2024/02/16
r.y6
安奈淳さんは過去に一度結婚経験があります。1982年の安奈さんが35歳の時でした。でも、3年後に離婚しています。
離婚後、安奈さんは「結婚は勉強になった。男っていうのも分かったしね。でも一回でええわ」と話しています。離婚理由については不明です。
●安奈淳プロフィール
安奈淳さんが結婚した相手ですが、名前、職業、顔写真など一切公開されておらず詳細は不明です。
そのせいか、結婚相手は東宝演劇部に勤務していた一般男性ではないかだとか、CMプロデューサーではないかなどいろいろ噂されました。
結婚期間が3年と短かったこともあり、結婚相手と安奈淳さんの間には子供はいないようです。その後に再婚もしておらず、また未婚の母になったという情報もなく、安奈さんの子供は0人のようです。
安奈淳さんは、2000年に大病を患い、長期の療養生活を余儀なくされたことがあります。いったいどんな病気で、治療を続けた結果、現在の体調はどうなっているのかなどを調べてみました。
安奈淳さんは、2000年7月に、激しいむくみと呼吸困難に襲われて緊急入院し、“全身性エリテマトーデス”という膠原病を発症したことが判明しました。そして、担当医から余命3日と告げられ、数日間危篤状態が続いたそうです。
全身性エリテマトーデスは、指定難病のひとつで、自分の免疫システムが誤って自分の正常な細胞や組織を攻撃してしまう自己免疫性疾患のひとつで、全身の様々な臓器に炎症や組織障害が生じる病気です。
安奈さんの場合、体中に水がたまり、その水が肺や心臓まで来ていたことで生死に関わる状態まで陥ったのだそうです。ちなみにこの水というのは尿だったそうで、10日間ぐらいかけて水を抜き、ステロイドの投与を行うことで奇跡的に一命を取りとめたそうです。
治療により一命は取りとめましたが、薬の副作用でウツ状態になり、その後10年間に渡り入退院を繰り返しました。他にも味覚障害、幻覚、幻聴に襲われ、思考力にも影響が出てしまうこともありましたが、安奈さんが60歳の頃に特効薬ができたことで症状が落ち着いていったそうです。
安奈淳さんは、闘病中は薬の副作用でうつ状態になったり、幻聴が激しくて文字が読めないなど生活に支障が出ることがいろいろあったそうです。
でも、同じマンションに住む女子大生から「歌を教えてほしい」と依頼されたことがきっかけで「私を必要としてくれる人がいる」という思いが芽生え、少しづつ回復していったそうです。
そして、ボイストレーニングなどを行い、現在ではリサイタルやコンサート活動を行い、規則正しい生活で問題なく日々を過ごしているようです。
安奈淳さんが宝塚歌劇団を入ろうとしたきっかけや、歌劇団入団後の活躍など、彼女の若い頃からの経歴を調べてみました。
安奈淳さんは、幼い頃はおとなしい性格でよく家で絵を描いたり、本を読んでいたりしたそうです。中学時代も絵を描くのが好きで、画家や舞台装置を作る人などになりたいと思っていたそうですが両親には反対されたらしいです。
そんな両親は、父母共に宝塚の大ファンで、安奈さんが幼い頃から妹も含め家族4人で月に一度は宝塚の舞台を観に行くのが一大イベントだったそうです。
安奈さんの両親は、女の子が生まれたら宝塚に入れようと考えていたらしく、両親の希望で安奈さんは、小学生の時から宝塚コドモアテネに通い、宝塚音楽学校の受験対策のためにバレエや声楽、日本舞踊のレッスンを受けていたそうです。そのために修学旅行や卒業式に出られなかったらしいです。
そして、中学時代に宝塚音楽学校を受験し合格し、中学校卒業に入学しました。
安奈淳さんは、1963年に宝塚音楽学校を卒業し、1965年に宝塚歌劇団に第51期生として入団しました。初舞台公演の演目は花組公演『われら花を愛す/エスカイヤガールズ』でした。
