玉森裕太さんの熱愛相手は?彼女はいないのか結婚しているのか紹介
2024/01/12
himawari3232
柿崎芽美さんは、2016年5月けやき坂46のオーディションに合格し、デビューしました。けやき坂46は、欅坂46に特例で加入した長濱ねるさんが、他のメンバーとは違う形で活動するために設けられた、欅坂46のアンダーグループでした。
しかし、欅坂46にステップアップして活動できたのは、長濱ねるさんだけであり、他のメンバーは先の見えない、苦しい期間を過ごしました。
同年8月、欅坂46の2ndシングルに、けやき坂46初の楽曲「ひらがなけやき」が収録されました。9月には欅坂46の冠バラエティー番組「欅って書けない?」で、けやき坂メンバーがフューチャーされ、11月には欅坂46の3rdシングルに収録された「誰よりも高く跳べ!」で、はじめてミュージックビデオに出演しました。
2019年2月けやき坂は、日向坂46に電撃改名し、ついにグループとして独り立ちを果たしました。翌3月には、日向坂46としてのデビューシングル「キュン」が発売されます。柿崎芽美さんは、選抜入りし、フロントメンバーに抜擢されました。
同シングルは、発売初週に約47万6000枚を売り上げ、欅坂46の「サイレントマジョリティー」が持っていた女性アーティストの1stシングル初週売上枚数記録を上回る、大ヒットとなっています。
柿崎芽美さんは、2019年4月頃から体調不良でイベントを欠席することが多くなり、6月21日、日向坂46のデビューシングル「キュン」の活動をもって、卒業することを発表しました。
7月にはセカンドシングル「ドレミソラシド」が発売されましたが、その活動には不参加でした。最後の活動は、8月11日名古屋での握手会でした。
けやき坂46の冠バラエティー番組として、2018年4月9日から2019年4月1日までテレビ東京で放送されたのが、『ひらがな推し』です。番組MCはオードリーで、勢いのあるけやき坂46との相性は抜群で、グループ改名後も、『日向坂で会いましょう』にリニューアルし、番組が続いています。
柿崎芽実さんも様々な名場面を残しました。ここでは、そのいくつかをご紹介します。
記念すべき番組初回は、メンバーのプロフィールを紹介していくという内容でした。柿崎芽美さんも紹介され、嫌だったあだ名が「あご美」であったことや、特技として年齢だけ英語の発音がいいというものを披露しました。「I am sixteen years old」とただ言うだけですが、予想外に発音がいいことに何度聞いても笑ってしまいます。
番組の人気のコーナーに「スナック真緒」がありました。これは、スナックを開くことが夢だと語るメンバーの井口真緒さんがスナックのママ、宮田愛萌さんがバイト店員、春日俊彰さんがマスター、若林正恭さんが常連客に扮するコント形式の企画でした。
毎回3人のメンバーが、一人ずつ本人役で登場し、お店にやってきて悩みを聞いてもらうという設定でした。柿崎芽美さんは2018年9月24日放送回に2人目のゲストとして出演しました。
メンバーからぶりっ子と言われることが悩みだという柿崎芽美さんは、ウィンクを披露して盛り上げました。
2018年10月1日放送回の企画は、「けやき坂46 なんでもランキング!」でした。メンバー内投票で、ぶりっ子ランキング1位となったのは、柿崎芽美さんで、2位となった宮田愛萌さんとはわずか1票差です。
柿崎さんも宮田さんに1票入れていたことから、若林さんは、二人にぶりっ子フリースタイルバトルで決着をつけるように言いました。
カメラに向かって二人が延々とぶりっ子技を繰り出す姿は、今でも語り草となっています。
約3年間のアイドル活動を終えた柿崎芽美さんは、現在、どうなさっているのでしょうか。柿崎芽美さんの現在についてみていきます。
2020年3月31日付『日本経済新聞』夕刊には、柿崎芽美さんの父親で、アーティストの柿崎順一さん(後述)のインタビューが掲載されました。
同インタビューで、柿崎順一さんは、2人の子どもがいて、「1人は歌手として活動した後に芸術の世界を志し、もう1人は海洋生物学や博物館学を学んでいます」と答えています。前者は、柿崎芽美さんのことを指しており、芸術の道を目指していることがわかります。
