木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
付け人に暴行した貴公俊(たかよしとし)が四股名を改名しました。これまでの「貴公俊」から「貴ノ富士」として2019年から新たなスタートを切ります。所属していた貴乃花部屋もなくなり、千賀ノ浦部屋で、場所も名前も新たな気持ちで挑む2019年。暴行事件から改心して、これから相撲を盛り上げていって欲しいです。
そんな貴公俊(たかよしとし)が改名した理由や、新たな四股名「貴ノ富士」に込められた意味や由来などを調べてみました。
2013年に貴乃花部屋に入門した貴ノ富士(貴公俊)。貴乃花親方の下で厳しい修行を積む中、2018年3月には付け人に暴行するという事件を起こしてしまいました。その後は貴乃花親方が引退したことにより、貴乃花部屋が消滅。また、兄弟子だった貴ノ岩も暴行事件を起こし、現役を引退するという始末。
千賀ノ浦部屋へ移籍し、名前も新たにした貴ノ富士。暴行事件から改心し、元貴乃花親方への恩返しを胸にこれからの活躍が期待されます。そんな貴ノ富士(貴公俊)の詳しいプロフィールを見ていきましょう。
四股名:貴ノ富士(前・貴公俊)
本名:上山剛(かみやまつよし)
生年月日:1997年5月13日
出身地:栃木県小山市
身長:185cm
体重:143kg
所属部屋:千賀ノ浦部屋
貴ノ富士(貴公俊)は1997年5月13日に、栃木県小山市で一卵性双生児の兄として生まれました。本名は上山剛。双子の弟(貴源治)の本名は上山賢です。
弟とともにさまざまなスポーツに親しんでおり、小学校ではサッカーや空手を経験。中学校ではバスケットボールやキックボクシングなども習いました。バスケットボールでは、茨城県の中学選抜に選ばれ全国で3位に入るほどの腕前でした。
小学校の時から多くのスポーツを経験してきた貴ノ富士(貴公俊)ですが、相撲の経験はありませんでした。そんな貴ノ富士は未経験ながら、弟とともに相撲の世界へ飛び込みました。
中学3年生の時に父親の勧めで、未経験ながら弟とともに貴乃花部屋へ体験入門。それがきっかけで、2013年に双子で貴乃花部屋に入門しました。四股名は「貴公俊(たかよしとし)」。弟は「貴源治(たかげんじ)」でした。
貴乃花親方からは、「相撲は未経験だが体格が良いので、面白いという期待感があった」と期待を寄せられていました。
貴乃花親方による修行の下、2015年の3月場所で新幕下に昇進。幕下として十両を目指す立場となりました。
幕下とは幕内の下という意であり、幕下の一つ上が十両です。十両から上の力士は関取と呼ばれ、力士として一人前に扱われます。十両と幕下では待遇の差に大きな違いがあり、収入も大きく変わってきます。
十両を目指して巡業をする中で、2017年の5月場所で貴源治が新十両に昇進することが決定。弟に先を越される形となりました。
弟・貴源治に先を越された貴公俊は、十両昇進を目指して厳しい稽古に励みました。貴乃花親方の指導の下、基本の動作を丁寧に繰り返しました。
厳しい稽古をし十両を目指す中、徐々に成績を上げ、ついに2018年3月場所での新十両昇進が決まりました。兄弟での関取は、親方の「若貴兄弟」を含め、歴代19組目。双子での関取は、相撲界では初めてという快挙でした。
昇進会見では、弟が先に十両に昇進したことに「うれしくもあり悔しかった」と本音を吐露。貴乃花親方からは「悔しかっただろうが、よく腐らずにやってきた」などと褒められました。
2018年の3月場所で新十両に昇進した貴ノ富士(貴公俊)。弟とともにこれからの活躍が期待されていたその矢先、付け人を暴行するという事件を起こしてしまいました。
2017年には日馬富士による、兄弟子の貴ノ岩への暴力事件などもありました。この暴行事件をきっかけに、貴乃花親方と相撲協会の間に溝ができ、対立するようになりました。2018年1月4日には、理事会の協議の結果、貴乃花親方が理事を解任される事態までに。
