ウルトラのマン母ってどんな人?ウルトラマンの母の謎にせまる!
2015/10/09
milmil
名前 遠野なぎこ (以前の芸名は遠野凪子)
生年月日 1979年11月22日(36歳)
血液型 O型
出身地 神奈川県川崎市
1991年、テレビ朝日『鳥人戦隊ジェットマン』に本名の「青木秋美」名でゲスト出演し、デビュー。
1995年、NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』、TBS『未成年』に出演。
1999年、NHK朝の連続テレビ小説『すずらん』でヒロイン・常盤萌を演じる。
2002年、映画『海は見ていた』の遊女役で初ヌードを披露。
2010年5月15日、芸名を「遠野なぎこ」に改名したことを公式ブログで発表。
【主な作品】
遠野なぎこさんは1991年、『鳥人戦隊ジェットマン』でデビュー。まだ幼さが残っていますね。
私が遠野なぎこさんを知ったのは、TBS系列ドラマ『未成年』でした。
ドラマ、未成年でいしだ壱成が演じる・戸川博人(ヒロ)に片思いする女性高校生・安西加代子(カー子)の役だった。
1999年にはNHK朝のテレビ小説すずらんでヒロインに抜擢
NKH朝のテレビ小説でヒロイン抜擢される遠野なぎこさん。
遠野なぎこさんは、NHK朝のテレビ小説すずらんにヒロインとして抜擢され、その後一気に女優としての知名度が高くなってきました。
遠野なぎこさんを調べると、幼いころ自身の母から壮絶な虐待を受けていたと告白されています。
詳しく母親のことを調べてみました。
遠野なぎこさんは4人兄弟の長女として生まれ、近所では小さい頃から美女で有名だったそうです。
そのため6歳の頃から芸能活動をしていました。
遠野なぎこさんのは母、それだけ遠野なぎこさんに期待するあまり、かなり厳しいしつけをしていたとか・・。
それがどのように虐待になっていくのでしょう・・。
毎日母親の機嫌を見ながら生きていた遠野なぎこさん。
母親の厳しさから自然とそうなっていくんでしょうね。
実は十のなぎこさん本人は、小学生の頃学校でいじめにあっていたことを自身で告白しています。
学校に行きたくない遠野なぎこさんは、母親に黙って学校へ行くフリをするのです。
学校を休んでもいじめは続きました。
母親にも誰にも言えない・・。
役を演じきることで遠野なぎこは現実逃避できたのです。
厳しい母親には、良い子に見られたい・・。その現実とは裏腹に遠野なぎこは精神的にも自分に追い込んでいくことになります。
そして女優引退・・。
遠野なぎこは、15歳でドラマ、「未成年」に出演した後気持ちのコントロールが上手くできないという理由で一度女優を引退しています。
幼いころから母親の期待に応えようとするあまり、母親の厳しさ、いつまでも自分を認めてもらえない葛藤があったのかもしれませんね。
その後1999年に遠野なぎこさんはドラマ「すずらん」で女優復帰をします。
と同時に幼いころの記憶がよみがえります。
遠野なぎこは母親に誰よりも認められたかった。
常に厳しい遠野なぎこの母は、娘に強く期待するあまり、いつの間にか娘と母親の関係が崩れてしまっていた。
そう思った遠野なぎこ自身が決断したこと、それは母との決別であったのです。
遠野なぎこの母は、自身が18歳のときに遠野なぎこを出産しています。
秋美というのは、遠野なぎこさんの本名です。
遠野なぎこさんの母親は、女優になりたいという夢がありました。
18歳で遠野なぎこを妊娠、そして19歳で出産。
自分の夢を娘に託すと同時に、それは母親自身が自分の夢を諦めたということ。
それが自然と虐待に繋がっていってしまったのかもしれませんね。
遠野なぎこさんの母親が焼身自殺をしたと報道があったそうです。
ですがこのことを遠野なぎこさんはブログで否定しています。
本当に毒親やな…。
実の親子だから、絶縁しても一生ついて回るよね。
焼身自殺なんかされたら、酷い鬱になるわ。
私も毒親持ちだから、痛いほど気持ちが分かって辛い。
いかがでしたか?
遠野なぎこさん、母親から愛情を受けてこなかったと自身で言ってますね。
きっと母親も、強く遠野なぎこさんに期待しすぎていたのでしょう。
自身も女優になりたかった夢を諦めた母。
それが母娘を引き裂くきっかけとなっていったのかもしれませんね。
これからの遠野なぎこさんの活躍にも注目していきたいと思います。
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