木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
宅八郎さんは、静岡県浜松市出身で、三人兄弟の長男として生まれました。
浜松南高校を卒業して、法政大学社会学部を卒業しています。高校時代は8ミリビデオで特撮映画を制作しており、大学時代は漫画研究会に所属していました。
興味を持ったものについては徹底的に調べたり、凝り出すと時間を忘れて没頭する性格だったのだそうです。
大学卒業後、テレビ用広告宣伝の製作会社に就職し、蚊取線香の宣伝に出演したりもしましたが、対人関係の問題から退職し、1983年から、フリーライターとして活動を始めました。
女子高生向け雑誌の「プチセブン」や「週刊スパ」などで、記事を執筆していました。
宅八郎さんは、日本独特のオタク文化に注目し、記事を書いていた「週刊スパ」で、1990年2月に「『おたく』が世紀末日本を動かす!」という全16ページの特集記事にて、オタク評論家・宅八郎として登場しました。
翌年には、歌手の森高千里さんのフィギュアとマジックハンドに紙袋を持つというスタイルで『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』や『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』などのバラエティ・テレビ番組に出演するようになり、タレントとしても活動を始めました。
宅八郎さんのオタクのスタイルが印象的で、一気に知名度が上がり、多数のテレビに出演するようになりました。
日本でのオタクのイメージを作り上げたのは宅八郎さんだと言っても過言は無いでしょう。宅八郎さんはあえて、ダサイ服に着替えてタレント活動を行っていたんだそうです。宅八郎さん自身は、オタクでは無かったという証言があります。
また、Vシネマにも数本出演しており、活躍は多岐にわたりました。
宅八郎さんと言えば、オタクタレントのイメージ以外にも、トラブルが絶えなかったイメージがあります。他のライターとの論争で相手に徹底的に嫌がらせをすることで有名でした。
例えば、論争相手の自宅マンションの隣室に転居し、ベランダに広角レンズでビデオカメラを設置し私生活を仔細に観察し、観察の結果を『噂の眞相』の連載コラムで発表し、民事訴訟を起こされ、裁判所に仮処分申請を求める騒ぎに発展したこともありました。
また、相手の車を一部破損したり、白紙のFAXを送り続けるなどの嫌がらせをして民事訴訟を起こされたこともあります。
また、駐車場を出る際、隣の車をこすったにも関わらずそのまま走り去ったとして、道路交通法違反で逮捕されたこともあり、数々の問題を起こしていたことでも有名です。
近年、宅八郎さんの名前を耳にすることはありませんでしたが、宅八郎さんは近年、どうされていたのでしょうか。
1990年代は多数のテレビに出演し、タレント活動を行っていた宅八郎さん。
色々と問題を起こしており、近年は、メディアで見かけることもなくなっていましたが、2020年8月に亡くなっています。享年57歳でした。
葬儀・告別式は近親者のみで行われ、亡くなった事は、同年12月までは公表されませんでした。
宅八郎さんと交流のあった作曲家の片岡宏介さんが、自身のツイッターで、宅八郎さんの弟から電話があり、宅八郎さんが8月に脳出血で亡くなられたと知った事を投稿し、世間の知ることとなりました。
死因は脳出血で、5月に入院した際は意識もあり会話もできる状態だったそうですが、6月に再出血して意識不明の状態になり、8月に亡くなったそうです。
12月に宅の死去が明らかかになった時点で、宅八郎さんの実弟がマスコミの取材に答えました。
公表が遅れたことに関しては、宅八郎さんが近年テレビ出演していなかったため公表するかを迷っていた為だったそうです。
また、生前のさまざまなトラブルからマスコミに悪く書かれるのが嫌だったことなどを話しました。
強烈なキャラクターで有名だった宅八郎さんは、結婚していたのでしょうか。調べてみました。
実弟が取材に応じた時に、宅八郎さんの内縁の妻の嘆きが大きく、宅八郎さんが生前に付き合いが深かった関係者に連絡することにしたと話したために、宅八郎さんに事実婚状態の妻がいたことが分かりました。
宅八郎さんは、内縁の妻とは約10年間一緒にいたそうですが、正式に結婚はしていませんでした。それ以外は、女性の名前や年齢、職業など詳しい情報はなく、画像もありませんでした。
また、2人に子供がいたかは、分かっていません。
続いては、宅八郎さんの経歴について見ていこうと思います。
大学卒業後は、テレビ用広告宣伝の制作会社に就職しています。蚊取り線香の宣伝に出演しましたが、人間関係が上手くいかずに退職しました。
1983年からフリーライターとして活動を始めており、週刊スパ・探偵ファイル・BUBKAなどの連載を担当していました。
また、週刊スパで連載され、人気だった「イカす!おたく天国」や「処刑宣告」など、本も数冊出版されています。
2004年には歌舞伎町のホストクラブにも勤務していました。宅八郎さんがホストクラブに勤務していると話題になり、テレビ番組『メレンゲの気持ち』『オオカミ少年』などで紹介されました。
グラスをマジックハンドでつかんで、マジックハンドイッキを行い、人気があったそうです。アフターで訪れるキャバクラ嬢が、宅さんにたくさんのお客さんを連れてきていたそうです。
宅八郎さんのホスト姿を知るホストクラブ幹部は「イジられ方を心得たエンターテイナーだった」と話しています。
その後も同店に在籍したものの、2006年からは体調不良を理由に自由出勤となっていました。
宅八郎さんは、2007年には渋谷区の区長選挙にも馬しています。
渋谷駅ハチ公前で、メイド姿のコスプレに身を包んだボランティアの女性3人をひきつれ演説を行う様子は、多くのメディアで報道されました。
宅八郎さんは「渋谷は秋葉原に負けている。」「アキバよりおしゃれな『渋谷系オタク』を確立する」」と訴え、「渋谷の萌えタウン化」を公約としました。
宅八郎さんには多くのメディアが注目し、密着取材を行ったため、日刊スポーツなど複数のスポーツ紙で大きく扱われましたが、「巨大ハコモノの建設を中止するべき」などまじめな政策を訴えていたことはあまり知られていません。
選挙結果は、全体の8.5%の5605票を獲得しました。
供託金没収にあたる10%を下回る得票数だったため、100万円は区に没収となりましたが、宅八郎さんは8.5%の票が獲得できた、それだけでも有り難いと喜んでいました。
おたく評論家として90年代にタレントとして活動していた宅八郎さんについてご紹介してきました。
多数のテレビに出演し、そのキャラクターで一気に知名度が上がり、一時期はよくテレビで見かけましたが、近年はメディアで見ることは無くなっていました。
トラブルが多く、渋谷区長選に出馬をしたり、ホストとして勤務したりと、何かとお騒がせタレントとして名前が挙がることが多かった宅八郎さん。
メディアから遠ざかった後は、サブカルチャー系のイベントプロデュース、DJなどを行ったりもしていたそうです。
結婚はしていませんでしたが、10年以上連れ添っている内縁の妻がいらっしゃり、以前のようなトラブルはなく、穏やかに暮らしていらっしゃったようですが、2020年に脳出血のため、お亡くなりになっていました。ご冥福をお祈りいたしたいと思います。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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