貴ノ富士(貴公俊)による暴行事件は、このような貴乃花部屋が困難を極める中でのものでした。なぜ、このような事態になったのでしょうか。
2018年の3月場所から新十両に昇進し、これからの活躍が期待されていた貴ノ富士(貴公俊)。しかし、その3月場所の8日目に、付け人に暴力行為をはたらいていたことが、3月18日に発覚しました。
事件は取組後のしたく部屋で起きました。この日の取組に敗れた貴ノ富士(貴公俊)は、したく部屋で付け人に暴言を吐き、顔などを殴ったりと暴力行為をはたらきました。したく部屋には他にも力士がいましたが、止める人は誰もいなかったそうです。
貴ノ富士(貴公俊)は、この日の付け人から取組の時間を間違えて伝えられたのでそうです。通常、力士らは自分の取組の2番前から、土俵下にある土俵溜りにつかなければなりません。ここで自分の取組を控えます。
貴ノ富士(貴公俊)は時間を間違えて伝えられたため、土俵溜りに着くのが遅れてしまいました。その際に、十両の審判長に注意を受けました。さらに、自分の取組にも負けてしまいました。
そのことで、怒りが爆発してしまったのでしょう。やっと十両に昇進できて、これからだという時に、このような事件が起きてしまいました。
貴ノ富士(貴公俊)が殴った付け人は、序二段の貴西龍でした。殴られた貴西龍は、顔面打撲および口内裂傷の傷を負いました。暴行を受けた貴西龍は、事件から2日後の10日目の取組を終えた後、取材で心境を語りました。
貴西龍によると、事件の後は貴ノ富士(貴公俊)から謝罪をされたのでそうです。そして、殴られた跡も残りながら、「自分も付け人としてサポートできなかった。関取に申し訳ないことをしてしまった。」と冷静に語っていました。
その後、2018年の夏場所限りで貴西龍は残念なことに現役を引退してしまいました。
暴行が原因なのかはわかりませんが、貴乃花親方は「やりきった」というように発言していました。
日馬富士による貴ノ岩暴行事件もあり、貴乃花親方と相撲協会の対立が報道される中での暴力沙汰に、世間も大きく注目しました。当然、厳しい処分が待っていました。
暴行事件を起こしてしまった貴ノ富士(貴公俊)は、貴乃花親方から謹慎処分を言い渡され、事件後日から休場しました。その後、3月29日の理事会で、2018年5月場所の出場停止処分を科されました。
当人同士は、お互いの非を認め和解していました。しかし、相次ぐ相撲界の不祥事に納得のいかないファンから告発状が提出され、警察による捜査もされる事態に。
捜査した大阪府警は、当人同士が和解し示談も成立していることや、付け人の怪我も比較的軽傷だったということを考慮し、厳しい処分を求めないという意見書付きで書類送検としました。その後、6月13日に大阪地検により起訴猶予処分となりました。
謹慎中は、貴乃花親方の指示で、師匠や力士が取る食事を準備するちゃんこ番をして過ごしました。通常、ちゃんこ番は幕下以下の力士が担当します。貴乃花親方は、「初心を忘れるな」という思いを込めて、このように指示しました。
日馬富士による貴ノ岩への暴行事件を巡って、協会と対立が深まり報道も激化する中でのこの事件でしたので、貴乃花親方の気苦労は相当なものだったでしょう。
謹慎中に反省し改心を図る貴ノ富士(貴公俊)は、2018年の7月場所で復帰。謹慎中に幕下へと降格し、西幕下49枚目からのスタートでした。改心した貴ノ富士(貴公俊)は、7月場所で6勝1敗という好成績を収めました。
相撲界のために尽力してきた貴乃花親方でしたが、残念なことに相撲界を離れることとなりました。貴乃花部屋が消滅することとなり、所属する力士たちは千賀ノ浦部屋へ移籍する運びとなりました。
貴ノ岩への暴行事件で、貴乃花親方は相撲協会との関係が悪化していきました。報道も激化する中、重ねて自分の弟子が暴行の加害者となってしまいました。そのことで協会側からもかなりの重圧があったのでしょう。2018年9月25日に、貴乃花親方は日本相撲協会に引退届を提出しました。
