2023/12/22
k_nanamru
梅宮アンナは、1990年代に街でのスカウトをきっかけにして、女性雑誌『JJ』にレギュラーとして登場していました。以前から、梅宮辰夫の娘としてテレビ出演したことはあったとされています。とんねるずの『ねるとん紅鯨団』の芸能人大会に、単独で出演しました。
司会進行を務めていた石橋貴明に気に入られて、その回のマドンナのように扱われたのです。これにより、梅宮アンナの知名度がアップしました。
90年代半ばからは、タレントとしてテレビのバラエティー番組にも多く出演しました。1994年から1999年までの約5年間は、羽賀研二との恋愛がワイドショーなどで大きく取り上げられています。
梅宮アンナは、2000年以降はテレビ出演が途絶えていました。しかし近年は、バラエティー番組などに出演しています。例えば2016年10月3日から2020年9月までは、TOKYO MXの『バラいろダンディ』に水曜レギュラーとして出演していました。
続いては、梅宮アンナの離婚した理由について迫ってみたいと思います。梅宮アンナはなぜ元夫と離婚をしたのでしょうか。
梅宮アンナは、娘や母親と共に2020年2月に放送されたテレビ番組『ボクらの時代』に出演しました。この際に、彼女は自身の離婚についても語っています。
元旦那とは、長女を妊娠している時から喧嘩を頻繁にしていたと、梅宮アンナが語っています。2人の間に、衝突をする要因があった可能性があります。
梅宮アンナは、長女の百々果を出産したその日に離婚を決意したといいます。また、娘が満1歳になった時に離婚が成立したことから、娘は父親を知らずに育ちました。
では、なぜ梅宮アンナは離婚を決意したのでしょうか。彼女は、『自分は(妊娠をしてお腹も大きくなり)変わっていったけれど、相手は何も変わらなかった』と話しています。そして、『相手は結婚したくなかったのかな』と思うようになったのです。
これにより、それならば早い方が良いと思い立ち、別れるに至ったのでした。
梅宮アンナは、テレビの中で娘に「離婚をどう思う?」と尋ねました。すると娘は、「(離婚は)小さい時にする方がいい」と答えています。また、成長して両親を知ってから離婚をするのは辛いとも語っていました。
梅宮アンナと元旦那の結婚から離婚までを見ていきましょう。結婚した経緯や馴れ初め、離婚した時期などについてご紹介します。
梅宮アンナは、28歳だった2001年にできちゃった婚をしました。羽賀研二との破局から2年後のことでした。妊娠を祝福されずに、自分の父親である梅宮辰夫からは中絶を勧められたといいます。そうした反対の中で、梅宮アンナは結婚をしたのです。
梅宮アンナと元旦那の馴れ初めは、明らかになっていません。どこでどの様に出会ったのかも不明なのです。分かっていることは、梅宮アンナが妊娠後に結婚をしたということのみです。
梅宮アンナと元旦那は、2003年2月に離婚しました。結婚生活は、2年にも満たなかったのです。梅宮アンナは出産当日に離婚を決意したと語っているため、子どもが生まれてからしばらくは子育てをしながら耐えていた可能性があるでしょう。
次に、梅宮アンナが離婚した元旦那がどういった人物なのかについて見ていきましょう。元旦那はどういったことをしていた男性なのでしょうか。
梅宮アンナの元旦那は、千葉貴司という男性です。当初は、青年実業家として紹介されていました。また、梅宮アンナの2歳年上であるとされています。
元旦那は、アミューズメント会社などに勤務しおり、義父である梅宮辰夫の協力を得て和風レストランをオープンさせる話があったといいます。イベント企画等を手掛ける会社の社長としても名刺を配っていたともいわれています。
しかし実際には、違法カジノで上客を接待する係だったことが判明しています。青年実業家というのは嘘だったのです。梅宮アンナと結婚するために一度はその道から抜けていた模様ですが、元旦那は離婚する前からまたその世界に戻ってしまったのでした。
