2024/02/16
r.y6
浅野温子さんは、1976年の15歳の時に、山口百恵さん主演の映画『エデンの海』の山口さんのクラスメート役のオーディションで合格し、山口さんをいじめる岩井昌子役で映画デビューしました。
翌年の1977年にドラマ『文子とはつ』(TBS)に出演し、1988年に映画『高校大パニック』でヒロインを演じました。
浅野温子さんは、1980年代に入ると『スローなブギにしてくれ』(81年)『化石の荒野』(82年)『汚れた英雄』(82年)など角川映画に出演し注目を浴びるようになりました。
1980年代後半には、舘ひろしさんと柴田恭平さん主演の人気ドラマ『あぶない刑事』で、ヒロイン的な存在の真山薫役を演じました。ドラマはヒットし、劇場映画版が7作も作られました。
浅野温子さんは、1988年にトレンディードラマ『抱きしめたい!』(フジテレビ)に、浅野ゆう子さんとダブル主演しました。ドラマは若い女性を中心に話題を呼び、浅野温子さんと浅野ゆう子さんはW浅野と呼ばれるなど人気を博しました。共演は、岩城滉一さん、本木雅弘さん、石田純一さん他。
1991年には、武田鉄矢さんと共演したドラマ『101回目のプロポーズ』で浅野さんはオーケストラのチェリストを演じ、ドラマの最終回が36.7%という高視聴率をマークし話題になりました。
浅野温子さんは結婚していて、夫はコピーライター&作詞家の魚住勉さんです。その魚住さんが認知症を患っているのではないかと噂になっているようですが、本当にそうなのかどうかを調べてみました。
浅野温子さんの夫の魚住勉さんは、1947年1月1日に熊本県で生まれ、熊本県立熊本高等学校を卒業後、東京の大学に進学しました。卒業後、広告・デザイン製作会社「日本デザインセンター」に入社し、コピーライターの仕事をしていた人物で、2021年現在は74歳になっています。
浅野温子の夫である魚住勉さんは、最近はコピーライターや作詞家などの仕事をほとんどしていないようです。それで、年齢的なこともあり認知症を患っているのではないかという噂があるようです。
魚住勉さんが認知症を発症しているのではないかという噂ですが、調べてみても確証はなく単なる噂に過ぎず、どうもデマであるように思われます。
浅野温子さんの夫である魚住勉さんは、コピーライター&作詞家として活動していますが、そんな魚住さんの高校の同級生のことや、どんな広告を手がけ、どんな曲の作詞を担当したのかなどを調べてみました。
魚住勉さんは、熊本県出身で、熊本県立熊本高等学校を卒業していますが、高校の同級生には、都知事選に出馬し世間を賑わせた弁護士の宇都宮健児さんがいます。魚住さんは、高校卒業後、慶應義塾大学経済学部に進学し卒業しています。
魚住勉さんは、コピーライターとして活躍し、印象に残るコピーを残しています。有名なキャッチコピーに、サントリーのギフトCM『男の気持ちです』、サントリー・オールドCM『みんな、ひとりなんだ』、丸井の広告『ひとりよりふたり。』などがあります。
他にパルコ、小学館、キリンビールなど多数のCMコピーを手掛けており、東京コピーライターズクラブ賞、東京アートディレクターズクラブ賞などを受賞しています。
魚住勉さんは、作詞家としても活躍しました。武田薬品の胃腸薬CM用に作られ、大ヒットした『男と女のラブゲーム』や三井生命のCMに起用されたWANDSの『もっと強く抱きしめたなら』のほか、近藤真彦さんの『Rain』由紀さおりさんの『ゆらゆら』など多数手がけています。
浅野温子さんは魚住勉さんと結婚しましたが、いつ頃結婚したのか、また年齢差が大きいようですが幾つ年が離れているのかを調べてみました。
浅野温子さんは、1983年に魚住勉さんと結婚しました。結婚に関する話は浅野さんも魚住さんも公けには明かしておらず、どこで式を挙げたかなど詳細は不明です。
浅野温子さんと魚住勉さんが結婚したのは、浅野さんが22歳、魚住さんが36歳の時で、14歳離れた年の差カップルとして話題になりました。
