風間トオルさんに結婚歴はある?娘が事故死の噂や阿部寛との仲も解説
2024/02/16
himawari3232
藤田まことさんの父親は、日本の大正時代から昭和時代にかけての俳優で、無声映画時代のスターの一人だった藤間林太郎さんです。
大阪の帝国キネマに在籍していましたが、帝国キネマは撮影所の火災が原因で倒産したため大都映画に移籍しました。
ですので、藤田まことさんは東京で生まれています。
元々芸妓であった母親は、藤田まことさんを出産後に直ぐ他界しています。そのため藤田まことさんは、実母の記憶がほぼなかったそうです。
小学生の頃、父親が再婚をしていますが、継母とはそりが合わず、「お母さん」と呼んだことは無く、かつて住んでいた光善寺の長屋の大家との養子縁組の話が持ち上がると、継母を嫌っていた藤田まことさんは承諾し、養子に出されました。
しかし、兄が戦死したため、家族の元に戻っています。
続いては、藤田まことさんの経歴をご紹介していきます。
藤田まことさんは、父親が所属していた一座に雑用係として参加するようになり、17歳の時に歌謡ショーの一座の公演で「旅笠道中」を歌ったのが初舞台でした。
やがて舞台俳優としても活動するようになり、このころから「藤田まこと」の芸名を名乗るようになりました。
10代の終わりに歌手を志して上京した藤田まことさんは、ディック・ミネのカバン持ちをしながら前座の歌手として活動を始めます。
1年ほどで大阪へ戻り、日本マーキュリーレコードでアルバイトとして働きながら歌手としての修業を積みましたが、俳優業へシフトし、中田ダイマル率いる「ダイマル・ラケット劇団」に入団します。
「ダイマル・ラケット劇団」に入団した藤田まことさんは、役者志望の見習いコメディアンとし、1957年、コメディー時代劇『ダイラケのびっくり捕物帖』で初めてテレビ番組に出演します。
1961年、『笑いの王国』で生放送のCMに出演し、水戸黄門、西郷隆盛、丹下左膳など知名度の高い人物に扮し、人気を得、知名度をあげました。
1962年、時代劇コメディー『てなもんや三度笠』に出演し、藤田まことさんの名前が全国に知れ渡りました。
この番組は、三度笠をかぶり各地を放浪する渡世人・あんかけの時次郎(あんかけのときじろう)こと藤田まことさんと、時次郎の相棒の小坊主珍念(ちんねん)こと白木みのるさん、そして財津一郎さん、南利明さん、伴淳三郎さん、堺駿二さんらの関西喜劇人が一堂に会してドタバタ時代劇が展開され、超人気番組となりました。
当初、1年の放送予定でしたが、人気を博し、1968年まで放映されました。
『三度笠』の視聴率は最高64.8%を記録しています。
『てなもんや三度笠』では、コメディアンの印象が強かった藤田まことさんですが、後述する、人気シリーズで主演を務め、人気俳優の仲間入りを果たしていきます。
続いては、藤田まことさんの代表作をいくつかご紹介していきます。
1973年、時代劇『必殺仕置人』に中村主水役で出演します。必殺仕置人は、放送開始当初は、山﨑努さん演じる念仏の鉄を中心に物語が進んでいましたが、次第に中村主水を中心に物語が進むようになります。
必殺シリーズは、1987年シリーズ第29作『必殺剣劇人』で、15年に渡り連続して続いていたテレビシリーズ放映がいったん終了しました。
そして、1991年に『必殺仕事人・激突!』で4年ぶりにテレビシリーズが放送され、この作品が中村主水が主人公となった最後のテレビシリーズ作品となりました。
現在は、東山紀之さん主演で、シリーズ作品が放送されています。
1988年からは『はぐれ刑事純情派』で、主人公の「やすさん(安さん)」こと安浦吉之助刑事を演じました。
強い正義感と温かい心で、犯罪に苦しむ人達の事を常に考えながら捜査に当たっていく姿を描いたこの作品は、ヒット作となり、1988年から2009年まで、スペシャルを含め、全444話制作されました。
1998年10月14日から2010年2月5日まで放送された『剣客商売』では、秋山小兵衛を演じ、晩年を代表する作品のひとつとなりました。
