岡田有希子は舘ひろしの子供を妊娠していた?!枕営業の噂って本当?
2016/08/02
セラフィム
岡田有希子(おかだゆきこ)
出生名:佐藤 佳代(さとう かよ)
生年月日:1967年8月22日
出身地:愛知県名古屋市熱田区
死没:1986年4月8日(満18歳没)
死没地:東京都新宿区四谷
学歴:名古屋市立向陽高等学校 - 堀越高等学校卒業
愛称:ユッコ
身長:155cm
血液型:O型
1980年代中期に活動したアイドル歌手のひとりであり、1985年に歌手業を一時休止した「ポスト松田聖子」としても期待されていたが、1986年(昭和61年)に投身自殺した。
松田聖子に次ぐ次のアイドル歌手として期待や注目されていた岡田有希子さん。デビュー当時からとても可愛い女のコでしたね。
中学3年生の1982年10月、両親に内緒でオーディション番組『スター誕生!』の名古屋地区予選に出場。北原佐和子の『マイ・ボーイフレンド』を歌い、決戦大会への切符を掴む。しかし両親と担任教諭に大反対されハンストを起こした結果、母親が芸能界入りの条件として「学内テストで学年1位になること・中部統一模擬試験で学内5位以内に入ること・第一志望の向陽高校に合格すること」という、クリア不可能と思われる3つを提示する。しかし彼女はそれらの条件を全てクリアし、決選大会への出場を許可される。
中学3年生の時に、スター誕生の地区予選に出場し、決勝への切符をつかむものの、両親が反対。決勝に出場するためにと厳しい条件がつけられたのにも関わらず全てクリアした岡田有希子さん。
本当に頑張り屋さんですよね。
1983年(昭和58年)3月30日、『スター誕生!』の第46回決戦大会で中森明菜の『スローモーション』を歌い、チャンピオンとなった。その後、サンミュージックにスカウトされ、同プロダクションに所属が決まる。
『ファースト・デイト』で歌手デビューを果たす[12]。キャッチフレーズは「いつまでも、一緒にいてね。」「ステキの国からやって来たリトル・プリンセス」。
山口百恵さんや松田聖子さんというトップスターが所属していたサンミュージックへの所属が決まった岡田有希子さん。その後、ポスト松田聖子として期待されていくのですが・・・。
| |
コンサートがスタートして3日後の4月8日、自宅マンションでリストカットを行いガス自殺未遂。2階上のマンション住民がガス臭に気づき、管理人が110番通報した。現場から程近い北青山病院にて治療直後の12時15分、所属事務所・サンミュージックが入居しているビル(東京都新宿区四谷)の屋上から飛び降り自殺。全身強打で即死した。18歳没。
同日夜、真成院(四谷霊廟、同新宿区)で親族のみによる仮通夜。4月9日、太宗寺(同新宿区)で通夜。4月10日、宝仙寺(同中野区)でサンミュージック主催による葬儀・告別式が営まれ、代々幡斎場(同渋谷区)で火葬された。地元の名古屋でも、4月11日に東本願寺名古屋別院(名古屋市中区)、4月15日に観聴寺(同熱田区)で告別式が行われた。
岡田有希子さんが投身自殺。ニュースで流れた時には本当に驚いたのを覚えています。
しかし、投身自殺する前に自殺未遂していたんですね・・・・・。
そんなに精神的に追い詰められていたのかと思うと心が苦しくなりますね。
岡田有希子さんに何があったのかは、色々な噂となって蔓延しましたが、その中のひとつに妊娠していたのでは?という説がありました。気になりますね・・
4月8日、現場に駆けつけた報知新聞記者・細貝武と芸能リポーター・梨元勝の取材に対し、サンミュージック専務・福田時雄は「岡田が何に悩んでいたかは分からない。でも、躁鬱の激しい子だった。」と答えている。その模様は同日、『酒井広のうわさのスタジオ』で放送された。
同日夜に放送された『ニュースステーション』(テレビ朝日系列)では、岡田の死については一切触れず、番組終了時にメインキャスターの久米宏が「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」とコメントしている。
岡田がレギュラー出演していた『ヤンヤン歌うスタジオ』(テレビ東京)では、4月13日放送分の追悼特集が4月8日14時に収録され、司会のあのねのねが岡田の人柄について語っている。また4月20日放送分(4月15日収録)では、共演していた近藤真彦 と中森明菜も同席し、近藤は視聴者に対して自殺を思いとどまるよう訴えている。中森は涙をこらえ、無言だった。
