2024/02/16
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吉永小百合さんは、渋谷区立西原小学校6年生だった1957年に、ラジオ東京(現 TBSラジオ)の連続ラジオドラマ『赤胴鈴之助』でデビュー(上画像・左端)しました。吉永さんは、千葉道場の千葉周作の娘・さゆり役で出演しました。
同じ年に、ラジオ東京製作のテレビドラマ『赤胴鈴之助』でテレビデビューしました。テレビドラマでは、さゆり役ではなかったそうです。『赤胴鈴之助』が終了後、同じスポンサーで1959年から新たに放送開始された『まぼろし探偵』でも、吉永小百合さんは吉野さくら役で出演しています。
吉永小百合さんは、1959年に『朝を呼ぶ口笛』で映画デビューしました。吉永さんは、主人公の新聞配達の少年・稔に温かい声援を送る少女・美和子の役で脇役デビューでした。
新聞配達の少年・稔役は加藤弘さんで、テレビドラマ『まぼろし探偵』で主役の少年記者を演じ、吉永さんと共演しています。
吉永小百合さんは、1957年の小学校6年生の時に芸能界デビューし、現在も女優として活動しています。長い芸能活動だけに、かなりの年齢になっているはずですが、あまり年寄り臭さがありません。そんな吉永さんの年齢に関することを調べてみました。
現在も現役女優として映画出演が続いている吉永小百合さんは、1945年3月13日生まれですから、現在は76歳になります。
ある映画ライターが、吉永小百合さんのことを、「小百合さんって地球外生物だと思う。それくらい年齢とかステイタスじゃない存在。多分、彼女を知らない外国人が見ても何歳か分からないはず」と語っています。
同じ映画ライターが、「吉永小百合さんは、演技が上手で上品だし、おばあさんに見えないところが特異点」とも話しています。そして「吉永さんが孫がいる祖母役をやっても説得力がないでしょう」と続けました。
『実年齢より若く見える女優ランキングベスト15』というアンケートが行われたことがありますが、吉永小百合さんは6位にランクインしました。ずっと変わらない品のよい美しさは70歳を超えているとは思えない、背筋がビシッとしていて肌もキレイなどの声が上がりました。
ちなみに『実年齢より若く見える女優ランキング15』の1位は、安達祐実さん、2位が深田恭子さん、3位が石田ゆり子さんでした。
吉永小百合さんの父親や母親がどんな人だったのか、両親の出身地やどんな仕事をしていたのかなどを調べてみました。
吉永小百合さんの父は、吉永芳之さんで鹿児島県出身です。東大法学部を卒業後、九州耐火煉瓦、外務省属託を経て、出版社「シネ・ロマンス社」を経営し、双葉十三郎さんや飯島正さんと映画雑誌『シネ・ロマンス』を刊行しました。しかし、事業に失敗したらしいです。
吉永小百合さんの母は、吉永和枝さんで大阪生まれです。和枝さんの兄・川田友之さんは成人後、出版社「大観社」を経営していたそうです。また妹の川田泰代さんは『婦人画報』の編集長を務めました。
和枝さん自身は、短歌結社誌『潮音』に所属する歌人だったそうです。
吉永小百合さんの母・和枝さんは、7人兄弟の上から2番目の長女で3歳の時に祖父母が住む兵庫県播磨の山寺にたった1人預けられました。祖父は酒飲みで、食事時は祖母は祖父より一段下の板の間で粗末な食事をとりながら祖父に食事を運んでいたそうです。
和枝さんは6歳の時に東京に呼び戻されました。彼女の父・友之さんが大規模事業を展開して財をなし、東京の千駄ヶ谷駅近くに大きな洋館づくりの家を新築したからです。
祖父母の元で昔ながらの躾(しつけ)を受けていた和枝さんは、父親の洋風な教育に馴染めず、自由に育った兄弟とも仲良くはなれなかったそうです。
吉永小百合さんは、1973年に15歳年上のプロデューサー、岡田太郎さんと結婚しましたが、子どもはいるのかどうかを調べてみました。
吉永小百合さんは、1973年の28歳の時、当時フジテレビの社員だった岡田太郎さんと結婚しました。吉永さんとは15歳も離れた年の差婚でした。歳の差だけでなく岡田さんがバツイチだったので、吉永さんの両親は大反対しましたが、それを振り切って結婚したようです。
結婚して長いですが、2人の間に子どもはいないようです。
