記事ID143705のサムネイル画像

山城新伍の悲惨な晩年とは?嫁と娘に見捨てられて孤独な最期を迎えた?

2枚目時代劇スターとして数々の作品に出演し人気だった山城新伍さんは2014年に誤嚥性肺炎で死去しました。プレイボーイでモテ男だった山城新伍さんは花園ひろみさんとの2度の結婚・離婚を経験し見捨てられ、娘にも毛嫌いされており悲惨な晩年を送ることになったそうです。そんな山城新伍さんについてご紹介します。

山城新伍のプロフィール

  • 本名(ふりがな/愛称):渡辺安治(わたなべやすじ/山城新伍)
  • 所属事務所:オフィス・タッチ(最終)
  • 生年月日:1938年11月10日
  • 現在年齢:70歳没
  • 出身地:京都府京都市
  • 血液型:O型
  • 身長:174cm
  • 体重:不明
  • 活動内容:俳優、タレント、司会者、映画監督
  • 所属グループ:なし
  • 家族構成:元妻花園ひろみ、娘南夕花

開業医の息子として京都に生まれる

山城新伍さんは、もともと医師を目指していたようです。しかし、その道を諦め、時代劇のエキストラをした際に、東映のオーディションに応募し、所属することになります。

そして1958年に映画「台風」でデビューを果たし、翌年1959年に「風小僧」で主演デビューを果たすことになります。

1959年「風小僧」で俳優デビュー

山城新伍さんの父親は開業医で、母親は看護師を務めていました。実は医者一家だった山城新伍さんの家族は、弟も医師になっているようです。また、医師をしている弟は、老人ホームにもお見舞いに何度か来ており、息を引き取る時も側にいたと報じられています。

山城新伍の主な出演は?

昭和を代表する2枚目時代劇スターとして活躍をしていた山城新伍さんは、晩年こそは悲惨だと言われることがあるものの、スターとして活躍をしていた時は華々しい日々を送っていました。

まずはそんな、山城新伍さんの主な出演作にはどんな作品があるのかについて注目をしていきましょう。

「風小僧」

1958年から放送された全52話から成る時代劇「風小僧」で、山城新伍さんは「疾風之助(風の神)」を演じていました。

主人公である風小僧は、奥集煙ヶ城上主の鈴木氏勝の息子でしたが、家臣の裏切りによって城は乗っ取られてしまいます。風小僧は、風の神である疾風之助から風神の術を習い、城を奪還する…というストーリーになっています。

また、この作品は映画化もされています。人気シリーズとなっており、老若男女問わずから注目を浴びていました。再放送なども度々やっていますが、放送局によっては差し替え放送、未放送などで全話放送されないこともあるようです。

「白馬童子」

1960年から干す王され、劇場版も放映された「白馬童子」にも山城新伍さんは出演をしています。前番組は風小僧であり、後続番組も山城新伍さんは主演を務めるということでも話題になりました。

あらすじとしては、山城新伍さんが演じる白馬童子が身分を隠して各地を旅していき、悪人どもを成敗していくというものになっています。格好が白装束であり、白馬に乗っているということから、インパクトが強く、多くの人を惹き付ける作品にもなりました。

「プレイガール」

1969年に放送されたテレビドラマ、プレイガールはお色気女性アクションドラマとして話題になった作品です。基本的に女優中心のドラマになっているため、この作品では山城新伍さんは主演ではありませんが、強い存在感を放っていました。

あらすじとしては、国際秘密保険調査員という肩書を持つ女性たちが、保険金に関する事件などを調査していき、持ち前の美貌と格闘技などを駆使して事件解決に奮闘するというものです。

「帝王シリーズ」

梅宮辰夫さん主演の映画の帝王シリーズでも、山城新伍さんは主演を果たしています。上京した梅宮辰夫さん演じる松原が、少年院時代に知り合った山城新伍さん演じる金山を頼り、女性と遊び、騙し、故郷に病院を建てるというストーリーになっています。

過激な内容には一部問題する声もありましたが、プレイボーイとして活躍をしていく梅宮辰夫さん、山城新伍さんに惚れ惚れする視聴者は多くいました。

「仁義なき戦いシリーズ」

現在も根強いファンが多い仁義なき戦いシリーズで、山城新伍さんは広島死闘篇から出演をしています。この時には、山城新伍さんは主演よりも脇役俳優というポジションについていましたが、この作品に出演することで、コメディリリーフな役柄という新たなイメージを自分につけることに成功をしています。

仁義なき戦いシリーズは、実際に存在しているヤクザをモデルにした作品になっており、撮影時にはモデルとなった本人が撮影を見に来ていたそうです。そういったリアリティある現場の中で、山城新伍さんも俳優としての実力をさらに身につけていったようです。

”チョメチョメ”と言う言葉を生み出した?

