2024/02/16
r.y6
余貴美子さんは、父親が台湾人で母親が日本人です。ハーフとして横浜市内に誕生しました。余貴美子さんの国籍は、誕生時から現在に至るまで中華民国です。
祖父は、「客家(はっかと読む)」という中国の少数民族で、戦前に日本に移住し輸入業を営んでいたそうです。戦後になると、祖父は金融事業や新聞事業を立ち上げています。
両親は、池袋において歌謡喫茶「パラダイス」を経営後に、横浜西口近くでバーや焼き鳥屋などを経営していました。父親は若くしてがんを患い死去しています。
余貴美子さんは、芸名ではなく本名をそのまま名乗っています。余は「よ」と読み「あまり」ではありません。
余貴美子さんの国籍は中華民国なので、読み方に馴染みがないのは仕方がありませんね。
余美貴子さんによると国籍については、中国人や日本人であるという括りではなく、ルーツになっている「客家」の人だと思っているそうです。
生れは日本で、活動も日本、演技力も認められてこれまでに「日本アカデミー賞最優秀助演女優」に3回も輝いた経歴を持っていますが、日本に帰化する予定は持っていないのだとか。
祖父は戦中に起業したビジネスが成功し、1945年10月に日本初となる客家団体「客家公会」を設立し、トップに就任するなど社会的な成功を収めていたのだとか。
祖父と両親以外の親族も一緒に住み、一族は何らかの商売をしていました。ただし一家団欒の記憶は、あまり残っていないそうです。
こういった背景から、余貴美子さんは、かなり裕福な家庭に育ったそうです。学生の時に持参したお弁当がクラスメイトとは全く異なるものだったのだとか。
何しろエビやチャーシューが入った豪華なメニューで、注目を集めていたとインタビューで語っています。
こういった学生時代の経験から、余貴美子さんは周りと違うという感覚を常に持っていました。
そして幼い頃から、独自の客家の文化や、習慣を見聞きしていたので、独特の感性が育ったののかもしれません。
日本の伝統芸能に関してもかなりの見識を持っています。余貴美子さんは、能を習っているのです。母親が独身時代に日本舞踊をやっていたので、その流れで興味を持ったのかもしれませんね。
余貴美子さんが習っているのは喜多流という流派です。以前にバラエティー番組に出演した際に、能の魅力について「死者が出るストーリーが多いので、あの世との狭間に行ける感じ」と語っています。
その知見の豊かさからでしょうか。余貴美子さんは、能の番組にゲストとして出演することもあります。
2021年5月12日の誕生日を迎えた余貴美子さんの年齢は65歳になりました。現在はどのような活動をしているのでしょうか。
プライベートも気になりますね。ここからは、現在の余貴美子さんについて紹介します。
2021年も女優としてドラマに出演しています。出演作品は2本で、1月にNHKで放送された「ドリームチーム」と、12月にテレビ朝日で放送された「女系家族」です。
ファンとしては、余貴美子さんの動向を知るために、SNSを確認したいところです。残念ながら、余貴美子さんは自身のインスタやツイッターを開設していません。
ただし、ドラマや映画の共演者のインスタに時々登場することがあります。
余貴美子さんは60歳を過ぎていますが、バイタリティに溢れる演技を披露し、現役の女優として第一線を走り続ける稀有な存在です。
昔の画像を見ると、凛とした美しさに目を惹きつけられてしまいますね。何しろ若い頃は「ハマのマリア」という異名を取っていたことから、抜きんでた美貌を持っていたということになるではないでしょうか。
現在の余貴美子さんの画像を見る限り、美しさは若い頃と変わらず、実年齢よりも若々しく見えますね。
余貴美子さんは、最初から今のような存在感に溢れる女優だったわけではなく若い頃は、劇団女優として地道に演技力を磨いてきたという経歴を持っています。
ここからは、余貴美子さんの経歴について見ていきましょう。
余貴美子さんは、地元横浜で生まれ育ち、中高一貫の私立学校である神奈川学園高校を卒業後、1976年に、オンシアター自由劇場に入団。
