岩佐真悠子の結婚相手は?引退した現在は介護施設で働いている?
2023/12/22
大今里
藤岡麻美さんは、福島県で4人兄妹の第二子(長女)として生まれ、千葉県鎌ケ谷市で育ちました。幼稚園時代は、先生の勧めで鼓笛隊の指揮者のオーディションを受け、選ばれて指揮者を務めたそうです。
小学生時代は、ピアノやジャズダンスなどの習い事をし、鎌ケ谷市立第二中学生時代は、ピアノ教師だった彼女の母の勧めもあり吹奏楽部で活動しました。吹奏楽部で彼女が担当したパートはパーカッションだったそうです。
音楽での推薦で津田沼高校に進学し、普通科の音楽コースに在籍しましたが、部活は写真部でした。
藤岡麻美さんは運動神経が良かったそうで、陸上部に所属したことはありませんでしたが、小・中学生時代にはよく短距離&リレーの陸上大会に出場していたらしいです。
藤岡麻美さんは、小学生4~5年生の頃から安室奈美恵さんに憧れていたいたそうで、歌手になりたいと思っていたらしいです。中学生の時は、ソニーミュージックエンタテイメントSD制作部のオーディションに合格し、無料でダンスレッスンやボイストレーニングを受けていたそうです。
そんな藤岡さんは、1998年にバラエティ番組『DAIBAッテキ!!』(フジテレビ)のオーディションに合格し、女性アイドルグループ「チェキッ娘」のメンバーとなりました。
「チェキッ娘」時代は、寒いギャグ(「何をいってんごりっとる」他)を連発するなどして人気を集め、そのうち台本にも彼女のギャグが書かれるようになったそうです。
また『DAIBAッテキ!!』の懺悔コーナーで、いつも寒いギャグを言って皆を困らせてしまったと懺悔し、許しを得られず水を被ってしまったこともありました。
歌唱力が髙かった藤岡麻衣さんは、「チェキッ娘」の『はじまり』『最初のキモチ』『海へ行こう~Love Beach Love~』『ありがとう』などのシングル曲で、フロントメンバーを務めるなど、リードボーカルを担当することが多かったです。
特に「海へ行こう~Love Beach Love~」では、全体を通してパートが与えられました。
「チェキッ娘」で活動していた当時高校生の藤岡麻美さんは、仕事の影響で友人関係などがうまくいかなくなるなど学業と芸能活動の両立が難しくなり、本気で高校を辞めたいと思ったことがあったそうです。
その時、『DAIBAクシン!!cheki.b!』で共演していた笑福亭鶴瓶さんに相談したら、「絶対高校を辞めたらあかん。高校を辞めるなら芸能界もやめえや。(中略)学校を辞めたら仕事もダメになるし、きっと後悔する」とアドバイスされ、退学を思い留まったそうです。
藤岡麻美さんさんは、『DAIBAッテキ!!』の番組で、「チェキッ娘」グループ内ユニットに参加していたことがありました。また、その後、ソロ歌手や女優として活動しましたが、そんな彼女のアイドル時代からの活動歴を調べてみました。
藤岡麻美さんは、1999年に『DAIBAッテキ!!』内で、ガールズバンド「chee’s」を結成し、ドラムとボーカルを担当しました。同年11月に「チェキッ娘」は解散しましたがchee’sは続行し、CDリリースや音楽番組の出演、それにライブなど活動を続けました。そして、2001年6月30日にchee’sは解散しました。
藤岡さんは、この頃からchee’sの曲を作詞・作曲するなどしていたそうです。
藤岡麻美さんは、chee’s解散後にソロ活動をスタートさせました。シンガーソングライターとしてライブを行うかたわら、インディーズから2枚のアルバム(デビューミニアルバム『Departure』他)を発表しました。
2006年にはドラマ『花嫁は厄年ッ!』(TBS)『Dr.コトー診療所2006』、2008年に『新・科捜研の女』第8シーズン(テレビ朝日)に出演するなど、女優としても活動しました。
ソロ活動以外でも、元チェキッ娘メンバーだった松本江里子さんや太田祐歌さんが結成したボーカルユニット「TRY-FULLBUS」にもメンバーとして加入していたらしいです。
