木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
2019/01/10 更新
「このハゲー」など、元秘書に暴言を吐き、突如「時の人」となった豊田真由子。実生活では旦那さんや子供がいる身ですが、家庭での豊田真由子はどんな感じなのでしょうか?今回は豊田真由子の旦那さんの詳細や結婚生活、現在の様子などをご紹介いたします。
「このハゲー」など、元秘書に暴言を吐き、突如「時の人」となった豊田真由子。事件後世間から一斉に批判を浴び、彼女の信頼は一夜にして失ってしまいました。
実生活では旦那さんや子供がいる身ですが、家庭での豊田真由子はどんな感じなのでしょうか?同じような振る舞いをしていたのでは、家族があまりに気の毒です。
今回は豊田真由子の旦那さんの詳細や結婚生活、現在の様子などをご紹介いたします。
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名前:豊田真由子(とよたまゆこ)
生年月日:1974年10月10日
出生地:千葉県船橋市
出身校:東京大学法学部卒業、ハーバード大学大学院修了
前職:厚生労働省老健局課長補佐 、元衆議院議員(2期)
所属政党:自由民主党→無所属
趣味:絵画鑑賞、ジョギング、料理
豊田真由子は1974年千葉県で学習塾を経営する両親のもと、3人姉妹の次女として生まれました。桜蔭中学校・高等学校を経て、1993年に難関校東京大学文科一類に入学し、法学部第2類(公法コース)に進みました。
豊田真由子が通った桜蔭中学校・高等学校は東京で女子学院、雙葉と共に「女子御三家」と言われ圧倒的知力、学力を有する生徒を輩出していることで有名です。約四半世紀にわたり東京大学合格者数で全国トップ10入りを記録し、毎年60人前後の合格者を輩出しており、名実ともに「日本一賢い」女子校なのです。
豊田真由子が多感な学生時代を過ごした桜蔭の初代校長は皇室の教育係も務めた女性、後閑キクノで「勤勉・温雅・聡明であれ」との校訓をはじめ、いまある桜蔭の素地を作りあげました。宗教色も一切持たず、豊田真由子も学校の理念に従い皇室の伝統を非常に尊重しているといわれています。
豊田真由子は、1997年東京大学法学部を卒業後厚生省へ入省し、社会・援護局や健康局などで勤務しました。
2000年には、国費留学生として ハーバード大学大学院へ入学してパブリック・ヘルスを学び、2002年に理学の修士号を取得しました。
2007年には、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部に一等書記官として赴任しました。
豊田真由子は厚生労働省を退官後、自民党埼玉県連の公募に合格し、2012年12月の第46回衆議院議員総選挙に埼玉県第4区から自由民主党公認で出馬し初当選を果たしました。
また、2014年第47回衆議院議員総選挙でも他候補を大きく引き離して再選し、第3次安倍第1次改造内閣の内閣府大臣政務官(東京オリンピック・パラリンピック担当)、文部科学大臣政務官、復興大臣政務官に就任しました。
豊田真由子は、旧姓で政治活動をしており、旦那さんとは姓が異なります。
豊田真由子は、「内閣官房企画官」の肩書を持つ7歳年上の霞が関のキャリア官僚の旦那と結婚しました。
豊田真由子の旦那も豊田真由子同様に、愛媛県の名門公立高校から東大に進み、建設省(当時)に入省した勝ち組です。
豊田真由子と旦那さんは、官庁から留学のために派遣されていたハーバード大学大学院のキャンパスで出会い結婚に至りました。
豊田真由子は、2007年に在ジュネーブ国際機関日本政府代表部に一等書記官として赴任していた時期にジュネーブで長男を出産し、その後パリで長女を出産しました。
旦那さんは出張が多く全国を飛び回ることが多いようですが、豊田真由子はそれ以上に忙しく、朝早く出て夜も遅く帰ってくるので、普段は旦那さんや豊田真由子の母、またベビーシッターで子供の面倒を見ているようです。
