木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
宮本恒靖さんは、守備を担うDF(CB)であり、1997年にU-20日本代表に召集され、キャプテンとして試合に出場しました。
2000年にはA代表にも召集され、2002年日韓W杯活躍し、その後、キャプテンを担っていました。
日本代表ではU-17からA代表に至るまでの全カテゴリでキャプテンを務めるなど、監督からの信頼が厚い選手でした。
日本代表として、国際Aマッチには通算71試合出場しています。
端正な顔立ち、キャプテンシー溢れる立ち振る舞いに、サッカーファンからはもとより、サッカーを普段を見ない女性からも”ツネ様”と絶大なる人気を得ていました。
2002年の日韓W杯前の練習試合で競り合った際に相手FWの肘が顔に入り鼻骨骨折したため、大会にはフェイスガードを装着し出場しました。
日本代表初のベスト16進出に貢献した宮本恒靖さんですが、その姿を見た海外のメディアから、バットマンと呼ばれ話題になりました。
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続いては、宮本恒靖さんが現在どうしているのかを見ていこうと思います。
宮本恒靖さんは、2022年3月より、日本サッカー協会理事を務めています。
宮本恒靖さんは、理事を務めている事に関して、『元選手としての自分なりの経験や視点を買われてい』と話しており、戦略会議では、これからJリーグがどうあるべきかを話し合っているそうです。
2022年1月から、土曜朝の番組『ウェークアップ』に、ゲストコメンテーターとして出演しています。直近では2022年11月12日に出演しました。
本人は、インスタをやっていないようで、公表されているアカウントはありません。
ガンバ大阪のインスタには、過去に監督だった時代の画像が掲載されています。また、宮本恒靖さんがプロデュースしたフットサル場のアカウントは存在します。
続いては、宮本恒靖さんの経歴や仕事について詳しく見ていこうと思います。
宮本恒靖さんは、1986年のサッカーワールドカップでマラドーナを見てサッカーを始めました。
中学生時代に年代別の日本代表候補に入り、高校は学業との両立を考え、高校での部活動ではなく、プロクラブであるガンバ大阪のユースに所属しました。
ユースチーム卒業までの3年間、キャプテンを務め、1995年6月24日、ガンバ大阪のトップチームに昇格しました。
2006年シーズン後にレッドブル・ザルツブルクに移籍しました。初年度にはリーグ優勝も経験しています。
2009年6月までの契約でしたが、2008-2009シーズンは、リーグ戦は1試合も出場機会がなく、出場機会を求めて移籍を検討し、クロアチアリーグやオーストリア国内のクラブからもオファーが届いていましたが、欧州での経験を日本で生かしたいという思いから、複数年契約や高額年俸を用意するなど熱心に誘いのあったヴィッセル神戸に移籍が決まります。
2009年にヴィッセル神戸に移籍すると、神戸入団後にキャプテンに就任しました。ヴィッセル神戸は、昨年まで主将を務めたFWの大久保が、ドイツのボルフスブルクへ移籍したばかりでした。
2009年の序盤戦はセンターバックで、2009年の後半はボランチの位置でプレーし、2010年および2011年は控えのセンターバックとしてプレー、2011年はJ1リーグ戦で4試合出場のみと出場機会が減っていました。
2011年のシーズン終了後、チーム側からは契約延長の申し出がったものの、宮本恒靖さんは固辞し、12月19日に現役引退を表明しました。
引退後は、国際サッカー連盟(FIFA)がスイスで運営する「FIFAマスター」(「スポーツに関する組織論、歴史・哲学、法律についての国際修士」の大学院コース)で学び、2012 - 2013年第13期生として卒業しています。
2016年、1月21日には、日本サッカー協会の理事会で、トップチームの指導に必要なS級コーチライセンスの取得が認められました。
2016年からは、ガンバ大阪のユースの監督に就任します。そして、2017年にはガンバ大阪U-23の監督も務めました。
成績不振のため解任されたレヴィー・クルピ監督のあとを担い、2018年途中から監督に就任すると、就任時は16位で、前半戦4勝3分10敗、勝ち点もわずか15だったガンバ大阪が、宮本恒靖さんが指揮を執ると終盤の9連勝もあり後半戦は10勝3分け4敗で、勝ち点を33上積みして最終的に9位でシーズンを終了しました。
2019年はリーグ7位、2020年はリーグ2位・天皇杯準優勝の実績を残しました。しかし、2021年は、開幕から10試合で1勝4分5敗の18位と低迷し、5月に監督解任が発表されました。
続いては、宮本恒靖さんの結婚相手について見ていこうと思います。
2001年に結婚をしています。日韓ワールドカップの前年の事で、スポーツ選手は結婚が早い人が多いですが、宮本恒靖さんも23歳の時に結婚しています。
既に結婚から21年が経過しています。
相手は高校の2年先輩で、お名前が光子さんといいます。
宮本恒靖さんが、美津子さんに一目惚れして、高校1年生の時にアプローチをして交際に至ったのだそうです。
そのまま交際が続き、宮本恒靖さんが大学を卒業したタイミングで結婚したようです。
続いては、宮本恒靖さんのお子さんについて、ご紹介していきます。
息子は恒凛(こうりん)くんという名前で、2003年6月13日に生まれています。幼少期よりサッカーをしており、宮本恒靖さんの引退試合には、父親と同じ背番号5を背負ってピッチに登場し、中田英寿さんらと一緒にプレーしました。
ガンバ大阪ユースに所属し、履正社高校でサッカー部に所属していたことまでは、明らかになっています。
現在は19歳となっており、大学進学などされている可能性が高いですが、情報が出回っていませんでした。
娘は馨子(かおりこ)ちゃんといい、2007年6月20日に誕生しています。
名前には『かぐわしい、つややかで美しい様子』という意味が込められているそうです。現在は15歳になっていると考えられます。
宮本恒靖さんは、FIFAマスターの留学で、スイスなどに行っていました。その際には、家族皆で行っており、家族が一緒で、皆で過ごせたことで自分らしくいられたと語っていました。
ガンバ大阪などでプレーし、日本代表のキャプテンも務めた元サッカー選手の宮本恒靖さんについてご紹介してきました。
端正な顔立ちに、冷静でキャプテンシー溢れる宮本恒靖さんの姿は、多くのサッカーファンから愛され、日韓ワールドカップ後はアイドル並みの人気でした。
引退後は、FIFAマスターを卒業、ガンバ大阪の監督に就任、そして、日本サッカー協会の理事にも就任した宮本恒靖さん。
「将来にわたってスポーツ界、サッカー界の更なる発展に貢献していきたいという自身の夢を実現するためにも、勉強やグループワークに励み、学んだ知識、得た人脈を必ず役立てていきたいと思います」と語っており、今後は、フィールド外から、サッカー界を盛り上げるために活動されていくのかもしれません。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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