2015/10/08
yt-united
本名 杉本 高文(すぎもと たかふみ)
ニックネーム さんまさん、さんまちゃん、さんちゃん、若、眠らない九官鳥、お笑い怪獣
生年月日 1955年7月1日(60歳)
出身地 奈良県奈良市
血液型 B型
身長 172cm
最終学歴 奈良県立奈良商業高等学校
師匠 2代目笑福亭松之助
出身 吉本興業東京本社
活動時期 1974年 -
同期 関根勤、島田紳助、オール阪神・巨人、桂小枝
配偶者 大竹しのぶ(1988年-1992年)
親族 IMALU、二千翔(にちか)
●過去の代表番組
オレたちひょうきん族
笑っていいとも!
明石家さんちゃんねる
あっぱれさんま大先生
明石家マンション物語
恋のから騒ぎ
さんまのSUPERからくりTV
ほか
●代表的ギャグ
知っとるケー
見っかっちゃった
そんなわけないやろ…ほんまや!
それ、メモしとこ
わたくし、嘘をついておりました
出っ歯
アホちゃいまんねん、パーでんねん!
明石家さんまさんの私生活での趣味は、ゴルフ・テレビでスポーツ観戦・ギャンブル(パチンコや競馬、麻雀)・テニスと多岐にわたる。
酒は好まなく少食であるため60歳になった現在も細身である。
超ヘビースモーカーである。
高校3年で2代目笑福亭松之助に弟子入り。
花月劇場で見た松之助の新作落語が面白かったのが入門の動機だとしている。
松之助に入門の理由を聞かれ「センスがよろしいから」と素直ながら非常に失礼な発言をしたとのこと。
松之助はこれに対し「そら、おおきに」と礼を言ったとのこと。
それでは明石家さんまさんと義母、義弟との関係について紹介していきます。
それでは明石家さんまさんと義母、義弟の関係についてです。
明石家さんまさんは、幼い時期にどうやら悲しい過去があったようです。
幼い頃に現れた義母と義弟との関係とは?
さんまさんが3歳のに実の母親が病に倒れ亡くなり、小学校高学年になったときに父親が再婚して継母ができました。
その継母があまり良い母親ではなくさんまさんをずっと完全に無視してて、まるでさんまさんがそこにいないかのように弟(連れ子)ばかりを可愛がっていたんだそう。
(さんま兄が)小学校高学年の時に父が再婚
さんまには年の離れた弟(故人)ができた。
「中学生くらいの頃は娯楽といえぱ、三枝(文枝)のラジオ『ヤングタウン』でね。
二段ベッドでいつも二人で聞いてたんです。
新しい母には遠慮もしたし、やっぱり反発もあった。
その母が昔、隣の部屋で酒を飲みながら
『うちの子はこの子(弟)だけや……』
って言うのが壁伝いに聞こえてきたんですよ。
二人でよう二段ベッドで泣きましたわ。
せやから高文は酒飲む女の人が苦手なんです。
芸能界行くまではほとんど飲まなかったし、今も本質的に酒は好きじゃないと思います」
明石家さんまさんの底抜けに明るい笑顔からは考えられない過去ですね。
笑わせることができればきっと仲良くなれる、と信じて一生懸命だったんでしょうね。
これまで幼い頃の弟さんとのエピソードはありませんでしたが、明石家さんまさんのコメントからどのような兄弟関係だったのかが垣間見えてきました。
また、弟さんの死について扱っている当時の週刊誌発見しました。
悲しいことで泣くことは2度とない、と言っていた明石家さんまさん。
弟さんの死が一生のうちで一番悲しいことであり、これからもそれは変わらないということですね。
当時の週刊誌は、明石家さんまさんの弟さんの死を、残酷過ぎる内容で載せていました。
「19才の弟は焼死自●だった!?」とのタイトルが…。
この、当時の弟さんに関する週刊誌の内容に対して世間でも批判的な声が。
義母との関係は上手くいかなかった明石家さんまさんですが、明石家さんまさんと弟さんは、とても仲が良い兄弟だったようです。
「ぼくのことを、昔から、すごく尊敬してくれるやつでね。
ぼくがいうことは、すべて正しいと思っていたみたいですよ。
自分にも、それから他人にも、素直に自分をさらけだせるやつでしたね。
ぼくもサッカーやったけど、チビのほうがすごいんですよ。
サッカー部のキャプテンで、インターハイにも出たし、国体選手にも選ばれたしねえ……。
去年の10月、大阪のぼくのマンションに遊びにきたとき、今度のワールド・カップをふたりで一緒に見に行こう。
キップはぼくが買っとくからって、約束しとったのに……。
まだ納得できません、あのチビが死んだなんて……」
慕ってくれていた弟の死。
明石家さんまさんの悲しみがどれほど深かったのか、想像を絶すると思います。
明石家さんまさんがどれだけ弟さんを可愛がっていたのかが分かりますね。
19歳という弟さんの若すぎる死も、追い打ちをかけ、明石家さんまさんを悲しませたことだと思います。
大竹しのぶの話をよくするのは生立ちの話をしないためのバリアみたいなもの。
プライベート話をしてるようでしていないと付き合いの長い浅田美代子が発言していた。
実母の死、義母との不仲、弟さんの若すぎる死…。
一番悲しかったことは弟さんの若すぎる死だったのではないかと思いますが、これだけの壮絶な過去を自分の内にしまっている明石家さんまさん。
大竹しのぶさんの話をすることでボーダーラインを引いて、他人には触れさせないようにしているんですね。
みなさんもご存知の通り、明石家さんまさんと大竹しのぶさんは1988年に結婚されました。
当時明石家さんまさんは初婚、大竹しのぶさんは2度目の結婚で連れ子の二千翔(にちか)さんがいたそうです。
二千翔さんは幼い頃虚弱体質で、喘息でよく入院することもあったとか。
そんな入院中の二千翔さんに明石家さんまさんは「薬なんか飲んだら、身体が弱くなるだけや!おれが治したる!」と、一晩中二千翔さんの手を握っていたことがあるとか。
二千翔さんと幼い頃の自分を重ねて、実の我が子のように可愛がったという明石家さんまさん。
二千翔さんもそんな明石家さんまさんにとても懐いていたといいます。
血縁関係という枠を超え、本物の家族になった明石家さんまさんと二千翔さん。
明石家さんまさんが二千翔さんに注いできた愛情がどれほどのものだったかが伺えますね。
ここまで明石家さんまさんの弟さんや家族との関係を紹介してきましたが、いかがだったでしょうか?
明石家さんまさんの人生がこんなに壮絶であったなんて、テレビで見るあの満面の笑顔からは考えられませんよね。
明石家さんまさんは、弟さんや家族に関する過去を自分の内に隠し、視聴者を笑わせることに真剣に取り組んでいます。
明石家さんまさんは正に笑いのプロフェッショナルです!
明石家さんまさんにこれから先、もっともっと幸多い人生が待っていることを切に願います。
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