風間トオルさんに結婚歴はある?娘が事故死の噂や阿部寛との仲も解説
2024/02/16
himawari3232
ビョルンアンドレセンは、1969年に『純愛日記』という青春映画に端役で出演し、スクリーンデビューしました。ビョルンアンドレセンが14歳の頃でした。作品はストックホルムの郊外で撮影されたといいます。なお本作は1971年に日本で初公開された際にオリジナルから20分ほどカットされ上映されました。
しかしその後、2008年4月26日に『スウェーディッシュ・ラブ・ストーリー』との邦題で完全版として上映されています。
1971年に、ビョルンアンドレセンは映画『ベニスに死す』に出演しました。1970年に、『ベニスに死す』の映画化のために、ヴィスコンティ監督が少年・タジオ役を探していました。そんな時に、バンドで歌っていたビョルンアンドレセンが監督の目に留まったことで、タジオ役に抜擢されたたのです。
日本においてキャリアを築くために、ビョルンアンドレセンは日本でも活動をしたことがあります。彼は祖母の勧めにより1971年8月に日本で映画のキャンペーン、明治製菓『エクセル』のCM撮影やCMソングのレコーディングを行ったのです。また、1971年末から1972年初頭にも来日しています。
ビョルンアンドレセンは、ファンから向けられる理想と実像のギャップに苦しみました。そして、長期間にわたり表舞台からは遠ざかっていました。一時期は死亡説まで流れたほどです。その後は、1977年にスウェーデン映画『絶壁』で主演を務め復帰しています。
美少年として有名なビョルンアンドレセンですが、彼は『ベニスに死す』のオーディション時には既に178センチの身長があったといいます。ビスコンティ監督からも「身長がちょっと大きいな」と言われたのでした。ビョルンアンドレセンは美少年といっても、小柄というわけではなかったのです。
美少年と称えられたビョルンアンドレセンは、どの様な生い立ちで育ったのか気になる方もいるでしょう。続いては、ビョルンアンドレセンの生い立ちについて迫ってみたいと思います。彼は、どういった環境で育ったのでしょうか。
ビョルンアンドレセンの母親はデンマーク出身です。また母親はボヘミアンだったとされていて、ヨーロッパの各地を転々としていました。なおボヘミアンとは移動生活者のことであり、自由であり放浪生活を送る人を指します。
ビョルンアンドレセンの父親は、ビョルンが生まれる前に亡くなっています。母親がビョルンを妊娠している最中に亡くなったのだといいます。そのため、彼は父親の顔を知らずに育ちました。父親は一体誰なのかも分かっていないでしょう。母親が、ビョルンの父親について誰にも言わなかったからです。
ビョルンアンドレセンが10歳の頃には、母親までも亡くなっています。父親が亡くなってから母親は再婚をしました。しかし、その4年後には離婚をすることになり、夫に捨てられたことにより母親は抑うつ状態となってしまった模様です。
その後に母親は失踪したとされ、自ら命を絶ってしまいました。この時に、ビョルンアンドレセンは“親”という存在を失ったということです。
ビョルンアンドレセンには兄弟もいました。兄弟といっても、父親は異なるといいます。母親が、ビョルンを産んで11か月後に異父妹を出産しているのです。母親はビョルンを出産した1か月後には妊娠をしたということになるでしょう。
その後、ビョルンアンドレセンはストックホルムで祖母に育てられました。そして音楽学校に入りクラシックを学ぶようになります。ところがビョルンアンドレセンが実際に好きだったのはロックだったといい、特にビートルズが好きでした。それから、13歳になるとバンド活動も開始させました。
美容師をしていた祖母の勧めもあり、ビョルンアンドレセンは子役として活動をするようになります。しかしそれには、祖母の思惑もあった模様です。まだ幼い孫の美貌に目を付け祖母が、業界に売り飛ばしたという見方もあるのです。
ビョルンアンドレセンが搾取されたという話があります。では、彼が搾取されたとは一体どういったことなのでしょうか。次に、ビョルンアンドレセンの“搾取”について探ってみたいと思います。
ビョルンアンドレセンは『ベニスに死す』のオーディションに参加しましたが、そこには金髪碧眼の少年のみが集められていました。そしてオーディション時には、監督から突然に“脱ぐように”と指示されたのです。
『ベニスに死す』のビスコンティ監督は、バイセクシャルだったといいます。そして、ビョルンアンドレセンを自身が所属する富裕層向けのゲイコミュニティに放り込んだという話もあります。放り込んだことに関して、ヴィスコンティ監督は「役作りだ」と言っていたのです。
そもそも“搾取”とは、人を自分本位あるいは非倫理的に利用するという意味もあります。そして、搾取には、“性的搾取”という例も見られます。ビョルンアンドレセンは、自身に対して少年期に何が行われていたのかは、具体的には語っていませんでした。しかし、彼に性的搾取が行われていたという証言もあります。
『ベニスに死す』でのビョルンアンドレセンのギャラは、5,000ドルだったとされています。日本円にすると、約50万円ほどになります。この額は、主演俳優の100分の1程度であったのです。当時の貨幣価値だとしても、主要登場人物を演じたにも関わらずこの額というのは少ないのかもしれません。
ビョルンアンドレセンが結婚した後になってから、過去の美少年裸画像を掘り起こされてしまいました。その画像は、写真集に無断で使われたのだといいます。
『ベニスに死す』で注目をされたビョルンアンドレセンは、現在どうしているのでしょうか。ここで、彼の現在についてお伝えします。
2022年3月の時点で、ビョルンアンドレセンは67歳となっています。彼が『ベニスに死す』に出演してから50年以上が過ぎました。ビョルンアンドレセンの見た目も変わっており、現在は長髪の白髪に長い髭という風貌になっているでしょう。年齢を重ね渋みが出ています。
