2024/02/16
r.y6
2019/04/19 更新
皆さん、范文雀という女優の方をご存知でしょうか?范文雀さんはドラマ『サインはV』や『アテンションプリーズ』などに出演していた女優です。そんな范文雀さんですが54歳という若さで亡くなられました。一体死因は何だったのでしょうか?徹底調査していきたいと思います!
范文雀さんを覚えていらしゃいますか?1970年頃からテレビや映画で活躍された演技派の女優さんです。エキゾチックな容姿と存在感のある演技で人気を博していましたが2002年に54歳の若さで亡くなりました。今回は范文雀さんの生い立ちや経歴、亡くなった原因などを調べてみました。
范文雀さんは1998年頃に脇のリンパ節から悪性リンパ腫と診断されました。悪性リンパ腫とは白血球の一種であるリンパ球ががん化した病気です。半年間にも及ぶ入院治療などのおかげか小康が保たれ芸能活動を続けられていたようですが、2002年10月中旬に症状が悪化してしまいました。
2002年11月5日、入院中の都内の病院にて54歳の生涯を閉じられました。范文雀さんの訃報にショックを受けられたファンも多かったことでしょう。
范文雀さんは生涯に一度結婚されています。お相手は俳優、ミュージシャンとして活躍されている寺尾聰さんです。范文雀さんが人気絶頂だった1973年に結婚され、范さんは一時は芸能界を引退しています。しかしこの結婚は長くは続かず、翌年お二人は離婚し范文雀さんは芸能界に復帰されました。
范文雀さんは1977年にテレビドラマ『愛の嵐』で共演された俳優の荻島真一さんと交際・同棲していました。荻島真一さんは、1970年代に数多くのドラマに出演されていた人気二枚目俳優です。お二人は交際をオープンにされていたようですが、結婚に至ることはなく、破局を迎えました。その後荻島さんは一般女性の方と結婚されています。
お名前から想像できるように范文雀さんは日本国籍ではありません。范文雀さんの生い立ちや芸能界入りのきっかけ、経歴などをご紹介していきます。
范文雀さんは1948年4月15日東京都中野区で台湾人のご両親の元に生まれました。ご両親も日本育ちで、おうちで中国語を使う機会がなかったのでしょうか、范文雀さんも中国語が話せなかったそうです。
音楽家だった父親は范さんが5歳の時に台湾に帰国してしまい、残された母親、兄、范文雀さんの3人は広島市の祖父母の家で暮らすことになりました。
広島に移った范文雀さんは祖母に溺愛されたそうです。祖父母は広島駅前で『胡蝶園』という中華料理店を経営していて、かなり裕福だったようですね。祖母は范文雀さんばかりを可愛がり手元で贅沢に育てていましたが、両親や兄には冷たかったようです。彼らは本宅ではなくみすぼらしい従業員寮で暮らしていました。
その後、ご両親は東京に移りましたが、祖母は范文雀さんを手放さなかったため、広島にとどまりました。そんな祖母に馴染めなかった范文雀さんは15歳で広島を離れ東京に向かいました。祖母の元でお嬢様として何不自由無く育てられた范文雀さんですが、決して幸せではなかったようですね。
東京の高校を卒業後、清泉女子大学英文科に進学した范文雀さん。在学中の1968年にテレビ番組『特別機動捜査隊』に端役で出演したのが女優デビューとなりました。その後上智大学外国語学部比較文化学科に進みますが、1970年に中退し女優業に専念されます。
『サインはV』は神保史郎・望月あきらさんのバレーボール漫画です。その実写ドラマが1969年~1970年にテレビ放送されました。当時大ヒットしたスポ根ドラマです。主役の朝丘ユミを演じたのは岡田可愛さんでした。
范文雀さんはこのドラマで悲劇の混血アタッカー、ジュン・サンダース役を好演され、大ブレイクしました。お母さんに会いたい一心で特訓に耐えてきたのに、志半ばで病に倒れてしまうジュン。このドラマで『骨肉腫(悪性骨形成性腫瘍)』という病名が日本中に知れ渡りました。「ジュンを死なせないで」という嘆願書が全国から集まったそうです。
『アテンションプリーズ』は『サインはV』の後番組で1970年8月からTBSで32話に渡り放送されたスチュワーデス(今でいうCA)訓練生の成長を描いた物語です。このドラマで范 文雀さんは主人公美咲洋子の友人、田村早苗を演じられました。
