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里見浩太朗の経歴や現在は?若い頃に拳銃を密輸して起訴されていた?

テレビや映画で活躍しているベテラン俳優の「里見浩太朗」は、若い頃は東映映画で時代劇に専門に出演していました。里見浩太朗はそんな若い頃に起訴されたことがあると言われていますが、それは真実か?里見浩太朗の現在(2021)や結婚相手についても紹介します。

里見浩太朗のプロフィール

本名(ふりがな): 佐野 邦俊(さの くにとし)

所属事務所:里見プロモーション

生年月日:1936年11月28日

現在年齢:85歳

出身地:静岡県富士宮市

血液型:A型

身長:173cm

体重:不明

活動内容:俳優、歌手

高校生の時「NHKのど自慢」に出演

里見浩太朗さんは東京市渋谷区道玄坂の病院で生まて、幼少期に静岡県富士宮市に引っ越しています。高校まで富士宮市で生活し、卒業後に上京しています。高校卒業前に「NHKのど自慢」に出演して合格していますが、この経験が芸能生活の原点になったと語っています。

 

里見浩太朗さんの佐野家は、武田信玄の父の代から武田家に仕えた家系だったことがわかっています。里見浩太朗さんの祖父の代は、村で有数の財産家として知られていました。ただし、父親が戦死し、母子家庭になったこともあり、里見浩太朗さんの子ども時代の生活は楽ではなかったようです。

高校卒業後静岡から上京して就職

里見浩太朗さんは、静岡県立富士宮北高等学校の卒業生で高校時代は音楽部に所属していました。卒業後に上京して、叔父が経営していた築地の魚卸業の会社に就職しています。里見浩太朗さんは、働きながら歌手を目指しており、レコードデビューも内定していました。

1956年に東映入社

順調に歌手としての道を進もうとしていた里見浩太朗さんですが、知り合いの女性が東映ニューフェイスに勝手に応募したことで、俳優としての道を歩むことになります。1956年に第3期東映ニューフェイスに合格することになり、東映に入社することになりました。

 

映画座で6ヶ月勉強した後に、大泉スタジオに残るか、京都撮影所に行くかを選択することになります。

里見浩太朗の俳優としての経歴

里見浩太朗さんの俳優としての経歴はどうなっているのでしょうか?里見浩太朗さんの俳優としての経歴をまとめました。

東映京都撮影所専属になる

時代劇が好きな里見浩太朗さんは、京都撮影所に独身寮があったこともあり、京都撮影所の専属になります。1957年に映画「天狗街道」で俳優としてデビューします。天狗街道の3本目の時に、大ヒットした映画「里見八犬伝」にちなんで「里見浩太郎」という芸名をつけてもらいます。

 

4本目の出演作となる1958年の映画「金獅子紋ゆくところ」で、初主演を果たします。映画の主題歌「金獅子紋道中唄」を歌い、歌手としてもデビューしました。

テレビの時代劇でも活躍

時代劇映画や任侠映画で活躍していた里見浩太朗さんですが、撮影所の改革で時代劇は映画からテレビに移行していきます。里見浩太朗さんは時代劇映画を守るために俳優組合に参加しますが、組合活動はうまくいかずに映画は任侠映画中心になってしまいます。

 

任侠路線は合わないと思った里見浩太朗さんは、テレビ時代劇を中心に活動するようになります。1970年に「里見浩太郎」から、現在の芸名に改名しました。時代劇だけでなく、刑事ものやアクションものにも多く出演しています。

「水戸黄門」の助さん役を16年半務める

里見浩太朗さんといえば、最もイメージが強いのが水戸黄門でしょう。里見浩太朗さんは、1971年の水戸黄門第3部から第17部まで、16年半に渡って助さんこと佐々木助三郎を演じています2002年には水戸光圀役となり、5代目の水戸黄門を演じました

 

その後、シリーズ終了となる2011年まで水戸黄門を演じています。里見浩太朗さんはデビュー間もない頃に、映画で渥美格之進を演じたこともありました。そのため、水戸黄門・助さん・格さんの3人を演じた唯一の時代劇俳優でもあります。

舞台やディナーショーでも活躍

里見浩太朗さんは、1970年代後半になると舞台活動も積極的に行うようになります。名古屋御園座での座長公演、東京の明治座、大阪の梅田コマ劇場などの舞台に出演しています。1980年代に入ると、舞台でも主演が多くなっていきます。

 

80年代以降は歌手としての活動も多くなり、ディナーショーやコンサートなども精力的に行うようになります。

里見浩太朗の現在(2021)は?

里見浩太朗さんは、現在何をしているのでしょうか?里見浩太朗さんは、現在もテレビドラマや舞台などで活躍しています。里見浩太朗さんの現在の活動についてまとめました。

現在も俳優として活躍

85歳になった里見浩太朗さんですが、現在も俳優として活動しています。2020年4月からNHK BSプレミアムで放送された「小吉の女房2」では、十一代将軍・徳川家斉の側近・中野碩翁役で出演しました。2021年6月30日に放送された「特捜9 season4」の最終回では、警視総監役で出演しています。

 

里見浩太朗さんの公式ホームページでは、テレビ・舞台出演・CD発売などの最新情報を知ることができます。

2021年10には舞台に出演

里見浩太朗は、2021年10月に京都府立文化芸術会館で行われた舞台にも出演しています。舞台は、東映剣会の創立70周年を記念した「東映剣会創立70周年記念公演」です。里見浩太朗は、OBとして昼の部に特別出演しました。

 

昼の部にはゲストとして、藤岡弘さんも出演しています。YouTubeでは、創立70周年の記念動画も公開されました。

2021年3月には水戸黄門の舞台も!