時代劇俳優というイメージが強い山城新伍さんでしたが、人気になっていくにつれて、バラエティ番組でもその真価を発揮していくことになります。

そういった流れから、山城新伍さんもこなす一方でバラエティタレントとして見事転身に成功し、数々のバラエティ番組でお茶の間をわかせることになりました。

タレントとしても大活躍だった山城新伍

特にバラエティ番組で山城新伍さんが活躍をしたのは「金曜10時!うわさのチャンネル!!」や「アイ・アイゲーム」などの人気バラエティ番組でした。バラエティタレントとして活躍をしていく中で、ユーモア、毒舌、そして持ち前の2枚目というルックスで多くの視聴者を惹きつけたのです。

さらに、今でもたまに耳にする言葉である「チョメチョメ」という言葉ですが、実は山城新伍さんが生み出したってご存知でしたか?人気番組である「アイ・アイゲーム」の放送中に、チョメチョメという言葉を生み出し、今でもたまに使われることになっていったのです。

女子大生ブームを引き起こす

さらに山城新伍さんは、1980年代に女子大生番組の司会者に抜擢されることになります。

この番組がきっかけとなり、世間では女子大生ブームが巻き起こることになり、山城新伍さんはブームの火付け役となったのです。

山城新伍の女性関係は?愛人がたくさんいたって本当?

数々の番組、テレビ、ドラマ、映画などに出演をしていた山城新伍さんですが、女性関係も派手であり、度々話題になっていました。

当時、男のプレイボーイはかっこいいという風潮もあったため、山城新伍さんのイメージとはぴったりだったのも事実です。ただし、それ以上に派手な女性関係には驚かされる人も少なくなく、現実的に大きな問題へと発展してしまうこともありました。

また、このプレイボーイな一面がきっかけとなり、華やかな山城新伍さんの人生の終盤は、悲惨なものへと変貌してしまうことになりました。

自ら”プレイボーイ”と名乗るほど女好きだった山城新伍

山城新伍さんは、自らをプレイボーイだと自称していました。実際に自他ともに認める女好きであり、常に女性関係の噂は山城新伍さんを包み込み、スキャンダルの中心にいたといっても過言ではありません。

また、実際に山城新伍さんと噂があった女性の中には、山城新伍さんとの関係や山城新伍さんからされたことを暴露する人も現れました。こうした暴露により、山城新伍さんのプレイボーイっぷりは、女癖がかなり悪いという印象にどんどん変わっていったのです。

女優・川島なお美は愛人だった?

山城新伍さんと言えば、女子大生ブームの火付け役になった人物です。それも、女子大生番組の司会を務めたのが理由になっていますが、実はこの番組で共演をしてた女優の川島なお美さんも、山城新伍さんの愛人説が囁かれた人物でした。

当時川島なお美さんは青山学院大学に通う花の女子大生であり、当時からも美しく華やかなルックスで視聴者を魅了する存在でした。番組で共演をしているということや、山城新伍さんの女癖の悪さから、そんな魅力的な存在である川島なお美さんを放っておくだろうか、と誰もが思ったようです。

実際に愛人関係だったかは定かではありませんが、川島なお美さんほどの魅力的な人物を山城新伍さんが放っておくかと聞かれれば、疑問が残るのも事実でしょう。

気に入った早乙女愛を自身のポルノ映画に出演させた

山城新伍さんは、日活ロマンポルノの監督も務めるほどの実力を持っていました。そのため、自身が手がける映画には自分のファンである早乙女愛さんも出演させていたのです。

もともと清純派女優として活躍をしていた早乙女愛さんでしたが、山城新伍さんは自身が監督を務める「女猫」に出演させます。もともと話題性があった女優ということもあり、歴代売上はなんと第3位という快挙を成し遂げることにもなりました。