2019年に、ビョルンアンドレセンがサイコロジカル・ホラー映画『ミッドサマー』に出演しました。彼が演じたのは、ダンというホルガの村人の老齢男性という役柄です。また、2016年に映画『The Lost One』に出演して以来、3年振りの出演となりました。
2018年に、ビョルンアンドレセンはドキュメンタリー映画の撮影に参加しました。この撮影では、日本にも来訪しています。映画の内容については後述します。
ビョルンアンドレセンが来日もして撮影したという映画は、『世界で一番美しい少年』です。この映画は、2021年にサンダンス映画祭で発表されました。ビョルンアンドレセンの人生を描いた作品でもあります。また、『世界で一番美しい少年』という言葉はビスコンティ監督が発した言葉であるとされています。
これは、ビョルンアンドレセンを評して言葉でした。
映画『世界で一番美しい少年』の中で、ビョルンアンドレセンは『ベニスに死す』の撮影後の16歳の頃が、人生で最も忙しかったのだと話しています。また、ビスコンティ監督および自身の祖母に苦しめられたとも明かしました。さらに、薬を飲まされてまで日本で働かされたとも言っているのです。
この点については、監督らが日本との関係を築きたかったためともされているでしょう。
『世界で一番美しい少年』は、日本でも2021年12月17日に全国公開されました。映画の中では、作品の撮影で訪れたカラオケバーでヒトカラ(1人カラオケ)をして、自身の楽曲『永遠にふたり』を歌っています。撮影で来日した際には、日本にいる友人と楽しい時間を過ごせたと、ビョルンアンドレセンは語っています。
現在は祖父となっていて、ビョルンアンドレセンには孫も2人います。女の子と男の子1人ずつと考えられ、孫たちも美形なのだといいます。
ビョルンアンドレセンが日本で活動をしたことがあると前述しましたが、日本人との交流はあったのでしょうか。次に、ビョルンアンドレセンと日本人との逸話についてご紹介します。
2015年に、ツイッターに珍しい写真が投稿されました。それは、ビョルンアンドレセンが1971年に映画のキャンペーンで来日した際に撮られた1枚だといいます。その写真が、なかなかにレアなものだったのです。
写真では、和室で箸を使いすきやきを食べているビョルンアンドレセンが、日本人の少年と写っています。投稿者は『ビョルンアンドレセンとおれの写真が出てきた』と呟いており、その写真の中の少年が投稿者自身であると考えられるでしょう。また、『箸を持つビョルンって珍しかろう』とも続けています。
なお、投稿者は『あの国の人は生卵が食べられませんでした』ともコメントしているため、ビョルンアンドレセンは生卵が食べれなかったものと推測されます。
美少年と言われたビョルンアンドレセンの結婚が気になる方もいるかもしれません。ここで、ビョルンアンドレセンの結婚について迫ってみたいと思います。
ビョルンアンドレセンは28歳だった1983年に、スザンナという女性と結婚をしました。結婚後は、劇団を運営しつつストックホルムで暮らしたとされています。しかし、夫婦の間には悲劇も起こっていました。
夫婦の間には結婚前に息子が生まれましたが、乳幼児突然死症候群で亡くなってしまったのです。それが原因となり、スザンナとは一度離婚をしました。
結婚後には、娘・ロビンも生まれています。ビョルンアンドレセンとスザンナが離婚したのは、ロビンが生まれた後であると考えられるでしょう。
その後には、ビョルンアンドレセンはスザンナと復縁しました。妻や娘とストックホルムで暮らし、彼は音楽教師をしていたとされています。一度は別れた妻子でしたが、復縁してからは穏やかに家族と過ごしてきた模様です。
ビョルンアンドレセンがとあるキャラクターのモデルになったといいます。それは一体何なのでしょうか。ビョルンアンドレセンがモデルになったという、キャラクターについて迫ってみましょう。
ビョルンアンドレセンがモデルとなったのは、池田理代子原作の漫画『ベルサイユのばら』に登場するオスカルというキャラクターです。”オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ”といい、『ベルサイユのばら』の主人公でもあります。幼少期より男性として育てられた“男装の麗人”という人物です。
フランス国王・ルイ6世の王妃であるマリー・アントワネットの護衛を務めていたという役どころであり、幼い頃より一緒にいたアンドレとの恋模様も注目される人物となっています。なお、オスカルのモデルはビョルンアンドレセン以外にも複数人いる模様でしょう。
『ベルサイユのばら』の作者である池田理代子が、ドキュメンタリー映画『世界で一番美しい少年』にインタビュー出演してます。そのインタビューで、池田理代子は『ベニスに死す』で一躍有名になった当時のビョルンアンドレセンの印象について語っています。
池田理代子は、彼を見て大きな衝撃を受けたのでした。そして『この世の中に、こんなに美しい人がいる』と思ったのだといいます。池田理代子自身も、インタビュー映像の中でビョルンアンドレセンをオスカルのモデルにしたことを明かしていました。
美貌に目を付けたビスコンティ監督により見出された15歳のビョルンアンドレセン。『ベニスに死す』への出演を獲得しますが、それを機に彼は大人たちによって性的搾取をされたのです。当時についてビョルンアンドレセンは「ぼくは性的象徴でオブジェのようだった」と語っています。
現在の彼は67歳となっていて、孫にも囲まれ幸せに暮らしている模様です。また、ドキュメンタリー映画『世界で一番美しい少年』も公開となりました。その中で、ビョルンアンドレセンは過去の大人たちから受けた仕打ちについて明かしているといいます。
これまで波乱に満ちた人生を歩んできた彼は、現在は穏やかに過ごしているでしょう。ビョルンアンドレセンの今後も、幸せなものであることを願わずにはいられないでしょう。
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