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杉本高文は明石家さんまの本名!意外と知らない杉本高文時代って?

明石家さんまさんの本名が杉本高文だと知っていましたか?この杉本高文という名を姓名判断でみると素晴らしい力が秘められているのです。いつも人を笑わせ、自分も大笑いしているさんまさんですが、その姿からは想像できなような暗く寂しい過去もあったようです。

明石家さんまの本名は杉本高文

「お笑いモンスター」明石家さんまさんは、還暦を迎えたなんて思えないほどパワフルな喋りで好感度も抜群!ずっと「好きな芸能人ランキング」の常連タレントです。テレビやラジオの一線で30年以上活躍し続けています。

「明石家さんま」という名前は、もちろん芸名です。「明石家さんま」という名前のイメージが強すぎるせいか、明石家さんまさんの本名は意外と知られていませんね。明石家さんまさんの本名は「杉本高文」です。

「さんまのまんま」など明石家さんまさん自身が番組構成をしているテレビ番組では、企画者としてエンドロールに明石家さんまさんの本名「杉本高文」が出ています。番組の企画の権利問題が絡む時は、事務所での正式名称である「杉本高文」を使っているようです。

杉本高文を姓名判断してみたら結果は?

姓名判断で「杉本高文」を見てみると、「なるほど!」と思わされる結果が出ていました。画数で見ると「杉本高文」の総画数は26画となり、全体的には「吉」の運勢です。


ただ、「杉本高文」の総格運は波乱万丈な人生を示しており、さまざまな困難や裏切りにあう人生です。ただ、自分自身のパワーや努力で最終的に成功する運勢なのだそうです。

 

他にもいくつか「納得!」と思うような姓名判断の結果がありましたので、ピックアップしてみました。

杉本高文の「杉」+「文」は大吉

杉本高文の「杉」+「文」は11画です。姓名の一番上の字と一番下の字を足した画数を「外格」と呼びます。「外格」の画数で、人間関係や社会運を占うことができます。

杉本高文という名の外格は大吉!人気者になる運勢なのです。周囲の人間から信頼を集め、リーダー格になる人生を歩みます。異性にもモテるので恋愛関係も華やかです。ただ、孤独になる人生運でもあります。

杉本高文の「本」+「高」は大大吉

杉本高文の「本」+「高」は15画です。姓の一番下の字と名の一番上の字を足した画数を「人格」と呼びます。「人格」は、人の名の中心であり主運を表します。

杉本高文という名の人格は大大吉!姓名判断の最大吉数の画数なのです。何をやっても最後には大成功、大勝利をおさめる画数です。まさに、明石家さんまさんに当てはまりますよね。

30歳で早くもお笑いタレントのトップに君臨した明石家さんまさんですが、その強運は名前の持つ運の力もあったのでしょうか。

杉本高文の家庭運は大凶

素晴らしい運を持つ「杉本高文」という名前ですが、家庭運は大凶です。事故や病気のトラブルで家族が苦しんだり、家族がバラバラになってしまうなど家庭にはあまり恵まれないようです。

明石家さんまさんは、大竹しのぶさんとも離婚してしまいましたね。今では離婚ネタとして、かつての結婚時代をを明るく話している明石家さんまさんですが、幼い頃の話題はあまり話していないのにお気づきですか?

明石家さんまさんの過去はかなり悲しい過去で、そのことに触れられないように大竹しのぶさんとの話を積極的にしているという噂もあります。

明石家さんまの杉本高文時代とは?

明石家さんまさんは、1955年7月1日に和歌山県で産まれました。その後、奈良県で育っているので、テレビでは奈良出身だと言うことも多いようです。

父、母、兄との4人家族だった明石家さんまさんですが、明石家さんまさんが3歳の時に母親が病死してしまいます。しばらく父子家庭で育ったあと、小学4年生の時に父親が再婚し、新しい母と母の連れ子である義弟との5人家族になります。

継母に無視され続けた少年時代

まだ、明石家さんまとして芸能界にデビューする前の杉本高文少年は、新しい母親に遠慮があると同時に反発もありました。なぜなら継母は、自分の子どもである義弟ばかりを可愛がる人だったからです。

兄と杉本高文少年がラジオを聴いていると、隣の部屋から「うちの子はこの子だけ」と言う継母の声が聞こえ、二人で泣いたというエピソードもあります。とにかく、継母は兄や杉本高文少年に見向きもしない方であったということです。

しかし、杉本高文少年はなんとか継母を笑わせようとおもしろいことを言い、継母に振り向いてもらいたいと必死で努力します。継母の心を開かせようとする日々は、杉本高文少年のお笑いの才能を鍛える日々でもあり、学校では常に人気者だったそうです。