この映画をきっかけに、早乙女愛さんの清純派女優というイメージは変わっていきます。ベッドシーンなども体当たりで演技をしていく演技派女優という地位を獲得していきます。結婚を機に女優業をセーブさせていき、2000年に芸能界引退をしました。

山城新伍はお嬢様女優・花園ひろみと結婚

自らをプレイボーイと自称していき、世間からも女癖が悪いと言われていた山城新伍さんですが、ついに女優の花園ひろみさんと結婚をします。さすがの山城新伍さんということもあり、その結婚までの道のりは波乱万丈、まるでドラマのようなものだと語られることになりました。

結婚を機に、山城新伍さんの女癖の悪さは治るだろう…と思っている人は多くいましたが、山城新伍さんの晩年からわかるとおり、その女癖が原因で幸せな結婚生活を手放してしまうことになります。

そんな山城新伍さんの結婚、そしてお相手であるお嬢様女優として活躍をしていた花園ひろみさんについて注目をしていきましょう。

花園ひろみのプロフィール

花園ひろみさんは、1958年に大川橋蔵さん主演の映画「花笠道中」で女優デビューを果たしていきます。昭和を代表する女優であり、多くの映画に出演を果たし、1962年に公開された「右門捕物帖」の出演を機に、芸能界を引退し、山城新伍さんと結婚をしました。

愛くるしい表情の中に凛とした佇まいを感じさせるルックスは、出演した作品の華と言っても過言ではないほどの存在感を放っていました。そんな花園ひろみさんならば、山城新伍さんが夢中になるのも当然である、という声も当時は少なくありませんでした。

山城新伍さんとの間には、女優として活躍をしていた南夕花さんがいます。現在、芸能活動をしていないようです。

”結婚してくれないと死ぬ”とプロポーズ

山城新伍さんと花園ひろみさんの結婚話は、ドラマとも言えるようなものでした。それもロマンティックとは言い難いものであり、思わず度肝を抜かれてしまうようなものなのです。

なんと山城新伍さんは、花園ひろみさんにプロポーズをする際に花園ひろみさんを車に乗せて、湖に移動させました。そして「結婚してくれないと死ぬ」と言いながら、なんと目の前にある湖に車を発進させたのです。

あのプレイボーイだった山城新伍さんは、とにかく花園ひろみさんをこよなく愛しており、言葉の通りに死ぬほど結婚したい、愛しているという思いを伝えたようです。また、OKを貰える確信もあったようで、結果的にこのプロポーズで結婚をすることになりました。

花園ひろみは山城新伍の浮気に愛想を尽かした

命をかけて花園ひろみさんにプロポーズをした山城新伍さんですが、それでも山城新伍さんの女癖の悪さが治ることはありませんでした。心から花園ひろみさんを愛していながらも、愛人を多く作り、浮気をしていたのです。

その結果、花園ひろみさんは山城新伍さんに対してどういった対処を取ったのか…そのまとめを見ていきましょう。

結婚後も浮気を繰り返していた山城新伍

結婚後も浮気を繰り返し、数々の愛人とスキャンダルを作っていた山城新伍さんは、最愛の花園ひろみさんと結婚をしても女癖の悪さが治る様子は全くありませんでした。

実際、現代に比べてみると昭和の時代は浮気や愛人に寛容であり、離婚をするのも現代よりも大変でした。そういったこともあり、もしかしたら山城新伍さんは花園ひろみさんに対して甘えていた状態だったのではないか、とも考えられています。

1985年に離婚

命をかけてプロポーズをしてくれたものの、女癖の悪さは治らず、結局結婚生活中も浮気を繰り返していた山城新伍さんには、花園ひろみさんも怒りを膨らませる一方でした。そしていよいよ、1985年に2人は離婚をしてしまいます。

離婚理由としては、当然ですが山城新伍さんの度重なる浮気が原因です。どうやら山城新伍さんは、結婚記念日、そして娘である南夕花さんの誕生日すらも愛人と過ごしていたようです。

