木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
倉持麟太郎は、2005年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、2008年に中央大学法科大学院を修めました。
2012年には、司法修習修了・弁護士登録を果たし、弁護士法人仁平総合法律事務所に所属しました。
その後、2014年11月に同期の弁護士3名で「弁護士法人Next」を開設しており、現在、倉持麟太郎は弁護士法人Nextの代表弁護士を務めており、離婚や男女問題、企業法務を専門分野としています。
倉持麟太郎は、TOKYO MXで放送されていた『モーニングCROSS』で、日替わりのコメンテーターを務めていました。
また、衆議院平和安全法制特別委員会公聴会で参考人として意見陳述したり、米国務省International Visitor Leadership Programに招聘されています。
他にも、朝日新聞『論座』で執筆したり、慶應義塾大学法科大学院非常勤講師(憲法)をつとめるなど弁護の仕事以外でも、多方面で活動しています。
著書も『リベラルの敵はリベラルにあり』(ちくま新書)を発売しています。
倉持麟太郎は、2016年10月3日に、漫画家であり評論家の小林よしのり主催の討論会『ゴー宣道場』の師範(講師)に就任したと、ゴー宣道場公式ホームページ内のブログで報告しました。
ゴー宣道場は、「身を修め、現場で戦う覚悟をつくる公論の場」を道場開設の主旨とし、日本社会における公論の形成をその主眼目標としています。
二部構成となっており、第一部では師範、あるいはゲスト講師による、議題の公開討論形式にて進行され、第二部では参加者による質疑応答が行われます。
政治・経済・社会にまつわるテーマを討議されることが多く、
また、
など、天皇制についての討論も多くされています。
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倉持麟太郎は、過去に結婚していましたが、W不倫発覚後離婚しています。そして、その元妻が離婚後に自殺しています。いったい、何があったのでしょうか。
詳しく見ていこうと思います。
元妻が2020年10月3日に自宅で自殺していたことが、2021年4月27日の週刊文春電子版で配信されました。元妻は、享年36歳か37歳であったということです。
息子の誕生日1か月前だったとの事で、葬儀は親族のみでひっそりと執り行われたそうです。
自殺に関して、遺書があったのか、あったとしてその内容などは、一切公表されていないので、自殺の原因は不明です。
元妻は、倉持麟太郎との離婚後は実家に戻っていたそうですが、うつ病と診断されており、抗うつ剤の処方を受けていたそうです。
うつ病に陥ったのは、倉持麟太郎と山尾志桜里の不倫が原因ではないかと噂されていますが、それに関しても、真相は不明です。
うつ病と自殺が結びつくのではないかと考えられますね。
倉持麟太郎と山尾志桜里の不倫が発覚する前、2017年8月14日に、元妻(その時はまだ離婚していません)が『左脳大脳動脈狭窄症』と診断され、脳梗塞の前触れが出ていました。
そのため元妻は、倉持麟太郎の勧めもあり翌日から仕事を休み、子供を連れて実家に戻り、療養することになっていました。
続いては、倉持麟太郎の子供に関して詳しく見ていこうと思います。
倉持麟太郎は、2015年4月にキャビンアテンダントをしていた元妻と結婚しています。そして、その年に第一子となる長男が誕生しています。娘とする情報もあるようですが、子どもは男の子であると分かっています。
2人の結婚は授かり婚だったようです。
母親が2020年に亡くなっていますが、その時、息子は5歳でした。母親と合えなくなったことをどう理解できているのかは分かりませんが、幼い子供には耐え難い事実ですね。
続いては、2017年に発覚した、倉持麟太郎と山尾志桜里の不倫騒動について詳しく見ていこうと思います。
