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2023/12/28
大今里
1970/01/01 更新
日本の新左翼系団体で、かつ世界同時革命を目指した武装集団でもある日本赤軍は現在どうなっているのでしょう。逮捕されたり、死亡が確認されたメンバーがいる一方で、海外逃亡したメンバーもいるようです。団体とそのメンバーの現在について詳しく調べてみました。
日本赤軍はかつて数々のハイジャックやテロ事件を起こした武装集団です。
日本赤軍のメンバーは逮捕された人や現在も海外逃亡中の人もいます。
日本赤軍の起こした事件や現在について見ていきます。
日本赤軍は日本の新左翼系団体で尚且つ世界同時革命を目指した武装集団です。
日本赤軍は「共産主義者同盟赤軍派」の流れをくむ国際テロ組織です。
日本赤軍は中東など海外に拠点を置いていました。
日本赤軍はアメリカ合衆国の国務省の国際テロリズム対策室から国際テロ組織の認定を受けていましたが、日本赤軍の解散により認定が解除されました。
日本赤軍は空港で乱射事件・ハイジャック・立てこもり事件などを起こしています。
日本赤軍が起こした事件で有名なのがクアラルンプール事件です。この事件は1975年8月4日に日本赤軍がマレーシアの首都のクアラルンプールのアメリカおよびスウェーデンの大使館を襲撃・占拠し、アメリカの総領事ら52人を人質に取りました。その後、日本赤軍は人質の解放の条件として日本国内で服役・留置中の7人の保釈を要求しました。この要求に対して当時の総理大臣であった三木武夫元総理大臣は超法規的措置で日本赤軍に参加する意思のある5人を釈放・出国させました。
日本赤軍が起こした事件で他に有名なのは「ダッカ日航機ハイジャック事件」です。この事件は1977年9月28日に日本赤軍が日本航空472便を経由地のムンバイ国際空港を離陸直後にハイジャックした事件です。この事件で日本赤軍は日本で拘留・服役している9名の釈放及び日本赤軍への参加を要求しました。この要求に対して当時の総理大臣であった福田赳夫元総理大臣が「一人の生命は地球より重い」と述べて超法規的措置として収監メンバーなどの引き渡しに合意しました。
またこの事件はSAT(特殊部隊)の設立のきっかけとなった事件の一つです。
数々のテロやハイジャックなどを行ってきた日本赤軍ですが、徐々に壊滅へと追いやられています。
シンパの高齢化、思想が時代遅れ、新規の支持者や資金集めが困難になったことや更には1980年代後半から1990年代後半にかけて逃亡していた中心メンバーが次々と逮捕されたため、日本赤軍は壊滅しました。
中心メンバーの逮捕などによって壊滅状態になった日本赤軍ですが、ついに解散宣言が出されます。
2001年4月に日本赤軍の最高幹部だった重信房子は逮捕されて獄中から「日本赤軍としての解散宣言」をしています。
日本赤軍のメンバーは最高幹部を含めて24人いました。また正式メンバーがどうかは不明な人が1人います。
日本赤軍の主要メンバーについて見ていきます。
重信房子は日本赤軍における最高幹部で最高指導者でした。重信房子の父は血盟団事件に関与した右翼団体の門下生であり、重信房子はその父の影響を強く受けました。重信房子は大学時代には明大闘争に参加したり、共産主義者同盟赤軍派の創立メンバーとして加わったりしていました。
その後、重信房子は奥平剛士らとパレスチナで日本赤軍を結成しました。
重信房子はパレスチナの極左過激派と連携してハイジャックやテロを行いました。
その後、重信房子は「ハーグ事件」への関与で国際指名手配を受けましたが、逃亡を続け偽装パスポートで日本に入国し、その後しばらくは大阪府西成区に住んでいました。
2000年に日本赤軍の支持者を視察していた公安警察が視察対象者と重信房子に似た女が接触するのを確認したため捜査を開始しました。タバコの吸い方やコーヒーカップの指紋が一致したことから接触した女が重信房子であると突き止め、その後、潜伏先であった大阪府高槻市で旅券法違反の容疑で逮捕となりました。
