【錦織圭】カメラにサインがカッコイイと評判!でもレンズは大丈夫?
2015/10/09
okaoka0820
錦織 圭(にしこり けい)
生年月日:1989年12月29日(25歳)
出身地:島根県松江市
居住地:アメリカ合衆国 フロリダ州タンパ
身長:178cm
体重:74kg
利き手:右、バックハンド、両手打ち
ATP世界ランキング自己最高位はシングルス4位、ダブルス160位。これまでにATPツアーシングルスで日本人最多の9度の優勝を挙げている。
男女通じて日本人初、男子アジア出身選手初のグランドスラム4大大会シングルスファイナリスト。また、アジア出身男子初のATPワールドツアー・ファイナル出場者。2014年マドリード・マスターズ準優勝。
錦織圭の家族は、両親と姉の4人家族ですね。 錦織圭さんには恋人の噂もあるので、両親のような家庭を持つ日も近いかもしれません。すてきな両親のような夫婦になれる人とご結婚されるといいですね。
錦織圭選手の両親の馴れ初めは・・テニスだったようで、テニスに縁の深い錦織圭選手と両親です
錦織圭選手の両親はテニス以外にもゴルフも好きなのだとか。
錦織圭の両親は、今も実家に住んでいます。今は両親の夫婦二人でしょうが、子供たちがいた当初は楽しく家族で暮らしていたんでしょうね。
お父さんですが、いまは自営業をなさっているそうです。
かつては森林土木系の技術者ということでしたから、
それ関連のお仕事かもしれませんね。
性格はアグレッシブでバイタリティーに溢れる人らしい。
趣味はゴルフや釣りだそうです。
「圭のお父さんは勝負師なんです。麻雀が好きで駆け引きをするのがうまく、それがいい形で圭に受け継がれている。幼い頃から圭は、どこに打ったら相手が嫌がるかを知っていて、大人のこちらを見透かしたようなショットを打っていましたから。
今、清志さんはサラリーマンを辞めて、
奥さんの恵理さんと一緒に錦織(にしこり)圭をサポートしています。
全米オープンでは、歓喜の声尾をあげながら勝ち続ける息子の菅tらに声援を送っています。
「お父さんは、決して目立ちたがり屋ではありません。むしろ、あまり表舞台には出たがらないタイプです。今回も『優勝が見られるかもしれない』と、奥さんと一緒に現地観戦していますが、マスコミの取材に応じるでもなく、あくまで親として息子を見守っています」(錦織の知人)
錦織圭選手の両親はとっても素敵です。なかでもお父さんは、息子のことを第一にそして、冷静に考えて育てていったんだなということがわかります。あくまでもサポートに徹しているというところが素敵ですね。こんな父と母の両親に育てられた錦織圭さんは幸せですね。
錦織圭さんの両親・・お母さんは、お父さんとは正反対でおとなしく控えめな性格のようです。なんと、渡哲也・渡瀬恒彦兄弟と親戚なんですね。
お姉ちゃんですが、
NPO法人TASU-clubに所属しているそうです。
NPO法人TASU-clubは
テニスを通して社会貢献・地域活性化・健康増進をする
運動を行っているそうです。
ネットではこの写真から
錦織圭のお姉さんが美人だと評判になりました。
錦織くんはイケメンだからお姉さんが美人でもなにもおかしくないな!
