木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
研ナオコさんは、幼いころから歌うことが大好きで、地元テレビ局主催ののど自慢で美空ひばりの「悲しい酒」を歌い合格するなどしていました。
歌手になりたい気持ちが強くなり、入学した県立高校を1年でやめて、1970年に歌手を目指し静岡から上京しています。東京宝塚劇場のエレベーターガールなどのアルバイトをしながらデビューを目指し、1971年 4月1日、東宝レコードの第1号歌手として『大都会のやさぐれ女』でデビューします。
しかし、すぐに売れたわけでは無く、しばらくは、夜行列車で全国を回り、スナックなどに飛び込みで新曲キャンぺーンを行う日々だったそうです。
TBSで放送されていた、銭湯を舞台とした大人気ホームドラマ『時間ですよ』に1973年に出演し、コメディエンヌとしての才能が開花し、歌手よりもタレントとして、先に人気が出ました。
デビュー5年目の1975年に阿木燿子さん、宇崎竜童さんコンビの「愚図」がオリコンシングルチャートベスト10入り(週間順位9位)し、ヒットします。
この年、FNS歌謡祭の優秀歌謡音楽賞を受賞しています。
1976年には、中島みゆきさん作詞作曲の12枚目のシングル『あばよ』でオリコンシングルチャート週間1位を獲得しました。
研ナオコさんは、1976年に第18回日本レコード大賞歌唱賞、日本歌謡大賞放送音楽賞、FNS歌謡祭最優秀歌謡音楽賞を受賞しています。
また、1976年に発表された11枚目のシングル『LA-LA-LA』で第27回NHK紅白歌合戦に初出場しています。
『あばよ』の楽曲提供の裏話として、もともとこの曲は中島みゆきさんが自身のために作った曲で、研ナオコさんサイドから楽曲提供の依頼が届いたため、この曲を提供したということをラジオで明かしています。
ヒット曲を連発し、歌手として人気絶頂だった、1977年9月30日に、渋谷区千駄ヶ谷の研ナオコさんの自宅マンションに家宅捜索が入り、3グラムのマリファナ(乾燥大麻)が見つかり、大麻取締法違反容疑で書類送検されました。
研ナオコさんは、起訴猶予処分となり、半年間謹慎し、復帰しました。
この年は、芸能人が芋づる式に覚せい剤取締法違反で逮捕された年でした。
7月に岩城滉一さんが、暴力団から入手した覚せい剤を使用したとして、覚せい剤取締法違反で警視庁に逮捕されると、8月にジョー山中さん、9月に井上陽水さん、内田裕也さん、研ナオコさん、内藤やす子さん、10月に桑名正博さん、錦野旦さん、美川憲一さん、11月に上田正樹さんと、有名な歌手がどんどんと逮捕されました。
大麻取締法違反容疑で書類送検され、起訴猶予処分となり、半年間謹慎していた研ナオコさんは、アルバム『かもめのように』よりシングルカットした、『かもめはかもめ』を1978年1月に発表し、芸能活動を再開します。そして、この曲は大ヒットしました。
研ナオコさんは、この曲で、第20回日本レコード大賞金賞、日本歌謡大賞放送音楽賞を受賞し、「第29回NHK紅白歌合戦」にも2年ぶり2回目の出演を果たしました。
この曲は、石川さゆりさん、堀内孝雄さん、工藤静香さん、徳永英明さん、大友康平さん、島津亜矢さん、八代亜紀さんなど多くのアーティストがカバーしています。
1982年には、サザンオールスターズの5枚目のオリジナル・アルバム『NUDE MAN』に収録されている、桑田佳祐制作による『夏をあきらめて』をカバーし、29枚目のシングル曲として発表しています。
この曲で、第24回日本レコード大賞金賞を受賞しています。
これ以降も多くの楽曲を発表しており、今までに47枚のシングル、20枚のオリジナルるバムを発表しています。
2001年には、第24回『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』でチャリティーマラソンランナーを務めています。
