいと思います。
エキスポランドは『風神雷神ⅱ』の事故が起こる約1年前にも、実は事故を起こしていたのです。エキスポランド以外ではあまりお目にかかれない、珍しいアトラクション『Gフォース』がありました。この、ゴンドラに乗って回転する絶叫マシーンで事故は起こりました。
2006年8月20日13時35分頃、『Gフォース』が水平状態で突然停止し、ゴンドラに乗っていた男女9人が閉じ込められてしまうという事故がありました。停止した位置が地上9.7メートルの場所だったため、救助に時間がかかった模様です。
ゴンドラが停止してから約25分後に、ようやく閉じ込められていた乗客たちは救出されました。乗客がゴンドラに乗っている際、重心に偏りがあったため安全装置が作動したという見解がありますが、はっきりとした理由の解明はされていないでしょう。
次は、『風神雷神ⅱ』の事故後に休園していたエキスポランドが、再開した初日に起こした事故です。90度のカーブを曲がる小型コースター『ワイルドマウス』で、事故が起こりました。2007年8月10日、『ワイルドマウス』が緊急停止したのです。
発車直後に車両を最も高い位置まで引っ張り斜面を上る際に、コンピューターの不具合が起こった模様です。『ワイルドマウス』は、安全装置が作動した事で緊急停止となりました。「風神雷神Ⅱ」での悲惨な事故が起こった後に、このような事故が起こるのはとても信じられないことかもしれません。
この日はエキスポランドの再開初日だった為、全施設の点検をして安全を確認していたようですが、本当にしていたのかと疑ってしまいます。
さらにエキスポランドでの事故は続きます。今度は2007年9月15日14時頃、宙吊りコースター『OROCHI』で事故が起こりました。この日『OROCHI』は通常通り運転をしていました。1周を終えて乗り場へ戻ってくる際に、普段通りに減速し止まろうとしていたといいます。
安全ベルトを外すように指示するアナウンスが流れた時、車体は止まることなく2周目を周ろうとしてしまったのです。安全ベルトを外していた乗客たちは急いで取り付け、安全装置が作動した事で緊急停止しました。幸い乗客にけがはなかった模様です。
しかし、もし乗客がベルトを外した状態で逆さに吊るされてしまっていたらと考えると、恐怖心が湧くでしょう。事故の原因はセンサーの誤反応だったとされていますが、しっかり定期的に点検をしていたのか疑問です。
それだけでなく、2007年10月7日14時頃にも事故は起こりました。急流すべりをするアトラクション『バックスピン』でボートに乗っていた小学生の男の子が、コース最後の急流を下った後にボートの縁に頭を打ち付けてしまい、救急車で運ばれるという事故でした。
ボートに乗る際に装着する安全ベルトが伸びていた点が、事故の原因だった模様です。何故伸びていたのかという点はエキスポランド側は不明としていますが、安全ベルトをしっかり点検していたのか疑問が残るばかりです。
エキスポランドは対処法として、安全ベルトの伸びしろを30センチ短くして『バックスピン』を再開させたといいます。2007年の間にここまで事故が多発してしまい、エキスポランド側が本当に反省して再発防止に努めていたのか、利用者の方は不信感も芽生えるでしょう。
『風神雷神ⅱ』の事故で小河原良乃さんが亡くなり、乗客19人が怪我、さらにその事故を目撃した方達に深い心の傷を負わせてしまいました。『風神雷神ⅱ』以外でも度重なる事故が続き、エキスポランドのずさんな管理実態を目の当たりにした方は多かったでしょう。
エキスポランドは事故後、どの様な影響を受けたのでしょうか。2009年に閉園するまでに、エキスポランドが事故の影響によってどのように変化していったのか見ていきたいと思います。
エキスポランドは『風神雷神ⅱ』の事故後、売り上げが例年の2割以下になってしまったといいます。各マスコミで事故の出来事がニュースになり、エキスポランドのずさんな管理体制を明るみにされたこともあり、客足が遠のいてしまったのでしょう。
『風神雷神ⅱ』の事故後でも、エキスポランドを楽しみに訪れるお客さんもいたといいます。しかし度々事故が起こるようになり、そのたびに事故の事をニュースにも取り沙汰されるようになっていきました。
やはり不安を感じて、エキスポランドに行かなくなってしまったお客さんは多いものと考えられます。そして、エキスポランドの売り上げはとうとう赤字になっていってしまうのです。
2007年8月10日に営業を再開したエキスポランドでしたが、経営困難に陥りとうとう2007年12月10日に休園してしまいました。エキスポランドはリニューアル工事などを進め、体制を整えるために休業期間を置き再開しようとしていました。
