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大相撲の八百長を告発した元小結の板井が急死?15連敗は本当?

大相撲の八百長を告発したことで知られる元小結の板井は、2018年8月に亡くなっています。現役時代、15戦全敗が伝説となっている、板井はどのように八百長に関わったと言われているのでしょうか。板井の経歴や大相撲の八百長問題について調べてみました。

大相撲の八百長を告発した元小結の板井とは?

大相撲の八百長を告発したことで知られる元小結の板井。彼はどのように八百長に関わったのでしょうか。板井の経歴や八百長問題について調べてみました。

大相撲の仕組みとは?

相撲は古来から伝わる神事であり、武道ですが、興行としての大相撲は、江戸時代より発展してきました。定期的に開催される本場所と、力士たちが各地へ出向き、一日限りで行う地方巡業があります。また海外公演が行われることもあります。

日本相撲協会は1925年に設立され、相撲興行を管理し、相撲の指導、普及を図っている団体です。年寄、力士、行司、呼出、床山などで構成されています。2014年に公益財団法人となり、役員には年寄から選ばれる理事のほか、外部からの有識者も含まれます。

各相撲部屋は人脈的派閥であるいずれかの一門に属しています。一門には、二所ノ関一門(15部屋)、出羽海一門(13部屋)、時津風一門(8部屋)、高砂一門(5部屋)、伊勢ヶ濱一門(5部屋)があります。例えば、横綱の稀勢の里は二所ノ関一門の田子ノ浦部屋、白鵬は伊勢ヶ濱一門の宮城野部屋所属です。

番付は6つの階層からなる

番付は、上から幕内、十両、幕下、三段目、序二段、序ノ口の6つの階層からなります。力士は序ノ口から始め、場所の成績によって階層が上がっていきます。十両以上になると、「〇〇関」の敬称で呼ばれ、月給が支給されます。幕下以下は、本場所ごとに場所手当が支給されます。

幕内は、上から横綱、大関、関脇、小結、前頭の5つに分かれます。大関、関脇、小結は三役と呼ばれます。大関昇進の条件は、平成中期以降は、3場所連続で三役の地位を維持し、33勝以上をあげることが目安となっています。

横綱への昇進は、2場所連続優勝が目安としてありますが、取り組み内容も問われることとなります。

本場所は奇数月に開催

本場所は奇数月に開催されます。1月は初場所(両国国技館)、3月は春場所(エディオンアリーナ大阪)、5月は夏場所(両国国技館)、7月は名古屋場所(ドルフィンズアリーナ)、9月は秋場所(両国国技館)、11月は九州場所(福岡国際センター)と呼ばれます。

一場所の開催期間は15日間です。最終日は「千秋楽」と呼ばれます。優勝決定戦以外は、同じ部屋の力士や親族とは対戦しません。取組相手は、場所前にすべてが決定しているのではなく、各力士の成績状況に合わせて決まっていきます。

基本的に横綱や大関は、序盤は番付が下位の者と当たり、終盤に横綱や大関同士で当たります。また優勝争いが千秋楽まで続くように取組が調整されたりします。

元小結板井の経歴は?

板井は1956年3月21日生まれ、大分県臼杵市出身の元力士です。本名も四股名と同じ板井(圭介)です。番付の最高位は小結です。大分水産高等学校に進学して相撲部に入りました。高校卒業後、福岡県北九州市の黒崎窯業に就職し、同社の相撲部で活躍しました。

1975年には朝日山部屋入門の話もありましたが、同部屋の後継者をめぐる騒動があって、立ち消えとなりました。板井の師匠となる大鳴戸親方も同部屋出身でしたが、独立し、大鳴戸部屋を起ち上げました。

1978年に大鳴戸部屋に入門

板井は1978年に大鳴戸部屋に入門し、9月場所で初土俵を踏みました。序ノ口から三段目まで3場所連続で優勝し、1979年9月場所で十両に昇進するというスピード出世でした。十両昇進を機に四股名を師匠の現役名と同じ「高鐵山」にしましたが、その後、再び「板井」に戻しています。

1980年9月場所で新入幕を果たしました。その後、十両、幕下にまで落ち、数回、幕内との間で上下を繰り返しました。しかし1983年3月場所で入幕して以降は、幕内の地位を維持しました。

1991年9月場所で引退

板井は1989年3月場所で11勝し、5月場所では最高位となった小結に昇進しました。1991年9月場所中に廃業を表明しました。当初は年寄春日山を襲名する予定でしたが、相撲協会が申請を却下したために廃業となりました。

元小結板井の八百長との関わりは?