藤岡麻美さんは、2008年11月に開催された、アニメ専門チャンネル『銀河鉄道999~あなたが選ぶメーテル~』コンテストで、ミスメーテルグランプリに選ばれました。西武鉄道池袋線大泉学園駅北口の「銀河鉄道999」壁画完成セレモニーに、“ミス銀河鉄道999”として参加しています。
また、2009年7~8月に行われたアニマックス主催の『第三回全日本アニソングランプリ』の応援サポーターやレポーターを務め、同年の『アニソン応援キャラバン』のMCも務めています。
藤岡麻美さんは、2010年に「Blue chee's」というバンドを、元「チェキッ娘/chee’s」メンバーの新井利佳さんや松本江里子さん、それにアネモネさんと結成しました。精力的にライブ活動を行い、2012年にはオリジナルルアルバム『This is not a love song』をリリースしています。
2014年に、藤岡さんと新井さんのバンドメンバー2人が台湾での生活となったため活動が困難となりバンドは解散しました。
藤岡さんは、「blue chee's」の活動のかたわら、2011年にミニアルバム『心守唄~Aromami Days』をリリースしています。
藤岡麻美さんの兄は、俳優や歌手として活躍しているディーン・フジオカさんです。そんなディーン・フジオカさんの経歴を調べてみました。
ディーン・フジオカさんは、2004年に香港のクラブで飛び入りでラップを披露していた時、店のお客だったファッション雑誌編集者にスカウトされました。そして、香港を中心に、雑誌や広告、それにファッションショーのモデルとして芸能活動を始めました。
2006年に、台湾ドラマの創始者と呼ばれる柴智屏さんと出会い、活動拠点を香港から台湾・台北に移し、ドラマ『スクール・ロワイヤル~極道學園』に出演し、同年公開の映画『八月の物語』で主演を果たしました。
フジオカさんは、2013年あたりまで台湾で活動しました。そして、同年公開された映画『I Am ICHIHASHI 逮捕されるまで』で、日本の作品で初めて監督・主演・主題歌を務めました。
ディーン・フジオカさんは、2013年に日本映画に出演し、2014年にNHK BSプレミアム『撃墜3人のパイロット~命を奪い合った若者たち~』で、日本のテレビドラマに初出演しました。2015年には、『探偵の探偵』(フジテレビ)で日本の連続ドラマに初出演しました。
そして、2015年のNHK連続テレビ小説『あさが来た』で五代友厚役を演じ、一躍広く知られるようになり、俳優としても髙い評価を得るようになっていきました。
2016年にはドラマ『ダメな私に恋してください』(TBS)に出演し、ヒロインの“ドSな元上司”の黒沢歩役を演じて話題になりました。
2022年1月下旬には、フジオカさんが、企画・プロデュース・主演をつとめたバイオレンスアクション映画『Pure Japanese』(監督:松永大司)が公開予定です。共演は、映画『朝が来る』やNHK連続テレビ小説『おかえりモネ』で注目を浴びた蒔田彩珠さん。
フジオカさんは、幼少の頃から楽器演奏や楽曲等、音楽的な影響を受けていたそうで、ギターやドラム、それにピアノが趣味だそうです。2016年にはファーストアルバム『Cycle』をリリースし、その後も曲の発表を続け、歌手としてライブツアーも行っています。
藤岡さんは、中国系インドネシア人の女性と2012年に結婚し、2014年に男女双子が誕生し、2017年に第3子が誕生したことを明らかにしています。
妹の藤岡麻美さんは、フジオカさんと入れ違うように台湾に移住したため、日本での兄の活躍をよく知らず、兄を意識することはあまりないらしいです。
藤岡麻美さんは、台湾に移住して芸能活動を続けています。台湾で、どんな活動を続けているのかなどを調べてみました。
藤岡麻美さんは、2012年頃に友人と台湾を訪れたとき、現地の人も天候も自分に合っていると感じ、「ここで頑張ってみたい」と思ったことがきっかけで、2013年3月から、生活と活動の拠点を台湾に移しました。