しかし、営業の再開は見込めなかった模様です。2008年10月には民事再生手続の申請をします。負債額は16億円にもなり、絶叫系マシーンの乗り物ばかり置くのではなく、もっと安全なアトラクションを置いたファミリー向けの遊園地を作ろうと計画を始めました。
そして、ふれあい動物園を中心にした子供たちがメインで楽しめるような遊園地にしたいと考えていたそうです。その為には支援をしてくれる企業が必要だったのですが、残念ながらどの企業も名乗りをあげてくれなかったのです。
エキスポランドは当初2009年までには営業を再開する予定でした。しかし、支援をしてくれる企業は現れることなく、2009年2月に破産の手続きをしてエキスポランドは閉園してしまいました。本来なら決して起こってはいけない事故を未然に防げたはずでした。
しかしエキスポランドの怠った管理体制のせいで、若い女性の命を奪ってしまい、多くの人達を悲しみや不安で巻き込んでしまったのです。エキスポランド側がもう少し早い段階で緊張感をもっていたら、このような事にならなかったのかもしれません。
エキスポランドを経営していくなかで様々な難題があったのだと推測されるものの、エキスポランドが好きだった方達には本当に残念な思いをされたのではないでしょうか。
ここで、エキスポランドのあった場所は現在どうなっているのかについて、見ていきたいと思います。エキスポランドは現在どうなっているのでしょうか。
エキスポランドは閉園し、2009年8月には撤去作業が進められ更地になりました。その後様々な建設候補が上がりましたが、なかなか決まらずに農業体験型公園ファームエキスポをしばらく開園していました。そして、複合型エンターテインメント施設の建設に関して三井不動産が名乗りを上げています。
その後の2015年に、エキスポランドの跡地に大型商業施設をオープンさせた模様です。一体どのような所なのか見ていきましょう。
エキスポランドの跡地に新たに作られた大型商業施設『EXPOCITY』。2015年11月19日に開業した『EXPOCITY』は、様々なエンターテインメント施設と様々な店舗が立ち並ぶ商業施設が合体している、夢のような空間となっています。
エンターテインメント施設には、水族館、映画館、移動遊園地、スポーツ体験施設、体験型英語教育施設など、子供から大人までが楽しんで遊び、そして学べる施設などがとても充実しています。
『EXPOCITY』の中には水族館『NIFREL(ニフレル)』があります。NIFRELという名前は「感性にふれる」というコンセプトから名付けられました。大阪市内にある水族館・海遊館がプロデュースした『NIFREL』は、水族館の枠に収まらない”生きているミュージアム”として大人気です。
NIFRELは7つのテーマによってブースが分かれており、「いろにふれる」や「すがたにふれる」「わざにふれる」「みずべにふれる」「うごきにふれる」「つながりにふれる」「ワンダーモーメンツ」の7つのテーマがそれぞれあります。
美術館の展示スペースのような美しいそれぞれのブースで、魚や動物たちがお客さんを待っているのです。また「ワンダーモーメンツ」は、自然をテーマに作られたデジタルアートの世界を楽しむことが出来るとして人気です。
『EXPOCITY』には、『OSAKA ENGLISH VILLAGE』という体験しながら英語が学べる施設があります。体験ブースには23種類のシチュエーションルームがあり、アメリカの日常や歴史、文化を体験することが出来ます。
各シチュエーションルームにはネイティブで英語を話せるインストラクターがついており、それぞれの内容に合った体験をすることが出来るとされています。アメリカのレストランや銀行などのシチュエーションを体験することが、レッスンとなるのです。
さらには、大人向けのレッスンや2歳から利用可能である英語スクールに通うことも出来ます。体験しながら楽しく英語を学べるなら、子供も大人もとても覚えやすいかもしれません。
エキスポランドで起きた事故には、色々と噂が流れている模様です。では、その噂というのは本当なのでしょうか。エキスポランドでの事故の噂の真相について迫ってみたいと思います。
事故現場は血の海となったという噂がありますが、事故が起きたコースターの下は血の海だったという噂は本当であったという話があります。
事故当時の情景について、「血が降ってきた」という証言があります。その証言をした方は事故当日にエキスポランドにいたものと考えられ、事故の後3日間食事が喉を通らなかったといいます。
事故が起きた当時は、被害者の首が飛んだという噂がインターネット上で飛び交いました。しかし、実際には被害者の首が飛んだということはないという話があります。
事故では、該当アトラクションの搭乗者ほとんどが負傷するなどし、犠牲者も1名発生してしまいました。では、この事故においては賠償金が出たのでしょうか。続いては、エキスポランドでの事故の裁判についても迫ってみたいと思います。