その後、ハーグ事件での関与を巡って逮捕監禁罪・殺人未遂罪などでの共謀共同正犯で起訴されました。裁判では無実を主張しましたが2006年2月23日に懲役20年の判決が言い渡されました。
その後、重信房子の娘と弁護士が控訴するも2007年に東京高裁が一審判決をを支持しました。重信房子は上告しましたが、棄却され、それに対する異議申し立てをするも2010年8月4日に棄却を決定し、懲役20年が確定されました。
刑期は2027年までの為、現在は重信房子は東日本成人矯正医療センターで服役中です。
重信房子は現在、東日本成人矯正医療センターで服役中ですが、現在、東日本成人矯正医療センターで服役しているのには勿論、訳があります。
重信房子は現在、ガンに侵されており、現在は東日本成人矯正医療センターで抗がん剤治療を行っているそうです。小腸ガンで3回の手術をしており、大腸・卵巣・子宮に転移しているとの情報もありました。
奥平剛士は日本赤軍の創設メンバーで最高幹部でした。
奥平剛士は重信房子と結婚をしていました。結婚と言っても偽装結婚です。そのため、重信房子は後にパレスチナ人と結婚しています。
奥平剛士は1972年5月30日にパレスチナ解放人民戦線に協力を要請されて、テルアビブ空港乱射事件を起こします。
奥平剛士はロッド空港で銃乱射事件を起こし、その後、共犯の安田安之と一緒に死亡しました。
死亡原因については空港警備員との銃撃戦で射殺された、安田安之と共に自殺したとも言われており詳しいことは分かっていません。中東の過激派の中では奥平剛士は警備隊の反撃で射殺、安田安之は手榴弾で自殺したと英雄化されたそうです。
そのため、現在は奥平剛士は死亡していることになります。
大道寺あや子は東アジア反日武装戦線の元メンバーで日本赤軍にはダッカ日航機ハイジャック事件で日本赤軍に合流しました。
東アジア反日武装戦線に属していた時は試薬会社に勤務していました。元々は病院で薬剤として勤務していましたが、爆薬に使う薬品を入手するために試薬会社に転職しました。試薬会社で働いてきたときは勤務態度は良好で周囲からの評価は高かったそうです。
大道寺あや子は三菱重工爆破事件などの連続企業爆破事件を起こし、1975年5月19日に爆発物取締罰則違反で逮捕されました。
その後、ダッカ日航機ハイジャック事件で超法規的措置により釈放、出国し日本赤軍に合流しました。
その後は未だ逮捕されず現在は国際手配中です。
坂東國男も日赤赤軍が起こした事件によって超法規的措置で釈放され、その後に日本赤軍に合流した人です。
坂東國男は連合赤軍の幹部として「山荘ベース事件」に関与し、警察から逃れるために「あさま山荘事件」を起こすが逮捕されました。
その後、クアラルンプール事件で超法規的措置で釈放、国外脱出すると日本赤軍に合流しました。
坂東國男は日本赤軍に合流後、重信房子の側近だった時期もありました。
そして重信房子が逮捕され、2001年に獄中で日本赤軍の解散を宣言した直後には大道寺あや子と共に「日本赤軍解散宣言無効宣言」を出しました。
坂東國男は現在も逮捕されていません。また連合赤軍の事件だけではなく、日本赤軍としてダッカ日航機ハイジャック事件に関与した罪も加わり、現在も警察庁に指名手配中であり国際手配中でもあります。
公安によると坂東國男は基本的に中東が活動拠点で中国、ネパール。ルーマニアでの入国の形跡が確認されてはいるが、現在の消息や現在の生死は分かっていません。
岡本公三は奥平剛士らが起こしたテルアビブ空港乱射事件の犯人の一人でした。
奥平公三・安田安之と違って、ただ一人逮捕されました。
その後、最終的に終身刑が確定し、服役していましたが、1985年にイスラエルとパレスチナ解放人民戦線総司令部との間で捕虜交換が行われ釈放されました。釈放後はリビア・シリアを経由して日本赤軍の本拠地であるレバノンに戻り合流しました。
