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2023/12/28
大今里
2022/11/09 更新
今から30年から40年ほど前になる1980年代。80年代に子供時代を過ごした世代もアラフォーとなっていますが、そんな80年代のリバイバルブームが起きているといいます。そこで今回は、80年に流行した音楽などのカルチャーについて迫ってみたいと思います。
1980年代の日本は、今では考えられない程好景気で活気のある時代でした。この頃の日本には、様々なカルチャーが花開き独特のファッションや音楽、アニメが誕生しています。
これらは何故か再び脚光浴びています。30年以上前の80年代とは一体どんな時代だったのでしょうか。昭和から平成にかけて駆け抜けた、日本を振り返ってみましょう。
1980年代を象徴するキーワードとしては元号が昭和から平成に変わったことを思い出す方も多いでしょう。1989年1月7日に昭和天皇が崩御されたことに伴うものでした。
このため1989年は昭和64年と平成元年の2つの元号が存在しています。
たった数日だけの昭和64年生れはかなり珍しく、著名人ではタレントの梅田彩佳さんや元体操選手の内村航平さんが昭和64年生れです。
1980年代は、安価に入手できる家庭用のゲーム機が誕生しています。1985年に任天堂から発売された「ファミリーコンピューター」は「ファミコン」の略称で呼ばれ瞬く間に大ヒット。
ソフトウエアも「スーパーマリオブラザーズ」、「ドラゴンクエスト」などシリーズ化した多数のヒット作品が出ています。
また、携帯電話の第1号が誕生したのが1983年のこと。携帯電話という手のひらに収まるサイズを連想されるかもしれませんが、この時の携帯電話は重さが3kgで、肩にさげて使用するというものでした。
さすがに国内で流通するようなことには至りませんでしたが、後に改良が重ねられて、いつしか現代人に欠かせないツールになっていったのです。
1980年代に流行った音楽について振り返ってみましょう。1980年代の芸能界や、ヒット曲は今もカラオケで歌う人が多いのではないでしょうか。
日本では1980年代にアイドルブームが巻き起こりました。女性アイドルは松田聖子さん、中森明菜さん、小泉今日子さんなど、様々なタイプの女性が活躍していたのです。
男性のアイドルは、ジャニーズ事務が圧倒的な成功を収めており、シブがき隊や少年隊が人気を博しました。
アイドル一辺倒ではなく、ロックバンドグループが次々に台頭し、独特の衣装が特徴の7人組バンド「チェッカーズ」や女性ロックバンド「プリンセスプリンセス」が一世風靡。
1990年代に入るとアイドルブームが去り、ロックバンドが流行の先端に。1980年代に活躍したバンドが後世のバンドに対して影響を与えることになりました。
1980年代序盤のヒット曲といえば久保田早紀さんの「異邦人」。元々は「白い朝」というタイトルでしたが、イメージが伝わりにくいからという理由で急遽変更されたのです。
リリースされたのは1979年12月でしたが、ロングヒットで1980年度オリコンランキング年間2位を記録。その後数々のアーティストがカバー曲を発表していて、現在も愛されています。
1980年代の懐かしいヒット曲の2曲目は寺尾聰さんの6枚目のシングル「ルビーの指輪」です。リリースされたのは1981年2月のこと。
発売当初は、全く売れてなかったのですが1ヶ月が経過した頃からジワジワとセールスが伸びていき、同年3月30日のオリコンシングルチャートで1位を獲得。
レコード会社では1981年12月時点で160万枚のセールスであると発表しました。
このヒットを受けてか、あまり売上が芳しくなかった3枚目のシングル「SHADOW CITY」が1981年11月に突如オリコン3位に入ったというエピソードが知られています。
1982年5月にリリースされた岩崎宏美さんの楽曲「聖母たちのララバイ」は、発売2週目でオリコンシングルチャート1位を獲得。
実は、この曲は日本テレビの火曜サスペンス劇場のエンディングテーマにエンドロールで使用される1コーラス部分のみが制作され、それ以外のパートは存在しておらず当然発売の予定もありませんでした。
ドラマ視聴者から問い合わせが殺到し、正式に楽曲としてリリースすることになった、という経緯がありました。
1982年11月には第13回日本歌謡大賞を受賞し、1983年には選抜高校野球選手権の行進曲として選ばれています。
1980年代の特徴として欠かせないポイントとしてはファッションではないでしょうか。今では珍しい肩パッドや、ボディコンなど当時の日本のイケイケ感を連想させるファッションについて紹介します。
1980年代の女性ファッションといえば、肩パッドが入ったジャケットやワンピース。当時の女性の写真は、肩がいかついラインになっているのがトレンドだったことがわかります。
この当時は男女雇用機会均等法が成立し、女性が社会的に進出を期待されていた、という背景があったようです。
ボディコンとは、ボディーコンシャスを略した言葉で、身体のラインがハッキリと出るような体にピッタリしたラインのワンピースや、ミニスカートなどが人気に。
足元はハイヒール、髪型はロングのストレートやパーマ、前髪は鶏のトサカのように一部分を立ち上げるといったヘアスタイルが散見されるようになりました。
当時の若者が、夜な夜なディスコに繰り出して踊っている様子が、日本のバブル好景気の象徴として今でも画像や映像で記録に残されています。
1980年代に若者を中心に流行ったのは、カラフルスポーティーウェア。1983年に公開された映画「フラッシュダンス」のヒットで、ネオンカラーと呼ばれる目に鮮やかな色使いのアイテムが選ばれました。
アイテムとしてはナイロンブルゾンや、大きなロゴのはいったスエットが定番の商品です。
プレッピーというのは、名門の私立学校に通う良家の子息や令嬢をイメージする言葉となります。こういった上品さをファッションに反映させたのがプレッピースタイル。