劇団時代の代表作品は戯曲「上海バンスキング」。この作品は、昭和初期の上海を舞台としており、時代に翻弄された人々の激動を描いたもので「第24回岸田國士戯曲賞」を受賞しました。
これまでに数回映画化や、舞台化がなされています。余貴美子さんは、メインキャストである「リリー」を演じ話題を呼びました。
劇団を退団後は、大谷亮介さんらと「東京壱組」を旗揚げし、劇団が1996年に解散するまで舞台女優をしてきたのです。
劇団が解散した1996年以降は、テレビや映画をメインの活動の場に変えて現在に至ります。
2008年度および2009年度の2年連続で、「日本アカデミー賞」最優秀助演女優賞を受賞。
さらに、2009年2月は、ハリウッドのコダックシアターで開催された「第81回アカデミー賞」において、余貴美子さんが出演した「おくりびと」が外国語映画賞を受賞したことで、渡米して授与式に参加しています。
何と言っても、余貴美子さんの特徴としては、どんな役でも違和感なく演じ切ってしまう憑依型女優と言われる演技力の高さです。
ある時は、刑事ドラマの鑑識係長、ある時は家政婦紹介所の所長、ある時には、児童相談所の職員など毛色の異なるキャラを、まるでスイッチを切り替えるかのように演じているのが印象的ですね。
その幅の広さから、日本のベストバイプレーヤーの1人として、業界からも視聴者からも高い価がなされています。
ここからは、余貴美子さんのプライベートについて紹介します。やはり気になるのは、「結婚しているのか」、「子こどもがいるのか」、という点ではないでしょうか。
余貴美子さんは、既婚者です。結婚したのは、2006年3月のこと。結婚相手の男性は、当時NHKで美術スタッフとして勤務していた山下恒彦さんというお名前で、余貴美子さんより2歳下なのだとか。
今も変わらずNHKに在籍し、「デザインセンター映像デザイン部」という部門において、チーフプロデューサーの肩書きを持っています。
ちなみに、多摩美術大学の非常勤講師も務めており、後進の育成に熱心な人物であるようです。
一般人であるため、詳細な生年月日や出身地、身長といったプロフィールについては公開されていません。
気になる2人の馴れ初めは、2001年に遡ります。2001年4月から9月まで放送されたNHKの朝ドラ「ちゅらさん」に余貴美子さんが出演したことにありました。
当時美術を担当していたのが、山下恒彦さんだったのです。2人は、交際に発展し約5年間愛を育んできました。
そして余貴美子さんが50歳の誕生日を迎える2ヶ月前に結婚に踏み切ったのです。
結婚した時点で余貴美子さんの年齢は、50歳目前だったということもあり、2人の間に子どもは誕生していません。
ただし、山下恒彦さんはバツイチの経歴の持ち主で前妻との間には、子どもが誕生していることが判明しています。
2人が結婚した際に、山下恒彦さんは47歳だったので離婚歴があってもおかしくはありませんね。2人共かなり多忙であることは間違いありませんが、夫婦仲はとても良好なようです。
余貴美子さんによると、仕事が休みの日に夫婦水入らずで過ごす時間をとても大事にしているのだとか。
バイプレーヤー女優の名を欲しいままに女優として第一線で活動を続ける余貴美子さん。台湾人の父親と日本人の母親の間に誕生しました。国籍は中国で、先祖を辿ると客家という民族になるのだとか。
祖父が日本に移住し、以降余貴美子さんの家族は、横浜市に拠点を置いて飲食店を経営してきました。
高校を卒業すると劇団に入団し、後に自身で劇団を旗揚げし2006年に解散するまで舞台を中心に活動してきたのです。
2006年以降は、テレビや映画がメインになりました。これまでにアカデミー賞助演女優賞を2年連続で受賞するなど、演技に対する評価はかなり高いことで知られています。
プライベートでは、2006年にNHKで美術を担当していたスタッフ男性と結婚。当時の余貴美子さんは50歳目前だったこともあり、2人の間に子どもはいません。
2021年現在、65歳になりましたが、若い頃から美人として知られる余貴美子さんの活動から、ますます目が離せませんね。これらかも応援していきましょう。
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