豊田真由子の子供達はお母さんはお国のために働いているのだと、お母さんの忙しい状況に一定の理解を示し、納得しているといいます。
2017年6月22日発売の『週刊新潮』は、豊田真由子が政策秘書の男性(既に退職。以下「元秘書」)に対して暴言・暴行を行っていたと報じ、元秘書が録音した音声をネット上で公表しました。
暴行・暴言の内容では、車を運転中の元秘書の男性を、後部座席から「お前」と呼び40分近くも罵声を浴びせ、頭や顔を数回殴りけがを負わせたというものです。きっかけは元秘書が支持者に送った47名分のカードの宛先と名前が異なっていたミスが一因で、直接支持者にミスを謝罪しに行く途中で起こったようです。
豊田真由子の事務所では秘書・事務スタッフを合わせて4年半の間に100人近くも退職しており、彼女の気性の激しさが原因だと言われています。
その後元秘書は、豊田から被害を受けた際の音声データ、診断書と共に被害届を埼玉県警に提出しました。(後に刑事処罰を求めない旨の上申書を提出した為、傷害と暴行の嫌疑はあるものの起訴猶予となっています。)
2014年4月17日の春の園遊会に、豊田真由子は夫と共に招待されていましたが、夫ではなく豊田真由子の母親を同伴して入場しようとしたため、宮内庁の職員に制止されました。
豊田真由子は、その場で大声で抗議をし結局制止を振り切ってそのまま母親と入場しました。
その後、宮内庁は衆議院に対しルールの周知徹底を要請しました。
豊田真由子の両親は学習塾を経営していましたが、父親は東京大学卒、母親も東京外国語大学卒という日本屈指の高学歴な夫婦でそんじょそこらの両親とは違ったようです。
父親には豊田真由子と同じく二面性があり生徒の父兄から信頼が厚い一方で、母親には気に入らないことがあるとDV(ドメスティックバイオレンス)を起こしていたようです。
豊田真由子は幼少の頃から父親のそのような光景を目の当たりにしていて、知ってか知らずかいつしか自分も父親のように振舞っていた可能性が高いのです。
豊田真由子の事務所は暴言・暴行の事実を認め謝罪しました。そして元秘書に対する暴言・暴行の責任を取り自民党に離党届を提出し受理されました。
その後豊田真由子は、「心身症」を患いしばらく入院していました。
豊田真由子は暴言・暴行事件を起こし、離党した後現在はどうなっているのでしょうか?精進して政治家としてがんばっているのでしょうか?
2017年10月22日に行われた衆議院選挙で、埼玉4区で3選を目指し無所属で出馬した豊田真由子は2万票強を獲得するも最下位で落選しました。
落選確実の報が伝わると、豊田真由子は埼玉県新座市の事務所に姿を見せ支持者に感謝すると共に、「もう一度やらせて頂きたかった」と涙ながらに会見しました。
豊田真由子は、落選後は仕事の予定もないまま自宅で子供達と一緒に過ごしているそうです。子供達もいつも家にいない母親が毎日いるようになりうれしい反面戸惑っているかもしれません。
落選し政治家への道を絶たれたとはいえ、どんな小さな地元の集まりにも顔を出し、月に150枚以上の直筆バースデーカードを書いたり、集中豪雨の災害時には900軒ほど回って片付けを手伝うなど、再建に向けて積極的に活動しているようです。
世間ではとんでもなく気性の荒い、がさつな女性のイメージが強い豊田真由子ですが、家庭ではそうではなく愛情あふれるお母さんで、旦那さんにとっても彼女は変わらぬ愛するスウィートワイフでした。
憔悴しきった妻に代わり子供をケアし、追いかけまわすマスコミからもかばい誠心誠意で対応する素敵な旦那さんは、これからも一緒に妻が起こした罪の大きさに苛まれながらも彼女を支え続けるのでしょう。
聡明で輝かしい実績もある豊田真由子のことですから、地元の期待もまだまだ大きく政治家としてもう一度カムバックできる日もそう遠くはないのかもしれません。一歩一歩できることから始め、信頼の回復をしていって欲しいと思います。
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