岡本公三はその後、レバノンに潜伏していました。その後、1997年にレバノンに潜伏中の岡本公三を含む日本赤軍のメンバー5人が検挙され禁固3年の刑が確定し、2000年に出所しました。
出所時、岡本公三以外の4人は日本に送還されましたが、岡本公三についてはイスラエルと対立するレバノン政府が政治亡命を認めました。
政治亡命が認められた岡本公三は現在はイスラエルと敵対する勢力の庇護を受けてレバノンのベイルートの郊外のアパートに住んでいます。
2017年には岡本公三は毎日新聞の取材に応じ、帰国したいが普通には暮らせないので帰国にこだわりはないとの旨の話をしています。
城崎勉はダッカ日航機ハイジャック事件で超法規的措置で釈放され、日本赤軍に合流しました。
城崎勉は共産主義者同盟赤軍派の革命資金を金融機関強盗で調達するM作戦に関与したとして懲役10年が確定し府中刑務所に服役中にダッカ日航機ハイジャック事件が起こり超法規的措置で釈放・出国しました。
釈放された城崎勉はその後、1996年に潜伏先のネパールで偽装旅券の容疑で拘束され、その後アメリカにジャカルタ事件の容疑で移送されました。
アメリカでの裁判の結果、懲役30年の刑が言い渡され、2015年には模範囚として出所しました。
模範囚として出所した城崎勉ですが、現在は日本にいます。
城崎勉は出所後、強制送還され公安によって殺人未遂・現住建造物等放火罪の容疑で逮捕されました。その後、懲役12年の刑が言い渡されると、即日控訴しました。2018年に東京高裁は1審を支持し控訴棄却をしました。
城崎勉はダッカ日航機ハイジャック事件で日本赤軍に合流したとされていますが、城崎勉自身はこれを否定しています。
城崎勉によると日本赤軍からの生活費の支援を受けつつも日本赤軍には加入しておらず、パレスチナ解放人民戦線に加入したとしているそうです。
山本万里子は日本赤軍の元メンバーでした。
山本万里子は当時、パリにある日系百貨店勤務しており、その百貨店で協力者として日系商社員の誘拐事件に関与して連絡係を担いました。山本万里子も有印私文書偽造・同行使罪で逮捕され、懲役2年6か月、執行猶予5年が言い渡されました。
その後、山本万里子は執行猶予中の2005年にスーパーで1200円相当のさきいかを万引きしたとして逮捕されました。山本万里子は現在は生活保護を受けているようです。
日本赤軍の現在はどうなっているのでしょうか?
日本赤軍の再開の可能性はあるのでしょうか?
日本赤軍の現在について見ていきます。
日本赤軍は現在も海外逃亡中で国際手配中のメンバーがいます。奥平純三・岡本公三・坂東國男・佐々木規夫・大道寺あや子・仁平映・松田久が現在も海外逃亡中です。
現在、日本赤軍は以前より勢力は弱まり再開は考えにくいものの、残っているメンバーでの再開も含めて今での危険視されています。
重信房子が逮捕されたことによって重信房子は獄中で日本赤軍解散宣言を出します。しかしその直後に大道寺あや子と坂東國男が日本赤軍解散宣言無効宣言を出しました。
重信房子と大道寺あや子と坂東國男の宣言のどちらの効力が強いかは分かりませんが、その後も活動は下火となり現在は解散状態であることには変わりません。
ノンフィクションはいくつかあります。「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」は1971年に公開の映画で日本赤軍の支援者である若松孝三と後にメンバーになる足立正生によるドキュメンタリー映画です。
「コードネーム:カルロス 戦慄のテロリスト」「カルロス」はハーグ事件を詳細に描いた映画です。
「革命の子どもたち」は重信房子の娘とドイツ赤軍のウルリケ・マインホフの娘を描いた作品です。
他にも「幽閉者 テロリスト」「重信房子、メイと足立正生のアナバシス そしてイメージのない27年間」があります。テレビでは重信房子はじめダッカ事件などのドキュメンタリーが多数あります。