エンブレムの付いたブレザーや、チェックのスカートやパンツ、ローファーといったアイテムが人気になりました。
日本における1980年代の流行は海外からのトレンドも取り入れています。この頃マドンナなど有名アーティストがデニムonデニムコーデを取り入れると、日本でも真似する若者が続出。
この頃はビンテージのハイウォッシュ加工されたデニムが好まれていたようですが、どうしても単調に見えてしまう着こなしの難しさがありました。
その国のカルチャーで真っ先に挙げられるのがアニメや漫画。今もアニメは年代問わず愛されていますが、1980年代は、何が流行していたのでしょうか。
シティハンターは、北条司さん原作の漫画で、週刊ジャンプで1985年13号から1991年50号まで連載されていました。
漫画は全35巻で、2020年12月時点における累計発行部数は5000万部突破。1988年4月から1989年7月に全51話という、長丁場でアニメ化。
なお、1993年にはジャッキーチェンさんによる実写映画化、2021年には宝塚で舞台化もされています。
ドラゴンボールは、鳥山明さん原作の漫画で少年ジャンプで1984年から1995年25号まで連載されてきました。
実は、連載がスタートしたばかりの頃は意外にも読者からの反応は芳しくなく悩んだこともあったんだとか。
担当編集者から「主人公が地味だ。だから人気がない」と指摘を受けたことで、ストーリーの方向性を変更することに。
主人公の孫悟空について、強さを追い求めるタイプの設定に変えてみたところ、一気に人気投票が伸びてアニメ化へと繋がったのです。
アニメ化されたのは1986年2月で、同年12月には映画化も。その後も順調に進み、2022年6月には「ドラゴンボール超スーパーヒーロー」が公開されました。
北斗の拳は原哲夫さん原作の漫画です。少年ジャンプで、1983年41号から1988年35号まで連載されていました。
アニメ化されたのは1984年から1987年で第1期を、その後「北斗の拳2」として1987年から1988年に渡り放送されています。
その他にはOVAや映画化も。この作品では主人公であるケンシロウの「お前はもう死んでいる」という決め台詞や、敵の断末魔の声「ひでぶ」、「あべし」といった独特のセリフが人気を呼びました。
タッチはあだち充さんによる漫画です。少年サンデーで1981年8月から1986年11月までの期間連載されていました。
双子の兄弟の兄が、若くして事故で死去した弟の夢を引き継ぎ、幼馴染のヒロインを甲子園に連れて行くというスポーツ漫画で、主人公とヒロインの恋愛も絡めて描かれています。
アニメ化されたのは1985年3月から1987年3月までの期間です。1986年には映画化もされています。
らんま1/2は高橋留美子さん原作の漫画です。少年サンデーで1987年から1996年まで連載されていました。
この作品は主人公の乱馬は、水をかぶると女性に変身してしまうという男子高校生。許嫁である天道あかねとのドタバタラブコメディ。
アニメ化されたのは、1989年10月から1992年9月までの期間です。
聖闘士星矢は車田正美さんによる漫画です。少年ジャンプで1986年から1990年まで連載が続きました。
主人公の星矢は兄弟と共に、神々達の地上覇権争いに巻き込まれていくというストーリー。アニメ化されたのは、1986年10月から1989年4月までの期間です。
近年では80年代のリバイバルが起こっています。かなりの年月が経過した令和の現在、何故そのような事象が起きているのでしょうか。
様々なハイテクノロジーが発展した現在は、写真をスマートフォンで撮影したらその場でSNSにアップしたり、確認したりできます。もし、映りが悪ければもう一回撮影すれば、なかったことになります。
しかし、80年代に流行った「写ルンです」やフィルムを使うカメラは、その場で確認することができず、現像に出して戻って来るまで、現物のチェックができません。
やりなおしが効かないというのは生きている世界のリアルなのです。そういったものへのあこがれが、改めて目を向けられてきているということになります。
若者達は懐かしいと思って80年代を好んでいるわけではありません。一周回って却って斬新な80年代のアイテムや、古い喫茶店などを「いい感じ」と思っているのです。
80年代に流行したファッションは、パリッとした色使いが、現代にないポップさが特徴です。こういった「ポップな楽しさ」を求めています。
逆に言うと、ポップな楽しさを求めた結果、辿り着いたのが1980年代だったのではないでしょうか。
1980年代の日本は、どんな時代だったのかご存知ない方も多いことでしょう。このこの頃は今では考えられない程景気は上向いており、日本はバブル景気に湧いていました。
ファッションや音楽、アニメなど様々なカルチャーが誕生しています。例えばファッションは、肩パッドとボディコンが流行したり、プレッピーやデニムonデニムなど、多種多様な流行を取り入れてきました。
アニメは「ドラゴンボール」など現在もファンから愛されている作品も生れています。
近年は、80年代リバイバルと呼ばれるブームが起こり、かつて流行した「写ルンです」などのアイテムや、純喫茶が却って若者に「いい感じ」とウケているもよう。
若者にとってリアルに対する憧れや、ポップな楽しさの追求が根底にあるようです。
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この頃の日本を象徴するキーワードとしては、80年代後半以降のバブル景気ではないでしょうか。
近年テレビやネットで「失われた30年」、「上がらない賃金」といった不景気を嘆く言葉をよく耳にしますが、80年代は「高度経済成長」、「輸出拡大」といった前向きなワードが多く飛び交い、確かに国民の生活基準は向上していたのです。
株価や不動産の価格は上昇し、まさにバブル景気の真っ最中だったのです。その後1990年代序盤にバブルが弾けてしまうのですが、そんな未来が想像できない程日本は沸き立っていました。