木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
6/17以降働いていた特別支援学校で長期欠勤の続いた青木万里子さん(47)が東京都国立市の山林で遺体として発見された。
そして、逮捕されたのは夫である青木克人容疑者(51)だった。青木克人容疑者は再婚で8年前に結婚。彼ら夫婦は共通の趣味である山登りを度々するおしどり夫婦と常日頃からとても評判だった。いったい彼の動機とは何だったのか。
6/16、21時、日常的に不眠症だったのか、睡眠導入剤を飲み就寝していた青木克人容疑者。そこに妻から寝入りばなである23:30に起こされてしまった。そこで彼女の発した言葉が青木克人容疑者の殺人の導火線に火をつけた。
「あなたのせいでパソコンが壊れた。110番通報する」
カッとなった青木克人容疑者は妻をハンマーで殴った。それは執拗とも思えるほど何度も何度も殴った。
そして自宅には、広範囲の血痕が広がった。死因は頭部損傷と推定される。頭部には大きな損傷がたくさん見られる。司法解剖の結果30カ所以上に渡って陥没骨折があった。その骨折は大きなものでは9cmにも達していたという。
しかも頭蓋骨内には20個ほどの骨片も見つかっていたようで、青木克人容疑者の殺意が小さいものではなかったことがうかがえる。
殺人を起こしてしまった青木克人容疑者が我に返ったのは一体いつだったのだろうか。そこにあるのは、動かなくなった妻の遺体。我に返った青木克人容疑者がしたこと。それは、痕跡を隠すこと、そして遺体をどこか遠くに運ぶことであった。
遺体を目にしてまず青木克人容疑者がしたこと。それは大量の血液が漏れないようにすること。そのために、青木克人容疑者はさっきまで生きていた妻、万里子さんの頭にポリ袋をかぶせた。そして遺体を運ぶのに手頃な物が見つかった。それはいつも登山で愛用していた寝袋カバーだった。正座のような格好で寝袋カバーに万里子さんを入れ、上からは頑丈な登山用の紐で縛られていた。
6/17、午前2時自宅であるマンションには遺体を置いてはいけないと思ったのか、寝袋カバーに入れられた妻、万里子さんをマンションから車に運ぶ青木克人容疑者の様子が防犯カメラに写っていた。
そして、防犯カメラは遺体となった妻、万里子さんの重みに耐えられなくなったのか一度、床に寝袋カバーを落とす様子も撮影されていた。
事件の発覚は妻、万里子さんが学年主任として働いていた特別支援学校の関係者がまじめな万里子さんが長期休暇をすること、携帯電話に出ないことを不審に思い自宅を訪れたが、応答がなかったことを不審に思ったことから始まった。
そして副校長が7/25に警察に相談をした。
教諭としてまじめに働いていた妻、万里子さんは6/17以降学校を欠勤。メールにて休暇や体調不良を6回も送られてきていたが、そこには既に殺害されていた万里子さんからの連絡ではなく、それは青木克人容疑者による偽装工作だった。
副校長と警察が自宅に訪れたことで妻、万里子さんの不在がばれてしまった。しかし青木克人容疑者は「妻と離婚話でもめていてしばらく自宅に帰ってきていない」と副校長と警察に説明をした。
そして、青木容疑者はまた偽装工作を思い付く。妻、万里子さんの携帯電話から青木克人容疑者にあてて「離婚を親と相談する」「家には帰らない」など2通送っていた。今は亡き妻を装う自分の姿はそれはとても滑稽だったと思われる。
学校から不審に思われていることで青木克人容疑者も焦ったのか、8/2、ようやく行方不明届を警察に届けた。すでに殺害して1か月半になろうとしていた。しかし、それは余りにも青木克人容疑者をクロと断定される遅き届け出となってしまったようだ。
警察による青木克人容疑者への度重なる取り調べの末、8/21ようやく青木克人容疑者は犯行を自供する。殺人前と変わらない日常をひたすら送り続け、フェイスブックのプロフィール写真を更新し大好きだった山登りまでしていた青木克人容疑者の身勝手な日常はここで終わりとなってしまった。
そして犯行を自供した翌日8/22。犯行から約2か月。青木克人容疑者が自供したことによりようやく妻、万里子さんは警察の手により発見された。そこは東京都八王子市内の山林。万里子さんの趣味である山に遺体を遺棄されるという姿は、それは余りにも悲しいものであったであろう。
エリート街道をまっしぐらに進んでいき、万里子さんと再婚を果たし幸せに暮らしていたであろう青木容疑者とは一体どんな人物なのか?
