ビートたけしが芸能界引退?事故で顔面麻痺の過去や映画作品を紹介
2023/12/28
大今里
羽賀研二は高校卒業後の1981年に、ミュージカル『ザ・ファンタスティックス』で正式に芸能界デビューしました。彼は“劇男零心会”にも籍があったといいます。“劇男零心会”は、男性路上パフォーマンス集団・劇男一世風靡の分裂前のグループです。
劇男一世風靡は、哀川翔や柳葉敏郎、勝俣州和が所属していたことでも知られる集団でもあります。
1982年にタモリの長寿番組『森田一義アワー 笑っていいとも!』が始まると、初代『いいとも青年隊』に起用されました。メンバーには、野々村真と久保田篤がいました。『いいとも青年隊』として活動したことを機に、羽賀研二は俳優や歌手として活動をしていくようになります。
1994年より11歳年下のモデル・梅宮アンナとの交際が明らかになりました。それだけではなく、巨額の借金が発覚します。これにより、羽賀研二は週刊誌やワイドショーで多く取り上げられました。梅宮アンナとはペアヌード写真集を発売するほどの仲でしたが、1999年に破局しています。
2004年にケツメイシの『君にBUMP』のPVに出演するなど、羽賀研二は芸能活動を再度本格化しました。また、地元の沖縄で『南国食堂』という食堂(閉店済み)のオーナーを務めていました。また、“副業”としてジュエリーデザイナーをしていた時期もあります。
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続いては、羽賀研二の若い頃にスポットを当ててみたいと思います。羽賀研二は若い頃からダンディだったのでしょうか。
濃い顔立ちが羽賀研二の特徴でもあるでしょう。羽賀研二は、昔から堀の深い顔立ちをしたイケメンでした。彼が堀の深い顔立ちであるのには理由があります。その点については後述します。
俳優の草刈正雄も堀の深い顔立ちを持っていますが、彼も若い頃から顔が濃い目であったでしょう。それもあってなのか、羽賀研二は草刈正雄に似ているという見方もあります。
インターネット上に、羽賀研二の若い頃の画像があり見ることができます。学生時代のまだ幼い印象の画像もあるでしょう。
声優の木村昴が、羽賀研二のそっくりさんとして小学生時にテレビ番組『まねキン』に出演しています。また、『いつみても波瀾万丈』の再現VTRで、羽賀研二の幼少期を演じていました。木村昴はハーフの声優であり、2005年に中学生にして『ドラえもん』の“ジャイアン”の声優をたてかべ和也より引き継いでいます。
木村昴は、声優だけでなくラッパーや俳優として幅広く活動しているでしょう。
羽賀研二は、ワイドショーや週刊誌を賑わしていた頃に“誠意大将軍”と呼ばれていました。ここで、羽賀研二が“誠意大将軍”と呼ばれる理由について見ていきたいと思います。彼にはなえ“誠意大将軍”という呼び名が付いたのでしょうか。
梅宮アンナと交際していた頃、羽賀研二は彼女の父親である梅宮辰夫に公然と交際を反対されていました。羽賀研二と梅宮アンナはペアヌード写真集を出版していますが、当時の羽賀研二には2億円という借金があったというのです。
写真集の出版は借金の返済をするために、梅宮アンナが騙されたのだとする憶測もありました。梅宮辰夫が反対したのは、羽賀研二との関係を桜庭あつ子が暴露したことも追い打ちをかけたとされています。
騒動になっていたことから、羽賀研二は記者会見を開きました。その場で、羽賀研二は「誠意をもって」や「誠意を示して」など、「誠意」という言葉を連発したのです。そのことから“征夷大将軍”をもじり“誠意大将軍”と揶揄されるようになったのでした。
当時の恋人・梅宮アンナの父親である梅宮辰夫やマスコミから、羽賀研二は“稀代のワル”と言われました。なおそのことを逆手にとってなのか、彼は“誠意”と書かれたはちまきをして羽織を羽織った武士姿になったことがあります。
ワイドショーを騒がせた羽賀研二ですが、現在はどうしているのでしょうか。ここで、羽賀研二の現在について迫ってみたいと思います。
