2016/08/27
ががさま
生年月日 : 1972年3月4日(43歳)
本名 : 山元 寛之
襲名歴 : 1. 片岡千代丸
2. 六代目片岡愛之助
別名 : 三代目楳茂都扇性(楳茂都流四世家元)
出身地 : 大阪府堺市
2011年にこの事実が発覚し、愛之助さんも会見にて「おおむね事実でございます」と認めました。子供が生まれて数ヶ月は一緒に暮らしていたようですが「もう何年も会っていない」と語りました
愛之助さんはドラマ半沢直樹で一気にその知名度を上げました。
その前から忙しい毎日を過ごされていたようですが、愛之助さんはもともと歌舞伎役者の家に生まれたわけではなく、一般家庭から養子へ行ったのだそうです。
だからこそ愛之助さんは熊切あさ美さんとの結婚も、養父やご贔屓筋の意向を無視できなかったのかもしれませんね。
愛之助さんの元彼女である熊切あさ美さんですが、愛之助さんとの交際報道が出るまであまり名前を知られている人ではなかったようです。
そんな熊切あさ美さんが愛之助さんのお相手だったからこそ、愛之助さんのご贔屓筋の方々は熊切あさ美さんを愛之助さんのお相手として認めなかったのかもしれませんね。
2012年夏、映画「歌舞伎町はいすくーる」撮影での共演で意気投合し、交際に発展。10月には熊切あさ美は母親とともに片岡愛之助の舞台を観劇し、楽屋を訪れたことをツーショット写真を付けてブログで紹介していた
愛之助さんと熊切あさ美さんの熱愛報道には、やめておけという意見も多くネットでは聞かれたようです。
しかし、熱愛報道が出た頃の愛之助さんにはそんなネットの噂なんて耳には入らなかったでしょうね。
「実はセブンも、熊切と愛之助さんが切れていないことをキャッチしていたそうですが、業界の上のほうから『2人はすでに別れていることにしてくれ』と“神のお告げ”があったようです(笑)。実際は愛之助さんの浮気、二股です」
「交際当初から梨園で逆風が吹き荒れていましたが、それでもじっと我慢して、愛之助さんを支えてきた。仕事をセーブしてまで、彼の身の回りの世話を献身的に行ってきた。それほど彼に“賭けていた”部分はある。ショックは大きいだろう」とは彼女を知る人物。
愛之助さんのことを信じて待つ熊切あさ美さんに青天の霹靂とも呼べる事態が!
なんと愛之助さんと紀香さんの密会報道です。
それを知ったときの熊切あさ美さんはどんな気持ちだったでしょうか。
それでも愛之助さんは熊切あさ美さんのところに戻ってくると熊切あさ美さんは信じていることができたのでしょうか。
愛之助は熊切に電話で別れを告げたと報じられており、坂上は「電話で別れ話したんでしょ。それなら空気読めよって話」とコメント。「別れるんだったら会って言うだろうって。それは自分の勝手な都合」と意見した
テレビ番組『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系)に出演し、「(愛之助と)別れ話になったことはない」「(同棲しているマンションに愛之助の荷物が)あるから、出て行ったと思っていない」などと破局を否定
熊切あさ美さんの号泣会見は世間の人たちをドン引きさせました。
いい年した大人が別れた別れてないというのを公共の電波を使って訴えた熊切あさ美さんの姿は確かにみっともないものでしたね。
「(熊切とは)3月に別れました。原因は、彼女は結婚したと思っていたが、(自分の)ご贔屓筋は結婚はまだ、早い、と。(彼女の)年齢を考えたらこれ以上ひっぱったらかわいそう、と思い、別れを切り出した」と説明
「彼は『ずっと彼女が怖かった』と言っていました。熊切さんは恋愛にのめり込んでしまうタイプなので『もし関係をこじらせてしまったら彼女が何をするか予想もできない』と考え、言葉を選んだつもりだったようです。まさに危惧していた通りになったわけです」
熊切あさ美さんの号泣会見を知った愛之助さんは憤慨したようです。
確かにあんな形で世間に暴露されては愛之助さんが怒るのも仕方ないですよね。
熊切あさ美さんの別れたくないという気持ちはわからなくもありませんが、熊切あさ美さんの行動は決して理解を得られるものではないです。
先日、愛之助さんが紀香さんと結婚するとの報道が出ました。
熊切あさ美さんとの結婚には大反対していたご贔屓筋も紀香さんとの結婚には賛成だったようです。
やはり熊切あさ美さんとは違い人道支援活動などにも積極的な紀香さんなら梨園の妻にふさわしいと見られたのかもしれませんね。
いかがでしたか。
熊切あさ美さんと愛之助さんについてまとめてみました。
長く交際していた熊切あさ美さんとは結婚には踏み切れなかった愛之助さんですが、紀香さんとの結婚は早々に決められましたね。
これからは紀香さんと幸せな生活を築いていってもらいたいものです。
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