岩佐真悠子の結婚相手は?引退した現在は介護施設で働いている?
2023/12/22
大今里
様々な競技で活躍する女性アスリートの中でも特に美人な人を10人厳選してみました!
あなたの好きなアスリートはいるでしょうか?
185cmの長身を生かしてアタックする日本のエースストライカー!
惜しまれながらも2017年に引退されました。
木村沙織さんは1986年8月19日生まれの埼玉県出身です。両親の影響で小学校2年生の時からバレーボールをはじめ、中学校は名門、成徳学園中学校に進学しました。ポジションはセンターとライトを務め、主力選手として全日本中学校バレーボール選手権大会では優勝しました。
高校生になると、ライトで主力選手となり、2003年春高バレーで優勝を収め、成徳の2連覇に貢献し、2004年アテネオリンピック最終予選で全日本代表に招集され、初戦で代表初スタメン出場を果たし、14得点をマークすると、持ち前の性格とあどけない笑顔で「スーパー女子高生」の呼び名でブレイクしました。
一時期はゲガもありましたが、2005年7月開催の女子ジュニア世界選手権U-20では、全試合レギュラー出場し得点王に輝き、復活を遂げました。その後はアジア選手権や世界選手権に出場し、日本の優勝に大きく貢献しました。
そして、2012年ロンドンオリンピックでは、日本女子バレーボール代表28年ぶりの銅メダル獲得の立役者として活躍しました。オリンピック終了後はトルコへ移籍しました。そして2014年日本球界に戻り、日本代表として活躍したのち、2017年、現役を引退されました。
私生活では2016年に元インドアバレー・ビーチバレー選手の日高裕次郎と結婚しています。
女子モーグルの立役者!
オリンピックには五度も出場。
上村愛子さんは、 1979年12月9日生まれの兵庫県出身。育ちは長野県の白馬村であり、幼い頃からアルペンスキーをしていました。モーグルに転身したのは中学二年生の時、でお気に入りのスキー板が盗まれ、代わりの板に上村の実家のペンションの従業員にモーグル用の板を勧められたことがきっかけでした。
そして長野県白馬高等学校に進学し、スキー部に所属。自身2度目となる全日本選手権に参戦し3位入賞を果たし、全日本スキー連盟ナショナルチームメンバーに選抜されました。ワールドカップ最終戦マイリンゲン大会に初出場した際には、高校1年生で3位入賞という快挙を達成しました。
1998年の長野オリンピックでは初出場で7位入賞を果たし、その美貌とともに注目を集めました。それ以降、ソルトレイクシティ五輪6位入賞、トリノ五輪5位入賞、バンクーバーオリンピック4位入賞、ソチオリンピック4位入賞と、5回連続オリンピックに出場し好成績を残しています。
そして、ソチ五輪後の2014年4月1日、女子モーグル選手からの現役引退を表明しました。また、2009年にはアルペンスキー選手の皆川賢太郎と結婚しています。
妹は子役の本田望結ちゃん!
美人すぎると話題の人気フィギュアスケーター。
本田真凛さんは 2001年8月21日生まれの京都府出身。2歳でスケートを始め、他にアイスホッケー、水泳、体操、テニス、ピアノ、絵画教室を掛け持ちしていたという多才ぶりです。姉と兄、二人の妹がおり、3女の本田望結ちゃんは人気子役として活躍しています。
また、望結、紗来と共にオスカープロモーションに所属しており、2017年、妹の望結、紗来とともに、読売新聞のPR活動を担う「読売新聞アンバサダー」の読売新聞担当に就任しました。
2013シーズンより日本スケート連盟のフィギュアスケート強化選手に初めて選ばれました。2015年のアジアフィギア杯ではジュニアクラスに出場し、青木祐奈に次いで2位になり、2016年世界ジュニア選手権ではショート、フリーともに自己ベストを大きく更新し、初出場ながら優勝を達成しました。
平昌オリンピックの代表選考がかかった全日本選手権では、ショートではジャンプにミスが出て6位、フリーでも後半のジャンプにミスが出て9位。トータルでは7位と不本意な成績に終わり、夢のオリンピック選出とはなりませんでした。まだ17歳なので次こそは頑張って欲しいですね。
元タレントの美人ビーチバレー選手!
その笑顔にファンはイチコロ。
坂口佳穂さんは1996年3月25日生まれの宮崎県出身。バレーボールクラブ監督であった父の影響で、小学1年時よりバレーボールを始めました。それから母の進めで中学2年時から4年間芸能活動をしており、「BSブランチ」では「BSブランチガール」を勤めました。
高校ではバレーボールを離れダンス部に所属しましたが、高校3年生の時に観戦したビーチバレーに魅せられ、バレーボール熱が再燃したそうです。
2014年、大学入学とともに川崎ビーチスポーツクラブビーチバレーアカデミー生になり、ビーチバレーをはじめました。翌年に開催されたJVAビーチバレーボールシリーズA志摩大会で国内メジャー大会デビューを果たしました。するとその美貌から”浅尾美和二世”とやばれました。
しかし、本人は「将来、プロ選手になるかどうかは決めていない」と話しています。
様々な大会でメダルを取る美人卓球選手!