フィクション作品にも日本赤軍が登場します。
「レスリー・チャン 嵐の青春」では日本赤軍から逃亡した元テロリストが登場します。日本赤軍の名前が出てくるものの些か連合赤軍との混合が見られる作品です。
「マギー・チャンのドッカン爆弾娘」では自家製の爆弾を買おうとする相手役として出てきます。
「十福星」では香港で武器売買をする組織としてメインの悪役で登場します。
「香港・東京特捜刑事」では東京から香港へ逃亡した宝石店強盗として登場します。
日本赤軍が登場する小説もいくつかあります。
「ケネディ空港着陸不能」はウォルター・ウェイジャーさんの作品で映画「ダイ・ハード2」の原作で知られている小説です。この小説はテロリストが航空管制機能を乗っ取り空港を麻痺させ、主人公が乗客などを助けるために奔走するという内容です。この小説ではテロリストの中に日本赤軍の残党が参加しています。
「デッドリー・フライト96―LA空港奪回作戦」は毛利元貞さんの小説です。この小説は麻薬カルテルに雇われた日本赤軍がロサンゼルス空港でハイジャック事件を起こす内容です。
重信房子はパレスチナ人と結婚しましたが、その夫との間に娘を設けていました。
その娘は重信房子の娘ということでいろいろな苦労があったようです。
重信房子の娘について見ていきます。
重信房子の娘はジャーナリストの重信メイさんです。
重信メイさんの父親すなわち重信房子さんの夫はパレスチナ人の活動家でイスラエルとの闘争中にミサイル攻撃で暗殺されたと考えられます。
重信メイさんはベイルートで生まれました。重信メイさんは子供のころはイスラエル情報機関を警戒して難民キャンプや民家を転々としていたそうです。そして重信房子の仲間以外には本名・出生などを伏せて暮らしていたそうです。
重信メイさんは28年間、無国籍でしたが、2001年に日本国籍を取得し、日本に初来日しました。
その後、同志社大学で社会学研究科メディア学を修了しました。
重信メイさんはジャーナリストとして、日本でテレビに出演したり、本を出版しています。
「秘密 パレスチナから桜の国へ 母と私の28年」や「秘密 パレスチナから桜の国へ 母と私の28年」・「中東のゲットーから(That's Japan)」を出版しています。
また2006年から2010年まで「ニュースの深層」にサブキャスターとして出演していました。
重信メイさんは母親である重信房子について「革命の子どもたち」の公開の際に行われたインタビューでその思いを話しています。
重信メイさんによると母親である重信房子と愛にあふれる関係を築けたそうです。そして以外かもしれないが母は常に冷静で感情に任せて怒る姿を見たことがなかったそうです。叱るときも辛抱強くなぜ悪いのかを伝えていたそうです。
重信メイさんは「革命の子どもたち」の公開の際に行われたインタビューで子供の頃の苦しみも話していました。
重信メイさんによると一番つらかったのは嘘をついてしか生きられなかったことだそうです。友達や恋人と親しくなればなるほど、すべてを嘘で固めて、身に危険が迫れば、連絡もせずにその地から姿を消さなければならなかったことが申し訳なかったそうです。
ただ2001年に日本国籍を取得してからはネット時代の恩恵もあって徐々に友人関係を取り戻せているそうです。
日本赤軍は数々の銃乱射事件やハイジャック事件を起こしました。そして最高幹部である重信房子はすでに逮捕されて現在は服役中でした。しかし現在もまだ逮捕されておらず国際手配中のメンバーもいました。現在、日本赤軍の活動が再開される可能性は低そうですが、まだ逮捕されていないメンバーもいるので、今後も日本赤軍の動きには注目です。
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日本赤軍の事や一連の事件については今までいろいろな作品になったり、登場しています。
現在出版や公開されている作品の中で日本赤軍が出てきたり、作品になったものを見ていきます。