2019年11月14日柿崎順一さんは、「Mountain of passion | 受難の山」という作品の写真をツイートしました。注目されるのは、そのクレジットに「Photo: 柿崎芽実」とあることです。ここから、柿崎芽美さんは、父親の手伝いで作品に関与していることがわかります。
柿崎芽美さんは、卒業当時、大学進学について触れていましたので、大学に進学したのではないかという噂があります。しかし、確かなことはわかっていません。
柿崎芽実さんは、現在インスタグラムをはじめとするSNSを公にやっているかどうか確認できず、芸能界を引退しているため一般人として静かに生活しているようです。
前述のように柿崎芽美さんは、2019年8月に卒業しました。では、柿崎芽美さんの卒業の理由は、何だったのでしょうか。
柿崎芽美さんが投稿したところによると、2019年の春頃から心と体のバランスが取れなくなっていたと述べています。ちょうどグループが改名し、大きな変化が起きていた時期でした。精神的にまいっていたことが原因の一つと考えられます。
また指摘されているのが、ストーカー被害に遭っていたことです。2019年5月10日、日向坂46公式サイトでは、一部ファンによる迷惑行為に悩まされており、警察へ通報する措置を取ると発表されていました。
柿崎芽美さんは、最後の握手会での送別セレモニーの挨拶で、ストーカーによって握手会に出られなくなったことや芸能界を引退することを明らかにしました。
柿崎芽美さんは、卒業を発表したブログへの投稿で、周りの友人が大学など進路を考えているなかで、自分も将来について考えたと述べています。
柿崎芽美さんは、「けやき坂」から「日向坂」に名前が変更になってから、体調理由などを理由にグループの活動を欠席することが多くなっていきました。
また、改名後からブログ更新も滞っていたことや、ミュージックステーション初出演時も柿崎芽美さんだけ不在だったことを踏まえると、グループ名の改名が彼女の卒業に影響していることが考えられるといわれています。
卒業前、活動を休んでいた際に柿崎芽美さんは、白血病ではないかという噂がありました。それは本当なのでしょうか。
2019年春頃から体調悪化のためイベントを休みがちになり、実質活動を休止している状態にあった柿崎芽美さんは、白血病ではないかという噂が立ちました。
噂の出元となったのは、現在は存在していない、ある匿名のツイートでした。都内に入院しているという同じ内容が連続でツイートされ、ファンは心配しました。
しかし、柿崎芽美さんの父親は、個展の際に彼女について質問された時に、「元気でやってますよ。」と証言しました。よって白血病であるというのはデマだと考えられます。
すでに名前が出てきましたが、柿崎芽美さんの父親であるアーティストの柿崎順一さんについてみていきましょう。
柿崎順一さんは、1971年1月4日生まれ、長野県千曲市出身のアーティストです。両親が花屋を経営しており、順一さんは土屋宗良さんに師事し、フラワーアートの道に進みました。自然素材を主材に多くの作品を生み出しています。2003年には、TVチャンピオンの 「第5回お花屋さんフラワーアレンジメント選手権」にも出演しました。
そんな柿崎順一さんは、娘の芽美さんについてもたびたび言及しています。
柿崎芽美さんは、2016年9月4日放映「欅って、書けない?」で、反抗期について聞かれて、顔を触ってきたり、意味もなく名前を呼んでくるため「お父さんが嫌いだった」と答えています。反抗期の娘が父親を敬遠するのは、よくあることであり、柿崎芽美さんも同様であったことがわかります。
以上、元日向坂46の柿崎芽実さんのアイドル時代や卒業理由、現在についてご紹介してきました。芸能界を引退した柿崎芽美さんですが、現在、芸術の道を進んでいるようですので、今後、何か顕著な動きがあるかもしれませんね。その時が待ち遠しいところです。
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