安奈さんは、雪組に配属されましたが、その後、星組に移動し、1970年に鳳蘭さんと共に星組男役ダブルトップに選ばれました。
1974年に花組に移動し、退団した甲にしきさんの後任として花組男役トップとなりました。そして、1975年に『ベルサイユのばら』で演じたオスカル役が大きな当たり役となり、第1期ベルばらブームを築きました。
『ベルサイユのばら』の後、『あかねさす紫の花』で大海人皇子役、『うつしよ紅葉』で織田信長役、『朱雀門の鬼』で花麻呂役を演じ、1978年に『風と共に去りぬ』でヒロインのスカーレット・オハラ役を演じました。
そして、安奈さんは1978年に東京宝塚劇場公演『風と共に去りぬ(スカーレット編)』を最後に、13年間在籍した宝塚を退団しました。
安奈淳さんは、宝塚退団後は東宝演劇部に所属し、ミュージカルやコンサートの舞台だけでなくテレビドラマにも活躍の場を広げてきました。
退団後に出演したミュージカルの舞台に『南太平洋』(主演・1979年)『王様と私』(1979年)『屋根の上のバイオリン弾き』(1980年)『スイート・チャリティ』(主演・1983年)『サウンド・オブ・ミュージック』(主演・2005年)があります。
安奈さんが出演したテレビドラマには『御宿かわせみ』(1980年・NHK)、土曜ワイド劇場『松本清張の地方紙を買う女』(下画像・1981年・ANB)、火曜サスペンス劇場『艶歌恋歌殺人譜』(1988年・NTV)『明智小五郎シリーズ・蜘蛛男』(1989年・TBS)などがあります。
安奈淳さんの両親は一般人で、彼女の父親はサラリーマンだったそうですが詳細は不明です。父親はジャズ好きだったそうで、安奈さんも幼い頃から自宅でジャズをよく聞いていたらしいです。
母親は、自身も宝塚入りを夢見ていた時期があったそうで、それだけに安奈さんが宝塚に入れるようサポートしていたと思われます。
また、安奈さんには2歳年下の妹が1人いますが、彼女も一般人のため詳細は不明です。
安奈淳さんの母親は、安奈さんと同じ難病を患っていたそうです。そして母親が亡くなった時、安奈さんは公演のために葬式にどうしても出席できず、宝塚歌劇団の先輩が出席しましたが、誰が出席したのかなどを調べてみました。
安奈淳さんの母親は、当時は病名が分からなかったのですが難病を患っていました。安奈さんはインタビューで、「私の血管の細さなど母に似ています。当時、母の病気はよくわからない難病でしたが、今思えば私と同じ病気(膠原病)だったのでしょう。」と話しています。
安奈さんの母親は1978年、58歳で亡くなっています。
安奈淳さんは、亡くなった母親の葬儀に舞台の仕事があったため出席することが出来ませんでした。電話でそのことを聞いた安奈さんの先輩・榛名由梨さんが彼女の代わりに実家に駆けつけ、葬儀の準備を取り仕切り、母親の死化粧までしたそうです。
榛名さんは安奈さんの2期上の先輩でしたが、『ベルサイユのばら』での共演をきっかけに“人生の友”として親しくなったのだそうです。それで親交が深い安奈さんのために榛名さんが駆け付けたようです。
安奈さんと榛名さんは、宝塚退団後もランチショーやディナーショーで現在も共演しています。
・榛名由梨プロフィール
安奈淳さんの住まいは、住所は公開されていませんが東京・新宿の分譲マンションに住んでいる可能性が高いようです。
ちなみに、安奈さんは自宅からピアノのライブ配信を行うなど定期的にファンサービスを行っているようです。
膠原病から復帰し活躍を続けている安奈淳さんのように、大病から復帰した芸能人がいます。それが誰なのか、どんな病気から復帰したのかなどを調べてみました。
ジャーナリストの鳥越俊太郎さんは、2005年の65歳のときに大腸がんを患いました。それから1年2か月後の2007年にがんが左の肺に転移したのが見つかりました。そのとき、医者は鳥越さんにステージ2と告げましたが、本当はステージ4だったと後からしらされたそうです。
