明石家さんまと島田紳助の現在の仲は?引退・闇営業でも復帰を応援?
2016/08/26
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明石家さんま(吉本興業)
お笑い芸人/司会者/俳優
1955年7月1日生まれ
奈良県出身
1974年より吉本興業に所属。
1980年代〜現在に至るまで司会業を中心に活躍しています。
芸風にとどまらないアグレッシブさを武器に未だに多くのレギュラー番組を持っており、テレビで姿を見かけない日は少なくありません。
ビートたけしさん・タモリさんと共にお笑い界の『BIG3』の一人と称されています。
島田紳助(吉本興業)
元お笑い芸人/実業家
1956年3月24日生まれ
京都府出身
1974年より吉本興業に所属。
明石家さんまさんにコンビ結成の打診を断られ、その際に紹介された松本竜介さんとともに、1977年に漫才コンビ『紳助・竜介』を結成し、爆発的な人気を誇りました。
1985年に同コンビは解散しますが、その後は司会者業を中心に活動します。
圧倒的な喋りのセンスと司会力を武器に芸能界を登り詰めますが、2011年に暴力団との「黒い交際」を理由に引退しました。
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お笑い界・芸能界の重鎮であり、現在も第一線で活躍を続けている明石家さんまさん。
対して圧倒的な才能を持ちながら、惜しくも2011年に引退してしまった島田紳助さん。
この二人がお互いを認め合う仲であることは良く知られているところです。
同じ吉本興業の同期である明石家さんまさんと島田紳助さん、この二人の仲睦まじくも(?)時代を感じさせるハチャメチャなエピソードをまとめました。
2015年4月25日に放送されたラジオ番組「MBS ヤングタウン土曜日」にて、パーソナリティを務める明石家さんまさんが、若手時代に島田紳助さんと「闇営業」を行っていたことを告白しました。
闇営業とは、所属事務所を介さず個人で営業を行うことで、芸能界では絶対的なタブーとされている行為です。
かの有吉弘行さんも、仕事がない頃、多数の闇営業の勧誘があったとのことです。
「一度スーパーのオープニングの営業があって、俺と紳助が営業行ってたと思うねんけど。紳助が紳竜という漫才組む前は、吉本に内緒の営業に行くんですよ。そりゃ、小遣い欲しいから。会社も仕事くれないし、自分たちも生活していかなアカンから。とにかく5000円、10000円がもう欲しくてたまらない時ですから」と闇営業していたことを告白した。
今では考えられませんが、明石家さんまさんと島田紳助さんが5000円、10000円のためにスーパーの営業に出向いていた過去。下積み時代の貴重なエピソードですね。
1979年、当時24歳の明石家さんまさんが超多忙な日々を送っていた頃のエピソードです。
島田紳助さん、同じく同期であるオール巨人さんと、一人の女性を押し付けあったとか…一体どういうことなんでしょう?
以下、2015年1月18日放送の「なるみ・岡村の過ぎるTV」で語ったエピソードです。
さんまは「日曜の夜しか眠れないのに、おかしい女が必ず6時半にチャイム鳴らしたり、ドアをけったり」と話し、
日曜午後6時半に決まって自宅にやってくる女性ファンがいたことを明かした。
さんまが「なんや、お前」と用件を尋ねると女性は「サザエさん見よ」と答えるそうで、ナイナイ岡村隆史もなるみも爆笑。
さんまは「ドアを開けると怖いから」という理由でドア越しに押し問答し、
「なめてんのか」「だから、サザエさん見よ」というやり取りがあったという。
さんまは「ぱっと現れて帰るから『けむりちゃん』」と呼んでいたことを明かした。
この過剰なおっかけ「けむりちゃん」を明石家さんまが島田紳助に押しつけたというのです。
ある日、また“けむりちゃん”が来たときに、「紳助がおまえのこと好きやって言ってたで」と仲のいい島田紳助さんを“巻き添え”にしたところ、
その女性は本当に紳助さんのところに行って「ファンなんです」と、つきまとった。
紳助さんは、さんまの仕業と気づき「巨人が君のこと好きやって言ってたで」と仲のいいオール巨人を“巻き添え”に。
すると、女性はまたさんまの元に戻ってきたという。
なんという「けむりちゃん」のバイタリティーでしょう。
ついに「けむりちゃん」は、『サザンオールスターズ』の桑田佳祐さんに押しつけられ、サザンのコンサートにまで姿を現したということです。
当時の明石家さんまさんと島田紳助さんがお互いにいたずらしながら、楽しく過ごしていた様子が伝わってくるエピソードですね。
【島田紳助】
芸名が決まる前、候補に挙がっていた中の一つである「紳助」という名前が一番嫌だったという島田紳助さん。
結局師匠である島田洋之介さんの一言で、正式に芸名が【島田紳助】となりました。
【明石家さんま】
実家が水産加工業を営んでいたことから、師匠である笑福亭松之助さんに「笑福亭さんま」と名付けられ、19歳の頃、同じく師匠である笑福亭松之助さんの助言により亭号を「明石家」とし、正式に【明石家さんま】となりました。
お互いに笑い合ったその「芸名」で芸能界の頂点にまで登り詰めていくことになるとは、当時考えもしなかったのではないでしょうか。
現在は見ることが叶わなくなった二人の爆笑トークは必見です!
明石家さんまさんと島田紳助さんのレアなトークです。
気の使わないお二人の仲の良さがひしひしと伝わってきます。
26時間テレビでの、明石家さんま×島田紳助×中居正広のハイテンショントークです。
2011年に暴力団との関係により引退してしまった島田紳助さんですが、引退する際に明石家さんまさんはこんな言葉を残しています。
明石家さんまは紳助の引退に理解を示し、「帰ってきたって良いんですよ」「引退する気持ちは物凄い分かる。疲れてくるんですよ。いろんなことに。僕も何度もやめようと思った」
同期であり、長く同じ戦場で戦ってきた"戦友"だからこそ、共感することもあるのでしょう。
紳助とは同期であり親友の間柄だが、本人から連絡は来ず会社からの報告で引退を知ったと語った。また、一番の友達というイメージであろう自分に記者が詰めかけるだろうと予想していたが、1人たりとも取材が来ず落胆したという。本人は紳助に「やめないでくれ」と泣いたり、面白コメントを残す用意をしていたらしく、記者会見まで開くつもりだった。
あくまで”笑い"に持って行こうとする姿勢。
紳助さんを思うゆえの気遣いにも感じられますね。
明石家さんまさんが現在も現役である一方、島田紳助さんはすでに芸能活動全般から引退しています。
復帰を待望される声も聞かれますが、現在は一般人として、メディアに登場することは皆無です。
友人である明石家さんまさん、後輩の松本人志さんからの復帰エールもあるなか、本人の意思は固いようですね。
若手時代からの戦友ともいうべき二人ですが、また共演が叶う日は来るのでしょうか…
息つく暇もないくらいの二人の爆笑マシンガントークが、いつかまた見れる日を楽しみに待ちましょう!
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