2024/02/16
r.y6
仁和令子さんは、大阪府吹田市出身の女優です。芸能活動をするために上京するまでを過ごしていました。
同じ大阪府吹田市出身の芸能人には、大谷亮平さん、矢部浩之さん、京本政樹さんなどがいらっしゃいます。
旧姓の本名は小坂知佐子です。結婚後には佐藤姓となっています。
女優デビューは時代劇ではありませんでしたが、次第に時代劇に多く出演するようになった仁和令子さん。
1982年には『大岡越前 第6部』にレギュラー出演していたのですが、『大岡越前』出演当時のプロフィールでは「時代劇向きの顔立ちである」と紹介されています。
続いては、仁和令子さんの経歴について見ていこうと思います。
仁和令子さんが芸能活動をはじめたきっかけは、東京パンチョスのバンドマスター・チャーリー石黒によってスカウトされたことでした。
綺麗なお顔立ちはもとより、中学時代は水泳をしており、府大会に出場した経験もあったそうなので、スタイルもよく目立っていたのでしょうね。
上京した仁和令子さんは、堀越高等学校に入学し、1974年、「小板 チサ子」の芸名で「仮面ライダーシリーズ」の第3作目『仮面ライダーX』で女優デビューを果たしています。
チコ役をつとめ、レギュラー出演しました。
その後、芸能界入りの条件として両親から「原則として自宅から仕事場に向かうこと」が提示されていたため活動の拠点を関西に移し、梅花高等学校に転入し、東京での仕事には新幹線で通っていました。
1978年に放送された『銭形平次』は小料理屋の娘・お京役でレギュラー出演し、主演の大川橋蔵が名付け親となり芸名を「久永 智子」に変更しました。
仁和令子さんは、芸能活動をつづけながら、大阪にある梅花女子大学に進学しました。
ラジオのDJなどもこなしながら女優業と学業を両立させていた仁和令子さんでしたが、本格的に女優としてやっていこうと1979年に大学を休学しました。
その後、大学に復学して卒業されているのかどうかは分かりませんでした。
そして、西郷エンタープライズへの移籍を期に、「仁和 令子」に改め、女優業に専念することとなりました。
その後、必殺シリーズ、大江戸捜査網、水戸黄門、暴れん坊将軍など、数多くの時代劇に出演しました。
1984年には、作詞:なかにし礼 作曲:宇崎竜童 の楽曲「TOKYOワルツ」で歌手としてもデビューしています。
ただ、曲の発表はこの1曲のみだったようです。
1986年に香港映画『皇家戦士』に真田広之さんの妻役で出演し、その後、引退を発表しました。
その後、1994年に花王ファミリースペシャルでオンエアされた「堀越学園同窓会」で久々にテレビに登場されたことはありましたが、専業主婦として生活をされていた仁和令子さん。
2017年には、時代劇で共演をしていた、かわいのどかさんと親の介護という共通の経験から、介護ソングユニット「まねきねこ」を結成し芸能活動を再開していました。
『皆様を笑顔にする楽しいトークと時代劇や特撮の舞台裏の話、懐かしい音楽、そして最新のオシャレな“まねきねこ”のオリジナル介護ソングを持って、皆様に愛と幸福をお招きいたします。』とし、施設訪問などの活動をしていました。
続いては、仁和令子さんの結婚相手について詳しく見ていこうと思います。
仁和令子さんは、シンガーソングライター・佐藤隆さんと結婚しました。正確にいつ結婚されていたのかは明かされていませんが、80年代前半であると考えられます。
1986年に引退されているのも、結婚を機にと考えられます。
佐藤隆さんは、1980年4月1日 シングル「北京で朝食を」でデビューしています。以降、シングル、アルバム共に多数発表されています。
また、髙橋真梨子さんのヒット曲「桃色吐息」の作曲を担当されており、日本作曲大賞を受賞しています。
ほかにも、沢田研二さん、堺正章さん、ジュディ・オングさん、谷村新司さん、中森明菜さん、吉川晃司さんなどにも楽曲提供されています。
現在も活動を続けており、2021年には、30数年振りの単独ライブ「佐藤隆 コンサート 2021」を開催しました。
2人の馴れ初めについては、情報が出回っていませんでした。
女優とシンガーソングライターですので、接点はあまりなさそうですが、1984年に「TOKYOワルツ」で歌手としてもデビューしていますので、その前後で接点があったのかもしれませんね。
続いては、仁和令子さんの子供について、詳しく見ていこうと思います。
正式に公表されているわけではありませんが、息子が1人いるとされており、現在は30代となっていると考えられます。
仁和令子さんのフェイスブックに息子の存在が書かれているため、子供さんがいる事には間違いありません。
ちなみに、夫の佐藤隆さんのホームページでは、子供の存在は明らかにされていません。
仁和令子さんは、息子はレーサーの卵だと明かしていましたが、その後に息子がどうなっているのかは不明です。
仁和令子さんが亡くなった際に旦那の佐藤隆さんが発表したコメントでは、「最後は息子と自分が側についていてあげることができました。」とされていましたので、近くで暮らしていらっしゃったことは想像できます。
続いては、仁和令子さんの死因など、詳しく見ていこうと思います。
仁和令子さんは、2018年7月5日1時53分に60歳で死去しました。入院していた都内の病院で亡くなられました。
死因は肝不全だったと発表されています。
2018年2月ごろから腰の痛みを訴えていたという仁和令子さん。
5月になってあまり痛みがひどくなり、救急搬送され、CTスキャンをとったところ、「末期がん」と宣告されたのだそうです。
その時すでに、ステージ4の末期ガンで全身に癌が転移しており、そのまま入院となりました。
肝臓が癌によってかなり肥大していたため、お腹が圧迫され、食事をすることが大変だったのだそうです。
前向きに取り組んでいたものの、発見が遅く、既に治療の段階ではなくなっていたそうです。
ガンの進行が早く、食事をとることが困難となってきて痩せてきてしまい、体力が落ち、宣告されてから2か月もしないうちに亡くなりました。
葬儀は本人の希望通り親族だけで行われました。
旦那の佐藤隆さんは、「とっても安らかで綺麗な顔をしていました。きっと元気な時の『仁和令子』のイメージを壊したくなかったのだと思います」とコメントを発表しています。
時代劇などで活躍した女優の仁和令子さんについてご紹介してきました。
1974年「仮面ライダーシリーズ」の第3作目『仮面ライダーX』で女優デビューを果たし、それ以降、女優として活躍してきた彼女は、1986年に香港映画『皇家戦士』出演後に引退していました。
しかし、2017年には、かわいのどかさんと介護ソングユニット「まねきねこ」を結成し芸能活動を再開した矢先、2018年5月に末期がんと診断され、7月5日1時53分に60歳で死去しました。
あらためて、ご冥福をお祈りいたします。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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