梅宮アンナの元旦那・千葉隆史は、梅宮アンナと結婚してからというもの、定職に就くこともなく彼女の“ヒモ”状態になっていたとされます。これによって、元旦那は梅宮家からも見限られたというのです。
千葉隆史は、梅宮アンナと離婚後にほどなくして逮捕されてしまいました。離婚した翌年に、『賭博場開張図利罪(とばくじょうかいちょうとりざい.)』の容疑で逮捕されたのです。これは、自身の利益を得るために自身で主宰をして、ギャンブルをする場を開設したとする罪となります。
梅宮アンナには娘がいますが、その娘は一体どうしているのでしょうか。梅宮アンナの娘についてご紹介します。
梅宮アンナの娘は2002年1月に誕生しており、名前を“百々果(ももか)”といいます。幼い頃などは特に、母親である梅宮アンナにそっくりだと言われていました。
娘の百々果が思春期になると、親子喧嘩も増加していき別居状態となったといいます。娘はほとんど(週4日ともいわれる)祖父宅で暮らしていたという話があります。梅宮アンナはというと、この頃は一人暮らしをしていたのでした。
梅宮アンナは、『会う時間は長くないけれど、会っていて楽しい』と娘との関係が良好であることを語っています。なぜ親子が別居に至ったのかというと、クローゼットの服の量で言い争いになったことが発端であるとされています。
娘・百々果は、2019年に入院したことがありました。脚がしびれてしまい、体に力が入らなくなったといいます。そのためギランバレー症候群も疑われたものの、検査結果は異なりました。その後も、何度か体調不良となっています。
2020年2月の段階では、『清泉インターナショナルスクール』に通っていました。幼稚園から同校に通っていて、英語が堪能なのです。『清泉インターナショナルスクール』は、名門であり宇多田ヒカルが在学していた学校でもあります。
その後、娘・百々果は『清泉インターナショナルスクール』を無事に卒業しました。そして、2020年8月よりアメリカに渡り大学に進学して寮生活を開始しています。現在は、梅宮アンナとは、離れて暮らしているのです。
梅宮アンナというと、日本人離れした顔立ちをしていると思う方も少なくないでしょう。では、実際に梅宮アンナはハーフなのでしょうか。
端的にいうと、梅宮アンナはハーフです。子どもの頃や若い頃には、はハーフということで苦悩があったりいじめに遭うなどの苦労もあったといいます。
梅宮アンナの父親は日本人俳優の梅宮辰夫ですが、母親が外国出身の女性です。梅宮アンナの母親は、アメリカ出身のモデルであるクラウディアといいます。梅宮アンナは、顔立ちが母親に似ていると考えられるでしょう。
ちなみに梅宮アンナはハーフであり母親がアメリカ人ですが、日本で生まれ育っていることもあり英語に触れる機会は学校の英語の授業のみであった模様です。
梅宮アンナに兄弟はいるのだろうかと思う方もいるかもしれません。梅宮アンナはひとりっ子であり兄弟がいないのです。父親である梅宮辰夫は、かつては破天荒であり不規則な生活を送っていたといいます。しかし、娘のアンナが生まれてからは一変して家庭を大事にするようになったのでした。
梅宮辰夫は元から料理が得意ということもあり、自宅で料理を振る舞っていたという話があります。娘の学校での弁当も、梅宮辰夫が毎朝手作りしていたとされています。梅宮アンナは、愛情を注がれて育ったのです。
梅宮アンナは結婚をしたものの、元旦那が変わらなかったことや、自分だけが結婚したかったのではないかと思い悩んだことから、娘の百々果を出産したその日に離婚を決意したのでした。それから1年後に、梅宮アンナは正式に離婚をしています。
娘の百々果とは親子喧嘩の末に別居をしたこともありましたが、無事に娘はインターナショナルスクールを卒業して、アメリカの大学へと進学しました。娘も、成長し自身の道を歩み始めているのです。
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