世界ランキング3位の実力保持者。
石川佳純さんは1993年2月23日生まれの山口県出身。両親ともに元卓球選手出であったため幼少期から卓球に慣れ親しんでいました。元国体選手の母・久美の指導を受け、練習3ヶ月で全日本選手権バンビの部山口県予選を2位通過し、本選でもベスト64に入る実力でした。
母が指導する「山口ジュニアクラブ」で腕を磨き毎週行われる大会では大人相手に実戦経験を積んでいました。全日本卓球選手権・女子シングルスでは高校生と大学生を破り3回戦進出し、「愛ちゃん2世」として話題になりました。
全日本卓球選手権大会では史上最年少でベスト4入りするなど次々と国内選手権を制覇していき、世界に進出しました。世界ランキング99位で出場した世界卓球選手権ではベスト8入りするなど好成績を残しています。
ロンドンオリンピックに出場すると、シングルスで日本勢男女通じて初めての準決勝進出を達成。メダルには届かなかったものの過去最高の4位に輝きました。そして、福原愛、平野早矢香とともに出場した団体では準決勝でシンガポールを破り、2位となり卓球界初のメダルとなる銀メダルを獲得しました。
東京オリンピックではメダルが期待される選手の一人です。
美人アーティスティックスイミング選手!
シンクロ日本代表にも選ばれる。
青木愛さんは1985年5月11日生まれの京都府出身。8歳からシンクロナイズドスイミングをはじめ、小学4年生の時には国内大会のジュニア五輪で優勝しています。出身大学はびわこ成蹊スポーツ大学であり、女子競輪選手の白井美早子さんとは同じゼミだったそうです。
身長は173cmと高く、長い手足をふんだんに使った技が得意です。
2005年に日本代表に選ばれ世界選手権に出場するも、怪我で出場機会はありませんでした。その翌年にはワールドカップ代表に選ばれ、チーム種目で銀メダル獲得しました。そして、2008年に北京オリンピックに出場し、チーム種目で5位入賞。チーム最年少ながらも入賞に貢献しました。
そして、北京オリンピックを最後に現役引退を表明しました。
現在は京都踏水会で指導を行う傍ら、モデルやタレント、レポーターとして活動しています。
可愛いと話題になったなでしこJAPAN!
現在はシアトルで活動しています。
川澄奈穂美さんは1985年9月23日生まれ神奈川県出身です。3歳上の姉の影響でサッカーを始め、小学2年生のときに地元の少女サッカーチームに入団しました。日本体育大学に進学、4年連続で全日本大学女子サッカー選手権大会に出場し、2004年と2007年で2度優勝を経験しています。
大学卒業後は、INAC神戸レオネッサに入団し、翌年のリーグ戦では21試合で10得点を挙げました。そして、2010年に自身初のなでしこリーグベストイレブンに選出されました。
なでしこJAPANとしては、2011年FIFAワールドカップの準決勝、川澄さんは約30mのロングシュートを蹴りこみ、このゴールはFIFAのゴール・オブ・ザ・デイにも選出されました。そして、決勝戦。アメリカとのPKを制し、見事優勝を果たしました。男女通じて日本初の世界大会優勝でした。
試合後に川澄さんは「まだ夢を見ているみたい」「楽しい大会だった」とコメントしています。
元美人新体操選手!
ベストドレッサー賞も受賞。
畠山愛理さんは1994年8月16日生まれの東京都出身。6歳の時にリボンの美しさに憧れ新体操を始めました。当時は体がとても硬く、開脚は90度、前屈は手が足に届かないくらいでしたが1年かけて180度まで開脚出来るようになったそうです。
12歳の時、全国大会で6位入賞しました。中学3年生の時、フェアリージャパンオーディションに合格し、新体操日本ナショナル選抜団体チーム入り。オーディション合格のわずか3日後にはロシア合宿に参加しました。
2012年にはロンドンオリンピック出場を果たし、2013年にはフェアリージャパンの主将に抜擢されました。
また、その美貌からミス日本コンテストにおいて著名女性に対して贈呈する特別表彰の「和田静郎特別顕彰ミス日本」や、ベストドレッサー賞を受賞しています。
いかがでしたでしょうか。あなたの好きなアスリートはいましたか?
可愛いだけでも十分なのにさらにスポーツもできるなんてすごいですよね!
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