2024/02/16
r.y6
浅丘ルリ子さんが中学生だった1954年に、映画『緑はるかに』のヒロイン・ルリコ役を募集するオーディションが行われました。この話を知った浅丘ルリ子さんは、ルリコ役に応募します。応募人数は、3000人ほどだったそうです。
浅丘ルリ子さんは、小説『緑はるかに』の挿絵を描いていた中原淳一の目に留まり、ルリコ役が決定し女優としてデビューします。芸名のルリ子も、ヒロイン役のルリコから取られた名前です。
浅丘ルリ子さんは、映画の主題歌を中心に歌手としても活動していました。1969年のシングル『愛の化石』は、大ヒットしました。1970年には楽曲のイメージから作られた映画『愛の化石』が、浅丘ルリ子さんと田宮二郎さん主演で制作されました。
浅丘ルリ子さんは、映画『男はつらいよ』でクラブ歌手のリリー役を演じています。マドンナ役は、一度しか出演しないことがほとんどです。しかし、リリー役は大好評だったこともあり、マドンナ役として最多となる4回の出演を果たしています。
渥美清さんの生前最後の作品となった『男はつらいよ 寅次郎紅の花』でも、浅丘ルリ子さんはマドンナ役として出演しました。撮影現場で渥美清さんの具合の悪い姿を見た浅丘ルリ子さんは、『男はつらいよ 寅次郎紅の花』と監督に頼んでいたそうです。
しかし、続編が決定していたこともあり、浅丘ルリ子さんの願いは実現しませんでした。【渥美清(寅)さんを送る会】では、浅丘ルリ子さんはリリーとして弔辞を読んでいます。2019年公開の『男はつらいよ お帰り 寅さん』にも、浅丘ルリ子さんは出演しています。
映画『緑はるかに』のルリコ役でデビューした浅丘ルリ子さんは、目の大きな美少女として評判になります。ルリコカットは、当時の女性達に人気の髪型として大流行しました。大人になってからも同性からも高い支持を受ける美人女優として人気でした。
浅丘ルリ子さんは、1940年7月2日生まれのため、現在は81歳となっています。さすがに、出演作などは少なくなっていますが、現在も現役の女優として活躍しています。『やすらぎの郷』・『やすらぎの刻〜道』では、元夫の石坂浩二さんとの共演も話題になりました。(
2021年に81歳になった浅丘ルリ子さんですが、現在はどんな活動をしているのでしょうか?病気になっていた?という話や激やせの話題についてもご紹介します。
浅丘ルリ子さんは、2020年12月1日に行われた主演朗読劇『ななしのルーシー』の制作発表に六角精児さんと一緒に登場しました。ななしのルーシーは、六角精児さん演じる新聞記者のでっち上げ記事に翻弄される元女優を描いた喜劇です。
浅丘ルリ子さんと六角精児さんは、20年来の友人で麻雀仲間でもあるということです。ななしのルーシーは2021年3月に公演予定でしたが、新型コロナの影響で公演中止となりました。秋以降の公演を目指すということですが、現在のところスケジュールは明らかになっていません。
浅丘ルリ子さんは、ななしのルーシーの制作発表で2020年は帯状疱疹と腰痛に悩まされて大変だったと告白していました。これまで病気をしたことはなかったそうですが、いっぺんに病気になって大変だったようです。
コロナ過での影響で帯状疱疹の患者は増加しており、帯状疱疹になったことを公表する芸能人も少なくありません。帯状疱疹は重症化することもあり、確実に予防したいならワクチンを打つのが有効ということです
浅丘ルリ子さんは、2021年11月26日の『夕刊フジ』のインタビューで、38kgから33kg激やせしたことを告白しました。2021年11月28日の放送開始したドラマ『生きて、ふたたび 保護司・深谷善輔』で、浅丘ルリ子さんは元服役囚を演じています。
難しい役作りに苦闘してストレスを感じていたことと、帯状疱疹が重なったことで激やせにつながったようです。元々38kとかなり細いですが、浅丘ルリ子さんは10代の頃から30kgが当たり前だったと言われています。
年齢的にも体調が心配ですが、撮影終了後はかなり回復しているようです。
人気女優の浅丘ルリ子さんは石坂浩二さんと結婚しましたが、その後離婚しています。2人の馴れ初めや結婚、離婚、子供に関する情報をまとめました。
