2024/02/16
r.y6
山本富士子は日本銀行の採用試験を受けていましたが、不採用となってしまいました。日本銀行の関係者によると、山本富士子の適正および能力には問題なかったといいます。しかし並外れた美貌を持っていたことで、男性行員が落ち着かなくなることを危惧され、採用は見送られたのでした。
山本富士子は美人の代名詞となっていて、”日本一の美女”と呼ばれています。当時の男性たちは、彼女の美貌に釘付けとなったのかもしれません。なお山本富士子は、2022年11月現在も90歳で健在です。
続いては、山本富士子の経歴について迫ってみたいと思います。山本富士子はどの様な経歴を歩んできたのでしょうか。
山本富士子は、第1回ミス日本のグランプリ受賞者です。第1回ミス日本は、1950年(昭和25年)に読売新聞社や中部日本新聞社、西日本新聞社が主催し、700名近い応募者を集めたコンテストでした。山本富士子は、満場一致でミス日本に輝いています。
なおこの際の審査や授賞式の模様が伝えられた、白黒のニュースフィルムが現存します。そして山本富士子は、ミス日本として渡米してニューヨークのヤンキースタジアムにおいて、女優のマリリン・モンローや元野球選手ジョー・ディマジオと会いました。
余談ですが、マリリン・モンローとジョー・ディマジオは1954年に結婚し、新婚旅行で日本を訪れています。
ミス日本に選ばれた山本富士子は、映画界からスカウトを受けていました。しかし彼女は当初、女優になる気持ちはありませんでした。その後も途切れることなくスカウトをされた山本富士子は、悩みましたが「これからの女性は仕事を持つことよ」と姉に言われたことで、女優になる決心をします。
そしてミス日本になった3年後の1953年に、山本富士子は大映へと入社しました。山本富士子の争奪戦が、映画会社間で繰り広げられたといいます。
1953年に映画『花の講道館』でデビューした山本富士子は、人気女優へと駆け上がっていきました。デビュー作では、長谷川一夫の相手役を演じています。結婚をした山本富士子は、家庭と仕事の両立のために大映への出演本数を減らして、他社の作品の出演を願い出ました。
2度目の提案で断られた山本富士子は、フリーになることを決めたのです。当時は五社協定というものがあり、俳優や女優が自由にフリーになることは許されない時代でした。当時の大映の社長であった永田雄一は怒り、山本富士子は映画界から干されてしまったのです。
映画に出演できなくなった山本富士子は、その後テレビに舞台を移しました。山本富士子は仕事がなくなってしまい、女優という仕事を辞める覚悟でいたのです。しかし1960年代になるとテレビが繁栄してきたことから、山本富士子もテレビに活路を見出したのでした。
そして、演劇の道を切り開いていき2013年まで演劇に一途に出演していきました。
次に、山本富士子が結婚した旦那について迫ってみたいと思います。”日本一の美女”とまで称された山本富士子は、一体どういった男性と結婚したのでしょうか。
山本富士子は、31歳だった1962年に結婚しました。彼女が結婚したのは、五社協定により映画界を追われることになる、前年のことだったのです。
山本富士子の旦那は、旦那はギタリストであり作曲家でもある山本丈晴です。山本丈晴は、山本富士子より6歳年上です。山本富士子の旦那である山本丈晴は、作曲家の古賀政男に師事していました。山本富士子がレコード録音のレッスンために古賀政男のもとを訪れた時に、山本丈晴と出会っています。
2人の結婚については、古賀家も山本家も猛反対したといいます。山本丈晴は結核を患っており、手術に成功したら結婚をすると約束をしたのでした。手術が成功したことで、2人は晴れて結婚をすることになったのです。
山本丈晴は古賀政男に師事していましたが、古賀政男の養子となっていました。元々は古屋という苗字でしたが、古賀政男の養子となり古賀姓となっています。さらに山本富士子と結婚したときには”婿養子”となったことから、旦那はさらに古賀姓から山本姓となったのです。
ではなぜ旦那は婿養子となり山本姓となったのでしょうか。それは、山本富士子の実家に男兄弟がいなかったことが理由でした。また、山本富士子の姉も結婚をしており他家へと既に嫁いでいました。このことから、跡を継ぐ男性がいなくなることを危惧し、古賀丈晴は山本姓となったのです。
山本丈晴は、2011年9月7日に肺炎のため86歳で亡くなりました。今から11年ほど前のことです。2011年11月21日には、ホテルニューオータニにおいて山本丈晴のお別れ会が開かれました。お別れ会には、芸能界や政財界から1,000人ほどが出席しています。
ここで、山本富士子の子供について迫ってみたいと思います。山本富士子と山本丈晴の間には、何人の子供がいるのでしょうか。
山本富士子と山本丈晴には子供が1人います。第一子は男の子であり、長男は1968年に誕生しています。そして、長男の名前は山本茂晴です。
息子の山本茂晴は、2022年現在で54歳となります。父親である山本丈晴が生前にテレビCMを制作する会社の経営をしており、山本茂晴が跡を継いだという話があります。
山本富士子の子供は息子の山本茂晴のみです。他に子供はいないため、もちろん娘もいません。もし娘がいたなら、山本富士子のような美人に育ったのかもしれません。
山本富士子には孫もいます。息子の山本茂晴は既に結婚をしており、子供も2人いるのです。山本茂晴の年齢を考えると、子供たちもいずれ結婚をするのかもしれません。
”日本一の美女”とまで称えられた山本富士子は、現在どうしているのでしょうか。最後に、山本富士子の現在について探ってみたいと思います。
1960年代の映画界で活躍していた、山本富士子の年齢が気になる方もいるかもしれません。山本富士子は1931年12月11日生まれであり、2022年10月現在で90歳となっています。彼女は2022年11月現在も健在です。
2018年に、山本富士子は老人ホームのCMに出演しました。関西ローカルのCMであり、当時は86歳頃であると考えられます。また、2019年8月15日放送の『徹子の部屋』にも出演しました。ピンクと白という華やかなコーディネートである出で立ちでの登場でした。
2022年1月の段階では、”最近メディア出演してから2年ほど経っている”とされています。2022年現在は、静かに過ごしているのかもしれません。
ミス日本の初代グランプリに輝いた美貌の持ち主である女優・山本富士子は、映画界で活躍していました。しかし、古賀政男の養子であった作曲家・山本丈晴と結婚後に、フリーとなったことを機に、所属先だった大映の社長に映画界から干されてしまったのです。
その後は活躍の場をテレビに映した山本富士子は、2022年11月現在も90歳で健在です。現在はあまりメディアに登場することはありませんが、これからも穏やかな日々を送れることを願うばかりです。
この記事に関する記事
キーワードから記事を探す
Copyright© 運営事務局