吉永小百合さんが、子どもを作らなかったのは、母親の和枝さんとの確執が原因だと言われています。和枝さんがステージママだったそうで自分を束縛したので、小百合さん自身も同じようになるのを心配して子どもをつくらないと決めたのではないかということらしいです。
でも、年を重ねてから過去を振り返ったとき、子どもをつくらなかったことを後悔するときもあったと話しています。
吉永小百合さんの母・和枝さんは自分が音楽学校へ通う夢を諦めた過去があり、それだけに娘に芸能をやって欲しいという気持ちがありました。小百合さんが人気者になって仕事がひっきりなしになった時、両親は彼女を一生懸命バックアップしました。
吉永小百合さん自身、親に自分の意思表示をしない親にとって「いい子」として育ちました。両親も「娘もこれで喜んでくれている」と思いました。でも、実は小百合さんと両親の意識がすれ違っていて、それがずっと続いていたらしいです。
そして、吉永小百合さんは、岡田太郎さんと結婚することで、初めて両親に歯向かい、両親とは絶縁状態になってしまいました。
病気になったと言っても吉永小百合さんではなく、彼女の夫・岡田太郎さんのほうですが、「病気を患っている」という噂が流れたことがあります。その真相を調べてみました。
吉永小百合さんの夫・岡田太郎さんが2014年に重い病気を患い入院したことがあります。当時、岡田さんは84歳と高齢でしたので心配されました。
吉永小百合さんの夫・岡田太郎さんが患った病気は、肝臓の重い病気だったそうです。でも、詳細は明かされておらず、どのような病状だったのかは不明です。
吉永小百合さんの夫・岡田太郎は、一時危篤状態になったこともあったそうです。でも吉永さんの献身的な看病のおかげもあり、無事退院したそうです。
吉永小百合さんは、夫・岡田太郎さんが退院後、彼のために自宅をバリアフリー住宅に改築したそうです。2018年の時点で仲睦ましく夫婦で暮らしていると言われ、2021年現在、岡田さんは90歳を超えていると思いますが、亡くなったという情報は流れておらず存命だと思われます。
吉永小百合さんは、日活に入社後、様々な映画に出演し人気スターとなりました。そんな吉永さんの若い頃の活躍ぶりを調べてみました。
吉永小百合さんは、日活に入社後、出演第1作となった赤木圭一郎さん主演の『拳銃無頼帖 電光石火の男』(1960)で主人公を慕う少女・節子(上画像)を演じ、脇役にもかかわらずその美少女ぶりが話題になりました。
続く赤木圭一郎さん主演の映画『霧笛が俺を呼んでいる』(1960)『拳銃無頼帖 不敵に笑う男』(1960)などで準ヒロイン役に抜擢されました。日活入社半年後には『ガラスの中の少女』で早くも主役に抜擢されました。
吉永小百合さんは、日活に入社した翌年1961年には16本もの映画に出演しましたが、彼女の純粋で庶民的なイメージが青春映画とマッチしたことから、人気が爆発!「サユリスト」と呼ばれる熱狂的なファンも現れ、社会現象を巻き起こしました。
吉永小百合さんは、1962年の映画『キューポラのある街』で、貧しさにめげず強く明るく逞しく生きるヒロインを好演し、ブルーリボン賞の主演女優賞を受賞しました。
同映画の監督、浦山桐郎さんは、当初吉永さんの起用に難色を示していたそうです。浦山さんは、東京・山の手で育ったお嬢様育ちの吉永さんに貧乏が分かるわけないと思っていたそうで、彼女に「貧乏について考えてごらん」と問うたこともあったらしいです。
実際には、吉永さんの父親が事業に失敗して貧しい生活を実体験しており、浦山さんの懸念は杞憂に終わったのだそうです。
吉永小百合さんは、1962年に橋幸夫さんとのデュエット曲『いつでも夢を』をリリースし、1ヶ月で30万枚を超える大ヒットを記録(累計売り上げは260万枚)しました。この曲で『第4回日本レコード大賞』を受賞しました。
吉永小百合さんの最新主演作は、2021年5月に公開された映画『いのちの停車場』です。在宅医療の現場で女医が命と向き合う姿を描いた物語ですが、吉永さんにとって122本目の出演作で、初の医師役。吉永さんは70歳半ばですが、とても若々しく60代の設定の主人公に全く違和感がありません。
これからも、現役女優として様々な映画で活躍を続けていって欲しいものですね。
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