貴乃花親方は、貴ノ岩に対する傷害事件での相撲協会の対応などについての告発状を内閣府公益認定等委員会に提出していました。しかし、貴ノ富士(貴公俊)の暴行事件で、告発状の内容は正しいと思いつつも、告発状を取り下げることとなりました。親方自身も降格処分に付されました。
その後、協会側から告発状に関する見解の文書が送られてきました。内容は、「告発状は事実無根な理由に基づいてなされたもの」とされていました。貴乃花親方はこれに反論。記者会見で、協会側はそれを認めないと親方を廃業せざるを得なくなる、などという圧力をかけたのだそうです。結果、親方を引退することとなりました。
貴乃花親方の引退に伴って、貴乃花部屋は消滅することとなりました。貴乃花親方は引退届を提出した際に、同時に貴乃花部屋の全ての力士の所属変更願いを出しました。親方は記者会見で千賀ノ浦親方を後継者に指名。
しかし、書類の不備があり、提出した翌日に貴乃花親方と千賀ノ浦親方が面会。そこで千賀ノ浦親方は、力士の受け入れを承認し、新たな書類が作られました。
相撲協会は、これを受け10月1日に理事会を開催。千賀ノ浦部屋への移籍を承認し、10月2日に、貴乃花部屋に所属する力士は千賀ノ浦親方の下で新たに出発することとなりました。そして、貴乃花部屋も消滅することとなりました。
千賀ノ浦部屋所属となり心機一転、新たなスタートをきった元貴乃花部屋の力士たち。しかし2018年12月5日、今度は貴ノ岩の付け人への暴行が発覚しました。相撲協会の発表によると、忘れ物をした付け人の貴大将が言い訳したことに貴ノ岩が激怒。貴大将の顔面を殴ってしまったのだそうです。
前回は被害者だった貴ノ岩ですが、今回は加害者になってしまったということで厳しい批評を方々から受けました。相撲協会は貴ノ岩を途中休場させ、貴ノ岩は謹慎処分を受けることになりました。
その後、貴ノ岩は責任を取り引退することとなりました。引退届の提出に際して、八角理事長は「本当にいいのか?」と確認しましたが、貴ノ岩の強い意向により引退届を受理しました。元貴乃花親方は、弟子の愚行に「言語道断」と言葉少なめに叱責。あれだけ庇ってきた愛弟子だっただけに、非常に残念な思いだったでしょう。
貴公俊は、2019年から新たな四股名「貴ノ富士」となることがわかりました。自身の暴行事件や、貴乃花部屋の消滅、兄弟子貴ノ岩の暴行・引退と、ゴタゴタが続きました。この改名で心機一転、新たなスタートをはかります。
相撲界では近年、暴力行為が問題となっていました。2007年には、時津風部屋の17歳の新入り力士が集団リンチを受けて、稽古中に死亡するという事件がありました。この暴力事件は世間を驚愕させました。その後、相撲協会は暴力撲滅へ取り組んできました。
その10年後の2017年には、日馬富士による貴ノ岩への暴行。また、貴公俊自身も付け人に対して暴力を振るってしまいました。その後も、貴ノ岩が付け人に暴行し現役を引退するなど、嫌な雰囲気が蔓延していました。
その中で、貴公俊は相撲人生をリセットし新たなスタートを切ろうと、改名するように考えたのだそうです。
「貴ノ富士」は元貴乃花親方につけてもらったそうです。名前は、元関脇の「玉ノ富士」と元横綱でNHKの大相撲解説者の「北の富士勝昭」を参考に命名されました。元貴乃花親方は「名誉ある名前。古き良き伝統を受け継いで欲しい」という思いで、「貴ノ富士」と名付けたそうです。
貴ノ富士(貴公俊)はこの新しい名に、「自分には勿体無いほどとてもいい名前で心強い。引き取ってもらった千賀ノ浦親方や女将さん、また前の師匠や前の女将さんに恩返ししていきたい」と決意を新たにしていました。
度重なる相撲界の暴力沙汰で、自身も暴力を加えてしまいました。貴乃花部屋も消滅するなど残念なことが続きました。これからは新たな場所で、新たな四股名で再起をはかります。元貴乃花親方につけてもらった「貴ノ富士」という名で活躍し、恩を返していけると良いですね。
この記事に関する記事
Copyright© 運営事務局