木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
北島康介は5歳から東京スイミングセンターで水泳を始めていて、日本体育大学体育学部体育学科を卒業しました。日体大の大学院に進学しましたが、競技に専念するために2006年に中退しています。それだけ、競泳を大事に考えていたのかもしれません。
2005年4月には日本コカ・コーラと所属契約を結び、日本人初のプロスイマーとなりました。そのため、試合の際に身に付ける水着やスイミングキャップなどに”Coca-Cola”とロゴを入れて大会に出場しています。なお、2011年4月からは“AQUARiUS”というロゴを付けています。
2016年4月に日本選手権兼リオデジャネイロオリンピック代表選手選考会において、男子200メートル決勝で5位となりました。5大会連続となるオリンピック出場を逃したことがきっかけとなり、現役引退を表明しています。この際には、「自分は引き、今後世界で戦う選手を応援したい」と言っていました。
競泳選手として現役を引退した北島康介ですが、その後どうしているのか気になる方もいるでしょう。ここで、最近の北島康介の仕事などについてご紹介します。北島康介は、何をしているのでしょうか。
2009年に『株式会社IMPRINT』を設立し、代表取締役社長として経営に当たっています。『株式会社IMPRINT』では、アスリートのマネジメント業務や、スイミングクラブ・流水プールの運営を実施中です。
北島康介は、2015年より『パフォームベタージャパン』の代表も務めています。この会社は1991年にアメリカで設立された『パフォームベター社』の日本法人です。『パフォームベター』は、アメリカにおいてファンクショナルトレーニングおよびリハビリ等に関して実績のある会社でもあります。
『パフォームベタージャパン』では、トレーニング用品の輸入・販売やトレーナー向けのセミナーを展開しています。
自身の水着ブランドである「+K arena by KOSUKE KITAJIMA」(アリーナ)を展開しています。デザインの企画、提案を行いアドバイザーとして活躍中です。
2014年には『東京都水泳協会理事』に就任していて、「KOSUKE KITAJIMACUP」を開催するなど活動をしています。また2018年には東京都水泳協会副会長に就任し、2020年になると東京都水泳協会会長に就任しているのです。北島康介のこれまでの功績が認められたことで、数々の職に任命されているのでしょう。
2019年に、”NHK東京2020オリンピック放送アスリートナビゲーター”に就任しました。実際に、2021年7月から開催された東京オリンピック2020の関連番組に出演しています。
競泳界のレジェンドである北島康介ですが、彼の結婚が気になる方もいるかもしれません。結婚や子供について迫ってみたいと思います。
北島康介は、2012年12月31日に婚約を発表し、2013年9月22日に結婚しました。結婚した日は、北島康介の30歳の誕生日でもあります。
北島康介が結婚した相手は、『girl next door』というバンドでヴォーカルを務めていた“千紗(前川千紗)”です。千紗は結婚した際にバンドを脱退していて、バンド自体も解散しました。
北島康介と千紗は、飲み会の場において共通の知人の紹介により知り合いました。嫁となった千紗は、結婚後はしっかりと北島康介を支えているといいます。
千紗が逮捕されたとの噂がありますが、逮捕されていたのは彼女の父親でした。父親は、千紗がまだ学生だった2007年に逮捕されていたのです。千紗の父親は、県立氷上特別支援学校に勤務していた前川公夫といいます。彼は、34歳の女性の下着を盗んだとして逮捕されました。
その後には、保釈金を支払い釈放されています。これにより、千紗を検索すると“逮捕”というワードが出てくるものと考えられます。
2013年11月に、千紗が妊娠4ヶ月であることが発表されました。そして、翌年の5月9日に第一子である女児が誕生しています。現在は7歳となっているでしょう。
オリンピックで2連覇するほどのスイマーである北島康介。その彼を育てたのは、一体どういったコーチなのでしょうか。続いては、北島康介を指導したコーチをご紹介します。
北島康介は、5歳から東京スイミングセンターで水泳を始めています。そして、中学2年生の頃に平井伯昌(のりまさ)に見出されました。平井伯昌は、東京スイミングセンターのヘッドコーチや、東洋大学体育会水泳部監督を務めている水泳指導者です。この出会いにより、北島康介はレジェンドと言われるまでの存在になっていきます。