ちなみにお姉ちゃん玲奈さんは
現在独身だというお話です。
玲奈さんは錦織圭と同様、
幼い頃からテニスをしていたそうで、なんと
インターハイの出場経験をもつのだ。
やっぱりテニスの才能がおありになるんだね。
あと英語も上手らしいです。
錦織圭さんのお姉さんは、両親と同様に錦織圭さんの一番の理解者ではないでしょうか。両親と共に錦織圭さんをずっと応援サポートしているようです。
ハワイに出張した清志さんが、
錦織(にしこり)圭と玲奈さんに、
お土産に子供用テニスラケットを買ってきたことがきっかけでした。
清志さんは、圭と玲奈にラケットを買ってきたのは、家族でテニスを楽しみたいという軽い気持ちだったそうです。
錦織(にしこり)圭は、そのラケットとボールで自宅の壁を相手にひたすら練習をしていたようです。
両親のテニス好きから始めたテニス・・今や世界のトップに君臨しているのですから、両親も驚きでしょうか。
そこのテニススクールで約8年間、柏井正樹さんに指導されましたが、
錦織(にしこり)圭のサーブを狙った所に打つコントロールする才能が印象的だったようです。
小学校のころから実力をグングン付けていき、
年上の相手を次々と破っていったのです。
錦織(にしこり)圭は年上に負けても、悔しくて大泣きしていたそうですから、
プロ向きの負けず嫌いの性格ですね。
当時、錦織を指導したコーチの柏井正樹氏が、その頃の錦織の印象を語る。
「最初はお母さんの陰に隠れるようなシャイな子供でしたね。ところが、いざボールを打つとすごく光るものを持っていた。身体は小さいけど、ボールコントロールが抜群にうまく、どんなボールでも当てて返してくる。この島根からついに、プロ選手が生まれるのではないかと期待しました」
息子をトップレベルののテニスプレーヤーにするため一生懸命だったんですね。
そんな家族みんなの努力が実り、
錦織(にしこり)圭は島根県松江市立乃木小学校6年生のとき(2001年)に、
全日本ジュニア選手権、全国小学生選手権、全国選抜ジュニア選手権のシングルス3冠という偉業を達成しています。
錦織(にしこり)圭の活躍は、松岡修三さんの目にも止まりました。
松岡修三さんが現役引退後、「修造チャレンジ」という
ジュニアの育成のために発足させたテニス活性化のテレビ企画に錦織(にしこり)圭も参加ていたんです。
錦織(にしこり)圭は最年少で、松岡さんの期待もかけられ、
かなり長時間テレビに映っていましたね。
錦織(にしこり)圭の試合に負けて泣いている姿が印象的でした。
才能もあったんでしょう、本人の努力も相当だったのでしょうね。
錦織(にしこり)圭、13歳で米国の名門テニススクールに単身留学
そんな錦織(にしこり)圭を、
13歳で米国の名門テニススクールに単身留学させる決断に、
清志さんは迷いがなかったそうです。
清志さんは「日本の中学や高校の部活動は、個性を大事にして育ててくれるようには思えなかった」
「大学を卒業しても就職がどうなるか分からない。リスクはあるが、テニスでトップになる大チャンス」
と、その当時を振り返っています。
お父さんは圭を無理やり型に嵌めるようなことはしませんでした。今では圭の代名詞となった『エアケイ』にしても、最初はコーチから『ショットが安定しないから飛ぶな』と怒られていましたが、お父さんは黙って圭のやりたいようにさせていた。それどころか野茂のトルネード投法や、イチローの振り子打法をサーブに取り入れるなど、遊び心を大切にしていましたね」
大都市圏だと思春期の誘惑も多いし、いくら才能のある子でも周りに流されて、結局埋もれてしまうことが多々あります。それに比べ、島根は静かだし、テニスに集中できる環境が整っている。
また、場数を踏むことが圭の成長には欠かせないと思っていましたから、そういう点でも島根は良かった。島根は強い選手が多くないので、圭は小学校の低学年から中国大会や全国大会に出ることができた。何事にも動じない圭のメンタルは、小さい頃から大きな大会の雰囲気を肌で感じ取ることで培われたんです
テニス留学、しかもプロを目指すとなれば、莫大なお金がかかります。
清志さんは森林土木の技術者で、いわゆる普通のサラリーマンですから、
独力で息子を留学させるとなると、借金をするしかありませんでした。
日本テニス協会の盛田正明会長が、テニスプレイヤー育成のためのテニス基金を設けていたんです。
この基金によって、錦織(にしこり)圭のテニス留学が実現
錦織(にしこり)圭のが留学した先は、
世界最高のプロテニスプレイヤー養成施設、
米フロリダ州のIMGニックボロテリー・アカデミーです。
事実上の「(4大大会での)優勝宣言」と受けとめていいだろう。昨年の全米オープンで日本人初の決勝に進出。惜しくも敗れ優勝は逃したものの、グランドスラムでの賜杯が届く場所に、錦織は確実に立っている。
これからまだまだ強くなるであろう錦織圭選手。 なぜあれほど魅力的で強くなっていくのか・・その秘密は両親と家族が錦織圭選手の原点にあるからなのだということがわかりました。ますますファンになってしまいました。
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