2024/02/16
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木之内みどりさんは、北海道小樽市で、9人兄妹の末っ子として生まれました。中学3年生の15歳の時、日本テレビの『ミス・ティーン・コンテスト』に応募し、準優勝になりました。
木之内みどりさんは、「家を建てたい」と16歳の8月に小樽から上京し、歌謡番組のマスコットガールで芸能界入りのきっかけを掴みました。
木之内みどりさんは、1974年5月10日に、『めざめ』で歌手デビューしました。レコードセールスはあまり伸びませんでしたが、彼女のキュートな顔立ちと愛らしい歌声は人気を集め、プロマイドが飛ぶように売れたそうです。
木之内みどりさんは、1977年に映画『野球狂の詩』でヒロイン水原勇気を演じました。人気漫画の実写化で、木之内さんが主人公のイメージにぴったりだったこともあり、女優として注目されるようになりました。
テレビドラマにも出演し、『警察犬カール』でカールの訓練士役、『貝がらの街』の佐川家の次女・典子役など、女優として活躍しました。
木之内みどりさんは、21歳という若さで芸能界を引退しました。引退の原因は、ベーシスト後藤次利さんとのスキャンダルによるものと考えられ、木之内さんは引退の記者会見で「子供のできるようなことはしていません」との言葉を残しました。
木之内みどりさんには離婚歴がありますが、再婚しています。再婚相手は竹中直人さんですが、出会うきっかけやプロポーズの言葉などを調べてみました。
木之内みどりさんは、離婚歴がありますが、1990年の32歳の時に俳優・監督・コメディアン・歌手とマルチに活躍する竹中直人さんと再婚しました。
木之内みどりさんと竹中直人さんの出会いは、海外へ仕事に行く際の飛行機の中だそうです。彼女のファンだった竹中さんから話しかけ、その後、竹中さんのアプローチで交際に至りました。
竹中直人さんの木之内みどりさんへ告げたプロポーズの言葉は「一緒に年を重ねていこう」だったそうです。なんでも、仕事でニューヨークへ向かった木之内さんを竹中さんが婚姻届を持参して追いかけ、同地にてプロポーズしたそうです。
そして、1990年1月に竹中さんが1人で東京目黒区役所に婚姻届けを提出したそうで、入籍会見を開きました。
竹中直人さんと結婚した木之内みどりさんに子供はいるのでしょうか。いるなら子供は何人で現在何をしているのかなどを調べてみました。
木之内みどりさんと竹中直人さんの間には、1男1女の子供がいます。長男は1998年生まれで、長女は1992年生まれだそうです。
木之内みどりさんの長女の名は果女(かな)です。果女さんは、芸能人の子供が通っていることで知られる一貫校の成城幼稚園から成城大学を卒業し、大手広告代理店(電通と思われます)に就職したらしいです。
木之内みどりさんの長女の果女さんは、2017年に26歳で結婚したそうです。お相手の男性は明らかにされておらず、目立った報道等もないので一般人だと考えられるでしょう。
木之内みどりさんの長男、星夏(せいな)さんは、一貫校である早稲田小学校から早稲田大学に通い、大学の演劇サークルに所属していたと言われています。
現在は俳優として活動しているとも言われていますが、噂なので一般人である可能性も高いようです。
木之内みどりさんは、芸能界を引退してからは、表舞台に出ることはほとんどないようです。そんな木之内さんが、現在はどうしているのかを調べてみました。
木之内みどりさんは、1978年に芸能界を引退して一般人となっています。そのため、メディアに登場することもなく現在の様子は分かりません。以前、竹中直人さんの自宅が取材されたことがありましたが、木之内さんは姿を見せなかったそうです。
木之内みどりさんは、専業主婦をしていると考えられるでしょう。2人の子供を育て上げたことですし、現在はステキな奥さんとして夫と幸せに暮らしているのでしょう。
木之内みどりさんと名前が似ている女優の木内みどりさん。木内さんが亡くなったときは、木之内さんと勘違いした人もいたようです。そんな木内さん死因や葬儀について調べてみました。
木内みどりさんは、2019年11月18日に69歳で亡くなりました。11月21日に木内さんが開局したネットラジオ『木内みどりの小さなラジオ局』で訃報が伝えられました。木之内みどりさんと名前が近かったので、木之内みどりさんが亡くなったと勘違いした人もいたようです。
木内みどりさんは愛知県名古屋市生まれで、高校を中退し、劇団四季研究所に入りました。1971年に『「されどわれらが日々」より 別れの詩』で映画デビューし、その後、ドラマ、バラエティ、映画、舞台などに多数出演し、人気者になりました。木内さんは、反原発活動家としても知られていました。
木内みどりさんの死因は、急性心臓病でした。木内さんは、前日の17日までツイッターにコメントをアップしていましたが、滞在していた広島のホテルで散歩から戻った後、部屋で急死したようです。
木内みどりさんは、生前の強い希望で通常の通夜や告別式は行わず、家族葬が執り行われました。また、遺骨・遺灰は、仏事などを木内さんが強く嫌っていたので、粉骨の上、木内さんの知人が所有している静岡県の山奥の「誰も訪れない場所」に散骨されたそうです。
2020年に、お別れの会『木内みどりさんを語り合う会』が開かれ、芸能人や文化人、それに政治関係者など450人が参列しました。
木之内みどりさんは、竹中直人さんと再婚しましたが、元夫は誰だったのか、また前夫との出会いや離婚理由などを調べてみました。
木之内みどりさんは、1983年に東京都出身のベーシスト&作曲家の後藤次利さんと結婚しました。木之内さんにとっては初婚でした。
後藤次利さんは、1970年代に大人気となり海外公演も行った「サディスティック・ミカ・バンド」や、「ティン・パン・アレイ」などのバンドで、ベースシストとして活躍された方です。
1978年9月、木之内みどりさんが新曲『一匹狼(ローン・ウルフ)』発売直後に、ベーシスト&作曲家の後藤次利さんとの交際が発覚しました。木之内さんと後藤さんは、彼女の8枚目のアルバム『苦いルージュ』のレコーディングで出会い、親密になっていったそうです。
木之内みどりさんは、アメリカ・ロサンゼルスでレコーディング中だった後藤次利さんのもとに、すべての仕事をキャンセルして逃避行しました。
後藤次利さんは当時、『恋人もいないのに』のヒットを放った女性フォークデュオ「シモンズ」の玉井タエさんと結婚していて、木之内みどりさんとは不倫関係でした。
このこともあり、木之内さんは帰国後に記者会見を開き芸能界を引退したようです。
後藤次利さんは1979年7月に玉井タエさんと離婚し、木之内みどりさんの引退から5年後の1983年に彼女と結婚しました。しかし4年後の1987年に離婚しています。
離婚の原因は、後藤さんが堀ちえみさんと不倫したからだと言われています。後藤さんは、木之内さんと離婚後、1994年におニャン子こクラブの元メンバー、河合その子さんと3度目の結婚をしています。
短い芸能生活だった木之内みどりさん。竹中直人さんと再婚し、2人の子供を育て上げ落ち着いた生活を送っている彼女。どうも芸能界には全く未練がないようで、表舞台に出てくる可能性はとても低いようです。
未だに木之内みどりさんのファンがいますし、一度、現在の彼女の元気な姿をどこかで見てみたいものですね。
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