そういったことが原因となり、山城新伍さんは花園ひろみさんから愛想を尽かされ、離婚を突きつけられることになりました。

山城新伍は娘の南夕花を溺愛

娘である南夕花さんの誕生日すらも浮気に明け暮れていた山城新伍さんですが、実は南夕花さんをかなり溺愛していることでも知られています。

それは離婚後も続いており、山城新伍さんが亡くなる直前まで娘のことを思い焦がれるほどのものでした。

自身の舞台に娘・南夕花を出演させる

山城新伍さんは、娘である南有花さんをかなり溺愛していたのもあり、自身の舞台に出演させることにしています。その舞台では自身も役者として壇上に上がり、溺愛する娘と念願の共演も果たしていました。

また、山城新伍さんが司会をしていた「新伍のワガママ大百科」というバラエティ番組にも、南夕花さんを起用しています。

しかし、娘には毛嫌いされる

溺愛を世間に見せつけるような形で示していた山城新伍さんでしたが、当の娘である南夕花さんとの気持ちの温度差はあまりにも違いすぎるものでした。

南夕花さんは、浮気を繰り返していた女癖の悪い山城新伍さんのことをかなり嫌っており、いくら舞台や番組で共演をしたとしても、その気持ちが変わることはなかったようです。

そして山城新伍さんが亡くなる前も、山城新伍さんの前に現れることはありませんでした。

花園ひろみとの2度目の結婚と離婚

花園ひろみさんと離婚をした山城新伍さんですが、実は花園ひろみさんとは再婚をしています。

なぜ再婚をしたのか、どんな流れだったのか、娘である南夕花さんとの関係はどうなったのか…その気になる点についても見ていきましょう。

1991年に花園ひろみと復縁!

もともと花園ひろみさんとの離婚後も、バラエティ番組などで花園ひろみさんとの復縁・再婚について聞かれた際「50%くらい」と笑っていた山城新伍さんだったので、再婚についての確信はややあったのかもしれません。

そういったこともあり、1991年に花園ひろみさんと2度目の結婚をしています。今度こそ自分のやってきたことを反省し、花園ひろみさん一人を愛し、そして娘の南夕花さんとの関係を修復していくのではないか、と誰もが期待を込めて祝福をしていました。

しかし4年後に再び離婚で絶縁関係に

そんな結婚生活も、たったの4年でピリオドが打たれてしまいます。花園ひろみさんとの2度目の離婚をし、その理由は当然のことながら、山城新伍さんの女癖の悪さでした。

1度離婚をして、そして復縁をして…最後のチャンスを花園ひろみさんに与えられていた山城新伍さんでしたが、その期待に応えることは出来なかったのです。2度目ということもあり、花園ひろみさんと南夕花さんはこれを機に、完全に山城新伍さんに愛想をつかすことにしました。

そしてその結果、山城新伍さん、そして花園ひろみさん、南夕花さんは絶縁状態になってしまいます。

娘・南夕花は”お父さんと呼びたくない”

2度目の離婚の代償は大きいものであり、溺愛する娘である南夕花さんからは「お父さんと呼びたくない」と言われるほどにまでなりました。そして最終的に、南夕花さんは自身の戸籍から父親である山城新伍さんの名前を抜いてしまいます。

結局、離婚をしてから亡くなるまでの間、山城新伍さんは二度と南夕花さんに会うことは出来ませんでした。

病気を患い老人ホーム暮らしとなった山城新伍

山城新伍さんは、離婚をしてから病気を患うことになります。

しかし誰も面倒を見てくれる人もいないということもあり、老人ホームでの生活を送るようになりました。

糖尿病を患い老人ホーム生活を余儀なくされる

山城新伍さんが患ったのは糖尿病でした。どうやら山城新伍さんの両親も糖尿病だったようで、その遺伝だと考えていたようです。

誰も面倒を見てくれず、さらには芸能界からも徐々に姿を消していたため、山城新伍さんは一人孤独に老人ホームに入居することになります。

”食べこぼしまみれ徘徊の日々”と報道される

老人ホームでの生活が続く中で、とあるメディアにて「山城新伍、食べこぼしまみれ徘徊の日々」という報道をされてしまいます。どうやら、外食をしていた山城新伍さんを目撃した記者が、食べこぼしをしながら食事をしていた山城新伍さんを目撃したようでした。