羽賀研二に、2020年9月10日に懲役1年2か月の実刑判決が言い渡されました。同年10月5日に刑が確定し羽賀研二は沖縄刑務所に服役していたのです。執行猶予が付いていないということで、刑としては重く見られた可能性があるでしょう。
羽賀研二は2020年10月以降に収監されたと考えられ、それから1年2か月後と考えると2022年1月現在は出所している可能性があります。2度目の服役を終え、普通の生活に戻った模様でしょう。
2021年11月11日と12日に、羽賀研二は展示会に登場しています。出所後初となる公の場であり、約14年ぶりに活動を再開させたとされています。羽賀研二が登場したのは、超高級時計やジュエリー、バッグ、コートといったラグジュアリー感のあるイベントでした。
またそのイベントは、ドレスコードが“輸入車”だったといいます。要するに、輸入車に乗って来ることが義務付けられたイベントであったと考えられるでしょう。なお、還暦を過ぎた現在も、羽賀研二のイケメンぶりは健在であるとの声も聞かれます。
服役をしていた羽賀研二ですが、次に彼が逮捕された理由について迫ってみたいと思います。羽賀研二はなぜ逮捕されてしまったのでしょうか。
2001年2月に、羽賀研二は医療関連会社の未公開株を知人だった不動産株式会社社長・A氏に売却する契約をしました。その後、7月から10月の間に1株120万円の290株分を、仲介料込みで総額3億7千万円が羽賀研二に支払われています。
当初未公開株は1株120万円とされていましたが、実際には1株40万円でした。それだけでなく、医療関連会社も8月に経営破綻していたものの、羽賀研二はそれを知りながらA氏に知らせなかったのです。そして、総額3億7千万円もの大金を受け取っていたのでした。
羽賀研二はA氏に対して、「通常はもっと高いが芸能人のルートがあり1株120万円で買える」や「元本保証はする。もし買ってくれたら自分(羽賀研二)は取締役になれる」と言っていたのだといいます。
A氏は羽賀研二に元本保証の確認書を突き付けましたが、羽賀研二は連絡を絶ちました。上場前に破綻したものであり、保証する必要はなく自身も被害者だと羽賀研二は言っていたのです。そして2006年6月に、A氏は元ボクシング世界チャンピオン・渡辺二郎らに賠償請求権を放棄しろと脅されたのだといいます。
脅したのは、渡辺二郎の他に、俳優の吉川銀二、暴力団関係の幹部2名もいたのでした。
羽賀研二は、A氏を恐喝していた渡辺二郎らと繋がっていました。そして、皆が2007年6月に逮捕されたのです。10月には羽賀研二と渡辺二郎が詐欺罪でも逮捕されました。
2011年6月に、控訴審において羽賀研二に懲役6年が言い渡されました。羽賀研二は、沖縄刑務所で服役することとなったのです。そして、2016年には民事裁判により被害者に対して全額返金近くとなる3億9千万円の支払いが命じられています。
羽賀研二の罪はこれだけでは終わりませんでした。彼は2017年に妻と離婚しています。しかしそれは、16物件分の不動産を財産分与として元妻に譲渡するためだったのです。この行為が偽装離婚の財産隠しとみなされ、羽賀研二は妻と共に逮捕されました。
そして、2020年9月に一審判決が破棄され1年2か月の懲役が言い渡されています。羽賀研二は再度収監されることになったのでした。
実は、羽賀研二は声優としても活動していたことがありました。では、羽賀研二はどういった作品で声優の活動をしていたのでしょうか。
1993年に公開されたディズニー映画『アラジン』で、羽賀研二は主人公のアラジン役を演じました。この際には、演技が上手だとして話題にもなったほどです。羽賀研二の声とアラジンのキャラクターが見事にマッチしていたからです。
羽賀研二はオーディションによりアラジン役に決定しました。しかしオーディションは形だけであり、声優の決定権はディズニー側にあったとされています。ディズニー側のスタッフが何人か候補者を見つけていて、内定調査の末にアラジン役は決定したというのです。
実際のところは分かりませんが、羽賀研二はこの候補者に入り本当は前もって決まっていた可能性があるでしょう。