事故後には、経営側の役員は業務上過失致死傷罪と建築基準法違反に問われました。さらに点検に不備があったことが明白でありながら、市に対し点検結果が良好であると虚偽の報告をしていた疑いも持たれています。こうした点が、裁判での大きな争点となりました。
エキスポランドの検査担当取締役と施設営業部長には禁固2年、執行猶予4年が言い渡されました。そして、罰金40万円も科されています。またエキスポランドの技術課長には、点検結果を正しく報告しなかったとして罰金20万円が言い渡されています。
エキスポランドには、亡くなった女性の慰霊碑が建設されました。当初は事故現場近くに建設されていましたが、エキスポランド閉園時に移動し現在はエキスポタワー跡地に建っています。
世の中には多数の心霊写真が出回っていますが、エキスポランドの事故の心霊写真はあるのでしょうか。ここで、エキスポランド事故の心霊写真について迫ってみたいと思います。
死者が出てしまう惨事となったエキスポランドでの事故ですが、心霊写真があるということで騒ぎになりました。報道により有名になった事故後の写真があります。その写真には被害者の遺体が写っているとされ、ブルーシートで覆われモザイクもかけられている部分があります。
その後方の、男性客の後ろに注目する人影のような黒いものが見えるのです。これが、心霊写真だとされているでしょう。
心霊写真として騒がれる部分は、他にもあるとされています。2009年の事故であり情報は多くない模様ですが、心霊的なものが写ったものはここだけではない模様です。
エキスポランド事故の被害者である小河原良乃さんは、ふくよかな体型だったという噂があります。そのことは事故と繋がりがあるのでしょうか。
マスコミでは、ふくよかな容姿をしている小河原良乃さんの写真が報道で用いられました。写真を報道されたなら、視聴者は小河原良乃さんが現在もふくよかなのかと想像するかもしれません。そして、そのことから体重オーバーだったのではないかと思う方もいるでしょう。
しかし報道に使われた小河原良乃さんの写真は、彼女が中学生の頃のものでした。
小河原良乃さんは、事故当時は太っていたわけではありませんでした。中学時代から比べるとダイエットに成功しており、可愛らしい女性になっていたのです。小河原良乃さんはコースター搭乗時に体重オーバーだったのではないかとの憶測がありますが、そうではありません。
エキスポランドで起きた事故には、目撃者がいました。では、目撃者の方は事故についてブログに綴っているのでしょうか。最後に、目撃者のブログについて迫ってみたいと思います。
事故を起こしたジェットコースターに、乗ろうとしていた女の子のブログが007年5月5日付けで残っています。そのブログ自体は見当たりませんが、女の子はブログに事故について綴っていたのです。
『風神雷神ⅱ』で起こった事故は目撃者が多く、深い傷を負った方達がたくさん居たようですが、事故の出来事をブログに書いていた女の子が居ました。女の子は家族でエキスポランドに遊びに来ていて、事故直後『風神雷神ⅱ』の乗り場に向かおうとしていたといいます。
乗り場に向かう際に「ガン!」という鈍い音が聞こえ、「首だ!」という声も聞こえ、たくさんの人が集まっていたのです。女性の父親が現場を確認しに行ったそうですが、「脱線で人が投げ出されていた。亡くなっているかも」と話していた模様です。
あと10分早かったら事故に巻き込まれていたかもしれない、と女の子はとても怖くなったといいます。現場には救急車やパトカー、ヘリコプターがたくさん来ました。女の子は心の中に閉まっておくのが辛くて、ブログに書き記したのでしょう。
女の子のブログは、『今日エキスポランド行きました。事故がありました。』という文から始まります。そして上記の通りに、事故が起きた時の状況が克明に記されていました。ブログの終盤には、『命の勉強になった日』とも書かれています。
今回は、2007年に起きたエキスポランドのジェットコースター『風神雷神ⅱ』の事故の詳細や目撃者の声、事故によるエキスポランドの影響などについて調べてみました。また、現在のエキスポランドの跡地がどうなっているのかに関しても、お伝えしました。
日本各地には遊園地が多くあり、エキスポランドのような絶叫マシーンが設置されている遊園地も多数あります。もう二度とエキスポランドのような悲惨な事故が起こらないように、しっかりとした管理体制で営業してほしいと願います。
そして現在、エキスポランドの後に新しくできた『EXPOCITY』で、かつてエキスポランドで人々を楽しませていた頃のように、愛され続ける場所になっていって欲しいものです。
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