もともと100期生だった早苗は落第してしまい、洋子たちと同じ101期生として訓練を受けることになりますが周囲に馴染まず孤立した存在でした。洋子の熱意もあって徐々に打解けていき最後には洋子のよき相談相手になります。このドラマでも演技力が評価され、范 文雀さんの女優としての人気は不動のものとなりました。
その後も数々の映画やドラマに出演された范文雀さんですが、決して人に媚びることがなく高いプロ意識と常に向上心を持って演技に取り組まれていたようです。そんな彼女のストイックな姿勢は多くのファンの心を捉えました。
范 文雀 あなたが憎めない
范 文雀さんは女優として活躍するかたわら、歌手としてレコードも発売されています。こちらの動画は1971年に放送されたテレビドラマ『打ち込め青春』の主題歌『あなたが憎めない』です。この他にも『Gメン75』の挿入歌なども歌われています。
范 文雀さんが寺尾聰さんだったことは先ほどご紹介しましたが、お二人の馴れ初めや子供についてなど掘り下げて調べてみました。
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寺尾聰さんは日本を代表する俳優であり、シンガーソングライターでもあります。日本レコード大賞と日本アカデミー賞最優秀主演男優賞の両方を受賞されているのは寺尾聰さんだけです。しかも最優秀主演男優賞は2度もです。
1981年に発売されたアルバム『リフレクションズ』は大ヒットし、収録曲の『ルビーの指環』は10週連続でオリコンヒットチャート1位を記録しています。2006年にキリン『ラガー』のコマーシャルで初めて聞かれた方も多いと思いますが、今聞いてもクールでおしゃれな曲ですね。
最近ではミュージシャンとしてはあまり目立った活躍はされていないようですが、俳優としてはドラマなどに出演されています。2017年のドラマ『陸王』での飯山晴之役は記憶に新しいところですし、『特捜9』シリーズでの宗方班長もハマリ役ですね。2015年5月に放送予定の『白い巨搭』の東教授役も楽しみです。
范文雀さんと寺尾聰さんは結婚されていました。1971年のテレビドラマ『2丁目3番地』で共演され出会ったお二人ですが、当時はそれぞれに交際している人がいたそうです。范文雀さんはショーケンこと萩原健一さんと、寺尾聰さんはジュディ・オングさんと破局した後に交際が始まったようです。
1973年6月に結婚されていますが、マスコミにお二人の関係は気づかれていなかったようで2ヶ月後の8月に初めて世間の知るところとなりました。翌月9月には寺尾さんが所属していた石原プロ代表の石原裕次郎夫妻の仲人で結婚式を挙げられました。結婚後范文雀さんは芸能界を引退されています。
残念なことにお二人の結婚生活は長くは続かず1974年11月に離婚されました。離婚の原因は明らかにされていませんが、范文雀さんが仕事に未練があったためでは?という噂があったようです。結婚したら妻には家庭に入って欲しいという寺尾さんの思いに答え、一度は引退を選んだ范文雀さんですが、女優の道は捨て切れなかったのかもしれませんね。あくまでも噂ですが。
離婚後范文雀さんは芸能界に復帰され、数多くの映画やドラマに出演されています。また活動を舞台にも広げ、以前にもまして女優として活躍されました。
范文雀さんと寺尾聰さんの間には子供はいませんでした。范文雀さんには生涯子供がいなかったようです。寺尾聰さんはその後、元モデルの星野真弓さんと再婚されお子さんを授かりました。お子さんの人数や性別については公表されていません。
余貴美子さんは個性的な演技で映画やテレビドラマで活躍されている人気女優です。実は余さんは范文雀さんと親戚関係にあるとか。真相を探ってみましょう。
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余貴美子さんは神奈川の高校を卒業後、1976年にオンシアター自由劇場に入団され舞台女優としてデビューされました。その後1985年に劇団『東京壱組』を旗揚げし、舞台での活動を中心にされていましたが1996年に解散、活躍の場を映画やテレビへと移されました。