平井伯昌コーチは、北島康介のある2つの特色について着目しています。1つは水泳に対して高い集中力を持っていることです。そしてもう1つは、アドバイスを素直に聞くことのできる北島康介の姿勢です。
平井伯昌の指導法の特徴は、選手を『特別扱いをしない』点にあります。北島康介がシドニー五輪に出場した後にも、彼は様々な世代が混じる中で練習をしていたのです。それは、東京スイミングセンターの育成方針でもありました。孤独にならないようにして、他の選手と競い合える環境を整えたのでした。
それにより、モチベーションアップも促しています。それだけでなく、平井伯昌は北島康介をなるべくマンツーマン指導しないようにしていました。世間から「北島康介をマンツーマン指導するべき」と声が出ても、中村礼子の指導をしています。
この中村礼子も、平井伯昌の指導の成果により、アテネオリンピックや北京オリンピックでメダリストに輝きました。
2021年7月から開催された東京オリンピック2020でも、日本代表の監督を務めました。なお東京スイミングセンターでは、以前の指導方式から、選手に応じて指導する『平井方式』に改良されたと見る向きがあります。
この方式は、東京スイミングセンターの創設された頃の『小柳方式』がベースになっていると言われています。
ここで、北島康介のオリンピック出場経歴について迫ってみたいと思います。北島康介は、オリンピックでどの様な成績を残したのでしょうか。
北島康介は、高校3年生だった2000年にシドニーオリンピックに出場しました。彼にとって初めてのオリンピック出場でした。それにもかかわらず、北島康介は100メートル平泳ぎで4位入賞という日本新記録の更新を果たしました。
2度目のオリンピックとなった2004年のアテネオリンピックでは、100メートルと200メートルの平泳ぎで金メダルを獲得しました。2冠を達成したのです。
北島康介は2008年の北京オリンピックにも出場しています。この際には、100メートルと200メートルの平泳ぎで連覇しました。
2012年のロンドンオリンピックでは、男子100m平泳ぎで5位入賞、男子200m平泳ぎで4位入賞となり、男子400mメドレーリレーで銀メダルを獲得しています。メドレーリレーでは、松田丈志が「康介さんを手ぶらで帰らせるわけにはいかないぞと話していました」と発言しています。
この言葉が、新語・流行語大賞にノミネートされトップテンに選ばれました。
北島康介は、キャッチーな名言を残しています。誰もが聞いたことがあるかもしれません。さて、北島康介はどの様な名言を残しているのでしょうか。
インターネット上で『”夏季オリンピックの名言”歴代ベスト10』が公開されています。この中で、北島康介の名言は1位と4位の2つがランクインしています。さて、どういった言葉がランクインしたのでしょうか。
2004年のアテネオリンピックの、競泳男子100m平泳ぎで金メダルを獲得した後のインタビューで発した第一声が「チョー気持ちいい」でした。この一言は、流行語大賞・年間大賞に選ばれています。また、『”夏季オリンピックの名言”歴代ベスト10』の1位となったのが、この言葉でした。
「なんも言えねぇ」は、2008年の北京オリンピックの100メートル平泳ぎの決勝で、世界新記録を樹立し連覇した際にテレビ中継での言葉です。アテネオリンピック後の4年間は苦難の時期でそれを乗り越えたこと、これまでの競技人生で最高の泳ぎができたことで発した言葉だったとされています。
また「なんも言えねぇ」は、『”夏季オリンピックの名言”歴代ベスト10』の4位となっています。
北島康介の名言は、実は上記以外にもまだまだあります。心に迫る北島康介の名言が、『まるちょん名言』というサイトに数々掲載されているのです。読んでみると、心の支えになるかもしれません。
北島康介はは現役を引退後、様々な活動を繰り広げています。現在は東京都水泳協会会長も務めています。また会社の経営や水泳関連のアパレルのデザインも手掛けているのです。どの仕事も、水泳に関係のあるものです。これからも、北島康介は水泳に携わっていくのかもしれません。
またプライベートでは、バンド『Girl next door』のヴォーカルだった千紗と2013年に結婚しています。その後に子供も生まれていて、幸せに暮らしているでしょう。
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