また、その頃は、ある日突然声が出なくなったことがあり、女優も歌手も続けていけないというところまで追いつめられていると感じ、公私ともにストレスを抱えていたそうで、台湾移住は「生きるか、溺れ死ぬか」の覚悟だったそうです。
台湾に来てから3日後に、台湾観光局のショートフイルム「Anytime for Taiwan」出演の仕事を得たそうで、それが台湾の初仕事となったそうです。
そして、香港のアクションスター、サモ・ハン・キン・ポーさんの次男ジミー・ハンさんの目に留まり、芸能活動を始めました。
台湾に来てからは大学で中国語を習いながら、自分のアピール要素を作るためにスタントマンと中国武術の稽古を始めたそうです。なんでも、男性スタントマンが拒んだ3階建て家屋の屋上からの飛び込みスタントに思い切って挑み、成功したこともあったそうです。
おかげで、ドラマや舞台でアクション女優としてのオファーが来るようになったらしいです。
2014年の台湾ドラマ『終極惡女』では、アクションチームのメンバーとしてスタントウーマンと出演者への指導を務めたそうです。
また、2013年には台湾で「極武 功夫藝術團」の『聯合開幕典禮』の舞台に立ち、2014年からは台湾ダンス公演『舞魅寿薪傳舞團暇日酬神獻舞活動』にレギュラー出演しました。
2019年に北米で公開され、日本では2020年2月に公開された日本映画『初恋』(出演:窪田正孝 監督:三池崇史)で、藤岡さんはチャイニーズマフィアの一員チアチー役で出演しました。他に、2017年公開の日本映画『武魂~浅井哲彦物語』で、主人公の日本人空手家と結婚した台湾人女優・陳恵珠役を演じました。
藤岡麻美さんは、2014年に台湾在住でBlue chee'sのメンバーだった新井利佳さん達と台湾のスナック菓子のCMに出演しました。他に、女性向け健康美容ドリンクやDIYホームセンター・特力屋、大手スーパー・全聯福利中心などの台湾CMに出演しました。
また、日本企業向けの台湾のCMにも、大正製薬、TOYOTA、大塚製薬、パナソニックなど多くのCMに出演し、香港やタイのCMにも登場しています。
出演した台湾CMには、台湾に来てから彼女が始めた剣術を活かしたアクションのものもあるそうです。
台湾を拠点に活動している藤岡麻美さんですが、結婚してるのかどうか・また結婚しているなら夫となった男性はどんな人なのかを調べてみました。
藤岡麻美さんは、2016年に台湾在住の日本人男性と結婚したことをブログで発表しました。旦那は、名前や年齢など詳細は不明ですが、飲食店を経営しているのだそうです。
ブログで、藤岡さんは「日本人の少ない台湾で奇跡的にも夫と巡り合うことができ、勇気を出して日本を出た自分を褒めてあげたい気持ちです」と綴っています。
なんでも、相手の男性の誠実さと強い想いに心を打たれ、知り合ってから1年経たずに、この人と生涯を共にしようと決心して結婚に至ったらしいです。
藤岡麻美さんは、2020年1月20日に第一子を出産したことをブログやツイッターで報告しました。愛児の画像もアップしていますが、性別や名前などは発表していません。
藤岡麻美さんは、2021年7月8日に、ブログで第二子を出産したことを報告しました。出産前に、医師から大きな赤ちゃんなので、出産は大変ですよと言われたらしいですが計画出産により、予定を1週間早めたそうで、スムーズな出産だったそうです。
第二子についても、性別や名前は公表されていません。現在は、2人の子どもの母となった藤岡さんは、育児にために仕事はセーブしていると思われます。
台湾に移住し、仕事だけでなく、2人の子どもに恵まれ私生活も充実した日々を送っている藤岡麻美さん。しばらくは、子育てのために仕事をセーブするようですが、一段落したら、また芸能活動を始めるのではと思われます。
そのうち、兄のディーン・フジオカさんのように、台湾を拠点にしながらも日本での活動も増やしていき、ひょっとするとフジオカさんとの兄妹共演があるかもしれませんね。
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