女性で、チャリティーマラソンランナーを務めたのは研ナオコさんが初めてで、85キロを完走しました。武道館でゴールテープを切った8月19日の午後7時42分には、瞬間最高視聴率33.9%をマークしています。
スッピンで走る姿は、話題となりました。
続いては、研ナオコさんの旦那である野口典夫さんについて、ご紹介します。
野口典夫さんは、1979年から1984年まで、沢井プロジェクトに所属し、三井大介との芸名で俳優として活動をしていました。
当時は山城新伍さんに師事しており、テレビドラマ、映画、舞台に出演していました。
俳優を引退してからは、テレビ制作会社「スタッフ・アズバーズ」に就職し、アシスタントプロデューサーに就任し、「火曜サスペンス劇場」「土曜ワイド劇場」、連続ドラマ「主婦代行いたします」「おみやさん」など数々のドラマやバラエティを制作しています。
野口典夫さんは、1992年に、THE虎舞竜のプロデュースに参加しています。
高橋ジョージとの共同のプロダクションを設立し、映画「ロード」を企画製作、映画とコンサートを合体させたシネマライブを全国30か所のツアーを開催するなどしていました。
2015年には、ロサンゼルス映画祭出品作品「THE HYBRID 鵺の仔」の企画や制作、エグゼクティブプロデューサーを務めています。
「鵺」を造形化させた初の特撮によるサイエンス・フィクション映画で、お笑いタレント・とんねるずの石橋貴明さんの娘・石橋 穂乃香さんが主演を務めた事でも話題となった映画です。
2017年には「海ガメの約束」の原案・製作指揮をしています。
物語は実話を元にした、地元に伝わる海ガメの伝説と少年の成長を描いた内容で、昭和40年代の茨城県鹿島地区が舞台です。
この作品には、研ナオコさんも出演していました。
第3回「いばらきショートフィルム大賞」大賞受賞作品です。
続いては、野口典夫さんの現在の仕事などについてご紹介します。
現在、野口典夫さんは、芸能事務所・ケンズファミリーの代表取締役社長を務めています。
野口典夫さんは、研ナオコさんと結婚したのを機に独立して、1991年5月にケンズファミリーを設立しています。ケンズファミリーは、田辺エージェンシーの関連会社となっています。
ケンズファミリーは、研ナオコさんと業務提携しています。
また、野口典夫さんは、1991年に設立した
コンサート・イベント・音源の企画制作 及び コーディネート
番組・動画の企画制作 及び コーディネート
タレント・モデルのキャスティング代行
商品の企画・製造・販売・マーケティングのコーディネート
衛生用品の販売 及び 防疫技術のコーディネート
等を行っている、株式会社CSI:TOKYOの代表も努めています。
続いては、研ナオコさんと野口典夫さんの馴れ初めなどについて、詳しくご紹介していきたいと思います。
2人は、1987年7月7日、研ナオコさんの誕生日に結婚しています。結婚時、研ナオコさんは34歳であり夫・野口典夫さんは27歳でした。
そして、互いに再婚同士でした。
研ナオコさんは、1981年、27歳の時に、バックバンドのマネージャーをしていて、その後、コンサート企画会社の社長をしていた男性と結婚しています。
研ナオコさんが、大麻所持で謹慎していた時に支えてくれた方だそうで、2年間の交際を経て、結婚しましたが、1985年には離婚しています。
離婚理由については、ご主人が経営する会社が事業不振で、金銭トラブル等言われましたが、研ナオコさんは否定しました。他には元旦那が浮気をしていたという話もあります。
2人の出会いは、野口典夫さんが山城新伍さんの弟子をしていた頃だったそうです。
その後、野口典夫さんの担当番組『女ひとり旅』に研ナオコさんをキャスティングしたことで再開し、意気投合し、距離が縮まり交際が始まったようです。
1986年秋に交際をスクープされ、研ナオコさんは「いい友人だし、好きです」と交際を認めていました。
その後も、順調に交際を続け、2人は、1987年、結婚記者会見を開きました。そして、『順番がちょっと違ったんですけど、実は妊娠してまして・・・』と、妊娠している事も発表し、その当時はできちゃった婚は珍しかったため、世間を驚かせました。