同じく4月20日放送の『歌謡ドッキリ大放送』(テレビ朝日)では、収録の4月4日に岡田が出演している(これが最期のテレビ出演だった)ため、収録日と哀悼の意を表すテロップが表示された。
岡田有希子さんが自殺し亡くなった後、出演していたテレビ番組やニュース番組などで追悼されていましたが・・・自殺という形での亡くなりかただったため、何ともいえない感じでしたね。
岡田有希子さんが自殺した後を追うように自殺が相次ぎ、国会でも取り上げるほど社会問題となりました。
『花のイマージュ』は13年後の1999年、CDアルバム『メモリアルBOX』に収録、販売された。その一方、コンサート映像は2015年3月現在も商品化されていない。
岡田のプロマイド売り上げランキングは上位5位から落ちたことがなく、プロマイド販売で知られるマルベル堂の常務・三ツ沢博は「第二の赤木圭一郎になるだろう」とコメントしている。
1987年(昭和62年)7月、相澤秀禎により墓の隣に石碑が建てられた。そこには岡田有希子の直筆で書かれた詩(題名:プライベートタイム)、芸歴・受賞歴が刻まれている。ファンからの献花が絶えることはなく、2006年(平成18年)からは祥月命日に、成満寺住職によるファンに対しての法話が行われている。岡田が倒れていた現場は花壇が以前から存在し、祥月命日にはやはり故人を偲んで黙祷が行われている。
岡田有希子さんの死後、何年たってもファンからの献花が耐えることなく、現在ではそんなファンに対して法話が行われているようです。岡田有希子さんの死はそれだけ衝撃的だったということですね。
相手の男性の名前(=峰岸徹)はもちろんのこと、彼女が峰岸を思い、そのことがうれしくて、喜ぶさま。一方で、その恋は成就することがないと判断し、真綿でクビを絞められるような苦しみが克明に綴られていたという。
「有希子は峰岸さんに恋焦がれて、プラトニックな愛を持ち続けて、自殺したんです」(相澤氏)
峰岸さんは、岡田の自殺の真相を知って「正直、ものすごくショックです。僕は兄貴のつもりでいたんですが、彼女はそれ以上のプラスアルファがあったのかもしれない。それが愛だったら、責任を感じます」とコメントした。
岡田有希子さんは、ドラマで共演した峰岸徹さんのことを思い・・辛くなり・・自殺してしまったと言われています。そして、妊娠説は、峰岸徹さんとの?という噂も。しかし、それ以外の憶測も飛び交っていることをしりました・・・。岡田有希子さんは本当に妊娠していたのでしょうか。そして妊娠へと至った相手は誰なのでしょうか。
峰岸徹さん
「岡田はTBSドラマ『禁じられたマリコ』で共演した、かなり年上の俳優の峰岸徹に弄ばれたとか、彼の子供を妊娠したとか、それらが自殺の原因かのような無責任な憶測や噂が飛び交ったんです」(当時を知るワイドショー関係者) 当時、筆者も取材に飛び回った。だが、筆者の目に入ってきたのは、離婚していた峰岸さんが、引き取った子どもを溺愛し、かわいがる姿だった。その姿から、彼は女を弄ぶタイプのような無責任な男ではないと確信した。その確信は、岡田の"芸能界の育ての親"と言われているサンミュージックの相澤秀禎社長(現・会長)の取材で、揺ぎないものになった。
報道されている峰岸徹さんと岡田有希子さんの関係とは、程遠い実生活の峰岸徹さんの様子。本当に兄貴分として岡田有希子さんと接していたのだろうなということがわかります。
では、岡田有希子さんとお付き合いし、妊娠説まで浮上した相手は誰なのか・・気になりますね。
「岡田有希子(享年18)は実は神田正輝(当時35)と交際していて妊娠していたにもかかわらず、事務所の先輩・松田聖子(当時24)を愛人にしていた石原裕次郎(当時51)の意向で玉突き的に神田と別れさせられ、峰岸徹(当時42)が当て馬にされた」というもの。
岡田有希子さんが本当に付き合っていて、妊娠していたのではと言われている相手は、なんと神田正輝さんだったようです。 岡田有希子さんを自殺へと結果的に導いてしまったのは、石原裕次郎さんなのではという説も浮上。 本当のような・・・嘘のような・・・真相は謎のままの噂です。
神田正輝さん
岡田有希子の遺体は四谷署に搬送されて、目視で検視されたが、死因と死の状況が明らかなので、司法解剖はされなかった。従って、岡田有希子が実は妊娠していた、解剖の結果確認された、というのは大ウソである。
飛び降り自殺した岡田有希子さんは、司法解剖されることはありませんでした。
死因や死の状況が明らかということが、司法解剖されない理由だったようです。
