2016/08/16
sakurayuzu
こちらが、18歳という若さで飛び降り自殺をした岡田有希子さんです。
松田聖子さんと同じサンミュージックの相沢秀禎会長の自宅で下宿をしていました。
岡田 有希子
本名 佐藤 佳代(さとう かよ)
生年月日 1967年8月22日
出身地 愛知県名古屋市熱田区
死没 1986年4月8日(満18歳没) 東京都新宿区四谷
学歴 名古屋市立向陽高等学校 - 堀越高等学校卒業
職業 歌手 女優
活動期間 1983年 - 1986年
レーベル キャニオンレコード
事務所 サンミュージック
人気絶頂だった岡田有希子さんの突然の自殺は、大勢の人達を驚かせました。
その驚いた人達の中に、相沢秀禎会長もいました。
岡田有希子さんが鬱を患っていたという事実はなく、病気が原因ではないために、様々な憶測が飛び交いました。
こちらが松田聖子さんです。
岡田有希子さんと同じく、相沢秀禎会長の自宅で下宿をしていました。
当時、後輩には、岡田有希子さんの他に、酒井法子さんがいました。
松田聖子
本名 蒲池 法子(かまち のりこ)
生年月日 1962年3月10日(53歳)
出身地 福岡県久留米市
学歴 堀越高等学校卒業
職業 シンガーソングライター 女優
活動期間 1979年 -
松田聖子さんは男関係が奔放で、相沢秀禎会長を悩ませたようです。
松田聖子さんの男関係の噂で最も驚かされるのは、石原裕次郎さんとの関係でしょうか。
嘘か本当かはわかりませんが、芸能界でこのことを口に出すのはタブーとされているようです。
岡田有希子さんや松田聖子さんが、自分のところのタレントだからと言って、相沢秀禎会長が自宅に下宿させてまで面倒を見るというのは、なかなかできることではないのではないでしょうか。
岡田有希子さんや松田聖子さんは、そんな会長のことを、どう思っていたのでしょうね。
「サンミュージックプロダクション」の相沢秀禎会長が亡くなった。享年83。私は会ったことはないが、なかなかの人情家であったと聞く。桜田淳子、松田聖子、岡田有希子、酒井法子などの育ての親として知られる。自分のところのタレントを自宅に下宿させることでも有名だった。相沢さんの盟友、福田時雄さん(現・サンミュージック名誉顧問)がこう語る。
岡田有希子さんや松田聖子さんを下宿させ、手元に置いて育てたのには、きっとわけがあるのではないでしょうか。
岡田有希子さんや松田聖子さんを、とても大事に思っていたから、相沢秀禎会長自ら面倒を見たかったのかもしれませんね。
岡田有希子さんや松田聖子さんを、自分の娘のように育ててきたという相沢秀禎会長。
ということは、岡田有希子さんや松田聖子さんにとって、会長は父親のような存在だったのではないでしょうか。
「相沢が下宿生活させたのは、一つは親御さんを安心させるため。一緒にご飯を食べ、悩みなどを聞き、精神薫陶を授けて育てるのが彼のやり方です。今とは違って、 1970年~80年代は一つの芸能事務所からデビューするタレントは1人や2人。だから下宿させることもできた。女性アイドルは、自分の娘のように育ててきました」
人気絶頂だった岡田有希子さんや松田聖子さんに、時に厳しく接していたかもしれませんよね。
そんな父親のような会長のことを、岡田有希子さんや松田聖子さんは、どのように思っていたのでしょう。
松田聖子さんが男関係が奔放だったと言われるのは、性格的に、どんな男性とも気軽に話せるところが松田聖子さんにはあるので、すぐにお近づきになってしまうからなのではないでしょうか。
だが、この人ほど所属タレントに苦しめられてきた人もいない。松田聖子は男関係が奔放で、何度も尻ぬぐいをしてやっているのに、突然、独立すると言い出す。いちばん惚れ込んだ聖子に離れられ、相沢さんは福田さんの前で泣いたという。
確かに、松田聖子さんには男女関係の噂があって、枕営業の話まで出てくることがあります。
どれも噂にしか過ぎないのかと思っていましたが、相沢秀禎会長が松田聖子さんの男関係の尻拭いをしていたところを見ると、あながち間違った噂ばかりではないのかもしれません。
それだけ会長の世話になっていた松田聖子さんなのに、なぜ、突然独立すると言い出したのでしょう。
男関係のことで、会長からきつく叱られて、窮屈な思いでもしていたのでしょうか。
岡田有希子さんは松田聖子さんの後輩なので、岡田有希子さんが突然自殺をした時、松田聖子さんもびっくりしたでしょうね。
岡田有希子さんを手塩にかけて育ててきた相沢秀禎会長のショックを考えると、いたたまれなくなります。
中でも岡田有希子の自殺は相沢さんにとって痛恨事であったろう。18歳の若さだった。自殺の原因は年上の俳優に惚れて、それが叶わなかったためといわれている。芸能ジャーナリストの本多圭氏はこういう。
この岡田有希子さんの自殺の原因を当時聞いた時、相手の男性に対して、すごく腹が立ったのを覚えています。
当時、岡田有希子さんの自殺の原因は、この峰岸徹さんにあると、マスコミも決め付けていました。
「相沢さんは、当初、岡田さんの自殺について『自殺未遂して僕に何か言われると思い、突発的に飛び降りたと思った』と言っていた。が、その後、自殺の原因と思われることが書かれてあったノートが見つかった。そこには、はっきりと峰岸徹の名前が書いてあり、彼に対する恋心と、いくら想っても叶わぬもどかしさで、まるで真綿で首を絞められるような苦しみが綴られていたそうです。相沢さんは、それを読んで自殺は突発的なものではなく、思い詰めた末の行動だと分かったそうです」
ところが、今、当時の岡田有希子さんの自殺の原因をもう一度見直してみると、岡田有希子さんは自殺ではなく、他殺だと主張する投稿があったり、岡田有希子さんの相手は、峰岸徹さんではなく、舘ひろしさんだと言われていたり、岡田有希子さんは自殺した当時、その舘ひろしさんの子供を妊娠していたという説まで出てきています。
今となっては、真実は闇の中ですが。
果たして、岡田有希子さんは、本当に峰岸徹さんと交際していたのでしょうか。
当時、峰岸は売れっ子の俳優で42歳。婚約者がいた。24歳も年下の岡田とは、ドラマ「禁じられたマリコ」 (85年11月から86年1月放送)で共演したのをきっかけに交際していたと報じられた。
岡田有希子さんの自殺の原因は、相沢秀禎会長が言っていた通りだったのでしょうか。
峰岸徹さんが言うように、岡田有希子さんの交際相手は、峰岸徹さんではなかったのかもしれません。
ただ、岡田有希子さんが、峰岸徹さんのことを好きだった可能性は否定できませんよね。
峰岸徹さんが岡田有希子さんの気持ちに気づけなかっただけで。
峰岸徹さんに、交際は否定されてしまいましたが、死を選んだ岡田有希子さんが、心安らかに永眠できますように、心からお祈り致しております。
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