レギュラー5シリーズ(計47話分)とスペシャル6作が制作され、2012年からは北大路欣也さん版も放送されました。
続いては、藤田まことさんの結婚していた相手について詳しく見ていこうと思います。
藤田まことさんは、1959年に、一般人の幸枝さんという女性と26歳で結婚しています。藤田まことさんがまだスターとなる前のことです。
結婚した頃は、役者として売れていた頃ではなかった為、結婚式と披露宴の費用も工面するのが難しかったようです。
そのため、藤田まことさんは、結婚式と披露宴を収めた映像を1年間、式場のCMに使用しても良いという条件の元、費用を無料とする約束をします。
しかし、披露宴に招待された芸能人はその事を知らされておらず、勝手にCMに使われたと苦情が殺到したという逸話が残っています。
バブル景気の最中、藤田まことさんは自らが保証人となって銀行から巨額の事業資金を借り入れ、妻と息子、娘に料理店やブティックを経営させていました。
そして、1993年に妻の事業失敗で30億円の負債を背負うこととなります。
それから藤田まことさんは、仕事を詰め込み、借金の返済の日々が続きました。休日返上で働く姿に債権者たちが仕事を探して応援したほどだったそうです。
そして、藤田まことさんは「10年で完済した」と明かしていました。
しかし、2009年には融資していた金融業者の管財人が貸付金3億円の支払いを求めた訴訟の判決で、大阪地裁から請求通り全額の支払いを命じられるなど、亡くなるまで借金がついてまわって人生でもありました。
続いては、藤田まことさんの子供について見ていこうと思います。
長女は、原田敦子(はらだ あつこ)さんで、藤田まことさんの個人事務所「株式会社藤田まこと」の企画代表取締役をされていました。
敦子さんは、ご主人がハワイ在住の日系三世であることから、娘を出産後、9年ほどハワイに住んでおり、藤田まことさんは、年に数回、娘一家に会うためにハワイを訪れてたそうです。
次女は、藤田絵美子さんで、EMIKOという芸名で、歌手・女優として活動していたことが有ります。
「必殺仕事人V」「必殺橋掛人」の主題歌「さよならさざんか」を歌唱しているのも彼女です。
長男は原田知樹さんで、不動産関連の仕事をしていました。
藤田まことさんが亡くなった後、平成24年2月、覚せい剤取締法違反容疑で逮捕・起訴されています。
続いては、藤田まことさんが患った病気や死因をご紹介していきます。
2008年4月に体調不良を訴えて検査を受けたところ、食道がんであることが判明し、予定していた舞台公演を降板して入院加療を行い、10月下旬より復帰しました。
2009年10月期の連続テレビドラマ『JIN-仁-』に出演予定でしたが、慢性閉塞性肺疾患により降板し、治療に専念することとなります。
リハビリを続けていた藤田まことさんでしたが、2010年2月17日7時25分、大動脈瘤破裂のため死去しました。76歳でした。
大動脈瘤破裂は、全身に血液を送る大動脈の一部が何らかの理由で拡大し、治療しないまま進行して破裂してしまう病気です。大動脈瘤が破裂すると、死亡率はとても高く、すぐに治療を開始しなければ手術でも助かる見込みは少ないため、発見した段階で経過観察や適切な治療が必要です。
自宅で吐血し、大阪大学医学部附属病院に搬送されましたが、そのまま亡くなりました。
吐血した際は、自宅で家族で食事をしていたそうです。
『必殺仕事人シリーズ』『はぐれ刑事純情派』『剣客商売』など、数々のヒット作で主演を務めた俳優・藤田まことさんについてご紹介してきました。
コメディアンとして人気を博し、その後、必殺仕事人シリーズなどで俳優として様々な作品に出演し活躍した藤田まことさん。
晩年は、病気の治療に専念しており、本格的な復帰が予定されていたタイミングで、大動脈瘤破裂で亡くなりました。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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