2024/02/16
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池上季実子は、1959年にアメリカ・ニューヨークのマンハッタンで生まれました。彼女の母親は歌舞伎役者の八代目・坂東三津五郎の次女であり、父親は商社マンです。3歳の頃に日本へと帰国して京都市に移り住みましたが、小学校を卒業した後に両親の別居に伴い母親や弟と共に東京に転居しました。
池上季実子は、ノートルダム女学院中学校を卒業して玉川学園高校高等部に進学しましたが、芸能活動をするために堀越高等学校に転校して卒業しています。堀越高等学校では岡田奈々や森昌子、岩崎宏美らと同級生でした。
1974年に、NHKの少年ドラマシリーズ『まぼろしのペンフレンド 』で女優デビューしました。そして80年代には、『四季・奈津子』を始めとして多数の主演を勝ち取っています。こうして、池上季実子は女優としての評価を高めていきました。
池上季実子はアメリカで生まれたこともあり、アメリカ国籍を持っています。2021年8月には、せっかくアメリカ国籍をもっているのだから、アメリカで仕事をしたいと語っていました。彼女は以前に、海外の映画のオファーをもらったことがあります。
しかし、その時期は子供の進学時期と重なったこともあり、出演を断念したのでした。その際には、ニューヨークからプロデューサーが2人もやってきて、「子供の受験でこの映画のオファーを断るのはナンセンス」と説得されたといいます。結局、池上季実子はこの映画に出演しませんでした。
続いて、池上季実子の家系図について見ていきたいと思います。池上季実子はどういった家系に生まれ育ったのでしょうか。彼女の祖父などについて探ってみましょう。
池上季実子の母親の父親(要するに祖父)は、歌舞伎役者である八代目・坂東三津五郎です。八代目・坂東三津五郎は、1966年に日本芸術院賞を受賞しました。そして、1975年1月16日に京都南座で初春興行の『お吟さま』に出演していた際に、トラフグの肝の中毒により68歳で急死しています。
九代目・坂東三津五郎が、池上季実子の叔父に当たります。池上季実子の母親の弟になるものと考えられるでしょう。九代目・坂東三津五郎は、1999年4月1日に69歳で亡くなっています。
池上季実子の従兄は、十代目の坂東三津五郎です。2009年に 平成21年度紫綬褒章を受章するなど、多数の賞を獲得しています。 十代目・坂東三津五郎は、2015年に59歳ですい臓がんにより死去しました。
若い頃の池上季実子は美しかったとされています。そんな彼女は、現在どの様になっているのでしょうか。美しさをキープしているのでしょうか。
池上季実子は、若い頃と現在が全く違うと言われることが良くあります。また、若い頃は石原さとみに似ていました。昔の池上季実子は抜群の美しさを誇っていて、可愛らしさのある美貌を持っていたのです。
池上季実子が激太りしたとの噂がありますが、それは現在の話ではなく28歳の時に起きた事故が原因でした。旅番組でカナダを訪れていた彼女は、街並みの紹介のために観光用の馬車に乗りました。すると、その直後に馬が暴走してしまい走行中の車にぶつかるなどして、体が宙を舞ったといいます。
そして、池上季実子の体は石畳の道路に叩き付けられたのです。現地の病院で診てもらったところ、診断は『打撲のみであり異常はない』とのことでした。しかし、この診断は誤りでした。事故から1年後に突然首の痛みを覚えた彼女は、役を降りたくないとして4か月の入院を拒否しています。
ところが池上季実子は、事故の際にずれてしまった首の骨がそのままになっていたのです。それにより、全身の血行不全となったことから異常なほどにむくんでしまいました。このことが、“激太り”とされた理由です。
現在は週に1度9時間というマッサージを受けたり、ウォーキングなどのダイエットをしていて痩せる努力をしています。そのため、体型もある程度は痩せて昔に戻ってきています。とはいえ、昔の事故の影響や女性ホルモンの影響により太りやすく、むくみやすい体質となっているのです。
体調によってはむくみやすい時もあり、テレビでも時期によっては体型が異なって見えることもあるでしょう。なお池上季実子本人としては、“激太り”などと言われることを快く思っておらず、傷付いている模様です。
続いては、池上季実子の結婚について見ていきたいと思います。彼女は結婚をしているのでしょうか。池上季実子の私生活についても覗いてみましょう。
池上季実子は、人気絶頂だった1985年に10歳年上の一般男性と結婚をしました。相手の男性は、古美術商を営んでいました。彼女の結婚が報道される前に、既に2人は結婚をしています。しかし、マスコミ不信となっていた池上季実子は結婚を発表していなかったのです。
その理由は、池上季実子の妊娠にありました。結婚が報じられた時には、池上季実子は妊娠をしていました。実際には、結婚の時期から結婚が報じられるまでの間に子供を授かったものであり、“できちゃった婚”ではありません。
ところが、結婚の発表と同時に妊娠が発覚したことから、“できちゃった婚”だと誤解をされたためです。
池上季実子は、どれほど忙しかったとしても仕事と家庭のことを両立させるため努力をしていました。しかし、結婚から3年で離婚をしています。その理由について、池上季実子は『(自身が)完璧主義すぎたこと』と語っています。また、一説には夫のDVもあった模様だとも言われました。
酔って帰宅した夫に池上季実子が怒りを露わにしたところ、夫が暴力を振るったというのです。このことも、離婚の一因となった可能性もあるでしょう。
池上季実子は、1985年もしくは1986年辺りに“芽実”という名の娘を出産しています。離婚後にはシングルマザーとして娘を育てました。仕事の際にはベビーシッターを依頼していたとしても、育児中の池上季実子の睡眠時間は3時間ほどであったといいます。
また、娘は2016年の段階で既に結婚をしていることも分かっています。孫はまだいないと考えられ、娘の情報についてもこれ以上はありません。なお、元タカラジェンヌである野々すみ花が池上季実子の娘ではないかとの憶測があります。
しかし、野々すみ花の本名は“上田澄佳”であり、生まれたのは1987年です。それもあり、野々すみ花が池上季実子の娘ではないことが分かるでしょう。
最後に、池上季実子が出演した映画を厳選して3作品ご紹介します。池上季実子はどういった映画に出演しているのでしょうか。
1975年の映画『はだしの青春』が、池上季実子の映画デビュー作となります。同映画には、森田健作も出演しています。青春映画であり、暗い過去を背負った教師と、不治の病に侵された女子高生の悲しい愛を描いた物語です。
『陽暉楼(ようきろう)』は、1983年の映画であり宮尾登美子の小説が原作です。池上季実子は、土佐随一である料亭・陽暉楼のナンバー1芸妓である太田房子(桃若)役を演じました。この映画で、池上季実子は第7回日本アカデミー賞の優秀主演女優賞を受賞しています。
1988年の映画『華の乱』は、永畑道子の小説『華の乱』と『夢のかけ橋』が原作となっています。監督は深作欣二が務めました。吉永小百合が与謝野晶子を演じていて、池上季実子は婦人公論の記者である波多野秋子役を演じています。この映画では、第12回日本アカデミー賞・優秀助演女優賞を受賞しました。
池上季実子の家系は、母方が歌舞伎役者・坂東三津五郎を継ぐ家柄です。また、若い頃は石原さとみに似ていたとされています。しかし28歳の頃の事故により、“激太り”といわれるようになったこともありました。また1985年には一般男性と結婚しましたが、3年後に離婚をしています。
大事故による症状に苦しんだ池上季実子ですが、これからも様々な作品で輝いていって欲しいものです。
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