このことについては、「食べこぼしはしてしまうが、最後に自分でちゃんと始末をしている」と反論をしています。

その他の合併症も患う

糖尿病を患い、老人ホーム生活を送りながら闘病生活をしていた山城新伍さんでしたが、合併症を発症してしまいます。うつ病や認知症など、年齢、そして糖尿病のことを考えれば、リスクは以前から考えられるものでした。

こういった合併症が決定打となり、いよいよ山城新伍さんは芸能界復帰もほぼ不可能な状態へと立たされてしまうことになります。

嫁・娘に見放された山城新伍の最期が悲惨すぎた

合併症を患い、1人では本当に何も出来ない状態になってしまった山城新伍さんは、最期の人生はかなり悲惨である…と多くのメディアが今でも報じています。

そんな最期についても注目をしていきましょう。

老人ホーム入居後は周囲との関わりを断つように

老人ホームに入居後、周囲との関わりをほとんど山城新伍さんは断ちました。旧友でもある梅宮辰夫さんや松方秀樹さんの面会も断っていたようです。

これはよくあることのようで、老人ホームという隔離された空間に入り、さらに病気を患ってしまうと、気持ちが落ち込み、ふさぎがちになってしまうことは少なくないようです。山城新伍さんも同様の状態だった可能性が高いと考えられます。

花園ひろみ・南夕花とは疎遠に

山城新伍さんが老人ホームに入居したという報道は、全国的にされていました。

当然ですが、元妻、娘である花園ひろみさん、南夕花さんはそのことについてはわかっていたようです。しかし、完全に愛想を尽かし、さらには一切関わりたくないという強い意思を持っていたということもあり、2人がお見舞いに来るということは最後までありませんでした。

山城新伍さん自身は「娘に会いたい」と言葉をこぼしていたそうですが、その願いが叶えられることはなかったのです。

2009年70歳でこの世を去った山城新伍 

2009年8月12日、70歳で山城新伍さんはこの世を去ることになりました。

最後まで1人だった、悲惨な晩年を過ごした…そんな山城新伍さんの死因やその後についても注目をしていきましょう。

死因は誤飲性肺炎だった

山城新伍さんの死因は、誤飲性肺炎と呼ばれるものでした。これは認知症の人がよく起こすものだとされています。

本来、食べ物が食堂ではなく気管に入ってしまうと「むせる」という機能が出て、気管から排出されていきます。しかし、誤飲性肺炎はこの「むせる」という機能が鈍くなってしまい、食べ物が気管に入り、肺炎を起こし、死に至ってしまうのです。

梅宮辰夫や松方弘樹がお別れの会を開催

この世を去った山城新伍さんのために、旧友である梅宮辰夫さんや松方弘樹さんが中心となって、お別れ会を開催しました。

山城新伍さんのお別れ会には、多くの芸能関係者や共演した女優、俳優などが中心となって訪れており、最期のお別れをしていました。

しかし、花園ひろみ・南夕花の姿はなかった

盛大なお別れ会が行われた山城新伍さんでしたが、そのお別れ会には花園ひろみさん、南夕花さんの姿はありませんでした。亡くなってもなお、山城新伍さんが花園ひろみさん、南夕花さんにしてきたことは許されなかったのです。

大きな裏切りは自分を苦しめる

山城新伍さんの芸能生活は、とてもきらびやかで華々しく、魅力的なものでした。しかし、プレイボーイ自称する自分の女癖の悪さが原因となり、大切な花園ひろみさん、南夕花さんを裏切り、悲惨な晩年を過ごすことになってしまいました。

最期、どんな気持ちでその生涯を閉じたのかはわかりません。最後まで南夕花さんを思っていたかもしれませんが、その思いはお別れ会においても報われることはありませんでした。

素晴らしく、多くの人を楽しませてくれた魅力的な俳優である山城新伍さんは、間違いなく昭和を代表する大スターです。大きな裏切りは自分を最終的に苦しめることになりましたが、今でも彼のファンはいて、尊敬する気持ちを忘れていないことでしょう。

昭和スターに関する記事はこちらからチェック

関連する記事

この記事に関する記事

TOPへ