木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
2019/01/17 更新
山田雄也さんは学校で、椅子に座ろうとしたときに後ろからその椅子をいたずらで引っ張られ、座る勢いのまま転倒。脊椎損傷を負い、車いす生活を余儀なくされました。この記事では、山田雄也さんが脊椎を損傷した経緯やいたずらの内容、その後の生活についてまとめます。
子供は大人ほどの分別がないため、大人であればぎょっとするようないたずらをしかけることがあります。そして、それが大きな悲劇を招くこともあるのです。
山田雄也さんもそのようないたずらで人生を狂わされた人物の一人。いったいどのような経緯で脊椎損傷をしてしまったのでしょうか。その一件の全貌をまとめます。
そもそも、山田雄也さんとはどのような人物なのでしょうか。まずはプロフィールから確認していきましょう。
名前:山田雄也
出身:岐阜県
生年月日:1996年4月2日
出身高校:美濃加茂高校
山田雄也さんは事件当時、岐阜県の美濃加茂高校というところに通学する高校生でした。バスケが好きで、国体出場を目指して日々練習に勤しんでいたといいます。
いたずらによって下半身がマヒしてしまった山田雄也さん。目指していたバスケの道へ永遠に閉ざされ、日常生活でさえ満足に遅れないようになってしまいました。
しかし最近、前向きに生きることを発表しています。もちろん完全に心が晴れ、加害者を許せたわけではないでしょうが、前を向いて車いすバスケの道を目指すとのこと。
山田雄也さんの姿に、ネット上で多数の称賛や応援の声が上がりました。
山田雄也さんの人生を狂わせてしまったのは、椅子を引くいたずらでした。人が座ろうとしているときに、その椅子を引っ張って尻もちをつかせるというもの。一見ただのいたずらですが、これが思いもよらぬ大けがへとつながったのです。
2016年8月、山田雄也さん本人がTwitterで自身の身に起きたことを暴露しました。高校生の時に椅子を引っ張られ、脊椎損傷し、下半身がマヒしてしまったという内容です。「同じ経験をしている方が今いるかもしれない」「拡散してもらえたらありがたい」とし、ツイートしました。
山田雄也さんの人生が変わったのは、2014年7月2日のことでした。高校の授業の三時間目が終わった後、山田雄也さんは友人と一緒に早めのお弁当を食べました。その後、机が汚れていたので、隣の席の子からティッシュを受け取るため、席を立ちました。
そしてティッシュを受け取り、自分の椅子に座ろうとしたときのこと。後ろにいた女子が、山田雄也さんの椅子を引っ張ったのです。椅子がそこにあるはずの椅子に体重を任せた山田雄也さん、そのままの勢いで転倒。
その際に、後ろに合った机で背中を強打。その時、腰や背中に異様な激痛を感じたといいます。結局、友人の助けを借りて担架で保健室まで運んでもらうことになったそうです。
保健室に行くも、徐々に下半身がしびれて感覚がなくなったという山田雄也さん。そのままではまずいということで、至急病院に搬送されることになりました。そして、レントゲンやCT、MRIといった検査を受けながら、2週間入院することに。
検査の結果、脊髄がつぶれたようになっていること、そして手術が必要であることが医師から伝えられます。不幸なことに、その週には国体の選考会があり、山田雄也さんは大切な試合を控えているときでした。それを諦め、山田雄也さんは泣く泣く手術を受けることにしたそうです。
手術は、強力な全身麻酔を使った9時間にも及ぶ大掛かりなものだったといいます。手術を終えると、下半身が動いたため、うまくいったのだと一安心。
ところが3日後、切り口の中に痛みを感じ、調べてもらったところ血栓ができていたといいます。そのため、再度手術に臨むことに。再び強力な全身麻酔を伴う、5時間かかる大手術を受けることになりました。
目が覚めたときには、集中治療室の中にいたそうです。ひどい頭痛や吐き気に襲われ、死の寸前であることを覚悟したそう。その後1週間も意識がなく、ようやく目が覚めたときには、久々に家族の顔が見れて安心したと語っています。
しかし、手術の後にも苦難が待ち受けていました。寝たきりの状態の2か月間の入院生活が待っていたのです。太いブロック注射や、感覚のない足での車いす生活、そんな中でリハビリを続けたそうです。
3カ月が経過したころには、ようやく物を使って歩行ができるようになったといいます。さらにおよそ1年間のリハビリに励み、とうとう松葉杖で歩けるほどに回復。大学への進学も決まりました。
その後、1年半大学に通学しました。しかし、やはり慣れない車いす生活で大学に通うのは大変だったようです。道で突然力が抜けて倒れたり、バスの中では押し倒されたりと苦難を経験し、杖無しで歩けるようになってから通学したいと考え、休学手続きを取りました。
山田雄也さんがTwitterでこのことを語った2016年8月当時は、大学を休学しようやく杖無しで歩けるようになったころだったといいます。地元でリハビリを繰り返し、麻痺はあるものの、ようやく希望が見えてきたといいます。
2017年3月には休学から大学に復帰する予定とのこと。以前よりは心と体に余裕をもって通学できそうだと語っています。
そしてここで、山田雄也さんは車いすバスケを始めることを決意。小学生の時から夢であったバスケ選手への道を完全に閉ざされてしまったものの、今の自分の状態を受け入れて、新しい道を進むことを決意したのです。
山田雄也さんは、この一件を通じて多くのことを学んだといいます。家族の温かさや、障害を持った人の考えなど。
そして、「今更過去のことを言ったって戻れない」とし、前向きに生きる決意を語ります。この体でも頑張れることを証明し、車いすバスケのなかで自らの名前を広めたいとのこと。
ネット上ではこのツイートが拡散し、困難を乗り越えて前向きに生きる山田雄也さんを称賛・応援する声が多数上がりました。
山田雄也さんの人生を狂わせてしまった、椅子を引くいたずら。それをしてしまった女子生徒は、どのような対応をしたのでしょうか。
Twitterで山田雄也さんのツイートが拡散され、それを読んだ人の中に「加害者に損害賠償請求はしたのか」と質問する人が現れました。それに対して山田雄也さんは、請求したものの誠意のある対応は得られず、保険のみのやり取りだと回答しています。
そのため、加害者に反省の色がないとして非難が殺到。山田雄也さんも「本当に許せない」と発言しています。
ただ、山田雄也さん自身があまり語っていないこともあり、本当に加害者の女子生徒が反省していないのかはよくわかりません。自らのやったことの重大さに気づき、完全にふさぎこんでしまったという可能性もあります。また、いたずらも軽い気持ちでやったのでしょうから、悪意はなかったのかもしれません。
もちろん、損害賠償が得られなかった点や、誠意のある対応をしなかった点、またそもそも人の人生を狂わせてしまったことは許されないでしょう。もしも加害者が自らの過ちを理解しているのであれば、いつの日か山田雄也さんにちゃんと謝罪してほしいですね。
この山田雄也さんのツイートに対して、自分や自分の家族、友人が、子ども時代に受けたいたずらのせいでその後の人生に関わる大きな傷を負ってしまったという声が多数寄せられました。
いたずらを仕掛けた子供本人には、そんなに悪意はないのでしょう。しかしそれが、相手の人生を狂わせることもあるのです。学校や家庭でそういったことをきちんと教え、やってよいことと悪いことの区別が付くようにしなければなりませんね。
山田雄也さんの怪我と、それを乗り越える過程について紹介しました。これからもその前向きな姿で、障害を負った人の希望になってほしいですね。
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