大相撲の八百長とは、力士が取組の勝敗を金銭で売買する行為です。大鳴戸親方は相撲協会から離れた後、板井が千代の富士グループの八百長の仲介人(中盆)であったこと、自身も八百長に関わっていたことを告発しました。

8勝7敗の多さ

シカゴ大学の経済学者スティーヴン・レヴィットによると、1989年から2000年までの取組を分析すると、7勝の力士と8勝の力士の対戦において、7勝の力士の勝率は千秋楽以外では50%以下ですが、千秋楽ではそれが80%近くとなっています。

7勝の力士がすでに8勝の力士から勝ち星を買ったのではないかという疑惑が示唆されています。板井自身についても8勝7敗で終えた場所が多く、幕内では16場所もあります。

また板井は引退前の1991年名古屋場所で、史上初の15戦全敗したことで話題となりました。

八百長の証言と暴露本出版

板井は大鳴戸親方が亡くなると、2000年1月外国特派員協会において八百長について証言しました。また同年7月には八百長に関する暴露本を出版しています。同書では、千代の富士が53連勝した取組を、八百長34番とガチンコ19番に分類しています。

横綱大乃国との確執とは?

大乃国は1962年10月9日生まれ、北海道出身の力士です。1978年3月場所で初土俵を踏み、1987年9月場所後に横綱に昇進しました。千代の富士との横綱同士の取り組みは、語り継がれる名勝負となっています。

1991年7月場所で引退し、芝田山親方として後輩の指導に当たり、1999年6月に芝田山部屋を起ち上げています。現在は、テレビのグルメ番組に出演もし、大のスイーツ好きとして知られています。

真面目で勝負に潔癖な大乃国にテーピング張り手

大乃国は、真面目で勝負に潔癖で、決して八百長はしない力士と言われていました。1985年九州場所において、板井はそんな大乃国に対して、テーピングのなかにパッドを入れた手で張り手を駆使し、勝利しました。八百長に乗らない大乃国に対する制裁的な意味があったとみられています。

板井は、両手にテーピングを巻いており、最初から大乃国の顔面をねらっています。最終的には板井が思いっきり振り抜いた右の張り手が大乃国のあごにヒットし、大乃国は膝から崩れ落ちてしまっています。

板井は大乃国を心の中で応援

板井は3つの金星(横綱に勝利すること)はすべて大乃国から挙げていました。大乃国は板井を非常に苦手としており、腕を追ってやりたいと心底嫌っていました。一方、板井は後に、大乃国を嫌いだったわけではなく、心の中では潔癖な大乃国のことを応援していたと語っています。

元小結板井の急死の真相は?

年寄襲名を却下された板井は、ちゃんこ屋の経営を始めました。しかし、夏場に売り上げが落ちるちゃんこ屋の経営は難しいものがありました。板井は、相撲の番付と店の人気は別もので、夏限定メニューも見向きもされなかったと語っています。

晩年は糖尿病に

その後、板井はガラス工をしていると述べています。そのほか、ラジオ番組に出演し、過去のことについて語ったりしています。近年では、心臓にペースメーカを埋め込み、糖尿病で病院に通っていました。

2018年8月14日に死去

独り暮らしだった板井は、2018年8月14日、自宅で倒れているところを交流のあった元付け人によって発見され、死亡が確認されました。元付け人は、板井が病院に来なかったのを心配して家に見に行って発見したそうです。急死であったものとみられています。

大相撲の今後

以上、八百長を告発した元小結の板井の経歴など大相撲についてご紹介してきました。大相撲では板井が引退した後も、八百長は大問題となり、世間を驚かせました。果して現在の大相撲は八百長はないのでしょうか。

今後の大相撲はどのような道を辿っていくのでしょうか。相撲ファンにとっては心配は尽きませんね。

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