実はこの会見の1週間前に研ナオコさんの妊娠が発覚し、慌てて結婚記者会見を開いたのだそうです。
続いては、お二人の子供について、詳しくご紹介していきたいと思います。
野口典夫さんと研ナオコさんには子供が2人います。なお、研ナオコさんは、前夫との間には子供はいませんでした。
長男の倹太さんは、1987年10月29日に生まれています。
国士舘高等学校を卒業した後、シアトル大学に留学しています。カリフォルニア州立大学ノースリッジ校でフォトグラフィー(写真)を専攻していたとの事です。
バンド活動もしていたそうです。また、俳優活動をしていたこともあったようで、2016年のTBS系列の2時間ドラマ「駅弁刑事・神保徳之助10」に、脇役で出演しています。
一時期は父・野口典夫さんの経営する芸能事務所「ケンズファミリー」に、所属タレントとして名前が掲載されていましたが、2022年には消えていたようです。
商社に勤めているという噂が一部で出ているようですが、芸能活動からひいてからは、ケンズファミリーでコンテンツ・プロデューサーとして勤務していると言われています。
倹太さんの写真が出回っており、イケメンとの声が上がっています。
長女の野口ひとみさんは、1989年8月8日に生まれています。
子供の頃から、母・研ナオコさんと一緒にCMに出演したり、ロケ番組などにも出演していました。
また、1998年には、田代まさしさんの長女・田代小夏さん、Bro.KONE(バブルガム・ブラザーズ)の長女・近藤麗奈さんと、小夏・ひとみ・レイナとして、『てのひらを太陽に』をリリースしています。これは、 劇場版『それいけ!アンパンマン てのひらを太陽に』の主題歌でした。
高校3年生の時に、「母親のように歌いたい」という強い思いがあり、芸能界に入ることを決意したそうです。
父・野口典夫さんの会社、ケンズファミリーに所属し、研ナオコさんのコンサートなどでバックコーラスを担当したり、研ナオコさんと一緒にバラエティ番組に出演したりと、歌手やタレントとして活動しています。
続いては、野口典夫さんの若いころについて、ご紹介していきたいと思います。
俳優をしていたほどであり、若い頃からイケメンだった野口典夫さん。また、現在も渋くダンディです。
野口典夫さんの若い頃の画像は、ネット上に多数アップされています。結婚報道の頃や結婚会見の場での写真が残っており、若いころからイケメンだったことが分かります。
続いては、野口典夫さんのブログについて、ご紹介していきたいと思います。
野口典夫さんは、『ナオコの旦那 Official Blog』というブログを2020年3月から開設しています。ブログのプロフィールアイコンは若い頃の本人の画像になっています。
投稿内容は、基本的には研ナオコさんの仕事の事やオフショットなどが投稿されています。
現時点で20,573人のフォロワーがいます。研ナオコさんのファンを中心として、たくさんの人がブログを読んでいるのでしょう。
現時点での最新の記事は、研ナオコさんの誕生日を祝う記事でした。
その前は、小川菜摘さんからさくらんぼが届いたというもので、研ナオコさんが小川菜摘さんと舞台『梅沢富美男劇団・梅沢富美男・研ナオコ特別公演』で共演していることが紹介されていました。
歌手でタレントの研ナオコさんの旦那・野口典夫さんについてご紹介してきました。
野口典夫さんは、元は俳優をされていた方で、仕事の関係で研ナオコさんと出会い、お互い再婚同士で、授かり婚をしました。
現在、野口典夫さんは、研ナオコさんと結婚したのを機に独立して1991年5月に芸能事務所・ケンズファミリーを設立し、代表取締役社長を務めています。
結婚後は、研ナオコさんを公私共に支え、現在でも夫婦仲がよく、YouTubeに二人の様子をアップしています。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
この記事に関する記事
キーワードから記事を探す
Copyright© 運営事務局