余貴美子さんはその高い演技力で数々の賞を受賞されています。なかでも、2008年の映画『おくりびと』と2009年の映画『ディア・ドクター』で2年連続して日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞されたのは快挙といえるでしょう。また、2012年には『あなたへ』で3度目の日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞されています。
62歳になられた現在もテレビドラマ『疑惑』や『二つの祖国』などの話題作に出演され、ますます活躍されています。また最近ではBS朝日の『遙かなる深海大冒険』のナレーションも人気です。
余貴美子さんは台湾人の父と日本人の母の間に生まれたハーフです。范文雀さんの母は余貴美子さんの父の実の姉ですので、范文雀さんと余貴美子さんはいとこ同士になります。余さんにとって8歳年上の范文雀さんは憧れのお姉さんだったようですね。女優を目指したのも范文雀さんへの憧れからのようです。
余貴美子さんは50歳を目前にした2006年3月に結婚されました。お相手は当時NHKで美術を担当されていた山下恒彦さんです。2001年の朝の連続テレビ小説『ちゅらさん』で知り合い、約5年間の交際ののちに結婚されました。現在山下さんは多摩美術大学演劇舞踊デザイン学科の教授をされています。
范文雀さんの数多い出演作品の中から代表的なものをいくつかをご紹介します。映画、テレビドラマの出演だけでなく海外ドラマの吹き替えもされています。
映画『女番長野良猫ロック』は1970年5月に公開された日活ニューアクション映画です。主演はなんと和田アキ子さん。ホリプロが企画・製作した映画です。范文雀さんが演じたのは梶芽衣子さん率いる不良グループのメンバー、ユリ子です。范文雀さんは野良猫ロックシリーズ5作のうち4作に出演されています。
『人間の証明』は森村誠一さんの長編推理小説です。1977年に岡田真理子さん、松田優作さんの出演で映画化されました。ジョー山中さんが歌う主題歌も印象的でしたね。この映画での范文雀さんが演じるのはクラブホステスのなおみです。岡田さん演じる八杉恭子の息子、郡恭平(演:岩城滉一)に轢き殺されて、海に捨てられてしまいますが物語の鍵をにぎる役です。
『Love Letter』は1995年に公開された映画です。亡くなった婚約者が忘れられない渡辺博子は彼に手紙を送ったところ、返事が届きました。実はその返事は彼と同姓同名の藤井樹という女性からのものでした。この映画の主役は中山美穂さんで博子と樹の二役を演じられています。范文雀さんは藤井樹の母、晶子役を好演されました。
この作品は第19回日本アカデミー賞にて優秀作品賞を受賞しました。また主演の中山美穂さんはブルーリボン賞だどで主演女優賞を受賞されています。
『Gメン75』は特別潜入捜査班「Gメン」が様々な事件を解決していくハードボイルドドラマです。1975年5月から1982年4月までTBSで放送されました。范文雀さんは1981年放送の307話から最終話まで賀川陽子刑事役で出演されています。父は中国人で数年間シンガポールコネクションに潜入するという役を演じられました。また范文雀さんは続編の『Gメン82』にも出演されています。
『男と女と』は1973年に范文雀さんが主演されたテレビドラマです。原作は笹沢佐保さんの小説『結婚って何さ』です。笹沢さんご自身もこのドラマに出演されています。范文雀さん演じる主人公の遠井真弓と同僚の美枝子が事件に巻き込まれ逃走するサスペンスドラマです。
『ドクタークイン 大西部の女医物語』は1993年から98年にかけてアメリカで放送されたテレビドラマです。日本ではNHKで1993年から2000年にかけて放送されました。物語は開拓時代のアメリカで大都会から田舎町に移住した女医jが偏見や好奇の目を跳ね除け、たくましく生きていくというものです。
主役の女医ミケーラ・クインを演じるのはジェーンシーモア、その吹き替えを務めたのが范文雀さんでした。
仕事に対して常にストイックだった范文雀さん。54歳という若さで他界されたのは残念ですが、存在感のある演技はいつまでも人々の印象に残っていくことでしょう。
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