兄・哲也さんの知り合いが営んでいた不動産屋に手伝いに行った渡瀬恒彦さんは、そこにたまたま居合わせた東映社員から「俳優にならないか?」とスカウトされます。この時既に兄・哲也さんは日活の看板俳優として活躍していました。 渡瀬さんは悩みましたが当時の東映企画製作本部長であった岡田茂氏に会って俳優に転向することを決心!当初は高倉健さんを意識した芸名「大倉純」を命名されますが気に入らなかったようで本名の「渡瀬恒彦」として1970年に映画「殺し屋人別帳」でデビューします。

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