岡田有希子さんが妊娠していたのでは・・という噂は、司法解剖の結果「妊娠が判明!」というある一部の報道とは違ったようです。
実際に妊娠していたのかどうかは、本人とその相手、そして当時の相澤会長にしかわからなかったのかもしれませんね。
サンミュージックの相澤秀禎会長が逝去したことで、「永遠に謎になってしまった」とささやかれる話がある。1986年4月8日に飛び降り自殺した岡田有希子さんの死を決断させたとされる“交際相手”だ。
相澤会長に生前、何度か取材した週刊誌記者によると「当時、岡田さんには家族にも見せていない日記のようなノートが残されていて、そこには死に至った交際相手について赤裸々に綴られていたという話があり、長くその相手の名前だけでも聞かせてもらえないかとうかがっていた」という。
あるときは酒の席で相澤会長に突っ込んだが「どんなに酔っていても、その話になると『その話はやめてくれ』の一点張りで、教えてもらえなかった」という。
「でも、当時取材した芸能リポーター(故人)からは、日記自体の存在を会長が認めた話も聞きましたし、日記の最期の言葉が“さようなら”だったということも分かっています」(同)
岡田さんの自殺でこれまで取り沙汰されたのは、俳優・峰岸徹との関係だが、峰岸本人は記者会見を開いてまで「岡田さんと交際していた事実はない」と否定。記者間では「峰岸さんが誰かをかばっているのではないか」という説もあった。
峰岸徹さんは、岡田有希子さんとの関係を完全に否定するものの、誰かをかばっていたのではと言われていました。そのかばっていた相手が神田正輝さんや石原裕次郎さんだったとしたら・・・。
岡田有希子さんが自殺する前に、神田正輝さんと松田聖子さんが結婚、妊娠を発表しています。
自分自身も妊娠しているのに、どうして・・・そんな思いが自殺へと決断してしまったのかは、やっぱり謎ですね。
「峰岸説が消えたわけではないんですが、一部記者がつかんだところでは神田正輝という話もありました。女好きの神田が松田聖子と婚約、岡田さんが自殺したのは聖子の妊娠発表直後のことで、石原プロが神田の醜聞を避けて峰岸のウワサを立てたという説。その真偽はともかく、相澤会長が当時のことは一切語りたがらないので、何かあったのは間違いないんでしょう」
こう話す記者の取材では、当時の岡田は「くちびるNetwork」などの大ヒットで人気は絶頂だったが、酒井法子ら続々と後輩のデビューがあって、将来の路線について悩んでいたとの関係者証言もあったという。
岡田有希子さんの所属事務所の社長が、一切のことを語りたがらないのにはそれ相応の理由があったのではと言われています。そうなればなるほど、やっぱり岡田有希子さんの相手は神田正輝さんだったのでは・・・。そして妊娠していたのではと疑惑の目で見てしまいますね。
妊娠していたのだったとしたら・・やっぱり精神的に不安定になってしまうのも理解できますね。
「岡田さんは学生時代、芸能界デビューを両親に説得するためにトップの成績を取ったほどの努力家。生真面目な性格なので、必要以上に悩んだことは想像に難くない。こういう臆測を解き明かすのはやはり、その日記……」
長く日記が相澤会長の保管する金庫の中にあるともいわれてきたのは有名な話。事務所関係者も以前「会長がデビュー当初のアイドルを自宅に下宿させる習わしがあったり、私生活の半分は会長がじかに見てあげていた」という話を明かしていた。
それだけに、相澤会長が岡田さん自殺の真相を知っていたという見方は根強い。芸能マスコミとしてはそれを探りたいところだが「それでも最期まで秘密を守り通したんですから、ある意味、タレント事務所としてはお手本といえる姿でもあります」と記者。
そんな生前の頼れる姿があったからか、28日の通夜には数多くの元アイドルたちが涙を流しながら参列していた。
岡田有希子さんの死、そして自殺の理由、妊娠していたかどうかなど当時の情報を集めてみましたが、どこまでが憶測や噂で、どこからが真相なのかがわかりません。
岡田有希子さんは誰を愛して、そして本当に妊娠していたのか・・
きっと誰にも相談することができなかったのでしょうね。
妊娠すると女性は不安定な状態になる人も多いので、もしかするとそれで死を選んでしまったのかもしれませんが、全ての真相を知っているであろう相澤会長が亡くなられた今、妊娠を含めたその真相は封印されてしまいました。
| |
この記事に関する記事
キーワードから記事を探す
Copyright© 運営事務局