2021年3月には、名古屋・御園座で水戸黄門の舞台にも出演しています。名古屋・御園座で12年ぶりの座長公演ということでも話題になりました。舞台は2部構成で、1部の「水戸黄門 〜 春に咲く花」に里見浩太朗は、水戸黄門役で出演しています。

 

第2部は「里見浩太朗 VS 純烈 大いに唄う!」というタイトルで、順列をゲストに迎えた歌謡ステージでした。

若い頃に起訴されたことがある?

真面目なイメージのある里見浩太朗さんですが、若い頃に書類送検された起訴されたというエピソードがあります。一体どういうことなのでしょうか?里見浩太朗さんが、若い頃に起訴されたエピソードをまとめました。

京都府警に内密に調査されていた

里見浩太朗さんが起訴されたのは、1965年のことです。1960年代は芸能人などの著名人が銃を所持する事件が多発していました。映画俳優2人がハワイから拳銃を持ち込んだという情報を得た京都府警は、1963年に捜査を開始します。まもなく、1人の俳優が捜査線上に浮かびます。

山城新伍と共に拳銃密輸事件で起訴

拳銃を密輸したとして、最初に検挙されたのは山城新伍さんでした。山城新伍さんは1963年末に拳銃所持が発覚して、1964年春に罰金刑を受けています。しかし、もう1人の俳優はすぐには分からず、1963年にハワイに行っていた俳優6人を調べることになりました。

 

その後、拳銃を持ち込んだもう1人の俳優が里見浩太朗さんであることが発覚します。1965年に2人は「銃砲刀剣類所持等取締法違反」と「関税法違反」で書類送検され、起訴されました。

好奇心でピストルを購入

里見浩太朗さんと山城新伍さんは、ハワイのホノルルで興味本位でピストルを一丁ずつ購入します。一丁50ドルだったため、当時のレートでは1万8000円でした。山城新伍さんは撮影所で射撃の練習をした後に、飽きたので暴力団の幹部にピストルを渡しています。

 

里見浩太朗さんは帰国後に怖くなり、購入から4ヶ月後に山城新伍さんにピストルを渡したそうです。

懲役8ヵ月執行猶予3年の判決

起訴された里見浩太朗さんは、1965年2月に懲役8か月執行猶予3年の判決を言い渡されます。山城新伍さんは、懲役10か月執行猶予3年の判決を受けました。里見浩太朗さんは、お酒も飲まずに真面目な印象があっただけに、この事件で受けた痛手は大きかったと言われています。

 

東映から謹慎処分を受けた里見浩太朗さんは、静岡県の方広寺に籠って座禅を組むことになります。

里見浩太朗の結婚相手や子供について

里見浩太朗さんは2度結婚しており、子供がいることもわかっています。里見浩太朗さんの結婚相手や子供の情報についてまとめました。

1966年に一般人女性と結婚

里見浩太朗さんは、1966年に一般人の女性と最初の結婚をしています。一般人の女性なので、名前や詳しい情報は不明です。ただし、産婦人科の娘という情報やミス横浜に選ばれたことがあるなどの情報があります。

 

馴れ初めに関しては不明ですが、結婚してから7ヶ月後に長男が生まれているのでデキ婚だったことになります。

1974年に離婚!元嫁との離婚理由は?

里見浩太朗さんは、結婚から8年後の1974年に離婚しています。詳しい理由などは明かされていませんが、仕事で忙しい里見浩太朗さんとのすれ違いが原因で離婚したと言われています。長男の親権は、元妻が持つことになりました。

離婚から2年後に再婚

里見浩太朗さんは、離婚から2年後の1976年に一般人の女性と再婚します。一般人の女性ですが、元レスリング日本代表の風間栄一さんの娘で、信子さんという名前だと言われています。馴れ初めは不明ですが、パンアメリカン航空に勤務していて里見浩太朗さんより13歳年下だそうです。

息子は俳優の佐野圭亮

最初の妻との間に生まれた長男は、俳優の佐野圭亮さんです。佐野圭亮さんは高校生の頃から俳優に憧れていましたが、俳優になることは里見浩太朗さんに猛反対されていたそうです。それでも、大学の演劇科に入学して、卒業後は俳優座の研究生になります。

 

1990年1月の新春時代劇スペシャル「樅の木は残った」で俳優としてデビューし、里見浩太朗さんとも共演をしました。映画デビュー作の「戦争と青春」でオリーブ新人俳優賞と日本アカデミー新人俳優賞を受賞しており、演技力では高い評価を受けています。

まだまだ現役の里見浩太朗

里見浩太朗さんの経歴や現在、若い頃に起訴されたエピソードについてまとめました。若い頃に、信じられない事件を起こしていた里見浩太朗さんですが、その後俳優として成功しています。今後も、円熟した演技を見せてくれそうです。

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