その後、右肺と肝臓にも転移が見つかり、65歳から69歳の間の4年間に計4回も手術をしました。
病気なる前の鳥越さんは、人間ドッグを毎年受けていたそうですが、大腸がん検診と便潜血検査は受けていなかったらしいです。ある時、トイレで、便を流した水が黒く濁ったことがあり、これはがんにやられたのかもしれないと直感的に思ったそうです。
もっと早い段階で見つかっていれば、もっと便潜血検査委を毎年受けていればと検診の大切さを認識したようです。
そして、健康のために70歳から週3回ジムに通うようになり、2012年にはホノルルマラソンに参加し8時間19分55秒で見事感想を果たしました。
鳥越さんは、現在は忙しく仕事をしていて、全国で公演活動を行っています。
・鳥越俊太郎
俳優の小西博之さんは、肉体派の健康優良タレントとして知られていましたが2004年の夏頃から血尿が出るようになり、体重がどんどん減っていきました。そして同年12月に大量の血尿が出て精密検査を受けたところ、翌年1月に全身に転移する恐れのある末期の腎臓がんと診断されました。
左腎臓にできた腫瘍は20×13cmとかなり大きく、2月に左わき腹をVの字に約50cm切り開き、リンパを切除するなど約10時間に及ぶ大手術を受けました。
仕事に復帰後は、大病を通して前向きに生きることの大切さ、全ての人々への感謝の心を改めて思い、様々な場で“命の大切さ”をテーマにした公演や、全国の小中学校で“命の授業”と題した講義を行いました。また2007年頃からは、全国の小児病棟や児童施設で慰問活動を行うようになりました。
がんの手術から5年後、担当医から完治を告げられ、現在は年に1回の検査のみだそうです。
・小西博之プロフィール
小西さんは、1982年から放送された『欽ちゃんの週刊欽曜日』(TBS)のレギュラーとなり欽ちゃんファミリーの一員として人気を博しました。1985年には人気音楽番組『ザ・ベストテン』の2代目男性司会者となり、ドラマや映画にも多数出演しています。
経済アナリストの森永卓郎さんは、2009年に糖尿病と診断され医者から余命6ヶ月と言われたことがあったそうです。何種類もの薬を飲み、インスリンの分泌を促す薬をお腹に注射する治療が始まり、少しは状態がマシになったのですが、改善は横ばい状態が通いたそうです。
そんな時、テレビ番組の企画でライザップのダイエットトレーニングを始めることになり、5人ぐらいの医師の医療監視のもと週2回のトレーニングと食事療法を2ヶ月半続け、体重が2kg減り、ウエストが23cm縮んだそうで、血糖値が正常に戻り糖尿病が治ったのだそうです。どうも膵臓が壊れていなかったせいで完治することができたらしいです。
現在は、糖質カットの食事を続けているそうで体系維持にも努めているようです。
・森永卓郎プロフィール
結婚歴のある安奈淳さんですが、離婚後は独身を通しています。難病を克服し現在はコンサートや舞台での活動を続け、充実した日々を送っている安奈さんですが、結婚に関しては、「一回でええわ」と語ったこともあるくらいでその可能性はとても低いようです。
結婚よりも人を楽しませることを選び、前向きに美しく生きている安奈さん。これからもあでやかに輝き続けることでしょう。
この記事に関する記事
Copyright© 運営事務局
安奈淳さんの結婚について知りたいのではないでしょうか。安奈淳さんは元宝塚歌劇団のトップスターであり、魅力的な男性からのアプローチもあったと予想されます。
本記事では、安奈淳さんの結婚について詳しく解説します。子供はいるのか、過去に患った病気は現在回復しているのかも紹介するため、気になる人はぜひ最後まで内容を確認してみてください。