風間トオルさんに結婚歴はある?娘が事故死の噂や阿部寛との仲も解説
2024/02/16
himawari3232
1970年代から2000年代にかけ、サスペンスドラマで主演を務め人気を博しました。
また、連続テレビ小説、大河ドラマを始め、連続ドラマにも多数出演し、現代劇・時代劇ともに幅広い役柄を演じる俳優でした。
本名も、古谷一行という名前ですが、芸名の”いっこう”とは異なり”かずゆき”と読みます。
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続いては、古谷一行さんの死因などについて、詳しく見ていきたいと思います。
古谷一行さんは、2022年8月23日に亡くなりました。9月2日に、所属事務所であるフロム・ファーストプロダクションより、訃報が伝えられました。
葬儀は遺族の意向により、御家族のみで既に執り行われたことも発表されました。
後日、お別れの会を開く予定であることも発表されていますが、今のところ、まだ告知は無いようです。
死因については、公表されていません。
関係者によると、亡くなった当日、顔色が悪かったため東京都内の病院で診察を受けたそうです。
病気とは診断されず、疲れからだろうと1日入院して様子を見る事になったそうですが、その日のうちに体調が急変して亡くなったのだそうです。
俳優業に復帰するためのトレーニングに日々励む最中でのことだったそうです。
古谷一行さんは、2011年に肺がんであることを公表しました。
自覚症状などは全く無かったそうですが、友人が肺がんになり、自分もタバコを吸っていましたから「調べておいたほうがいいかな」と何気なく検査を受けたところ、肺がんの診断を受けたそうです。
抗がん剤治療も放射線治療も行い、翌年復帰したものの、肺がんが見つかって3年ほどたった頃に、内科の医師から「念のためMRI検査をしておきましょうか」といわれ検査したところ、脳への転移が判明しました。
その後、放射線治療を受け、寛解していました。
2020年9月には、急性胃潰瘍で緊急搬送され、胃がんが判明し、胃を全摘していたことが、死後、息子の降谷建志により明らかにされました。
続いては、古谷一行さんの経歴について、詳しくご紹介していきます。
古谷一行さんは、中央大法学部に通っていた際、演劇研究会に入っていたそうです。そこで、俳優座養成所の研究生から養成所で行っている練習で指導を受け、衝撃を得たそうです。
そして、大学3年生の時に、俳優座養成所に16期生として入り、その後俳優生活をスタートさせています。
俳優座は、日本を代表する新劇団の一つで、仲代達矢さん、阿藤快さん、田中邦衛さん、菅井きんさん、市原悦子さんなど数多くの名優が在籍していた事でも有名です。
1977年からの『横溝正史シリーズ・名探偵金田一耕助シリーズ』などでの主人公・金田一耕助役を一貫して演じ、当たり役となります。
このシリーズは、連続ドラマとしては、横溝正史シリーズ1、横溝正史シリーズ2が放送され、単発ドラマとしては32作放送されています。
古谷一行さんは、最初は役をもらったことを喜ぶよりも、金田一耕助という名探偵を演じるのは“苦手だな”“僕の範疇ではないな”などと思っていたのだそうです。
しかし、監督がダイナミックな金田一、人間に対して心優しい金田一など、古谷一行さんのいろんな面を引き出してくれたそうで、だんだん“俺の金田一”だと思うようになれたそうです。
1982年から2007年までの25年間、『土曜ワイド劇場』では「混浴露天風呂連続殺人」シリーズの主役・左近太郎役を演じて再び当たり役となりました。
この作品は、全26作放送されており、拳銃片手に美女をという左近太郎警部(古谷一行)と、ファッショナブルで脚線美の山口かおり警部補(木の実ナナ)の、日本一オシャレな名刑事コンビが事件を追い解決していくサスペンスです。
1997年には、渡辺淳一の恋愛を原作とした、不倫をモチーフにした連続ドラマ『失楽園』で川島なお美さんと共演し、話題となりました。
こちらは、 役所広司さん、黒木瞳さん主演で映画化もされており、どちらもヒット作となりました。
失楽園ブームが巻き起こり、単行本として刊行された「失楽園」は、上下巻を合わせた年間発行部数は300万部を突破し、ドラマより前に公開された映画は、観客数約300万人、興収約44億円を記録しました。
続いては、古谷一行さんの結婚について詳しくご紹介していきます。
古谷一行さんは、29歳だった1973年に結婚しています。
古谷一行さんの嫁について、調べてみましたが、一般人であり情報はほとんど出回っていませんでした。
元CAだという話がありますが、正式に明かされたものでは無いようです。
もちろん、嫁の写真も公開されていませんでした。
嫁との馴れ初めは、共通の知人を介して知り合ったという話がありますが、こちらも真偽不明です。
なお古谷一行さんは3回目のデートでプロポーズをしたと言われており、古谷一行さんの一目ぼれだったそうです。
続いては、古谷一行さんの息子について詳しくご紹介していきます。
古谷一行さんの息子は、ロックバンド・DRAGON ASHで、ボーカル&ギターを担当しているKjこと降谷建志さんです。
1979年2月9日に誕生しています。
古谷一行さんの息子という事は隠して音楽活動をしており、苗字を降谷と一字漢字を変え芸名としました。
DRAGON ASHは、1997年にメジャーデビューを果たすと、1999年に発表した、4thシングル『Let yourself go, Let myself go』が大ヒットし、ブレイクを果たします。
その後、降谷建志さんが古谷一行さんが父親であることを明かしました。
親子であることが公表された後は、古谷一行さんがDragon Ashのアルバム『Viva La Revolution』(1999年)のTVCFに出演したり、古谷一行さんが主演・プロデュースを務めた映画『手紙』(2003年作品)では父子共演を果たしています。
降谷建志さんは、2008年7月7日、タレントのMEGUMIさんと結婚しています。
古谷一行さんは、2人が結婚する前から「凄く良い子ですよ。食事も一緒に行ったり仲良くしています」と、交際を応援しており、結婚後は「元気のいい、すごく行動力のある嫁」とMEGUMIさんについて話していました。
2009年2月6日に、孫の降谷凪くんが生まれています。
2020年に公開された、岩井俊二監督の映画『ラストレター』で俳優デビューを果たしています。
降谷凪くんが演じた瑛斗役はなかなか岩井監督のイメージに合う俳優が見つからず、何度かオーディションを行ったそうで、約200人の中から抜てきされたそうです。
2022年8月に亡くなった、名俳優の1人である古谷一行さんについてご紹介してきました。
『横溝正史シリーズ・名探偵金田一耕助シリーズ』などでの主人公・金田一耕助役や、サスペンスの左近太郎役などで人気を博した古谷一行さん。
2011年に肺がん、2020年9月胃がんと、大病を患ってきましたが、俳優業への復帰に向けてトレーニングに励んでいる最中に、急死されました。
ご冥福をお祈りいたします。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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