青木 克人(51)
出身は福岡県北九州市。一橋大学卒業後さらに、埼玉大学で博士号取得。
また、気象予報士の資格も取得まであったという。
大学卒業後は、大手コンピューター関連会社を経て、大手信託銀行に就職するも、2月には退職し、フリーの保険調査員に転職。
保険調査会社では、必要な調査がある際に、電話で調査依頼し報告を上げてもらう業務委託契約で事件後も仕事をし、連絡がつかなくなるようなトラブルはなかったと説明している。
フリーの保険調査員となった青木克人容疑者には時間があった。そしてフリーになって2ヶ月後の4月の法政大学の通信教育部にも入学した。そこでは昔から好きだった文学部地理学科にて学んでいたという。
それには、高三になって希望していた大学に親から「就職がないから駄目だ」と言われ
進学先を変えたため一年浪人。そして卒業するまでに留年までしている。
この後悔が青木克人容疑者にはまだあったからだろうか。
夫婦は立川山岳会に所属し、度々二人で山に登ってはそのサイトにもその様子を投稿していた。夫婦二人笑顔の写真もそこにはあった。そして殺害直前の5月にも夫婦は八王子の500m級の低山に登っていた。一ヶ月後の惨劇を誰が予測しただろうか。
事件後も青木克人容疑者はフェイスブックには以前のようにコメントをしたり写真を更新したり、今まで通りなんら変わらない様子を載せていた。そしてな事件後の7月にはなんと2泊3日で北アルプスの保高連峰にも登った様子が更新されていた。
そこには余りにも身勝手な青木克人容疑者の様子が写されている。
妻、万里子さんを殺害後の8月には、同級生との飲み会の席にも行き「親の言う通りに進学した、最近やっとやりたかった勉強ができるようになった」と平然と語っていたという。妻、万里子さんの存在とは青木克人容疑者が勉強をするには邪魔な存在となってしまったのだろうか?
妻亡き後も、妻がそこには居るように話していたかと思うと後に同級生たちはどう思ったのだろう。
万里子さんの働いていた特別支援学校の副校長は、万里子さんのことを「一つ一つの授業を丁寧に行う、向上心のある先生だった」と評していた。そして数々の写真には優しく微笑む万里子さんが映っている。
青木克人容疑者は、妻、万里子さん殺害後の6/18にも八王子の低山に登っている。一体その時の心境はいかなるものだったのか。その時には二人で登っていた様子もきっと思い出していただろう。
青木克人容疑者の高校の同級生だった男性は人柄を「山登りがライフワークの大人しい人間。本当に信じられない」と述べていた。
教師として朝から晩まで働き続ける妻、万里子さん。そして、青木克人容疑者はというと仕事のあるときだけ働き、そのほかの時間は山登りや、大学の勉強に励む。
青木克人容疑者は退職金もありセミリタイアの気分もあったかもしれない。
しかし妻、万里子さんからすると、家事の役割分担や家計費用など不満もあったであろう。
世間ではおしどり夫婦と言われていた青木夫妻。しかし、家の中ではお互いの不満が少しずつオリのようにたまっていったのかもしれない。
それでも「パソコンが壊れた」という一言で、ここまで残酷な殺害をひきおこすことになるとは誰も予測できなかったと思う。
この記事に関する記事
Copyright© 運営事務局
「就寝中にパソコンの故障をめぐって、妻に起こされ口論になった」と青木克人容疑者は供述