2017年9月6日、週刊文春「電子版」は、当時、衆議院議員だった山尾志桜里と倉持麟太郎の不倫を「山尾志桜里がイケメン弁護士とお泊まり禁断愛」と大きく報じました。
山尾志桜里には、党幹事長に内定していましたが、報道される直前に「週刊誌が山尾と倉持との交際疑惑を取材している」との情報が入り、内定は取り消されました。
報道の内容は、『倉持麟太郎は妻が実家で療養中、山尾志桜里と週4回逢瀬を重ねている』との事でした。
2017年8月28日には、倉持麟太郎の自宅マンションに、倉持麟太郎と山尾志桜里が一緒に入っていくところを目撃されており、翌朝の4時半ころに山尾志桜里が出てきたとの事。
8月31日には、イタリアンレストランで食事してから、またもや倉持麟太郎の自宅マンションに二人で入っていったそうです。
9月2日には、仕事帰りに新幹線で隣同士で密着して座っており、到着後は高級ホテルに山尾志桜里がチェックインし、この後倉持麟太郎が同じ部屋に入っていったとの事です。
倉持麟太郎、山尾志桜里、共に既婚者で子供もいました。
山尾志桜里は、旧ライブドラ社員・山尾恭生という夫がいたため、W不倫として大きな話題となり、2人に非難が集中しました。
2017年5月ころ、山尾志桜里は旦那に対し、価値観が違うとして離婚を申し入れていたそうです。離婚の相談を受けていたのが倉持麟太郎だったという情報もありますが、定かではありません。
山尾志桜里は2018年2月に離婚が成立していますが、元旦那は、倉持麟太郎との不倫が原因だろうとし、2021年4月に損害賠償請求訴訟を起こしています。
2人はこの報道について、倉持麟太郎は、山尾志桜里の政策ブレーンであり男女関係はないこと、仕事の作業や打ち合わせを倉持麟太郎の自宅で深夜まで行ったいたと説明しました。
文春に掲載された、同じホテルに宿泊したとの内容については、山尾志桜里一人で宿泊したとし、結果的に誤解を招く行動を取り、様々な方々に御迷惑をお掛けしたとコメントしました。
また、後日、倉持麟太郎が蓮舫参議院議員の二重国籍問題の担当弁護士であったことも判明しました。
倉持麟太郎と山尾志桜里は、彼の元妻が実家で療養中に、週4日にわたり会っていたと報じられており、山尾志桜里は倉持家の夫婦の寝室にまで入っていたと元妻の告発で分かっています。
元妻に実家での療養をすすめたのも、山尾志桜里と自宅マンションで会いやすいようにだったのではないかと想像してしまいますね。
2021年4月27日の週刊文春電子版では、山尾志桜里の“議員パス”の不適切利用を報じました。
議員パスとは、選挙区内の移動や公務出張するときに新幹線、特急、指定を含むJR全路線を無料で利用できる特殊乗車券の事ですが、山尾志桜里は、マッサージや食事、そして、倉持麟太郎のもとに向かう時にも、議員パスを利用していたという内容でした。
2021年4月27日の週刊文春電子版で、議員パスを使い、倉持麟太郎の自宅マンションに向かっていたと報道されており、倉持麟太郎と山尾志桜里は、現在も会っているとされています。
しかし、倉持麟太郎には、新たに親しくしている女性がいるとの情報もあります。
山尾志桜里は2018年2月に離婚しており、2021年10月の衆院選に出馬せず、現在、政治家は辞めている状態です。
2011年11月8日には、自身のTwitterを更新し、政治家として使用していた「山尾」という姓を使用することをやめ、「菅野(かんの)志桜里」として活動をしていくと報告しました。
そして、新しいウェブメディア「The Tokyo Post」を立ち上げ、編集長をつとめています。
不倫報道がされた後、倉持麟太郎は離婚しています。詳しく見ていこうと思います。
2017年11月27日に、倉持麟太郎と妻が離婚しています。
妻は、左脳大動脈狭窄症を患い療養中でしたが、一方的に倉持麟太郎から離婚を切り出されたと言います。
病気を患い、夫は認めないものの、W不倫の報道の後であり、元妻は心身ともにとてもダメージを追っていたであろうことは想像できます。