浅野温子さんと魚住勉さんの馴れ初めはいつ頃で、どんな出会いだったのか、また仕事での関わりはあったのかどうかなどを調べてみました。
浅野温子さんと魚住勉さんの馴れ初めに関しては、ほとんど明かされておらず、女優とコピーライターの接点がどこにあったのか、はっきりしたことは分かりません。
浅野さんが出演したCMの仕事で魚住さんが関わったものが2件ほどありましたが、それは結婚後の事で、馴れ初めとは言えないようです。ひとつは、魚住さんがキャッチコピー「はじめは恋、あとで愛」を手がけたパルコのCM(1989年)で、もうひとつはイメージソングを手がけたシャンプーのCM(1990年)です。
魚住勉さんは、31歳の時に独立しましたが、人脈を広げるために芸能関係者の集まりに頻繁に顔を出していたらしいです。そのときに浅野温子さんと出会ったのではないかと囁かれていますが、真相は不明です。
魚住勉さんと浅野温子さん夫婦には一人息子がいるそうですが、それが誰なのか、また現在どんな仕事をしているのかなどを調べてみました。
魚住勉さんと浅野温子さんの一人息子は、NHKアナウンサーの魚住優さんです。1984年10月5日生まれで、父・勉さんと同じ慶應義塾大学を卒業後、日刊スポーツ新聞社勤務を経て、2008年にNHKにアナウンサーとして入局しました。現在36歳です。
2018年11月15日に、魚住優さんがレポーターとして出演していたNHK情報番組『あさイチ』で、彼が浅野温子の息子であることをメインキャスターの博多大吉さんが明かしました。一緒に出ていた魚住優さんは、ワンレングスの髪をかきあげる、母・浅野さんの真似をしたそうです。
魚住優さんが浅野さんの息子であることを明かしたのは、有働由美子アナウンサーが降板後、番組の視聴率が伸び悩んでいて、その打開策として魚住さんの了承のもと公表したのではないかと言われています。
魚住優さんは、NHK入局後、親の七光りと騒がれるのを危惧して、浅野さんの息子であることを伏せていました。
魚住優さんは、2017年に、都内の化粧品メーカーに勤めていた同い年の一般女性と結婚しました。お子さんがいるかどうかは不明です。
魚住優さんは、2019年3月より東京アナウンス室からNHK福岡放送局に移動し、九州・沖縄地方向けの報道・地域情報番組『実感ドドド!』や福岡地域枠の『実感ドドド!@福岡』を担当しました。
魚住勉さんと浅野温子さん夫婦は、現在どこに住んでいるのか、またどんな暮らしをしているのかを調べてみました。
魚住勉さんと浅野温子さん夫婦の自宅は、千葉県佐倉市の駅前にある高級マンションではないかという説があります。佐倉市は、古くから城下町として栄えたところで、長嶋茂雄さんの地元ということでも知られています。
千葉県佐倉市には、ユーカリが丘というニュータウンがあります。タウン内には約20本のユーカリの木が植えられているそうです。
そのユーカリが丘に、魚住勉さんと浅野温子さん夫婦の自宅があるのではと言われています。
また魚住勉さんと浅野温子さん夫婦の自宅は、東京都世田谷区の住宅街に建つ立派な邸宅ではないかという説もあります。
浅野温子さんは、2019年に体調不良のため予定されていた舞台『銀河鉄道999 さよならメーテル~僕の永遠』を降板して休養に入っていましたが、2020年10月に公開された映画『みおつくし料理帖』で仕事復帰しました。また、2003年から始めた『浅野温子・よみ語り』を自身のライフワークとして続けています。
『浅野温子・よみ語り』は、古事記の神話や日本各地の昔からある民話・伝説を生演奏をバックに現代語で語る浅野さんの一人舞台劇です。全国各地の有名神社などで公演を続けています。
夫の魚住勉さんとは、結婚して2021年で38年目になりますが、不仲の噂が流れたことなく現在も夫婦仲は良好のようです。歳を重ね、きっと互いに支え合いながら、浅野さんは無理をせず仕事を続けているようですね。
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