浅丘ルリ子さんは、1971年に俳優の石坂浩二さんと結婚します。結婚当時、石坂浩二さんは30歳で浅丘ルリ子さんは31歳でした。結婚する際に、石坂浩二さんは「あなたは女優だ。結婚しても仕事を選んで女優を続けてください。」と言っていたそうです。
1971年のドラマ『2丁目3番地』の共演がきっかけで、浅丘ルリ子さんと石坂浩二さんは結婚しました。元々浅丘ルリ子さんは、石坂浩二さんのファンでした。そのことを加賀まりこさんが、石坂浩二さんに伝えていたことで2人は交際に発展したようです。
ただし、加賀まりこさんは、2人が交際する前は石坂浩二さんと付き合っていて、まだ未練があったと言われています。
2000年に、浅丘ルリ子さんと石坂浩二さんは離婚します。石坂浩二さんは、離婚する際に『いつも家にいる人と一緒になって、子供も欲しい』、『母も引き取って一緒に暮らしたい』と告げたそうです。
石坂浩二さんは、離婚する3年ぐらい前から知り合いの女性に両親の世話を見てもらっていました。その人と、離婚後すぐに再婚しています。石坂浩二さんは、浅丘ルリ子さんと結婚して5~6年経った頃から愛人がいたと言われています。
30年近い結婚生活を送った浅丘ルリ子さんと石坂浩二さんですが、子供はできませんした。離婚した時に子供が欲しいと言っていた石坂浩二さんですが、現在の妻との間にも子供は生まれていません。
浅丘ルリ子さんは、ハーフと言われることも多いです。また、中国人だという話もあるようですが、実際はどうなのでしょうか?浅丘ルリ子さんのハーフ説や両親に関してまとめました。
浅丘ルリ子さんは、中国人だという噂があるようです。中国人だと言われる理由は、浅丘ルリ子さんの出身地は中国の満州だからのようです。当時の満州は日本の植民地だったため、仕事などで満州で生活する日本人はたくさんいました。
浅丘ルリ子さんは中国の満州で生まていますが、中国人ではなく日本人です。
浅丘ルリ子さんは、若い頃からハーフだと言われることが多かったようです。しかし、浅丘ルリ子さんは、ハーフではありません。目鼻立ちのはっきりした美人だから、ハーフ説が出ているだけで両親共に日本であることもわかっています。
浅丘ルリ子さんの本名は、浅井信子さんといいます。父親の浅井源次郎さんは、大蔵省の官僚で満州に派遣されて満洲国経済部大臣秘書官をしていました。浅丘ルリ子さんの母親はちょうさんという名前の日本人で、満州で源次郎さんと出会って結婚しています。
その後、軍属としてタイのバンコクに転居しますが、終戦後は大混乱の中苦労して一家は帰国します。浅丘ルリ子さんが小学校3年生の時に、父親は代議士の秘書になっています。代議士の秘書だと高給そうなイメージがありますが、生活はかなり貧しかったようです。
浅丘ルリ子さんは、2009年に亡くなった大原麗子さんと関係が深いことで知られています。大原麗子さんとの関係についてご紹介します。
浅丘ルリ子さんは後輩の面倒見が良いことで知られていますが、6歳年下の大原麗子さんを妹のように可愛がっていました。2人の付き合いの長さは30年以上で、大原麗子さんも浅丘ルリ子さんを姉として慕っていたそうです。
大原麗子さんは、『5番目の妹にして』というほど浅丘ルリ子さんのことを慕っていました。大原麗子さんは浅丘ルリ子さんの父親の最期を看取っていたほどで、家族ぐるみの仲だったことがわかります。
2019年6月20日の『直撃!シンソウ坂上』では、大原麗子さんの死の真相に迫るための特集番組が放送されました。番組では浅丘ルリ子さんが、大原麗子さんについてのインタビューを受けています。
今までも大原麗子さんの追悼番組が放送されていますが、浅丘ルリ子さんがテレビで大原麗子について語るのは初めてでした。浅丘ルリ子さんは、インタビュー前に大原麗子さんの夫だった森進一さんから話を聞いていました。
浅丘ルリ子さんの口から2人が離婚した真相、大原麗子さんが森進一さんの子供を中絶していたなどの事実が語られました。
浅丘ルリ子さんの現在や石坂浩二さんとの馴れ初めなどについてまとめました。81歳になった今でも難しい役に挑戦するなど、浅丘ルリ子さんは女優として活躍しています。今後も浅丘ルリ子さんの演技を見ることができそうです。
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