倉持麟太郎が弁護士として駆け出しだったころ、小学校の同級生だった女性と交際を始め、彼女は下積み時代の倉持麟太郎を支えていたそうです。
2014年に婚約状態になり、もうそろそろ結婚かという雰囲気でしたが、徐々に同棲している部屋に帰って来なくなったそうです。そして、2015年に、倉持麟太郎が別れを告げ、婚約不履行となります。
そして、倉持麟太郎は元妻と授かり婚をしています。
2017年8月に倉持麟太郎と山尾志桜里のW不倫が報道され、大きな話題となりましたが、2017年10月に行われた衆議院議員選挙で山尾志桜里が再選すると、倉持麟太郎は山尾志桜里の政策顧問となったことが発表されます。
下火になっていた話題が再燃しました。その後、倉持麟太郎の離婚が成立しているので、元嫁を切り捨てて、山尾志桜里のブレーンとしての道を選んだようにも見えます。
2018年3月22日発売の「週刊文春」3月29日号に、倉持麟太郎の元妻が手記を寄稿しました。
「この半年は、私にとって地獄のような日々でした。本当に思い出すのも辛いことばかりです。」と辛い胸の内を明かし、倉持麟太郎と山尾志桜里の不倫を非難し、山尾志桜里に対し慰謝料請求の用意をしていると語りました。
倉持麟太郎の一人息子について、倉持麟太郎が親権を持つこととなりましたがどういった経緯があったのでしょうか。
通常、母親が親権を持つことが多いですが、息子の親権は、離婚時から倉持麟太郎が持っています。
マスコミやSNSなどでは、無理やり倉持麟太郎が親権を奪ったからだという声が多く、それに対して、倉持麟太郎が親権を持ったのは、元妻や元妻の親族からの希望だったと話しています。
元妻は、倉持麟太郎と山尾志桜里との不倫の事で精神的にまいっており、病気を患い体調が思わしくなかったこと、療養で仕事を休んでいたことで経済面でも不安定であり、子育てが分からなくなったとされています。
倉持麟太郎が親権を持つその代わりに、週3日の息子との面会が条件だったそうです。
元妻は(離婚前に)子育てができる状態ではなかったと考えられます。
元妻と子どもとの面会時には、子どもは、母親と一緒に居たいと泣いたそうです。また、元妻も子供との生活を望んでおり、元妻は気持ちが少し落ち着いてからは親権を持たせてほしいと訴えていたようですが、叶う事はありませんでした。
元妻は、先にも触れましたが、離婚当時、正常な冷静な判断が出来なかったとはいえ、息子と離れることを一時でも了承してしまった事、倉持麟太郎に親権を渡したことを後悔していました。
息子と面会する予定を楽しみにしていた元妻ですが、倉持麟太郎が面会拒否をするようになります。
理由は、元妻が書いた手記を週刊誌に載せたことでした。メディアに、コメントなどを出し続けるのであれば、息子には会わせないとのことでした。
これに対して、元妻は週刊誌などの取材に応じて現状を訴え続けました。しかし、この後、元妻は自ら命を絶ってしまいました。
もし、元妻が子供と一緒に暮らせていたら、自殺に至るまでにはならなかったのではと考えてしまいますね。
元衆議院議員・山尾志桜里との不倫疑惑が取り沙汰された、弁護士の倉持麟太郎についてご紹介してきました。
山尾志桜里とのW不倫報道の後、山尾志桜里の政策顧問となり、妻とは離婚していました。その後も、山尾志桜里との関係は続いたと考えられています。
そんな中で、2021年には元妻はこの世を去っていました。
ダーティなイメージがついている倉持麟太郎ですが、コロナでの問題など積極的に情報を発信し、現在も弁護士として活躍しているようです。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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元衆議院議員・山尾志桜里との不倫疑惑が取り沙汰された、弁護士の倉持麟太郎とは、いったいどういう人物なのでしょうか。
まずは、倉持麟太郎の経歴などを詳しく見ていこうと思います。