アラジン役が好評だった羽賀研二ですが、逮捕されたことにより変更されることになりました。2008年からは、アラジン役を人気声優・三木眞一郎が務めています。現在は、三木眞一郎のアラジンが聞かれるということです。
声優というわけではありませんが、羽賀研二は映画の主題歌も担当したことがあります。しかもその映画は、超有名作品でした。1984年に、日本でもヒットした『ネバーエンディングストーリー』という映画がありました。この映画のテーマ曲の日本語版を歌っていたのが、羽賀研二です。
しかし楽曲の歌詞はオリジナル版の英語バージョンとは程遠い内容となってしまっています。なお、羽賀研二バージョンは公式タイアップ曲となっているでしょう。
最後に、羽賀研二の生い立ちについて見ていきたいと思います。羽賀研二はどういった環境で育ったのでしょうか。幼少期からスカウトを受けるまでをご紹介しましょう。
羽賀研二は、本名・當眞美喜男(とうまみきお)として1961年に沖縄県コザ市(現沖縄市)で生まれました。アメリカ兵である父親と日本人の母親の元に生まれたため、羽賀研二はハーフとなります。同じく日米ハーフの草刈正雄に似ていると言われることや、日独ハーフの木村昴が“そっくり”とされるのもこのためでしょう。
羽賀研二の父親は、羽賀研二が生まれて直ぐに本国・アメリカに帰国してしまいました。父親が帰国後には、母親や祖母、妹と4人で生活をすることになりました。しかし父親からの援助は何もなかったといい、母子らの生活は困窮してしまいます。
生活が苦しくなったため、稚園の頃は住む家もなく、知り合いの電気店の廃屋同然の納屋に住んでいたといいます。そして、トイレやお風呂は母屋で借りていたのです。この納屋は衛生面で問題があった模様であり、体調を崩すこともしばしばだったとされています。母親はスナックに勤務し、共に暮らしていた祖母も内職をしていました。
しかしお金がなく、母親の店の乾物のみで夕食を済ませることもありました。羽賀研二は、ハーフであることなどを理由にいじめに遭っていたのです。それが原因で、3回の自殺未遂の経験もあるとされています。
羽賀研二は、小学2年生から中学卒業まで新聞配達をして家計を支えています。そして高校に進学後はバスケットボール部に所属し、4番や5番を担う中心選手としてチームをインターハイへと導きました。
高校時代の羽賀研二はスポーツ特待生でした。前述の通りにバスケットボールでのインターハイ出場も果たしていて、3年生の頃には大学からスカウトも受けています。また、学生時代にはマクドナルドでのアルバイト経験もあるとされています。
そして、高校3年生の頃に友人とジーンズショップで買い物をしていた時に、羽賀研二は東京の芸能事務所の社長にスカウトされました。社長から見て、光るものがあったのでしょう。なお一緒に買い物をしていた友人は羽賀研二の数少ない友人の1人であったといいます。
そして後に、彼はテレビに羽賀研二の親友としてテレビに出演しています。
羽賀研二の母親は本当は韓国人であり、羽賀研二は米韓のハーフであるとの噂もある模様です。噂の中には、羽賀研二は国籍が日本だけれどそれは帰化したためとするものまであります。しかし、そうした噂には信ぴょう性がほぼありません。公式にも、羽賀研二の母親は日本人であるとの情報が載っています。
母親について”話し方が外国人のようだった”とする噂もありますが、それも噂に過ぎないでしょう。
羽賀研二はハーフということもあり、若い頃から堀の深い顔立ちでありダンディさがありました。彼が“誠意大将軍”と呼ばれた理由は、梅宮アンナとの交際を梅宮辰夫に反対されたことに端を発します。記者会見で、羽賀研二が“誠意”という言葉を連発したのでした。そのため、“誠意大将軍”と言われるようになったのです。
羽賀研二は詐欺を働いたなどとして服役をしていましたが、現在は出所し活動を再開している模様でしょう。今後は罪を犯すことなく、羽賀研二には穏やかな日々を過ごして欲しいものです。
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