明石家さんまの弟は19歳で焼死

継母が弟だけを愛するからと、杉本高文少年は弟を恨んだり妬んだりしたかと思いますか?とんでもない!杉本高文少年は新しい兄弟が増えたことを大変喜び、年の離れた弟を「チビ」と呼んで可愛がりました。

弟も兄を慕い、とても仲の良い兄弟だったそうです。しかし、杉本高文少年が明石家さんまさんとして活躍しはじめた時に悲劇がおこります。実家が火事になり、弟は19歳の若さで焼死してしまうのです。

最愛の弟を亡くしたうえに、週刊誌には弟の死を自殺ではないかと書かれ、明石家さんまさんは一時お笑いが出来ないと思い詰めるほど傷心の日々を送ります。

それを救ったのは同期の芸人であるオール巨人さんでした。皆が腫れものに触るように避けていたこの件を「お前んち、兄弟焼いたらしいな」とあえて突っ込むことで、明石家さんまさんも「そや、材木きれたから焼いたんや」と笑いに変えることが出来たそうです。

明石家さんまの兄はバー経営者

明石家さんまさんの兄は今も健在で、「カラオケバーさんま」の経営者です。「さんま」なんて、正に弟の七光りという感じの店名ですね。元々この店は父親がはじめたカラオケバーでしたが、父が亡くなり、兄が店を引き継いでいるそうです。

明石家さんまさんの兄もモテるようで、現在結婚3回目、しかも今の奥さんは30歳近く年下だそうです。競馬が趣味で時々テレビにも出演しています。明石家さんまさんと顔立ちが似ていますよ。

杉本高文から明石家さんまになった由来は?

継母に避けられ続けるという悲しい家庭で過ごした杉本高文少年ですが、学校や近所では人気者でした。そして、高校3年生の時に落語家の2代目笑福亭松之助さんに弟子入りします。

笑福亭松之助さんは初めて会った時から素直な杉本高文少年を気に入り、その日にすぐラジオ局に連れていったということです。

杉本高文の実家は水産加工工場だった

高校を卒業後18歳で、杉本高文少年は正式に笑福亭松之助さんの弟子修行をはじめます。当時、師匠からつけられた芸名は「笑福亭さんま」でした。笑福亭松之助さんは弟子に親の職業から芸名をつけるのが好きで、杉本高文さんの実家がさんまの加工業をしていたことが由来だそうです。

芸名についてはおもしろいエピソードがあります。同期の島田紳助さんの芸名が「紳助」に決まった時、その名じゃ売れないとからかっていたところ、「さんま」という芸名に決まったことで、逆に紳助さんに「こいつ終わったな」と大笑いされたそうです。ちなみに、島田紳助さんの本名は「長谷川公彦」です。

杉本高文から笑福亭さんまへ

「笑福亭さんま」としてデビュー後、さんまさんは入門して半年もたたないうちに京都花月で落語家として初舞台を踏みます。しかし、東京で一旗あげたいと思ったさんまさんは、弟子修行を放り出して当時交際していた女性と東京に逃げてしまいます。

思ったほど東京で上手くいかなかったさんまさんは、また笑福亭松之助さんの元に戻ります。その後、落語家としてよりお笑いタレントに変更したほうがよいとの勧めを受け、1976年1月「11PM」でテレビデビューします。

笑福亭さんまから明石家さんまへ

ブラックデビル

「オレたちひょうきん族」でさんまさんが演じた人気キャラ。最初は高田純次さんが演じてそうです。(さんまさんは第4話から)

お笑いタレントに転向する時、さんまさんは「笑福亭さんま」から「明石家さんま」に芸名を変えます。この時、さんまさんは19歳でした。お笑いタレント「明石家さんま」は、次々にテレビ番組へ出演していきます。

フジテレビの「オレたちひょうきん族」では、ビートたけしさん演じる「タケちゃんマン」の敵役「ブラックデビル」や「アミダババア」などのキャラで人気を確立しました。そして、お笑いタレントとしてだけでなく、俳優業や歌手業でもヒットを連発していきます。

杉本高文はお笑い界の頂上で活躍し続ける

今回は、明石家さんまの本名である杉本高文という名についてご紹介しました。現在の明石家さんまさんの年収は5億円以上と言われ、自社ビルならぬ自宅ビルを1棟所有して住んでいるそうです。しかも、住所は千代田区平河町という一等地!ただ、さんまさんの人気の裏には、人知れず寂しい過去があったのですね。いつもホッとするさんまさんの笑顔は、人生の悲しみや苦しみも知ってこその笑顔のような気がします。

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